2-3 おぞましさにボクは奇声を上げ

 花子は「二号ちゃん」に不満たらたらだったが、それでも人数分の珈琲をいれ食後のお茶となった。「ウチの子が失礼して申し訳ありません」と恐縮する彼女を宥め、さっき聞きそびれていた「コッチ側」のコトを訊いた。


「テリトリーが違うとか言っていたけれど、具体的に何がどう違うの」


 正直、あのマンホールから出ていたあの「手」は、只の見知らぬ動物で片付けるには余りにも無理がある。どう控えめに見積もっても日常的に在り得ない、違和感バリバリの存在だった。アレは間違い無く花子と同類のナニかだ。

 そして「見つけてしまった」などという気になる台詞もまた、放ってよさげなモノには思えなかったのである。


「卯月さんの暮らしは今まで通りで何も問題は無いのです。でも、気にするなと言っても、見えたらやっぱり気になっちゃいますよね」


 そりゃそうだ。


「平たく言えばこの地球星に住む同居人です。海に住む者、空に生活の場を求める者、陸上で繁殖する者、色々居ますけれど彼らは地下に住む者たちです」


 ほう。


「住む場所も違いますし食べる物も違います。生活圏の違いから競合することもなく、基本、人間と関わり合いになることは在りません。

 ただ妙な所に出張って来ちゃうと困ったコトになるので、毎日わたしが町を見回って、イケズな子が居たら追い払うことにしているのです」


「人間には害が無いんだ」


「あの子たちの種族は大丈夫です」


「あの子たちは?・・・・害になるのが居るのかな、ひょっとして」


「ヒトが認知している生き物でも、病原菌を媒介する蚊とか毒蛇とか人食い鮫とか虎とかライオンとか、危険な連中はいっぱい居るじゃないですか。ソレと同等レベルですよ。

 生き物というのは得てして天敵の存在には敏感なものです。『見ない聞かない気付かない』のは本能的に脅威と感じていないからです」


「人間が気付かない病気だの毒物だのヤバい生き物だの、そういうものもいっぱい居るけれど」


 それにもう人間は野生からほど遠い存在になっちゃったし、本能的に避ける術も無くしちゃってるような気がする。

 ニューヨークの下水道には真っ白な人食いワニが生息しているらしいし、人通りの絶えた夜の街角や、普段使われていない古いペンションとかには、えげつない何かが待ち構えて居るかもしれない。油断は禁物なんじゃないかな。


「考え過ぎですよぉ、ホラー映画の見過ぎです」


 見たくて見たわけじゃ無いんだけれどもね。


「そもそも人の町に住んでいるわたしが、人の害になるモノを放置したりはしません。ヒトとヒト為らざるモノとの境界を見守る、さしずめ監視人的なものがわたしのお仕事ですから」


「え、仕事って、誰かからお金とかもらっているの?」


「いえ、自分で自分の居場所を確保する為です。ヒトの町、ヒトの住処に間借りさせて頂いてますから、相応の対価はお支払いして置かないと」


「誰かに頼まれたとかじゃなくて?」


「まぁ、ぶっちゃけて言えばわたしの趣味みたいなものです。町の人達はわたしのことなんて知りもしないですから」


「そ、そうか。自発的にということなんだね。エライな」


 ボクはそんな具合に、自分の役目なんて考えたことも無かった。何せ親の脛を囓りまくっている真っ最中だったからだ。これからのコトなんてどうにもこうにもハッキリせず、イメージすることすら難しかった。


 俺が未来へ決心したことなんて、受験する高校と好きな人に告白するくらいなものだ。


 わたしがこれからする予定だなんて、高校でもバレーを続けることと好きな人と一緒に登下校するくらいなものよ。


 二人のボクが同時に似たような感想を思い描いた。


「まぁそんな感じで、ちょっと気付いちゃったんだけどぉでもソレがなに?的な納得して頂ければよろしいかと。最初はちょっと戸惑うかも知れませんが、馴れちゃえばどってコトありません。

