第四幕(その二)言っては為らぬ事を

 昨夜のげんなり感から幾分気持ちは持ち直したものの、今晩のことを考えるとまたしおしおと萎えた。

 だがコレも居候の役割だと切り替えるしかない。大家の意向に逆らえないのは何時の時代も同じだ。ましてやこちとら家賃はおろか、日々の食生活まで面倒をみてもらっている身だ。文句を言ったらバチが当たる。花子は、遠慮は無用気を遣う必要はないと言ってくれているが、それに甘えるほどボクは図々しくないつもりだ。

 とは言え、それでは何が出来るのかと問われれば、何も出来なくてスミマセンと頭を垂れることになるのだけれども。

 毎日ただブラブラと散歩を繰り返し、夕飯の買い物だけをして終えるというのも芸が無い。なので今日はちょっと遠出をしてみた。町の商店街へと通ずる主幹道路を横切り、駅方面に向った。花子のテリトリーからは外れてしまうが、少し前に自分以外にも同様の役割を持った連中が居ると聞き、ちょっと興味をそそられたからだ。当然、二号ちゃんは後ろから着いて来ている。

 初対面の時には過剰にボクに纏わり付いて花子が随分と憤慨していたが、一緒に連れ立って歩くことに関しては特に何も言わなかった。あのアプリを仕込んだスマホを手渡したので安心しているのかなと思っていたのだが、理由はそれだけではなさそうだ。一昨日などは出かける際に二号ちゃんへ、「何か在ったら直ぐに連絡するのですよ」と言い含めていたからだ。

 先日の文左衛門の件などを考えれば、護衛代わりと考えているのかも知れない。どれだけ役に立つのかは分らないけれど、確かに一人で居るよりは余程に良かった。

 でも遠出したわりには特にコレといって何か目新しい物が在るわけじゃなかった。相も変わらぬ平穏な町並みだ。まぁ、アレな物件というかヒトというか、そういうモノには出会ってしまったり、見てしまったりはするのだけれども。

 幾つかの筋を抜けぶらぶらと歩いて居ると、不意に鉄板を引きずるような音がした。

 振り返って見たら、いま正にマンホールの蓋が開くところだった。がらん、と完全に押し開かれて、中からまたしても何者かが出てきた。それは黒い襟なしのコートを着た人物で、聖職者のように見えた。何しろ胸元には首から提げた十字架のようなものが光っていたからだ。神父様と言えば一番ピンと来る格好だろう。しかしそんなご大層なお方が地面の穴から這い出て来たりするものだろうか?

 これで空を仰いで「おお、主のお導きに感謝します」とか言ったらバッチリだな。

 そんなことを考えていたら本当に天を仰いで両手で胸元のクロスを握りしめ、期待通りの台詞を口にした。

「主よ。この身を彼の地にお導き頂き感謝します」

 まんまであった。ちょっと吃驚した。しかも日本語だったのが更に驚きだった。イントネーションも完璧で違和感なんて微塵もなかった。

 黒髪にちょっと濃いめの肌の色なので白人ではないコトは確かだけれど、その彫りの深い横顔はどう見ても日本人じゃない。ちょっと見でもソレと分る仕草物腰立ち振る舞いは、英語で喋って当たり前的なオーラを存分に振りまいている。まるで海外映画の中から抜け出して来た神父様そのものだ。

 だからこそギャップが非道くって、何と言うかひじょーに落ち着かない。日本語お上手ですね、日本に住んで長いのですかと訊いてみたかった。白昼路地の穴から這い出てきた時点で、そんなわきゃないと判ってはいるのだけれども。

 あのトンジル子爵もそうだったけれど、マンホールの向こう側では日本語が一般的な言葉なのだろうか。よもやまさか公用語ではあるまいな。

 そんな歪んだ疑問に小首を捻っていたら、「また来た」と不機嫌そうに呟く二号ちゃんの声が聞こえた。そしてボクに身を寄せ耳元で囁くのだ。

「卯月。今すぐ回れ右して家に帰った方がいい。そしてこの場から離れたらすぐにスマホで花子に連絡して」

「え、何故」

「理由は後で。さ、早く」

 二号ちゃんに急かされるのと、マンホールの神父がコチラを振り返るのとはほぼ同時だった。一見穏やかそうに見えた表情が、ボクらを見つけた途端に険しくなった。

「訪れた途端に出会うとは、これも神のお導きと言うべきでしょうか」

 呟くような吐き捨てるような声音と物腰は、どう見ても友好的には見えなかった。そして二号ちゃんとこの神父は顔見知りであるらしい。

「そこの白い服を着たお嬢さん。直ぐにその背の高い女から離れなさい。ソレは禍々しい悪魔の手先です」

 口調はボクに向けてのようだけれども、視線は二号ちゃんを捉えたまま離れなかった。そしておもむろにコートの中に手を差し入れると、するりと細長い何かを取り出すのである。

「いきなりこんな事を言われて戸惑うかも知れませんが、あなたの隣に居るのは人ではないのです。直ぐに此処から立ち去るのです。それが自分の身体と魂を救います。

 わたしはあなた方善良なる者たちを、悪魔の使徒から守るべくこの地に赴いた者。たとい異郷の地であろうとも主の慈悲を受ける資格はあります。あなたが救いを求め我らの主の教えを受けるというのなら、これに勝る歓びはありません。わたしはあなた方を導くためにこうして此処に立っているのです」

 長広舌と共に完全に引き出されたそれは、鈍い金属の輝きを見せる細長い棒だった。いや、剣と言えば良いのだろうか。本物を見るのは初めてなので断言は出来ないけれど。でもマンガやラノベに出てくる幅広のものじゃない。以前見た映画「三銃士」で主人公たちが振り回していた、やたらと尖った細剣の方だ。

「卯月、走って逃げて。振り返っちゃダメ。花子には神父が来たと伝えてちょうだい」

「え、どゆこと?」

「いいから。質問には後で答える」

 緊迫した物言いにボクは素直に頷いた。どうやら問答する間も惜しいらしい。

「わ、分った。でもそれはイイけど二号ちゃんは?」

「アタシは此処でヤツを足止めしておくから」

 そう言ってボクを押しのけ、ずいと前に出る様子に神父は「ほう」と声を漏らした。目付きが変わり、更に剣呑な色合いを帯びたように見えた。

「よもやひょっとして、その少女も仲間と?そういう意味合いなのでしょうか」

「アンタに答える必要はない」

「そこなお嬢さん。一つお訊きしたい。その背の高い女とあなたはどの様な関係なのでしょうか。大切な事ですので正直に答えて下さい」

「卯月、返事する必要なんて無いから。それよりも早く逃げる」

 焦れた二号ちゃんに急かされたけれど、ボクはちょっと迷った後に「質問があるのならまず名乗るのが礼儀でしょう」と言った。何だかとても面白くなかったからだ。

「そもそも初対面の者にそんな物騒なモノを見せつけて詰問だなんて、礼を失していると思いませんか。ボクらを犯罪者か何かだとでも思って居るんですか。二号ちゃんは食いしん坊だけれども何もやましいことはしてません。頭から決めてかかる貴方は不愉快です」

「ソレは人ではないのですよ。それを知っての発言なのですか」

「人かどうかだなんて些細なことでしょう。大事なのは周囲に迷惑をかけないこと。それが一番大事でしょう」

 二号ちゃんが「馬鹿」と舌打ちした。言っては為らぬ事をと、肩越しに睨んだ目がそう言っていた。

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