2-2 トッピーくん
家に戻って花子に一部始終を話したら、「見つけてしまいましたか」と言われた。
「あれ、見ちゃイケナイものだった?」
「いえいえ、そんなコトではありませんよ。ただ普通の人は見ないものですから」
「見ない?見えないじゃなくて」
「見れども見えず、聞けども聞こえずというヤツです。常識や自分の生活に埒外のモノは、無かったモノとして振る舞うのが人というものですよ」
「うーん。そういうもの、なの?」
ボクは気付いたけれど、と言ったら「コッチ側に来てしまったようなので」と云われた。
「コッチ側ってなに」
「わたしやわたしの同類たちが住む世界、或いはテリトリーと云った方が順当でしょうか。
ほら、自分の生まれた土地でずっと暮している人と、引っ越しで各地を転々としたり、海外旅行や留学なんかで見聞が広まった人とでは、同じ日常でも見える世界が違うではないですか。ソレと同じようなモノですよ」
「そんな話なの?」
何となく根本的に違うレベルの話に思えるんだけれども。でもボクが見るようになった切っ掛けは、間違いなく「復活」したせいなんだろうな。
そう言えば昨日、俺とわたしの二人分をかき集めても足りないから別の材料で補填したとか云ってなかったっけ?
「いったいナニで補ったの」
「え、ええと。どうしても聞きたいですか?」
「聞きたいね、いや聞いておかなきゃならないと思う。ボク自身のコトだし」
花子はしばし言い淀んだ後に、隠し事は無い方がイイですよね、とか、自分のコトを知りたいというのは当然ですよね、とか独り言を呟いた挙げ句、「致し方ありません」と伏せていた顔を上げた。
「分りました。では素材をお教えします。驚かないで下さいね」
そう言っていきなり花子の頭部が「解け」た。思わず目を剥いたが辛うじて悲鳴は呑み込むことが出来た。ボクから言い出したのだ、取り乱してどうする。そう自分に言い聞かせた。
でも駄目だった。次の瞬間には両手で口元を押さえ、声にならない悲鳴が出てしまった。イソギンチャクみたいに触手を捲り上げた花子は、その中央部から巨大な軟体動物を吐き出し始めたのだ。
ソレは目が覚めるほどの青い色をした生き物だった。
ゴボゴボとシチューが煮立った時のような音を立てて、多量の粘液を吹き出しながら、実に鮮やかな色合いをしたナマコ的なナニかがひり出されてゆくのだ。いや、その色合いやツルツルの表面からすれば巨大ウミウシと云った方が正解かも知れない。
いやそんなコトはどうでもいい。その様は、どうひいき目に見ても爽やかさとは隔絶している。余りにも縁遠い。頭の中が真っ白になったまま椅子から腰を上げ身を反らし、その場で立ち竦むのが精一杯だった。
やがて、ぺっ、とシッポの方まで全部を出し終わると、いつもの様にきゅるきゅると小さな音を立てて触手は折り畳まれ、元のあどけない少女の顔に戻った。
吐き出されたソレはいま、床の上でびちびちとのたうちまわっている。太さといい長さといい、花子の胴体と然程変わらぬサイズなものだから迫力が半端なかった。
思わず、さらに数歩後退った。
そもそも、この小さな身体の中に、どうやってこれ程の大きさの生き物が収まっていたのだろう。
「わたしの身体の中に住む寄生虫です。お互い双利共生の間柄なので寄生と云うには若干語弊がありますが、わたしの養分を吸って肥え太り、そして分泌する体液でわたしの美容と健康を補佐してくれる存在です。トッピーくんと云うんですよ」
なんでこんなグロいものを見せるんだよ。昨日、ボクはこの手の物が苦手だと、そう伝えなかったっけ?
声にならない声で抗議する。正直、正視に耐えられなかった。
「でも、この子はもう卯月さんの一部ですから」
は?彼女がナニを言っているのかが分らない。
「ですから、この子をブツ切りにして卯月さんの身体の足りない部分を補ったのですよ」
「な・・・・なぁ?」
目を剥いて、ウソ、と唇だけで問い返した。冗談だと言ってくれと云う、それは懇願だった。
「ホントです」
ボクの願いはけんもほろろもなく退けられて、言い切るその手にはいつの間にか
「こうやってですねぇ」
振り上げて、そのまま何の躊躇もなく真っ青な寄生虫に振り下ろされた。だん、と大きめな音がして体液が飛び散り、切り離されたシッポの部分が床の上でびちびちと勢いよく跳ね回っている。
花子はソレを抱え上げると「生きが良いでしょ」と屈託無く笑んで、どすんとテーブルの上に乗せるのだ。
「この子はコレくらいなら一日で再生します。その分、わたしがたくさんご飯食べないといけませんけれどね。でも一週間もあれば、ヒト一人ぶんの材料くらいわけありません」
そう云って胸を張る花子は実に得意そうだ。ボクは愕然としたまま呆けたように口を空け、瞬きも忘れて、テーブルの上で蠢き続けるソレと花子の顔を交互に見比べる事しか出来なかった。
そして切り取られて暴れるものが、本日のランチと為ったのである。
「お昼からステーキなんて豪勢ですよね」
ニコニコと微笑みながら花子は皿の上に乗った、まだジリジリと小さく油の弾ける音のする厚切りの肉料理を、ナイフとフォークで切り分けながら食べている。でもボクはまるで食べる気がしない。しかし腹が減っているのは確かで、サラダとライスを口に運ぶのだ。
「あ、焼き加減はミディアムじゃない方が良かったですか」
ウェルダンの方が、と席を立ちかけた彼女を制して「そういう問題じゃないから」と力なく首を振った。じっと恨めしげに自分の皿の上の料理を見つめた。いっちょ前に良い匂いを立ち上らせているのが腹立たしい。
しかしコレをどう言えばよいのだろう。
ゲテモノ喰いはまず間違い無いとしても、自分の身体の材料を食するというのは共食いになるんじゃなかろうか。イヤ、自分食いという表現の方が適当かもしれない。感情的にも倫理的にもコレを口にするのは憚られる。
その一方、花子はその辺りを全く頓着していなくて、実に美味しそうに食べていた。
自分の腹の中に住んでいるモノを食べるというのは、果たしてソレは許される事なのか?
