第二幕(その四)だって死んじゃってるんだし

「まったくもう、この子にも困ったものです」

 ぷんぷんと腹立ち収まらぬ彼女の前には、一抱えもある大きな蓋付きの硝子容器があった。テーブルの上にデンと置かれたその中には、瓶詰めにされた一匹のナマコっぽい虫(そう言ってよいのか判断に困るモノ)が蠢いている。

 何というか歩くコッペパンみたいな姿だ。砂にまみれたようなキツネ色で、身体の左右には一〇対ほどの太くて丸っこい足が飛び出していた。今はそれを器用に使って瓶の中で足掻いている。頭のてっぺんに角みたいな太い触覚が二本飛び出ているけれど、足の長いスマートな芋虫のようにも見えた。花子の説明によればコレが二号ちゃんの本体らしい。

「まぁ平たく言えば群体ですよ」

 小さな生き物が多数集まって一塊になり、あたかも一匹の大きな生き物のように振る舞う様を言うのだとか。あのフナムシモドキを多数集めて統率し、人間の姿に擬態したのがアレなのだという。

「人間にしか見えなかったケド」

 先程の全身を這い回ったフナムシモドキの感触が未だ去らず、ボクは鳥肌の収まらない我が身を抱いて身震いをしていた。

「保護色ですね。表皮の陰影、物理的凹凸を含めた色彩の多彩さと組み合わせは、地球星生物界きっての変装名人と言われるタコさんよりも我らの方が抜きん出ています。ヒトの肌や顔や表情を模するなど造作もありません」

 気色悪さはさておき、間近で見ても分らなかったその変身能力は素直に凄いと思った。

 そういや花子もこの姿は擬態って言っていたしな。何れにしてもあのバラける様は、決して至近距離で見て良いシロモノじゃない。それだけは確かだ。離れていれば万事オッケーかと言われたら、それもまた全く以て違うのだけれども。

「いずれにしてもお仕置きです。この瓶の中で三日ほど謹慎してもらいます」

 花子は憤懣やるかたない面持ちで、瓶の蓋をぺちぺちと叩いていた。そして「お渡しするのが少し遅れてしまいましたが」と言って、小さな箱を一つテーブルの上に出した。そこには電話メーカーのロゴと機種番号が記されていた。

「昨日届いた卯月さんのスマホです。今の時代、無いと困りますよね」

 ボク名義だと言われたが何をどうやったのだろう。死者に新規契約を結んでくれるほど日本の通信業界が太っ腹だとは思えない。だが蛇の道は蛇だと言われただけだった。しかも届いたのが昨日という事は、ボクが目覚める前から用意してくれていたということになる。

「こんな悪いよ。何から何まで」

「ご遠慮なさらずに。復活のご祝儀とでも思って下さい」

 初期設定はもう済んでいると言われた。後はボクの個人名と暗証番号の登録だけで良い状態なのだそうだ。そして一つ、特別なアプリがあると言われて花子のスマホから転送されたのは、「群体操作」と書かれただけの素っ気ないアイコンだった。

 開いてみたら集合と解散のボタンが二つあるだけだった。これで二号ちゃんを任意に「集め」たり「バラ」したり出来るらしい。どういう仕組みなの、と聞いても「内緒です」と言われただけだった。でも先程彼女(そう呼ぶのも正しいのかどうか分らないが)が木っ端微塵になったのは、コレを操作した為かと合点は付いた。

「あの子も卯月さんやわたしと同じく雌雄同体ですからね。さっきみたいに貞操の危機が来た時にはコレを使って下さい。一発でバラバラ、二号ちゃんも痺れてしばらく身動きとれなくなりますから」

 それは有り難いと言えば良いのか、使った本人にもダメージを及ぼす自爆ボタンと言えば良いのか。極めて判断に困る気遣いであった。

 そしてアレは解散なんかじゃなくって爆裂四散であったよな、とも思った。

「でも、雌雄同体ってコトは男女の区別が無いというコト?」

 それならば花子も見かけだけの少女ってことになる。いや、今やボクも同じく半分ずつの存在だから似たようなもんだ。でもコレって珍しいんじゃないかな。

「生物界にはありふれた存在です。特にわたしの種族は個体数が極端に少ないですからね。チャンスを捉えたら逃す訳にはいかないのですよ」

「ボクはもう逃げられないんだ」

「あ、いえっ。誤解しないで下さい。無理矢理だとか強引にだとか、そういうつもりはサラサラ無いのですよ」

 花子は慌てて弁明している。だが行くところが無いのだから捕われているというのは決して間違いじゃない。出て行く自由はあるけれど、その先の展望がまるで無いのだから。鍵が開けっぱなしになっている牢屋に放り込まれた感じ、と云ったら言いすぎだろうか。

 そうだな、どうしたもんかな。

 今まではただ、ボンヤリと過ごす高校生活に夢中で、友達と繰り返す馬鹿話や趣味の雑談、好きな食べ物好きなドラマ、キライな芸能人に腹立つ教師、つまらない授業に退屈な登下校、ネットで新しく拾った動画だのコンテンツだのの話題。そして時折訪れる学校の試験に文句を言うのが関の山だった。

 将来の事を考えろと言われても、それは遙か彼方の未来だ。霧の向こうにある水平線のことを問われてもピンとくる筈も無い。明日明後日のことなら兎も角、別に今じゃ無くてもイイだろうと、心の中の物置小屋に押し込んだままだった。

 順調に日々を過ごし、学校を卒業する頃になっていたら「未来の自分」を想像することが出来たのだろうか。時が来て何かを決断するにしても、それは一体何だったのだろう。

 そもそも何なのだろうこの状況。高校に入って好きな人が出来て、告白して告白されて、初めて異性と一緒に下校している最中にクルマに轢かれてぺっちゃんこだなんて。未来だの将来だのと思い悩む以前の話である。

 だってボクはもう死んじゃっているんだし。

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