2-8 唐揚げは美味しかったけれど
我らをこの地に導いたのは神のご意志である、とトンジル子爵は宣言した。
「卑しくも哀れなこの地の民は我らが神の御名に触れる事も無く、その教えを賜ることもない。なれば、此処に我らが辿り着いたるは、此の地にゴクラクの教え伝え広めよとのご神託である。故に此の地の民を救うのは我らの勤め、我らの義務である」
あ、ヤバいと思った。コレって侵略とか、違う宗教同士の対立だとか、歴史の教科書に載っている戦争の切っ掛けになるロジックじゃなかろうか。
「あ、あの子爵様。ちょっと待って頂けませんか」
「おうウヅキ、虐げられし哀れな娘よ。心配は無用。すべてこの我に任せるが良い。そなた懸念そなたの不安をことごとく払拭し、真の歓びと幸福の道へと案内しよう。
そこな禍々しき異形よ。おまえの悪行もここまで。我らがゴクラクの神の使徒の足元にひれ伏すのだ。改心しゴクラクの教義に服すると言うので在れば命だけは助けて進ぜよう。
そしてこの家屋敷地共々シーバレッテン伯家の領地と定め、この野蛮な地を救う為の拠点とすることを宣言する」
「ええぇ、何ですかそれ。此処はわたしのお家です。土地も家も五二年前にこの町の不動産屋さんから正規の手続きで購入したものです。そんな一方的なコト言われても」
「やかましいっ、人を拐かし世を乱すあやかしめが。この場で成敗されぬことを幸せと思え。我の温情も限りがあるのだぞ」
「子爵様、ですから短絡は止めましょうよ。この子は別に害が在るわけでは」
「ウヅキよ、そなたは誑かされておるのだ。我がそなたを導くと云うておろう。我らが神の祝福を得、真の幸福を知った暁には感謝の涙を流すであろう。
いやいや礼には及ばぬぞ、民草を安寧へと誘うのが神の使徒足る我らが使命。力を持つ者は責務を背負い、それを果たす義務がある。それが世の
とはいえ此の地は些か不案内。町であるなら顔役なり長なりが居るであろう。その者が住まう場所へ案内してはもらえぬかな」
「あ、その、ボクはその人たちの家も知らなくて・・・・」
知らないのは本当だけれども知っていてもたぶん同じように云ったろう。何となくボンヤリだけど、この人達をそういった公の役職に携わる人たちに会わせちゃいけない気がしたからだ。絶対に厄介なことになる。
「町内区長さんのお家でしたらわたしが知っています」
「は、花子」
止めといた方がイイと目線で訴えたが、彼女はちょっと引きつった顔でニコリと微笑み返しただけだった。こういう状況でよく笑えるものだとちょっと感心した。でも、迂闊な事は言わない方がいいんじゃないかな。
「ほう、もののけ。お前が案内をするとでも云うのか。助かりたい一心で口からでまかせを語るのならこの場で串刺しにしてくれるぞ」
「ま、待って下さい。町の偉い人は知りませんがそれに連なる人なら知ってます。ボクが案内しますよ」
この人達を警察に連れて行こう、そう決心した。得体の知れない連中だから躊躇していたけれど、花子に危害を及ぼすというのなら指を咥えて見ている訳にもいかない。いまこの状況はボクの手に余る。
そう思って慌てて割って入ったのだが、「大丈夫ですよ」と当の花子に押し止められてしまった。
「卯月さんは心配しないで待っていて下さい。すぐに戻って来ますから」
子爵様は品定めするようにボクと花子とを見比べた後に、「まぁよかろう」と言って花子の腕を引っ張った。
部屋の隅でそっと懐の短剣を抜いて花子の喉元に当てる姿がチラ見える。そして声を潜め、「おかしなマネはするなよ。あの娘が怪我をするのは本意では無かろう」と呟くのが聞えた。
子爵様、迂闊に過ぎます。ご自分の恰幅のある体躯で隠れていると思っているみたいだけれど、生憎とボクの目線は完全にあなた方の頭越しなのですよ。ハッキリ言って丸見えなのですよ。
幼児が庭の隅で内緒話をするのを、大人が端から覗き見る様なもんなんですよ。
それに確かにひそひそ声だけれども、こんな小さな部屋の中でそんなカン高い地声が聞えない筈ないじゃないですか。
何と言うか脇が甘いというか、自分のことしか見えていないというか。
お陰でやっぱりボクをダシにしていただけだったんだなと、確証を得ることが出来た。
子爵様は「出かけてくるので暫し待て」と言って、花子を先頭に兵と連れ立って出て行った。ボクの傍らには護衛だなどという言い訳と共に二人の兵が着いている。
けれど、余りにもあからさまだ。保険のつもりなのか、それとも手に入れた手駒を無くしたくないのか。
チラリと脇の兵を一瞥した。視線が合ってジロリとにらみ返された。やれやれだ、と思った。そして花子はああ言ったけれど何か算段があるのだろうか。町内区長さんの所に連れて行ったとしても上手く解決出来るとも思えない。
それに彼女が普通じゃ無いと周囲に知れたら、また面倒な事になるんじゃなかろうか。
色々と気を揉んでいたら、小一時間もした頃にひょっこりと花子一人で戻って来た。そして「あなた方タイヘンですよ」と何処か慌てた風に、傍らの兵二人に訴えるのだ。
「あなた方のご主人が面倒なコトになってます。町内区長さんと口論になり一触即発の状態です。わたしはあなた方を呼んで来いと言われて飛んで帰ってきました。加勢に行った方が良いです。案内しますよ」
