第一幕(その六)誠にありがとうございます

 ボクに用意された部屋は彼女の隣の部屋だった。

 そもそも彼女の家は入り組んだ路地の奥に在る、日本家屋の古い木造平屋一戸建てだ。小さな庭付きで、二階は無かったがその代わりに地下室があった。ボクが最初に目覚めた部屋もソコだった。

「元は病院の一部だったんですよ。それが取り壊されてその上に一般のお家が建てられたと、そういう次第です」

「ほーん」

 そういう物件も在るのか、と妙な感心をした。因みに地下室は霊安室だったらしい。遺体を一階から地下へと移送する、貨物用の古くて狭い昇降機(早い話がエレベーター)まであった。病院には付きものなのかも知れないが、いや~な気分になった。家具や備品その他諸々はその古い病院から持ち込んだ物なのだという。

「足りない物があったら言って下さいね」

 ベッドメイキングまでしてくれた寝床は年期の入った木製のベッドで、何というか雰囲気が在った。これも元は病院で使っていたものなのだろうか?

「あの、気持ち悪いですか。シーツや寝具一式、新品のものを揃えたのですけれども」

「いや、別に。しっかりした造りだし、部屋もキレイに掃除されているし気にならないよ」

 替えの下着や衣類まで用意されてベッドの上に置かれていた。どれも寸法はぴったりで、ボクが眠っている間に買いそろえた物かも知れない。

「このワンピースもひょっとしてボクの為に?」

「はい。その色合いがお似合いかなと思ったもので。お気に召さなかったのなら、別のものをご用意しますけれども」

「いやこれでもイイけどさ。何だかスカートだと落ち着かないというか何というか」

 しかしソレは貴文だった部分の違和感で、別に我慢出来ない程じゃない。何よりも此処まで至れり尽くせり用意周到な状況で、これで文句など口にしようものならきっと将来の幸運が走って逃げてゆく。

 でも外を出歩くのにツギハギの首筋や生足を晒すのはちょっとイヤかな、と思った。出来れば、ハイネックのアンダーシャツかタートルネックの服が有れば良い。あと、下履きはフルレギンスが欲しい感じだ。ニーソックスでも可。でもこれからの季節にはちょっと暑いかもしれなかった。

「そうですか。では近いうちに買いに行きましょう」

 気軽にそう承諾してくれた。とても有り難かった。グチョグチョの彼女だけれども気立てはいい。外見は良くても話の分らない自己中な人間は何処にでも居る。付き合うのならやはり性格重視だろう。

 あ、いや、普通の友人知人としてという話であって、男女関係云々とはまったく別個の話であるのだが。

「実はこのお部屋はこの通り、わたしのお部屋とドア一枚なのです」

 そう言って彼女は得意そうに壁の一角にあった厚手の立派なドアを開いて見せた。またしても懐から取り出したスマホが「じゃあ~ん」と重厚な効果音を発した。どうもそれはこの子の趣味らしい。回したドアノブは真鍮造りの凝った代物だった。使い込まれ、手沢で鈍い光を放っている。もしかするとこの家を建てた人物は相応の資産家だったのかも知れない。

「鍵はコチラ側からしか掛けることが出来ません。何時でも好きなときに襲って頂いて結構です」

 そう言ってまたぽっと頬を赤らめた。

「いやボクはそんな趣味無いから」

「えっ、ひょっとして襲われる方がお好みですか」

「何でいきなり鼻息荒くなるんだよ。妙な勘ぐりというか気を回すのは止めてくれるかな。そういうつもりはサラサラ無いから」

「成る程。順を追ってゆっくりと、という訳ですね。失礼しました、コレはわたしが性急でした。確かに課程というのはとっても大事ですからね」

 腕を組み、勝手に納得してうんうんと頷いている。今ひとつ噛み合ってはいないが取敢えず放っておこう。少なくともこの子は自分の都合を一方的に押し付ける人物では無さそうだ。そういう意味では信用して良さそうな気がした。