いや百歩譲って飼育している家畜だとしても、寄生虫を食卓に上げるというのはどうなんだろう。そもそも先程の床で跳ね回るビジュアルが余りにも強烈で、今のボクには食欲や理屈以前の問題だった。
そういやタコは食べる物が無いときには自分の足を食べるとか、そんな話を聞いた憶えがあるな。花子の食事風景を見ながら、ぼんやりとそんなコトを考えていた。食欲がありませんか、お身体の具合でも悪いのですかと気遣う花子に、「そんなコトはない」と慌てて答え、
「そう言えば同居人のヒトは昼頃来るのだとか」
と、半ば強引に話題を変えた。
「あ、確かに遅いですね。あの子はいつも腹ぺこさんで、食事の時間を違えるコトは先ずないのですけれども」
そんな具合に話していたら「ただいま」と玄関の方から声がした。ドカドカと無遠慮な足音が近付いてきて、ダイニングキッチンに現われたのは背の高い女性だった。年の頃二十代半ばと思しき、黒いロングヘアの美人である。
「美味しそうな匂いがすると思ったら、昼からステーキなの。贅沢ね」
「材料費はタダです。トッピーくんですから」
「なんだ、アレか。ああ、それにアンタの
「なんて口の利き方ですか、失礼ですよ。謝りなさい」
「屍肉をかき集めた肉人形でしょう。しょうもない」
気怠そうな口調だが実に口さがない。
「スイマセン。わたしの教育が行き届いてなくて。コラっ、つまみ食いしちゃ駄目です。お行儀の悪い。先ずはご挨拶でしょう」
彼女は花子のサラダ皿からトマトを摘まんで口の中に放り込むところだった。
あれ?このヒトは花子の使用人か何かだと思ったんだけれども、違うのだろうか。随分となれなれしいというか何というか。
「この方は卯月さんとおっしゃるのです。ほら、自己紹介して」
「アタシに自己紹介っていうのなら、このお人形ちゃんにもさせるのが筋じゃないの?まぁいいわ。アタシは三日月町二号。二号ちゃんと呼んでくれて結構よ」
え、何なのソレ。名前なの?
「よろしく」と云われたのでボクも「こちらこそ」と応えた。
「アンタのソレ美味しそうじゃん。もらうよ」
そして、そう言ってボクの皿の上にあったステーキ(花子曰くトッピーくんのシッポ)を摘まむと、たったの一口で呑み込んでしまったのである。掌サイズの肉が一息で消えるのは見ていて圧巻だった。
ボクは「あ」と小さく声を漏らした程度だったが、花子は大声を上げていた。
「ああああっ、なんてコトするんですか。それは卯月さんのお肉ですよ!」
彼女は目を吊り上げているがボクは逆にほっとしていた。
何しろ出来たてほやほやドン引き感バツグンの料理を前に、コレをどうしようかと、とても悩んでいたからだ。この「二号ちゃん」とかいう女性に、目の前の懸案事項を片付けてもらったのは
「食べちゃった」
そう言って指に着いたデミグラ・ソースを舐めている。
「食べちゃったじゃありません。ソレは二号ちゃんのじゃないでしょう。勝手にヒトのご飯に手を着けるなんて以ての外ですっ。わたしはそんな具合に育てた憶えはありませんよ!」
「もらうよ、って断ったし。駄目だとも云われなかったし」
「返答聞く前に呑み込んでいたじゃありませんか」
二人の口論を余所にボクはご飯とサラダを口に運び、ステーキの添え物だったバター炒めの人参とブロッコリーを頬張って「ご馳走様」と言った。
「足りないでしょう卯月さん。トッピーくんのお肉はまだ残ってますから新しく焼きますよ」
そう言う花子に「小食だからコレでいい」と断って、彼女が迂闊な気遣いをする前に食後の珈琲を頼んだ。
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