1-4 ツングースカ・花子です

「欺したみたいで落ち着かないよ」


「嘘はついていませんよ。山川静子をよく知っている友人というのも間違いの無い話です」


「それは友人が今のボクだから?それとも村田貴文がボクの半分だから?」


「それは別に区別する必要は無いでしょう。いずれにしても『村川貴子』本人であるのですから分ける方が不自然です」


「あのね、確かに名前は必要だからあの場で咄嗟に言い繕ったんだろうけどね。余りにも安直だよ、そのネーミング」


 もう止めてくれるかな、とボクは駄目出しをした。家に上がるときに自己紹介と称して、彼女は俺とわたし二人分の名前をミックスして答えたのだ。


「それにしてもキミの名前の方が吃驚だったよ。なんだい、ツングースカ・花子って。お母さん、目が点になってたじゃないか」


「出身地を姓にするというのがそれ程おかしな事でしょうか。それにわたしは帰化人ですので日本風の名前に改名しているだけです。異論があると言う方が無粋でしょう」


「そりゃそうかも知れないけれど」


 それでも母親は、娘の友人がわざわざ訪ねて来てくれたことを喜んでくれた。そして娘のことを色々と訊ねてきた。ボクは俺の知る限り、可能な限りその範疇で答えた。ボクの中に在る静子本人の思い出はなるだけ触れないようにして。


 娘としてお母さんに接するのが辛かったからだ。迂闊に口を開いたら、そのまま感情が溢れ出てしまうに違いなかったからだ。今更全てを打ち明けても、きっと良いコトには為らないだろうと、そんな確信があったからだ。


「自分の遺影に手を合わせてお祈りするってのも、先ず普通は体験できないよなぁ」


「良い経験だった、というのは不謹慎ですよね?」


「判ってんなら口にしちゃ駄目だよ」


「その辺りの感情が未だにピンと来ないものですから」


「気遣いが足りない、と言わせてもらう」


「わたしの一族はだいたいこんな感じです。雨と風は土地を造り、土地はソコに住まうモノたちを造りますから」


「土地柄なの?そもそもツングースカって何処だよ」


 まぁ彼女の実体を知った今となっては、土地柄云々の話じゃないと知っている。ただ云わずには居られなかったというだけだ。


「寒い土地なのは間違い無いですね。現在はロシア領ですから」


「え、きみはロシア人?」


「厳密に言えば違います。でもソコが出身地なのは間違い無いです」


 まぁ確かにヒトではないよ。ホンモノのロシア人がこんなんだったらタイヘンだ。そもそも何でボクはこんな彼女と一緒に歩いて世間話してるんだろう。どう考えたって普通じゃない。


「とは云え、今のボクもヒトのことは言えないかもな。何故だか判らないけれど、静子としてお母さんの姿を見てもあんまり気持ちが騒がなかったんだよね。

 ああ、哀しんでいるなと判るだけでさ。ごめんなさい、とか、可哀相に、とか思うだけで感情は平板というか、冷たい感じというか」


 以前のわたしはこんなじゃなかった。テレビとかでちょっとでも哀しい出来事が報じられたら涙が滲むくらいだったし、「泣き」が売りの映画なんてハンカチ無しじゃ絶対に見られなかった。俺に任せてわたしを抑えるなんて、絶対に出来なかったろう。


 怪我をして情が薄くなったんだろうか。貴文として自分の家に行ったとしても、やっぱり同じようなままなんだろうか。


「その辺りは仕方が無いと思いますよ。足りない部分は色々と別の部品で補填しましたし」


「別の部品ってナニ!色々って何を使ったの」


「ええぇ~、それはちょっと恥ずかしくて言えないです」


「可愛くしな作っても駄目っ。正直に言いなさい!」


 まなじり吊り上げてしつこく問い質すのだが、ツングースカ・花子は遂に口を割ることはなかった。


 そしてその日のボクは貴文の家にも赴き、同じようにお母さんに挨拶をした。

 わたしがそうであったように俺もまたそうなのか、キチンとこの目で確かめたかったからだ。珍しく仕事が休みで家に居た俺の母さんは、女子二人が挨拶に訪れたことに何とも微妙な表情をした。わたしのお母さんとは違う反応だったのが印象的だ。


 しかし何時もあっけらかんとしてサバサバした性格だと思って居たのに、ボクと話す内にジワリと涙を滲ませる姿が意外だった。それを見て思わずごめんなさいと言いたくなった。


 そんな訳で一日に二回も異なる自分の遺影にお参りするという、何とも不可解で不条理な経験をすることになったのである。


「まぁなんだ。ボクがもう二人とも死んじゃっているというのはよく判ったよ。こういう物言いも正気を疑われそうで、あんまり言いたくないけれど」


「ご本人からご焼香されてスッキリさっぱりといった面持ちですね。肩の荷も下りたのではありませんか。草葉の陰で喜んでいることでしょう」


「誰がだよ」


「それともご両親達に全てをご報告なさいますか。確かにそれも一つの道です。お薦めは出来ませんが、選ぶというのであるのならお手伝い致しますよ」


「・・・・いや、止めとこう。面倒な事になるのは目に見えているし、お父さんやお母さんをいたずらに混乱させたり苦しませたくない」


 生きて返って来たというのなら家族は喜ぶかも知れない。でも今のボクは二つで一つ分、二人じゃない。それでも受け容れてくれるかも知れないし、そうじゃないかも知れない。


 よしんば上手く二つの家族を納得させて、自分の居場所を取り戻せたとしても周囲はどうだ。決して放って置いてはくれないんじゃなかろうか。一過性の大騒ぎで忘れ去られるのならまだしも、ぺっちゃんこにツブれて死んだ人間が復活したなんて話、そうそう容易く風化するとも思えなかった。


「思いの他にネガティブなのですね」


「お気楽にチャレンジしてコケた場合の方が余程に怖いよ。ボクは賭け事が嫌いなんだ。それにきみもお薦めできないって言ったじゃないか」


「わたしは単純に荒事が嫌いというだけで、解決出来ないという訳ではありませんから」


「何気に怖いこと言うね」


「まぁ気にしないで下さい。穏便平穏に物事を運ぶというのはわたしも賛成です。いずれにしてもわたしはあなたの味方ですから。そのことだけはお忘れにならないで下さい」


「それは、有り難いけど・・・・そもそも何で助けてくれたの?」


「えへへ、それは今は内緒です」


 マスクの中ではなをすする音が聞えた。


「きみは誰、何者なの」


「ツングースカ・花子です」


「改めて名前を訊いていると思う?」


「そうですね、お家に帰ったらお話ししますよ」


 そうしてボクらは二人並んで彼女の家に戻っていった。

 端から見たら、仲の良い姉妹が肩を並べて歩いて居るように見えるのかもしれなかった。

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