 小脇に挟んだティッシュの箱からまた一枚取り出して洟をかんでいる。あの姿を目の当たりにしなければ、花粉症に悩む可憐で大人しい少女にしか見えなかった。

「そう言えば大事なことをお伝えし忘れていました。実はわたしの他に同居人がもう一人居ます。所用で出かけて居ますが明日の昼頃には戻って来るでしょう。その時にまた改めてご紹介します」

「へえ、どんな人?」

 そう訊ねてから、ひょっとしてこの子の同類だろうかと得も知れぬ不安に駆られた。

「わたしの下僕というか召使いというか、使い魔です。気遣いは無用ですから、お気楽にしていて下さい」

 使い魔?

 普段聞き慣れぬ単語に小首を捻ったが、要は彼女の部下か使用人なのかなとそういう解釈をした。彼女が主人であるのならそれ程緊張する必要はあるまい。そう考えてその件は終いとなった。


 日が傾いて夕刻になると彼女が夕食を振る舞ってくれた。

 調理中に手伝おうかと声を掛けたのだが、「お客様は席に座って待っていて下さい」と言われた。慣れた所作でテキパキとキッチンの中を立ち働く姿は、少しだけ俺とわたしのお母さんとダブった。ちょっとだけしんみしりして、ちょっとだけ奇妙な気分だった。

 食事は純和風。サバのしょうが煮にホウレン草の胡麻和えにシジミの味噌汁だった。味付けは薄めだったけれど、久しぶりのご飯で思いの他に堪能してしまった。

 そういやボクはどれ位振りの食事になるんだろう。一日や二日どころの話じゃない。事故があって目覚めるまでざっと一ヶ月以上経っているのだ。点滴か何かで栄養補給されていたのだろうが、余りお腹が減っていないというのも妙な感じだった。

「ああ、ソレでしたら卯月さんは既に死体ですから、ご飯食べなくても平気です」

 何気なく些細な疑問を口にしたら、そんなとんでもない返事があった。思わず食後のお茶を吹き出すところだった。

「え、じゃあ何でご飯をご馳走してくれたの」

「お食事が無くなったらつまらないじゃないですか。美味しいものを食べられるというのは幸せじゃないですか。楽しみは少しでも多い方が良いと思いませんか」

「た、確かにその通りだね」

「卯月さんは今、お水と月に一回程度の体液の補充か、もしくはタンパク質、そうですね、牛乳コップ一杯飲めば十分です。後は体内で勝手に様々な化学物質を循環リサイクルして身体を維持してくれます」

 滅茶苦茶省エネな身体だな、と思った。

「でもこうして話して歩いたりして食事さえ出来る。コレの何処が死体なのさ」

「今の卯月さんは心臓が止まって体温も無くて脳波もありません。通常その状態を死者と言うのではありませんか?」

「えっ、心臓止まってるの?」

「はい。停滞した新陳代謝もわたしの故郷の医術でうりゃうりゃして、活動を止めた細胞をナノレベルでの二人羽織的な仕組みで動かしているに過ぎません。あくまでも死者的な生なのです。死んでいながら生きている。これぞ正にシュレディンガーの猫、じゃないシュレディンガーの卯月さん。量子的命題を背負った確固たる実例なのです」

 意味不明である。

「だいたい何なんだよ、そのうりゃうりゃとか二人羽織とか。ボクは真面目に訊いているんだけれども?」

「詳しく話しても良いですけれど、もの凄く専門的なお話になりますよ。いまそのお身体は、現代の医学界において死者と定義できます。でも肉体は活動し思考も精神性も生前と同等である存在。ただ生死の定義から逸脱しているダケです。

