第一幕(その三)静子さんの友人です

「つまりきみの話を信じるのなら、ボクはもう死んでいるってコトなんだよね」

 いまボクは少女と肩を並べて川沿いの遊歩道を歩いていた。

 町の真ん中を流れる小さな川だ。申し訳程度の河川敷とやはり申し訳程度の草むらが点在する川縁に、住宅地が静かに隣接していた。

 人気の無い昼下がり。並んで歩くボクらはきっと何気ない風景の一部なんだろう。少女の方はティッシュの箱を小脇に抱え、目元しか見えない巨大なマスクをしていた。

「生物学的にも法規的にも死者ですね。正確にはヒトとして、というだけで、ヒトの材料から生まれた物体として活動を始めたと言った方が近いでしょうか」

 彼女はマスクをもごもごと蠢かしながら、くぐもった声で説明を続けている。

「ほう、物体なんだ。生き物じゃなくて」

「死体ですから」

「ふーん」

「全然信じてませんね」

「信じる方がどうかしてると思う」

 だいたいボクはこうして息をしているし、様々な疑問を巡らしつつ、てくてくと歩きながら彼女と問答しているのである。何処をどう突けばそんなたわけた物言いが出来るって言うんだ。死体は目を覚まさないし、息もしなければ起き上がって喋ったりもしない。そんなコトが現実になったらそりゃ只のゾンビ。映画や小説の中だけの出来事、妄想フィクションの類いである。

「その通りです、リビングデッドというヤツですよ」

 此の子もなかなかにシツコイ。一旦言い出したことはテコでも曲げない性分らしい。あるいは言い出した手前、引っ込みが付かなく為っているだけなのかも知れなかった。

「まぁ目覚めた端から急に信じろと言われても難しいですよね。その辺りは追々時間をかけて納得して頂くことにしましょう」

 年上目線な物言いは些か面白くないものの、今のボクはナニも判らない。だから黙って彼女の説明は一通り呑み込むことにした。

 決して全面的に承服できた訳じゃない。でも色々と話の辻褄は合うから聞いている。水掛け論で時間を浪費しても仕方がないし、大事なのはボクがいったい何者で、これからどうしようかという話なのである。

「取敢えずリハビリも兼ねてお散歩に出ましょうか」

 そう言う彼女に連れられての外出だった。

 ボクは彼女から手渡された服を着ていた。長袖の白いワンピースに白いスニーカー。そして麦わら帽子というどこぞの浜辺が似合いそうな、正に少女然とした格好だった。

 アンダーウェアは二種類。上は意外と大きめの胸をフォローする白のブラジャー。しかし下半身は色々とかさばるモノが付いているものだから、スカートの下にライトグレーのボクサーブリーフを身に着けている。なんというアンバランスさか。

 傍目には確かに外を出歩いても違和感ない格好だが、ボクの中の二人にはそれぞれにコレジャナイ感ばりばりで、落ち着かないことこの上なかった。

「この陽気に長袖っていうのも何だかなぁ」

「ツギハギだらけのお肌は見られない方が宜しいでしょう」

 まぁそれはそうだ。今日は春先とは思えぬ天気で気温も結構高かった。空も随分と高くて、まるで初夏を思わせる。その割に風が在るので蒸し暑さとかとは無縁だった。

 彼女はマスクをずらしてちん、と洟をかんだ。肩から掛けているポシェットがゴミ箱の替わりらしい。暑いですか、と問われて問題無いと応えた。

「でも、ジーンズやフード付きのパーカーの方が良かったんじゃない?」

 襟元やスカートの裾から覗く足には、キッチリ縫合痕が見え隠れしていた。

「ごめんなさい。今は持ち合わせがソレしかなくて」

 無いのなら仕方がない。こちとら服を借りている立場なのだ、贅沢を言ったらバチが当たる。不意に彼女が「あ」と声を漏らして空を仰いだ。つられて見上げればツバメが空を飛んでいた。軽やかな身のこなしで滑るように宙を舞っている。

「今年も帰ってきましたねぇ」

 そう言ってマスクの隙間から目を和らげる様子は、到底あのグチャグチャの海洋生物もどきとは思えない。

「あの小さな身体で海を越えてはるばるやって来るなんて、スゴイですよね。旅行はお好きですか?」

 俺はあんまり遠出をしない。

 わたしも家族旅行が精々。

 基本インドア人間だし。

 でも旅は好き。何よりも知らない世界を知るというのは心が躍るもの。

 そうかな。

 そうよ。

「自発的に行こうとは思わないかな」

「勿体ないですねぇ。わたしは余り遠くに行けないので、ツバメさんのような渡り鳥を羨ましいと感じますよ」

 まぁ、ボクもキライって訳じゃあない。お金と時間があるのなら旅行も悪くないかなと思うけれど。

 確かにお金と時間は重要案件よね。平日はもちろん土日も普通に部活があるし。

「例え観光地とかでなくとも、平凡な町並みをお散歩するだけで構いません。自分の見聞きしたことのない世界を垣間見るというのはドキドキします。そんな気分になったりなどはしませんか?」

 わざわざ観光地でもない所を?

 そういうのんびりした旅もいいわね。

 ツバメの行く先を捜して訪ねてみるのは面白いかも知れない、とわたしは思い、確かに見聞が広まるのは良いコトかな、と俺も消極的な賛同をした。

 なんとなく三人で会話を交わしながら、なんとなく遊歩道を歩いてなんとなく曲がり角を折れ、なんとなく住宅地の中に入った。この道筋は見覚えがあった。山川静子、わたしの家へと向う道順だった。

 山川と書かれた表札の前で足を止めた。事故のあった日からもう一ヶ月が過ぎていた。四九日はまだであったが初七日はもうとうに過ぎている。葬儀や納骨など納めるべき諸事情は全てが終わり、日常が戻ったという気配が漂っていた。だがこの家に住む人達がそうであるとは限るまい。

「会ってみますか?」

 少女の問いにはっとしたが、何も言えずに俯いてしまった。いまの自分にかつての面影は殆どなかった。顔や肢体は彼女曰く「いいとこ取り」をした、まったくの別人になってしまっているからだ。

 どうしようかと逡巡する気持ちとは裏腹に、手は勝手に伸びてインタホンを押していた。

「どなた」と乾いた声がする。

「静子さんの友人です。お葬式には出られなかったのでお線香を上げさせてください」

 淀みなく答える声が、思いの他に落ち着いているのが不思議だった。玄関から出てきた母親の顔は、化粧で上手く隠してはいたものの憔悴した色合いが見て取れた。

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