1-2 「なんて恐ろしい事件なんでしょう」
確かにどういう訳だかボクには村田貴文という男子生徒と、山川静子という女生徒、二人分の記憶があった。
何故どうして、と混乱しつつも、以前読んだ本かマンガをホンモノだと勘違いしているだけなのではないかと思った。或いは映画かテレビドラマとかだったりするのかもしれない。きっと混乱して現実と混同しているだけに違いないのだ。だって普通に考えたって真っ当じゃないだろう。この目の前の少女にボクはきっと担がれているのだ。
曰く、この少女は随分前から俺とわたしを観察していたらしい。ラブ波動を感じたなどと訳のワカランことを宣っていた。
そして遂に告白シーンを目撃し、下校シーンまでドキワクしながら観察(のぞき、もしくはデバガメだと思う)していたら、あろうことか、たまたま偶然暴走したダンプカーが、たまたま偶然家や塀を素通りして路地に乱入(量子的すりぬけ云々などと、また意味不明な注釈を付けていた)。
そしてやはり、たまたま偶然ソコを歩いて居た俺とわたしを塀で挟んでぺっちゃんこにしたのだと言う。
「なんて恐ろしい事件なんでしょう」
「真面目に話してくれるかな」
ちょっとイラっとしたので釘を刺したつもりだったけれど、「真面目に話してます」と返答があるだけだった。少女はぐしゅぐしゅと鼻をすすっていた。そして説明の傍ら、時折「失礼」と言っては洟をかんでいる。
「ごめんなはい。今年は花粉がひろふて」
明らかな鼻声だ。花粉症か。ボクは全然平気だけれどもクラスにも何人か居る。連中は毎年この時期になるとマスクだの薬だのを学校に持ち寄って、ひいひい言いながら授業を受けていた。辛いんだろうな、とは思った。だがそれはソレこれはコレである。
「繰り返しますが本当のコトなんです。現実なんです。ですから勇気を奮って受け止めて頂きたいのです」
些か舌足らずだが少女の物言いは忌憚がない。面と向って逃げるなと言っていた。だが別にボクは逃げてなんかいなかった。在り得ないと言っているだけなのだ。
「在り得るからこそ、こうしてお話することが出来るのです!」
勢い込んで反駁した途端、彼女は声を詰まらせ、ムズムズと鼻の穴も膨らませ実に情けない顔になった。そのまま大口を開けて息を吸い込んだ後、
「ぶえっくしょい!」
一際大きなクシャミをした。
瞬間、劇的な事が起きた。少女の顔面が崩壊したのだ。
比喩じゃない。物理的に四方八方に分解し、タコかイソギンチャクのような触手が目の前一杯に拡がって、びちびちと勢いよくウネり、身悶え始めたからだ。よく見れば触手だけじゃない、エビとかカニとかによく似たハサミだの節のある足だのまで飛び出している。
間髪を置かず絹を引き裂いたような悲鳴が聞えた。それがボクの喉から出ているのだと気付くのに、些かの時間が必要だった。
愕然として引きつって固まっているボクの目の前で、拡がっていた触手だのハサミだのはきゅるきゅると小さな音を立てて縮んでゆき、やがてヒトの顔の形に戻っていった。そのまま目鼻口が浮かび上がって来て、あっという間に先程までの少女の顔に変わるのだ。
まるで分解しても自動的に元に戻る立体パズルのようであった。見事と言えばよいのか、おぞましいと言えばよいのか。
「ごめんなさい、粗相しました。唾とか、かからなかったですか」
気遣って差し出されたハンカチに、思わず「ひっ」と言って床を蹴り飛ばし、椅子ごと後退ってしまった。よく席を立って逃げ出さなかったものだ。褒められてもいい。我ながら強烈な自制心だと思う。単に腰が抜けて、立ち上がれなかっただけなのかもしれないけれど。
「きみっていったいナニ!」
裏返った声で詰問したら「個性ですよ」と返されてしまった。
「吃驚させてしまってすいません。でも危害を加えるつもりなんてサラサラないです。よく考えてみて下さい。そのつもりなら当にどうにかしています。こうしてテーブルを挟んでお話なんてしていません」
そう言って彼女は膝の上に乗せたままの箱からティッシュを取り出し、再び「ずびい」と洟をかんだ。
「信じて頂けないれしょうか」
真剣な鼻づまりの声に、でんぐり返っていた心臓がちょっとだけ落ち着いてきた。
確かにこの子の言うとおり。どうにかするつもりなら、もうどうにかされて居たに違いない。だがハイそうですねと信用出来るのかと言われれば、「出来ません」と答えるのが真っ当な反応だ。物事はそんなに簡単じゃない。
正直逃げ出したかった。だがしかし肉体的に不可能だった。生憎とボクの両足はまだ震えたままだったからだ。椅子から立ち上がるのも怪しい有様だ。
それに仮に立って駆け出すことが出来たとしても、その後の展望は何も無かった。いま自分の身にナニが起きたのか、何故に此処に居るのか、何故この少女もどきの前で話を聞く羽目になっているのか、全てがさっぱり判らない。
少なくとも自分の身に起きた事の顛末といまこの状態、それを知ることがまず先決ではないのか。全ては話を聞いてからのことだろう。
とはいえ、である。この目の前に座る少女的な謎生き物を信用してよいのか?
