第二幕(その一)マンホールを撫で回している人物

 俺(貴文)の母さんはホラーマニアだ。

 村田家は俺が物心ついた頃から映画やTV番組のネット配信サービスと契約していて、古今東西ありとあらゆるソレ系のものを見せつけられるハメになった。更には「登録漏れの作品がある」などと称し、レンタル店からまで作品を借りてくる始末。お陰で週末のお茶の間は、大抵阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 幼いときには兄弟して泣き叫んでいたらしい。弟ともどもグロが苦手になったのは、一重に母親の熱心な情操教育の賜と言えよう。その中でも死体は夜歩く的な題名のやつを見た記憶があるが、死体は夜眠るというタイトルのものは無かったような気がする。

 だいたい死者というものは、永遠の眠りに着いた者を指すものだ。それが歩くからホラー映画の題材になるのであって、死人が眠るのに夜昼など関係無いのである。朝日と共に爽やかに目覚めてベッドから起き出し、窓から差し込む陽光の中、「おはよう」と軽やかに挨拶した挙げ句、談笑しながら朝食を摂るなどと、ハッキリ言って言語道断ではないのか。死者としてのアイデンティティを踏みにじる暴挙なのではなかろうか。

 こんな事実が知れたら、敬虔な宗教関係の人たちから苦情が来るかも知れない。

 あるいはバッシングの類いかも。

 花子が作ってくれたトーストとベーコンエッグとトマトサラダを食べながら、ボクはそんな益体もないことを考えていた。サラダには刻みチーズとナッツ入りのドレッシングが掛かっている。自家製だろうか。

「悪いね。部屋を用意してくれた挙げ句に、食事まで作ってくれて」

 食後のカフェオレを飲みながら礼を言った。わたしはブラックがちょっと苦手なので、俺が少し遠慮したのだ。

「どうということはありません。どうせ自分の分を作るのですから手間は変わりませんよ」

 そう言ってまた、へくちっと小さなクシャミをする。その瞬間、ボクは上半身ごと目を反らすことに成功した。

 もはや反射的である。我ながら素晴らしい反応だった。今のは「崩壊」こそしなかったのもの、昨日から大クシャミの度にもう何度悲鳴を上げるハメになったことか。あの惨状を至近距離で見るのはもうこりごりだった。

 そして居住まいを正してからカフェオレを飲み干してほっと一息をついた。やっぱりコレよね。ブラックなんて人間の飲み物じゃない、とわたしから小さな愚痴が漏れ聞こえてきた。

・・・・これから朝はずっとカフェオレになるかもしれない。

 っていうか、ブラックを飲める朝は再び訪れるのだろうか?

 それはさておいて。死出の淵から拾い上げてもらって、居場所を作ってもらい尚且つ食事まで用意してくれる。彼女自身の出自や打算は兎も角、ありがた過ぎて礼の言いようもなかった。何にしても、ここまで優遇してもらって何もしないというのは気分が悪い。

「何かボクに出来る事ないかな」

「え、お気になさらずとも良いですよ。わたしが勝手にやっているコトですから。それに、その気にさえなって頂けたらもうそれだけでわたしは」

 そう言って頬を赤らめた挙げ句もじもじし始めるものだから、「ソレとコレとは別だからね」と予防線を張るハメに為った。

「まぁ大して特技があるわけじゃ無いんだけどさ。掃除や買い物くらいは手伝えないかな、と思って」

 これでもわたしは母が仕事で遅いときなど、夕飯の支度くらいはしていたのである。すると、昨日と同じく大マスクを着けた顔でちょっと小首を傾げた後に、「それでしたら」と切り出してきた。

「わたしの替わりに町をくるっと一巡りして頂けませんか?日課なのですけれども、今日は何時もにも増して花粉が酷くて」

 そう言ってまたマスクをずらして洟をかんだ。

「一巡り?」

「はい。お散歩と言って差し支え在りません。ソレで卯月さんが町中で、『ちょっと妙だな』と思ったコトをわたしに教えて下さいませんか。そうして頂けたら大変助かります」

「普通と違うところを探せってこと?」

「探す必要は在りません。ただ普通に歩いて、気付いた事があればという話です。何も無かったのならそれはそれで構いませんので」

 彼女が言うにはこの家のある路地を出て大通りまで抜けて、文字通り数ブロック分の町内を一回りするだけの話である。それは本当にただの散歩で、小一時間もあれば帰って来られるだろう。

「そんなんで良いの?」

「お願い出来ますか」

 今ひとつピンと来なかったが、その程度のことなら苦にもならない。分った、と答えて家を出た。


 彼女の家を出て、てくてくと歩いて居ると見慣れた町並みはやはりいつもの風景だった。

 お祭りが行なわれている訳でもない。選挙の時期でもないからウルサイ何某かがうろついている訳でもない。宅配業者のバンが路地から出てきて、遠くで救急車と思しきサイレンが微かに聞え、やがて消えてゆき、目の前の横断歩道ではカートを押すおばあさんがよちよちと通り抜けていく所だった。特に何かが変わったような気配も無い、在り来たりでごく普通の風景である。