 それに他者からどう呼ばれようとも卯月さんは卯月さんでしょう。ならば生きているとか死んでいるとかは些末な話。ただ呼ばれ方だけの違いでしかないのではありませんか?」

「え、ええぇ~?」

「大体、生きているか死んでいるかなんて本人が決めることで、他の人からとやかく云われる筋合いじゃ無いデスよ」

「そ、そうかなぁ~」

「そうですよ。うだうだ言ってる人たちは、ただ自分に自信が無いだけです。受け容れる器量が無いだけです。放っておけば宜しい、てなものです」

「そんなに簡単に考えてイイの?」

「屁理屈コネまわして難癖つける輩は何処にでも居ます。いちいち相手をしていたら身が持ちません。本人が納得して堂々としていればソレで良いんですよ」

「う、うう~ん」

 何だか詭弁で煙にまかれている気がする。

 確かに自分の手首で脈を取ろうとしても、何も感じ取ることが出来なかった。はーっと吐いた息は確かに掌で感じることが出来たけれど、心なしか温かみが無いような気がした。自分の肌で感じ取っているだけなのでイマイチあてに出来ないけれど。

「やっぱり気になりますか」

「腐っちゃったりとかはしないのかな。死体だし」

「その辺りはご心配なく。怪我や骨折は比類無き勢いで治りますし、腐敗どころか老化もしません。むしろ生前よりも頑丈タフネスに仕上げてます。肌つや滑らか健康優良。わたしが腕によりを掛けて仕上げました。太鼓判です、自信作です。向こう一〇〇年間の保証付きです」

 ソレがホントならエラいことである。死んだ後の方が生きていた時よりも身体が丈夫になった。コレっていったい何の冗談?それに死体が健康優良って何なのよ。

「あの、お気に召しませんでしたか」

「いえ、丁寧にお手数を掛けて頂き、誠にありがとうございます」

 そう言ってボクは、改めて深々とお辞儀をしたのである。


 食事を終えて用意してもらった部屋に引っこんで、ベッドの上に寝っ転がった。

 盛り沢山な一日だった。自分が二人分の自分で出来上っていると知り、自分で自分の遺影にお参りし、人じゃないグチョグチョの少女と同居生活を始める事になった。しかもこの身体は既に死体なのだという訳の分らないこの有様だ。夢なら醒めて欲しいが、どうにもこの悪夢は現実であるらしい。

「なんてアクロバティックな日常なんだろ」

 いや、こんなモノが日常でたまるものかと願う一方、馴れなければいけないのかなと落胆する自分が居る。我ながら驚くほどの順応力だ。これも貴文と静子が合わさった相乗効果ってヤツなんだろうか。むしろ取り乱してパニックになる率が倍にもなりそうなのだが、どーゆー訳だが気持ちは然程乱れなかった。

 俺もわたしも、グロやホラー映画は苦手だったというのになぁ。

 マイナスとマイナスとが掛け合ってプラスになったんだろうか。いやいやそりゃ数学の話。人の感情がそんな単純なわきゃなかろう。むしろショックが大き過ぎて逆に麻痺したのだと、そう説明された方が余程にしっくりくる。

 カチャリと小さな音がして隣部屋と続くドアが少し開かれた。暗がりの中であったが隙間から花子が覗き込んでいるのが見えた。

「どうしたの」

「いえ、ちゃんとお休みになれていらっしゃるのかなと、ちょっと心配だったもので」

「今日は色々とあったから寝付けないだけ。大丈夫だよ」

「そうですか。では、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 再びドアが閉じられて、その夜はもう開かれるコトはなかった。再び枕に頭を預けて目を瞑ってから、ひょっとして夜這いをかけようとしたのではあるまいな、と思い至った。

 ま、その時はイヤだと一言云えば済む話だろう。

 彼女は非常識な生き物ではあるが、物の道理や礼儀は弁えて居るらしい。ならば心配する必要もないんじゃないかな。たとい何かをされるとしても殺される訳ではないのだ。

 それにボクはもう死んでいるのだし。

 でも眠っている間に火葬とかに処されるのはイヤかもしれない。一思いにきゅっと逝くのなら兎も角、長い時間を掛けて焼け焦げたり痛かったり苦しかったりするのは勘弁だ。欧米じゃ埋葬が主体みたいだけれど、現代の日本じゃ火葬場行きが一般的なのである。

 そして色々なコトをグルグルと考えている内に、ボクはいつの間にか深い眠りに落ちていた。

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