 他に何か気付いた事や疑問点があったらわたしに言って下さい。こちらで対処します。ソレで万事オッケーです」


「そんな軽く考えていいのかなぁ」


 大丈夫、大丈夫と花子は笑い、懐から取り出したスマホから「一件落着」などという台詞を再生させていた。どっかのTV時代劇から採取したものに違いなかった。


「それはそうと二号ちゃん。さっきからあなたはナニをしているのですか」


 件の黒髪の彼女は先刻からずっとボクの真横にぴったりと寄り添うように座って、しきりに頭を撫でてきている。猫かテディベアと間違えているのでは、と思うほどの執拗さだ。


「この子と同居するんでしょう?仲良くなっておいた方がイイかなと思って」


「仲良くは当然です。でもちょっとシツコイでしょう、卯月さんにご迷惑ですよ」


「カタイこと言わない。ああ、一部はカタくてもいいかな。ねえ、この子わたしに頂戴よ。何か気に入っちゃった。ヒンヤリしててこれからの季節、寝苦しい夜とかもグッスリ眠れそうだし」


「駄目です、卯月さんは抱き枕じゃありません。そもそもわたしでさえそんな撫で撫でしてないのに、ケシカランですよ」


「花子は既にもう、この子のありとあらゆる箇所をいじくり回しているじゃない。ケチケチしない。ソレに最終目的はアレでしょう?だったらわたしが先に味見しても構わないわよね。ほら、このちょっと大きめの胸とか、下のほうも・・・・アラ、思ったよりも立派な持ち物で」


 花子とやいのやいのと口論しながら、二号ちゃんはボクの身体を盛大に撫で回し始めた。遠慮どころか頓着だの礼儀だの、知ったこっちゃないと言わんばかりの傍若無人っぷり。

「止めて下さい」と声を荒げ椅子から腰を浮かし、必死に抵抗するのだが異様なまでに力が強い。この細腕の何処にそんな力があるのかと驚くほどの怪力で、万力で拘束されているかのような錯覚があった。


「このままココでやっちゃおうかな。花子、スキン持ってる?味見だけだからわたしの種でデキたらマズイよね。それとも逆ならいいのかしら」


「ふざけたコト言ってるんじゃありません。離れるのです、直ぐさまその手を放しなさいっ、卯月さんを解放するのです!」


 花子が激昂している。そしてその意見にはボクも全面的に賛成だった。


「放して下さい」と声を荒げた。そして身を捩って暴れた。しかしビクともしない。その合間にも肝心な部分を容赦なくまさぐってくるのだ。無遠慮な指先に身の毛がよだつ。そして「やめて」と叫んだ。


「大丈夫、大丈夫。優しくするから」


 耳元で囁かれる熱い吐息に全身鳥肌が立った。手先が下着の中に這入り込んできた。ソコはダメだと本気で焦った。ヤバいと思った。

 俺とわたし、一六年ほどの人生の中でかつて無いほどの危機であった。


「離れなさいと言ってるんです!」


「壊しはしないから安心してよ。使ったらちゃんと返すわ」

 ボクはお手軽コスメセットや携帯端末の充電器じゃない、そう叫ぼうとしたら「もう許せません」と花子が再びスマホを手にした。


「解散を命じますっ」


「あ、それはちょっと待って」


 のんびりした口調が少しだけ狼狽の色合いを帯びた。だが「問答無用」とスマホを操作した。その途端である。


 ぼふ~んと間抜けな音がして二号ちゃんが破裂した。


 冷蔵庫から出したばかりの冷え冷え卵を、熱々のフライパンの上に割って落とした時のようなバクハツだった。


 破裂した彼女は細かい破片となって飛び散り、よく見るとソレは沢山の足を生やした黒っぽいムシで、四方八方へ逃げ去って行くのである。浜辺で岩の裏に群がっていたフナムシの大群が、覗き込んだ途端に一斉に逃げ出して行く様によく似ていた。

 或いは、ゴキブリの集団が部屋中に拡がってゆくが如き、と言えばなお適当だろうか。


 もちろん、ボクの衣服の中に潜り込んでいた彼女の手や指も、洩れなくそのフナムシモドキに分解して一斉に這い出して行くのである。


 胸といわず腹といわず脇の下と言わず太股の内側といわず、ありとあらゆる箇所でだ。全身の肌を無数の足を持った無数の節足動物が、激しくのたうち回りながら蠢くその感触よ。


 言いようのないおぞましさにボクは奇声を上げ、全てを振り払いながらその場を跳ね回るハメになった。

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