 ひょっとしてボクが退屈しているのではないかと、散歩を勧めたんじゃなかろうか。

 歩く内にそんな具合に思い始めた。ただ気を遣わせてしまっただけなのではと、ちょっとした罪悪感があった。ボクはホントに手伝えないかと思っていただけなのだが、彼女は別の勘ぐりをしてしまったのかもしれない。

 うーん。やっぱり昨日の今日で、出会ったばかりの相手とのコミュニケーションは難しいな。

 阿吽の域とはほど遠い。そしてどうせ外に出るのだから、夕飯の買い物くらい引き受けておけば良かったと、自分の迂闊さに舌打ちをした。

 ま、帰ってからもう一度出掛ければいいか。

 どうせ時間は腐るほど在るのである。二度手間三度手間が如何ほどのものだろう。

 でも俺的にはちょっと面倒だなって感じだ。世話になっている手前、労を厭うつもりはないのだけれど。

 わたし的にはなんてことない。身体を動かすのは好きだし。

 面目ない。俺はぐうたらだ。

 気にしなくていいわ。人それぞれだもの。

 そう云えばこの時間は学校に行ってる頃合いだったと、学校のある方角を見た。でも校舎なんて見えないし、それらしい何かすら伝わっては来なかった。ただ町の喧噪がぼんやりと聞こえて来るだけだった。

 ふらふらと路地を進んだ。

 何か見慣れぬモノがあるだろうか。何か気付くモノが在るだろうかと、気ぜわしげにアチコチ観察しながら歩いた。電柱の陰、歩道の植え込みの後ろ側、少し奥まった路地のきわ。覗き込んだり時にはしゃがみ込んで、道行く通行人やクルマの行方を観察してみたりもした。だが特段コレといって何もなかった。どこもかしこも普通を地でゆく平凡な町の風景である。

 結局そのまま、何も見ないし気付かないまま家の前にまで戻って来てしまった。コレでは本当に只の散歩である。何も無ければそれはソレで構わないと言われたが、このまま戻るのは気が引けた。それともやはり夕飯用の買い出しでも引き受けて、再び町に出ようか。何もしないまま家の中でぼんやり過ごすよりも余程良い。

 でも生鮮食品を取り扱うお店に屍体が入ってもいいのかな。

 花子から特に注意はされなかったから大丈夫な気もするが、帰ってから訊いてみた方がよいかもしれない。

 よもやまさか臭ってはいないよね、と自分の腕の臭いを嗅ぎながら歩いていたら、ふと視界の端に妙な物が見えた。それは花子の家がある道筋の、もう一つ奥に入った狭い路地だった。

 路面に白く長い何かがのたうって居る。ソレが蠢く度にガラゴロと何か重い物を引きずる音が聞えてくるのだ。何だろうと思い、ボクは路地の奥へと踏み込んでみた。

 それはどう言えば良いのだろう。白蛇と言えば確かにそう見えなくもないが、はっきり見える所にまで歩み寄って見てみればそれは違っていた。明らかに蛇なんかじゃない。何というかとても細長い手なのだ。触手というか長いシッポというか、ぬらぬらとした白くて長いものの先に小さな人の手が付いていて、それがマンホールの蓋を掴んで引きずっているのである。

 なんだコリャ。

 掌は随分と小さい。幼稚園児の手ほどの大きさといえば順当だろうか。そしてその白くて長~い手は路地の中央に空いた丸い穴の奥から伸びているのである。

 穴の中に何が居るんだろう。

 覗き込んで見ようと思い、早足で歩み寄ったらマンホールの蓋を引きずる速度がいきなり早くなった。足音か何かでボクが居ると察したらしい。負けてたまるかと小走りになったのだが、手の方が一歩早かった。危機を察した手の方は更にスピードアップ。反射的にこちらも全速力を出す羽目に為った。

 五〇メートル走ならわたしは自信があるのだ。

 ゴール目前の手に汗握る攻防。世紀の対決。しかし結局一歩遅かった。覗き込む一瞬前に蓋はぱたんと閉じてしまったのである。

 しゃがんで蓋に耳を近づけてみた。蓋の向こう側から、ズリズリと何か大きなモノを引きずるような音が聞えていたが、それも直ぐに聞えなくなった。開けてみようとしたのだが、蓋には取っ手どころか指の入る穴すら無かった。とっかかりがまるで無くって、コレでは持ち上げようがない。

 仕方がないなと諦めて立ち上がると、対面から歩いてきたオバさんが居て、怪訝な顔でボクをチラ見ながらそのまま通り過ぎていった。ちょっと恥ずかしくなって手に付いた砂を払って気持ちを誤魔化した。

 まぁ確かに、白昼道の真ん中でマンホールをなで回している人物を見かけたら、何者かと思うよね。

 でも、オバさんはあの白い手に気付かなかったのだろうか。

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