第四幕(その一)ホラーはフィクションであるからこそ許される

 長い人生において、見たくも無いものを見なきゃ為らない状況というのは確かにあると思う。

 だけれども見ずに済むのならそれに越した事は無いわけで、無理矢理見ることで健康を害するような場合なら尚更だと思うのだ。そう固く信じているのだが、この状況はいったいどうした事なのだろう。

 事の起こりは花子が「今日は映画の鑑賞会をしましょう」と言い出したことだ。レンタルビデオを何本か借りて来たと言っていた。映画館で上映中に見に行けなかったのでDVDになるまで待っていたのだという。どうやって会員証を作れたのかは聞かないでおく。長年この町で生活しているのだ。上手く何とかする方法を心得ているのだと、勝手に納得することにしていた。世の中には知らない方が良いことだってきっと在る。

 鑑賞会をするのはいいが、何故かよりにもよってホラー物ばかりだった。だからボクはホラーが苦手だというのに。それともアレか、女性というのは皆ホラーが大好きなのか?いやよいやよも好きのうちというヤツなのか。

 そんなことないわ!

 即座に内なる反論が聞こえて来たのだが、、俺は疑念を払拭出来ないままだった。

 同席はご遠慮ご辞退申し上げようとしたのだけれど、「卯月さんと一緒に見るのを楽しみにしていたんですよ」などと言われては否とは言い難い。仕方がないと諦めて、居間で一緒にソファに座って観ることになった。右に花子、左には二号ちゃんが居る。何なんだろうなこの状況、と思った。

 二号ちゃんは必死になってボクの腕にしがみついている。セクハラをカマしてくるかと身構えていたが、観る前からカタカタ震えているのが分った。ああ成る程、ご主人様の要請に逆らえないのだな。それと分ると奇妙な連帯感を覚えた。如何なる場合であろうとも、同士が居るというのは心強いものである。

 そして二本立て続けに観て、やっぱり観るんじゃなかったと後悔する羽目になったのだけれども。

 サイコホラー物とスプラッタ物の連チャンだった。前者は心の平穏や自律神経をゴリゴリ削られる感じがするし、後者に至ってはただただ血しぶきが画面に飛び散るばかりの、「お食事中のご視聴はご遠慮下さい」的な内容でげんなり感が凄まじかった。どちらも非常に心臓に悪くて、観た後の感想は「もう勘弁して下さい」としか言えなかった。

「あと三本あるんですけれども、一気に観たら勿体ないですね。明日にとっておきましょう」

 花子は満面の笑顔でそう宣った。それは明日もまた拷問が待っているという、不吉な宣告以外の何者でもない。何とか理由を付けて逃げることは出来ないだろうかと、寝床で悩む羽目になった。そしてその夜に見た夢は、狭くて真っ暗な地下水道に迷い込み、ゾンビに追いかけられ、途中で出会った人間も快楽殺人鬼という救いようのない悪夢だった。


 うなされた挙げ句に目が覚めて、平穏なベッドの上だと知ってほっとする。それは確かな幸せではあるが、眠っている間もやはり安らかな時間であって欲しい。そう願うのは贅沢なのだろうか。

 何だか最近随分と寝覚めが悪い気がする。見た夢を思い出せないというのは当たり前のことなのかも知れないのだけれども、夢を忘れるのと同時に、忘れちゃ為らないコトまで忘れていくような気がして落ち着かなかった。

 確かに最近は学校の授業なんて受けていないから、憶えていた筈の数学の公式や英単語が随分とすっぽ抜けている。テレビのニュースとかで出てくる社会時事の単語でも、以前は知っていた筈なのに「あれ、これってどういう意味だったっけ」と小首を傾げることがしばしばだ。ファンだった筈のバレーボール選手の名前が咄嗟に出て来なかったときには、流石に愕然とした。

 他にも花子の料理を手伝いがてら、以前は出来ていた下ごしらえの手順を忘れていたり、母さんの誕生日を忘れていたりなどと、色々と少なからぬ焦りがあった。

 マズイなぁ、まさかボケが始まっている訳ではあるまいな。ド忘れ程度なら兎も角、これから更に進行するようなら洒落にならないぞ。何しろボクは普通の状態じゃないのだ。生きては居ないけれど、生きてる感じだ。頭ワルイ表現だけれども、まだお墓の中で永遠の安息を貪りたい訳じゃあ無い。

 大丈夫なのかな、と花子に訊いたら「大丈夫なんじゃないデスか」と軽い答えが返ってきた。

「日常生活には支障が無いのでしょう?卯月さんはこのところ普通じゃない日常に振り回されていましたから、少し混乱していらっしゃるのではないのですか」

「そ、そうかな」

「それにお勉強というのは続けていないと直ぐ忘れてしまうものです。ご心配でしたら学校の教科書やノート参考書等を取りそろえましょうか。自宅での学習でも、最近はネットを使った高校卒業資格やそれ相当の学歴を得る手段は山ほどあります。チャレンジするとおっしゃるのでしたら協力は惜しみませんよ」

「あ、いや、ソコまでしなくてもいいかな」

 今のところ特に問題無いのだし、資格が欲しい訳でもない。それに好き好んで苦行を抱え込む趣味もなかった。ボクはマゾではないのである。確かに以前にもついうっかりとか、思い違いとかはしょっちゅうあった。花子が言うように落ち着かない毎日だったから、そのせいかもしれない。

 まぁ、花子が大丈夫だと言うのならあまり悩まなくてもいいか。

 そう思って朝食のビザトーストをパクついた。

「食後のお茶はカフェオレでよいですか」

「あ、いや、ブラックで」

 花子は少しだけ静かに微笑んだ後に、「わかりました」と返事をした。

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