4-6 「ひいっ」

 件の本を片手に蔵書の中から幾つも抜き出し、占星術の項を幾つも拡げて、ああだこうだと説明しながら自分の考えを述べている。

 占いマニアでは無いのかもしれないけれど、本読みとしては筋金が入っていると云って良かった。本の一文を指し示しながら、事細かに説明されてもボクには半分も分らない。けれど、花子が嬉々として話すその様が楽しかった。


 そうやってどれ位の時間が経ったろう。この部屋に居ると時間の経過が分らない。時計が無い上に窓が本棚で塞がって、陽が暮れたのかどうかすら分らないからだ。

 ふと気付いた花子がスマホを取り出して「もうこんな時間ですか」と驚いていた。ボクもつられて見てみれば、夕飯の時刻などとうに過ぎていて、もう就寝時間の方が近いくらいだった。


「まぁ色々と調べてみましたけれど、星巡りと卯月さんの名前とは余り関係が無いということは分りました。取敢えずの収穫です」


 果たしてそれは成果と云って良いものなのだろうか?まぁ本人が満足しているのならそれで良いけれど。


 畳の上に散らかしていた本を一緒に片付けながら、最初に花子が開いていた本を手に取った。ドシリと重くて滑らかな古革で施された装丁は貫禄があった。

 幾つもの継ぎ目があって、何度も綻びを修復した痕だと分った。きっと長い年月使われ、そして大切にされていたのだろう。


「立派な装丁でしょう?でも人の皮というのは牛や羊と違ってもろいのですよね。だから使い込めばその分、小刻みに修復を繰り返せねば為りません」


「へ、人の皮?」


「はい。その本は人皮で装丁されています」


 花子の言った意味が脳に染みこんだ途端、「ひいっ」と言って両手を放した。落ちて、どすんと結構大きな音がする。花子は「あらあら」と言ってそれを拾い上げた。


「別に恐ろしくはないですよ。コレは只の革です。それに近代にかけてまで人皮装丁は結構頻繁に行なわれていました。有名な司教が亡くなった後にその皮膚で聖典を装丁したり、貴族の未亡人が自分の夫の皮膚でその家の暦書の表紙にしたり、などなど。欧州の古い寺院に行けば割と頻繁に目にします」


 ポピュラーですよと言われてもハイそうですかと簡単には頷けなかった。何だか滅茶苦茶ぞわぞわする。花子の触手形態と同じくらいのぞわぞわだ。


「じゃあひょっとして、この本の表紙はもしかして・・・・」


「はい。この本の著者のものです。巻頭の送り書きにそのむねが書いてありました。著者の遺言に従って弟子か友人の方が施したもののようです」


「そうか。遺言なんだ」


 ならば仕方が無いと言うべきなのか。それともソコまでする必要があるのか、と言うべきなのか。

 いずれにしても、もうボクはこの本を手に取る勇気がない。知らなければ何も問題はなかったろうに。その人の怨念というか執念というか、そういったものが直接本に貼り付いているような気がしたからだ。


 これからは花子の蔵書は迂闊に手に取らないようにしよう。


 胸の奥で密かにそう誓った。そして夜になったらこの書庫代わりの座敷にも足を踏み入れない方がよさそうだ。ふと何かまかり間違って、見えてはいけないナニかを目撃してしまうかもしれない。屍体のボクが言うのも何だけれども、怖いものは怖いのである。


 そしてホラーというのはリアルでは無いからこそ耐えられるのだな、と思った。


 ご飯はどうしましょうと訊かれたが、別段食べなくてもこの身体は困らない。日に二食でも多いくらいだ。

 それに今の一件で微かな空腹も何処かに吹き飛んでしまった。とてもではないけれど食事をする気分じゃない。別にいいかな、と答えたら「では、少し早いですけれども今夜はもうお休みしましょう」と言われた。


 それでも花子はホットミルクを作ってくれて、それを飲んだら歯磨きをして寝た。よく考えたら何で歯まで磨いているんだろうと思いもするけど、今までの習慣で磨かないと落ち着かなかった。よく分らなかったり、する意味が無くても慣習でやっているコトって結構あって、占星術とかもその類いなんじゃないかと思った。


 みんなが気にしているみたいだから自分も気にしないとオカシイ。知らんぷりして取り残される感じがイヤだ。

 或いは、もしかしてひょっとして未来を知るコトが出来るのでは、などという根拠の無い希望も、それに拍車をかけてる気がする。そんな気分がずーとつながって、惰性のまま続いているダケなんじゃなかろうか。


 でもそんなコトを言ったら結構な数の女性からブーイングがきそうだ。特に花子とかからは「古典的な歴史ある学問なんですよ」などと反論されるかもしれない。


 そして思い込みと惰性の産物なら宗教もそれに該当しそうだ。あの世がある、死んでも救いがあるという考えも、結局根拠の無い希望が煮詰まって出来上っているのでワ?

 沢山の人達が長い年月を掛けて繰り返し語り続ければ、それは一つの確信になりそうだ。事実かどうかは取敢えず脇に置いといて、誰だって希望にはすがりたいだろうし。


 敬虔誠実な人達に不信がある訳じゃないけれど、あんな神父を見た後では胡乱な気分になった。死んだ後のことなんて死んでみなきゃ判らない。ボクが言うのもなんだけれど。


 なお、その夜に見た夢は、見たことのない古くさい衣装の外国のオジサンが、少女が読むようなポップな表紙の星占いの本を差し出して「是非読んでみてよ」と迫ってくる夢だった。

 両足が掠れて見えなかった。身体が透けて向こう側が見えていた。でもたぶんきっと見間違いか気のせいだと、そう強く念じながら毛布の中で結構な時間うなされていた。

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