どうしよう、と悩んだ。悩んで額に手を当てて目を瞑り、静かに息を整えた。
落ち着け、落ち着くんだ。確かに今まで彼女が介抱してくれたのは間違いない。彼女の言うとおり、今すぐボクがどうこうされるコトは無いのかもしれない。
たっぷり二〇は数えたのではなかろうか。仕方がないと嘆息し、十分に気を落ち着かせてから躊躇いがちに口を開いた。
「と、取敢えず、お話を最後まで伺いましょう」
そしてボクは座ったままズリズリと椅子を思いっきり部屋の壁にまで後退らせ、彼女と数メートル分の安全距離をとると、ソコで改めて事の次第を聞くことにした。
彼女の説明に寄れば、俺とわたしは足して二で割った挙げ句、ボクになったらしい。
「なんでそんなコトを」
「だって事故現場のお二方は、もうそれこそぐっちゃぐちゃだったのですから」
写真をお見せしましょうか、と言われて止めてくれと断った。ボクはグロやスプラッタは苦手なのだ。俺であろうとわたしであろうと、たといその写真がホンモノで無かったとしてもだ。
彼女の説明だと村田貴文と山川静子はダンプと塀に挟まれて、ものの見事にミンチになったのだという。原型をほぼ留めてなくて、警察では本人かどうかの断定に随分と時間を食ったらしい。まるで見てきたかのように言うなと思った。
「傍らから見てましたよ、警察屋さんのところにも忍び込んでしっかりと。だから云えるんじゃないですか。
お二方のご遺体をくすねて、全く関係の無い肉塊とすり替えるのに苦労いたしました。ですがその甲斐あって、こうして再生することが叶ったのです。おめでとうございますっ、ぱちぱちぱちぱち。
不幸な事故から生還し・・・・あ、いえ、今も死んだままですので生還というのには語弊がありますね。不幸な事故から復活し、再び息をしてご飯を食べることが出来るようになったのです。
深呼吸をしてみて下さい。すーはーすーはー。どうですか、空気美味しいですか」
「ふざけんの止めてくれる?」
「ふざけてなどいません。わたしは大真面目です」
真っ当に組上げられる材料が辛うじてヒト一人分しか残っていなくて、どう水増ししても二人分は不可能だったのだという。
「クルマなら解体屋さんでスクラップ集めてニコイチとか出来ますけれど、流石にこの平和な国では流用パーツの入手は困難です」
「ヒトをクルマと同レベルで語るのは止めてくれるかな。それに流用パーツってなに。住んでる国が平和かどうかなんて関係無いでしょ」
「戦争やってる当事国ならば、材料はより取り見取りなんですけれどもね」
一瞬ナニを言っているのか判らなかったが、はたと気付いた瞬間、再び「ふざけるな」と叫んでいた。
「人間を何だと思ってるんだよ。プラモデルか何かと勘違いしてない?」
「現代の病院でも臓器移植は行なわれているじゃないですか。成体前の若くてピチピチの肉体なら各部位の適合率も高いんです。しかも死にたてホヤホヤ産地直送状態で行なわれた施術、とってもラッキーな状況だったんですよ」
ああ言えばこう言うといった調子で、ボクの反論はことごとくいなされ、ねじ伏せられた。彼女が言っている意味は判る。身体や気持ちの違和感も全部説明がついた。だがだからといって、ハイそうですかと容易く納得できる筈もないのだ。
「ご自分の身体はご覧になったのでしょう?わたしの言っている事すべてとは言えなくとも、それで幾分納得することは出来ませんか」
「・・・・」
それを言われると流石に二の句が告げられなかった。確かに今のボクの身体は普通じゃない。全身にツギハギの縫い目があるのもさることながら、両足の付け根には男性のモノと女性のモノ、その両方が付いていたからだ。
どちらもよく見覚えのあるものであると同時に、全く見慣れぬものでもあった。戸惑う気持ちと少なからぬ好奇心。そして決して小さくない羞恥心だ。その三つが交ぜになって何とも落ち着かない気分だった。
かてて加えて広めの肩幅と胸の膨らみもまた違和感と安堵感が一体になって、不安定な気持ちを更に掻き回してくれるのである。
「まぁ、今のボクが普通じゃないってコトに異論はないよ」
それは悔しいけれど認めなければならない、残酷な事実ってヤツだった。そして事の次第一切合切を説明された後にボクは遂に諦めて、とても深い溜息を着いたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます