6-2 「卯月さんは優しいですね」
書斎のドアをノックして淹れたばかりの珈琲を持って入ると、「ありがとうございます」と花子が振り返った。
お茶の用意は花子の仕事だったけれども最近はボクが率先してやっている。
以前は自分で豆を引いてからまで珈琲を淹れるなんてしなかった。ドリッパーすら使ったことはない。大抵はインスタントだったからだ。だがこの家でお世話になるようになってから、こんなこっちゃイカンと思った。居候の身であるし、自分で気付いたことや出来ることは可能な限りやっておいた方が宜しかろう。
食事の後の片付けとか、部屋の掃除とか、洗濯物の取り込みだとか色々いろいろだ。
「いつも気を遣って頂いてすいません」
「これ位どうというコトはないから」
部屋の中には、幾つもの液晶画面やら通信モデムやら複雑に配されたケーブルやらが所狭しと押し込められ、机の上にも複数のマウスだのキーボードだのが並んでいた。相変わらずというか何というか吃驚するくらいにデジタルな部屋だ。
この古式ゆかしい日本家屋には似合わない全く場違いな光景だった。
この家に来た当初、花子がどうやって収入を得ているのか不思議だったが、デイトレーダーだと知ってとても驚いた。
だって全然似合わないもの。そもそも花子はヒトですらないし、人外の生き物が人間の為替市場に参加して生活費を捻出しているだなんて、違和感があるなんてもんじゃない。果たしてコレは此の世で許される所業なのかと、本気で不安に為るくらいだ。
いったいどれ位稼いでいるの、と訊いたら預金通帳を見せてくれてひっくり返りそうになった。見たことも無い桁数の残高だったからだ。コレだけあったら、こんな小さな町の片隅でひっそりと暮らす必要なんて無いのではないのか。それこそ好きな場所で好きなだけ土地を買い、巨大な邸宅を建て、贅の限りを尽くすことも出来る。
一般人のボクからすれば羨むべき夢の生活だ。
「あー、わたしはそういう派手で目立つ生活はキライなんですよ。むしろ日々お料理したりお掃除したり、ご近所をお散歩したりして暮らしてゆく方が好きです。
出る杭は打たれるというか、衆目を集めればその分厄介ごとが増えますしデメリットも少なくありません。
それに払う税金は多ければ多いほど、国やお役人は見て見ぬ振りしてくれます。むしろそれが有り難いですね」
成る程、つまりコレは口止め料。でも多過ぎはしないだろうか。どれだけどんぶり勘定で見積もっても過剰と言って良い。
「気付く人間がそんなに多いとも思えないけど」
「皆無という訳ではないです。そして他者の秘密を知った人間は邪な考えを抱きがちです。身勝手で野放図な噂や欲望は、早々に手を打たないと大火事になってしまいます。どんな生き物の群れでも異物は排除されるものですから」
「生臭い話だなぁ」
しかも世知辛くて溜息が出てくる。
「仕方が在りませんよ。そういう世の中の仕組みですので」
そう言って苦笑で返すけれど、仕方がないで済ませられるその懐事情にただ感嘆するしかなかった。そしてこれ程の預金残高がこの平穏と等価なのだろうかと、少なからぬ不条理を感じた。
花子は確かに異形だけれども、町の片隅でただ静かに暮らしていきたいダケだというのに。
この、のほほんとした日々はここまでつぎ込まないと手に入れられないのか。清貧を旨としても、身を守る術がなければ生活することは許されない世の中なのかと、些か侘しくもの悲しい気持ちにもなった。
「でもまぁ、それ程悲観する世の中でもありませんよ。ホントにもうどうしようもない悪党とかなら、丸めてポイしちゃえば良いだけの話ですし」
何処へ、とは敢えて訊かない。ボクはただ苦笑するしかなかった。
目に見えるモノよりも、見えないモノの方がより厄介という事は往々にして在る。けれども、オカルティックな出来事は可能な限り見えない方が良いというのがボクの持論だ。
見えない方がより怖い。確かめることが出来ないから不安になる。確かにその通りだと思うし、別段そういう意見を無下につもりはないのである。
でもあからさまな畏怖やえげつなさは、目に見えてこそなのではなかろうか。本能的にそれを理解しているからこそ、人は怖いときに目を瞑っちゃうのではないのか。
本日夜のビデオ鑑賞会は、あの日残されていたホラービデオの三連チャンであった。先日の二連続でもキツかったというのに、更にもう一本追加である。
ボクに生命エネルギーというものが在るのだとすれば、きっと今晩で使い果たしてしまうだろう。ヘタをすればライフゲージはゼロ以下まで振り切ってしまうのではなかろうか。
そんなリアルな予感が在った。
既に死んじゃっているけれどもね。
「ちょっとお預けになっていましたけれど、その分期待が高まるというものですよね」
花子は声を弾ませながらDVDをプレイヤーにセットしている。出来れば返却期限日までお預けであって欲しかった。ふとした弾みで、ついうっかり忘れ果てていて欲しかった。しかも今夜はボクの左腕にしがみついていた同士も居ない。
仕方が無いので二号ちゃんの入った瓶を膝の上に乗せて両手で抱えた。コレでちょっとは気が紛れる。
「あれ、何故その瓶と一緒に座っていらっしゃるのですか?二号ちゃんはまだ意識が戻っていませんよ」
「いや、この子も見たいかなと思って。夢うつつでも何か残るものが在るかもしれないし」
「成る程。卯月さんは優しいですね」
花子は感服しているけれどそんなイイもんじゃない。いわば一蓮托生の道連れだ。瓶の中で二号ちゃんが目覚めていたら、「余計な事を」と歯ぎしりするに違いない。
だがコチラも切羽詰まっているのだ。ソファの上で一晩中すがるものもなく悶絶し、全身を引きつらせ続ける自信など微塵も無かった。
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