2-7 確かにニヤリと笑った

「しかしこの町はよく統治されておる。道は石造りで継ぎ目すらなく、住まいも豪奢で朽ちた家など一軒も見当たらぬ。豊かな町であると一目で分るわ。大したものだ」


 大層感心した様子で、目を細めてはウンウンと何度も頷いていた。見てくれはどうあれ理知的な人物みたいだ。話が分る相手なら怖くは無い。槍を突き付けられた時にはどうしようかと思ったけれど。


「しかしこれ程の町であるというのに、軍も駐留しておらぬとはな。城壁も見当たらぬ上に民兵すら居ないなどと」


「警察、え、ええと、治安維持の仕組みがしっかりしていますから」


「外敵に備える必要が無いということだな。衣装も町並みも我らの故郷とはまるで異なる。そなたのように無防備な婦女子が一人で出歩ける町などそうそう在るモノではない。

 服もまた立派よの、安くはなかろう。靴ですら見たこともない革仕立ての・・・・やや、娘よ。その足はどうしたのだ」


 視線を落とした彼の言葉にスカートの端から出ていた自分の生足に気が付いた。靴下こそ履いているものの丈が短いお陰で、縫合痕だらけの足の脛は丸見えだったからだ。


「あ、いや、コレはちょっと前に怪我をして縫った痕です」


 やはり目立つ。今度からはレギンスかハイソックスを履こうと決めた。


「よく見れば手首や首筋もそうではないか」


 言われて咄嗟に手で隠した。見られて気持ちの良い痕ではない。


「これはしたり、辱めるつもりは無かったのだ。許せ」


 そう言って軽く頭を垂れた。そして再び上げられた眼差しは、何故か異様に鋭いのだ。


「しかし怪我と言ったが、よもやおぬし、何者かに負わされた傷ではあるまいな」


「え、いや」


 どう説明したものかと躊躇した。何者かと問われればトラックを運転していた運転手なんだろう。だが今此処でソレを言っても仕方がない。なので、事故ですとだけ答えた。しかし一瞬だけ言い淀んだのはマズかった。


「ぬ、口止めをされているのか」


 そんな事を言い出した。


 そなたの家は何処か、なに?ご両親とは住んでいない、ほう、知人の家に住み込みで働いていると、ならば其処へ案内してはもらえぬか。


「行きずりの間柄とはいえ、無法に耐える少女を見過ごしたとあっては神の使徒を自負する者の名折れ。安心するがよい、娘よ。このトンジルがそなたの憂いを拭い去ってくれよう」


 そなたの名を聞いておらなんだな、と訊かれて「卯月です」と答えた。


「そうか、ウヅキとな。変わった響きだが似合っておるぞ。そなたの先行きと安寧のため、このトンジル子爵が一肌脱ぐとしようではないか」


 何やら絶妙に勘違いしているようで、「大丈夫ですから、問題ありません」と断りを入れたのだが、「案ずるな、案ずるな」と大口を開けて笑うばかり。そして半ば強引に押し切られ、この子爵様を花子の家に案内する羽目になったのである。




「卯月さん、これはいったい何事なのでしょう」


 思いもよらぬ珍客を連れて戻ったボクに、唖然とした花子が放った第一声がソレだった。そう言いたくなるのも無理はない、というか当然の反応だ。

「ただいま」という声が聞えた次の瞬間、一気呵成に毛むくじゃらな槍持った武装集団が玄関から押し入ってきたのだから。


 居間でTVを見ていたと思しき花子はいま、槍を突き付けられてバンザイしている。トンジル子爵は「そなたがウヅキの雇い主か」と詰め寄っていた。


「トンジル子爵、ちょっと短絡に過ぎませんか。この子、花子は別にボクへ虐待を仕掛けている訳ではありません。むしろその逆です。彼女のお陰で普通の日常を取り戻すことが出来ているんです。槍を納めさせて下さい。

 そして何より此処は家の中です。

 日本は家屋内では土足厳禁、靴を脱いで下さいっ」


「そのように言えと言い含められて居るのか、不憫よの。このトンジルの目は節穴ではない、そなたの手足の傷は一朝一夕に出来上ったものではないと既に看破して居るわ。一時にそれだけ傷を負って無事あろう筈もないからな」


 一朝一夕どころか一瞬で出来上っちゃった代物なんだよ、思い込みの激しい子爵様だな!