言われて兵の二人は顔を見合わせ、ボクを一瞥し、もう一度花子を見てから「案内しろ」と言った。そして再び、花子は兵と共に家を出て行き、今度は五分もしない内にまた帰ってきたのである。
「あ、あれ、随分早いね。町内区長さんの家ってそんなに近いの?」
「いえ、あの二人は道沿いの川に放り投げて来ました」
「放り投げてって、槍持ってなかったっけ?それに事も無げに言うけれど、子爵様の言伝はどうするのさ」
「ああ、ソレは口からでまかせですから。あのタヌキーな子爵様もお供の人達同様、川に流されてアップアップしてる筈です。或いは適当な川瀬に辿り着き『酷い目に遭った』と溜息ついているかもしれません」
「え、えええぇ。ソレまずくない?怒って仕返しに来たりしたら」
「大丈夫ですよ。本来この町に流れていない川に叩き込んでやったので、此処へ戻ってくることはありません。心配無用です」
花子の話ではどの町にも必ず埋め立てられたり、
そしてその川で溺れたり流されたりした者は、二度と見つからないのだという。
「怖いなぁ」
「普通に暮していたら足を踏み入れる事は在りません。入り込んじゃうのは大体踏み外しちゃった者たちですね」
「じゃあ、ボクも危ないわけだ」
「大丈夫です。もしもの時はわたしが助けます、絶対です。約束しますから。でも出来る限り川には入らないように気を付けて下さいね」
要はマンホール世界とやらもその川の延長で、「流れている筈の無い川」が形を変えた姿らしい。言われてみれば確かに下水道は暗渠だよな、と思った。
そう言えばホラー映画の題材にもあったな。川の向こう側があの世だという話は、怪談ものの定番じゃないか。
「三途の川なんてその最たるものですしね。外国でも川向こうが別の世界だという話はいっぱいあります。それに四つ角とか、坂の上や下、或いは丘の向こう側、谷や山の稜線、世界の変わる境目は至る所にありますから」
「迂闊に道も歩けやしない」
「卯月さんは大丈夫ですよ、二人で一人ですから。お互いにお互いを繋いでいるので引っ張られる事はありません。気を付けねばならないのは川とマンホールだけです。暗闇の水は自身を映す鏡ですので」
十分注意しよう。そしてあの子爵様はタヌキだったのかと言われて初めて気が付いて、ボクのことを「サルヒトの娘」と呼んだことにも合点が付いた。
「その談で言うのなら彼らは自分達を何と呼んでいるのかな。タヌキヒト?」
「タヌヒトだそうですよ」
ほう、そうでしたか。タヌキやキツネは化けて欺すというけれど、あの子爵様ご一行にそんな特殊能力が備わって無くて良かった。更にめんどくさいコトになる所だった。
「まぁその手の動物が人間のマネをするというのは、昔話にもよく出てきますから。それにもしかすると、人間の方があの方々のマネをしているのかもしれませんよ」
「嫌な着眼点だね」
この世界にはサルから進化した人類しか居ないが、様々な世界の中にはタヌキから進化した人類と共存している世界もあるらしい。その内に魚とか恐竜とかから進化した人類もマンホールから這い出てくるのだろうか?
「わたしはまだ見たことありませんが居るでしょうね。そもそも霊長類なんて、イレギュラーな動物が知能を持つ方がおかしいのです」
「猿はオカシナ生き物だっていうの?」
「まぁおかしいというのは些か語弊がありますか。この世界は本来恐竜さん、というよりも鳥さんの人類が総べるのが筋だと思いますよ。鳥さんは現代に生きる恐竜さんらしいですから」
「え、鳥が?」
「はい。学者先生の分類によれば、爬虫類の中に恐竜さんが居て恐竜さんの中に鳥さんが居るのだとか。ですので最近は全部ひっくるめて竜弓類と呼ぶのだそうです。
ビックリですよね。
しかも哺乳類は五五〇〇種程度なのに、鳥類は一〇〇〇〇種を数えます。お猿さんから人類の祖先が生まれて高々六〇〇万年。翻って現代の恐竜と呼べる鳥さんは約一億九〇〇〇万年前にその始祖が誕生してます。
数も種類も歴史すらも圧倒的ではないですか」
「そ、そうなんだ」
「まぁ知能が高くなるコトが進化の正解って訳でも無いですしね。選択肢の一つというだけで、大切なのは如何にして生き延びるのかということです。繁栄繁殖してこその生き物でしょう」
でもそんなご大層な講釈の最中に、この夕飯ってのはどうなんだろう。
今晩の夕餉は鶏の唐揚げにウズラの卵のサラダだ。鶏ガラのスープまであるし、まさに鳥づくし。花子は、お味の方はどうですかスパイスは自家製なんですよ、などと楽しそうに話している。何だかなぁと思った。
ひょっとして何かがまかり間違えば、鳥的な人類が猿的な焼き肉を食べてる世界があったりするのだろうか?
「そう言えば卯月さんは、タヌキ汁というものを召し上がったことはありますか?」
「無いね」と答えつつ、止めてくれとも思った。決して愉快な相手ではなかったけれど、トンジル子爵の顔がちらついて、とてもではないが食欲が湧いて来そうにもない。
夕飯の唐揚げは美味しかったけれど、この微妙な気分はしばらく晴れそうにも無かった。
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