「懸念は無用、そなたは既に我が庇護下にある。この少女の姿をした神の御名に背く者を誅するさま、その目でしかと確かめるのだ。

 しかし、此の地は家屋の中で靴を脱ぐのか?」


 手が止まったのを幸いに、このままたたみ掛けて押し止めようとした。だが訊ね返した彼が振り向いたその向こう側、花子がむずむずと表情を崩し始めているのに気が付いたのだ。

 ヤバい、と焦った。アレは大クシャミの前兆である。そういや玄関が開けっぱなしのままだった。


「花子ガマンだ。子爵様、見ちゃいけませんっ」


 しかし見るなと言われれば見てしまうのが人のさが。その場に居る全ての目が集まったその刹那、居間を揺るがす大クシャミが炸裂。(ボクは反射的に顔を反らすことが出来たのでセーフ)


 平穏な家屋は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。




 天井を突き破らんばかりのたまぎる悲鳴が響き渡った。


 壁を揺るがさんばかりの怒号が轟いた。


 毛を逆立てて恐慌と興奮にキイキイと甲高い声が錯綜した。


 やれ魔物だバメモノだ、串刺しにしろミンチにしろと物騒な台詞を声高に叫び始めた。興奮した連中を鎮めるのは生半可じゃあない。最初は一匹一匹と押し止めていたが到底無理。

 小さい癖にみなやたらと力が強くてコチラが押し戻された。槍が花子を突き刺そうと殺意とその穂先をとぎらかせていた。


 そして皆を落ち着かせてまとめるべき肝心の子爵様は、びっくりあんぐり口を開けて固まったままだった。なので「止めさせて下さい」と頼んだ。


「トンジル子爵。あなたはこの程度のことで取り乱す方ではありませんよね。どうか皆を落ち着かせて下さい。ボクの話を聞いて下さい!」


 必死だった。我ながら咄嗟によく言えたと思った。お陰で我に返った子爵様は「待て」と兵達を押し止めてくれたのである。


 非道い誤解(一概にそうとも言い切れないが)を解くための押し問答をしばらく繰り返し、ようやく皆が落ち着くと、花子はようやく「やれやれ」と上げていた両手を下ろして溜息をついた。


「本当に此奴は害が無いのか」


 未だ疑念疑惑が払拭出来ずに居るトンジル子爵は警戒の眼差しを向けたまま、花子から一番遠い場所に座っていた。

 兵達もまた同様だった。今は突き付けた槍を納めてはいるものの、未だに気色ばみ緊迫した面持ちで事の成り行きを伺っていた。彼らは今も血走った眼差しで油断なく見据えている。未だ息を荒げ、興奮冷め止まぬ面持ちだ。


 でも、それでもボクは何とかようやくと額に浮いた汗を拭った。身振り手振りで押し止めるのは骨が折れたが、それでも何とか刃傷沙汰だけは避けることが出来そうだ。


 とはいえ、安心なんて全然出来ない状態だけれども。


 蓋の開いたガソリンタンクの横で、イキったヤンキーがタバコ吸っているようなものだ。いつ何時引火爆発するか分ったもんじゃない。

 ボク一人ではどうにも持て余して思わず連れて来ちゃったけれど、今は何とか平和裏にお引き取り願いたかった。お帰りは出てきた元の穴がベストかな。そうは思うのだけれども、さてどうしたものやら。


「かような異形が町を闊歩し、よもや家屋に潜んでいるなどと、なんたる未開、なんたる野蛮な地であることか」


 花子のあの有様を見たら無理もない反応だけれど、それでもボクの話を聞いて矛先を納めてくれたのは僥倖だと思った。


「たまたまですよ、この子がこの町で一般的は存在な訳ではありません」


 花子の「たまたま論」じゃないけれど、たまたまただの偶然、平和主義の極めて個性的かつ稀な人物(?)に出会しているダケで、実害は何も無いですとごり押しした。


 しかし先程の「破裂」の後では説得力皆無かもしれない。まだボクや花子以外の住人に出会っていないから尚更だ。でも必死だった。何とか説得して事を穏便に済ませなければならない。

 花子はナニか言いたそうだったが、黙ってなさい、と目線で制した。此処でヘタな台詞を口走らせて、更にややこしい状況になどしたくはなかった。


「まぁよかろう。如何に異形とはいえ、この数の兵に睨まれては悪さも出来まい」


 そしてこの子爵様はこの地を総べるシュショーに会いたい、と言い出した。ボクは一般人なので面識ありません、と断ったら、ならばこの町の長かそれに連なる者でもよい、と言われた。

 だが残念ながらどちらも無理。たとえ元の貴文や静子であったとしても同様だった。


「致し方あるまい。なれば司祭は何処か」


「司祭?」


「未開とはいえ言葉は通ずるのだ。我らがゴクラク教の教区ではないのか。なれば町を束ねる司祭とその寺院があろう。其処へ案内してもらいたい」


 寺院と言われてもソレはボクの知るお寺とかではないだろう。教会は在るかもしれないがキリスト教とも無縁な気がした。

 そもそもゴクラク教なんて聞いた事もないし、ボクらのいう極楽浄土とか天国なんかとも違う気がする。この毛むくじゃらなヒト達が崇めている神様がこの日本に居るとも思えなかった。


「成る程、司祭も無く寺院も無ければ修道院も無い。ならば此処はやはり異教の民が総べる土地、我らが神の教えが未だ届いて居らぬ蛮地であるという事だな」


 ボクの説明を聞いた子爵様は口元を少し歪めて、確かにニヤリと笑ったのだ。

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