第三幕 二人で一人の屍体はウェディングベルの夢を見るか

3-1 もう彼女の後ろ姿すら

 今はちょっとだけ季節が進んで花粉の時期は終わりを告げている。花子は実に晴れ晴れとした面持ちで日々を送っていた。


「マスクの要らない日々というものは素晴らしいものですねぇ」


 目を潤ませて喜ぶ姿を見ると、どれだけ花粉に虐められていたのかと察するにあまりある。しかし花子の懸念は時間と共に解消されるが、ボクの方はそういう訳にはいかない。困った同居人は四六時中すぐ側に居るからだ。


 二号ちゃんの謹慎が解かれて元の人型に戻ると、三人一緒に食事をするのは日常風景になった。相変わらず彼女はボクにちょっかい出してくる。

 そしてその都度に花子に窘められ、その場では手を引くものの、事あるごとにスキンシップという名のセクハラを仕掛けてくるのだ。幾度咎められようとも変わらない。諦める様子は微塵も無さそうだった。


「しつこいと嫌われますよ」


「あら、それなら今は好意を持ってくれているということ?」


「悪い印象が更に悪くなると言ってるんです」


 日課になった散歩、もとい町内巡回をする傍ら、二号ちゃんは付かず離れずの距離を保って着いてくる。本当は始終纏わり付きたいらしいのだが、花子からもらったスマホと例のアプリのお陰で強行してくる気配はない。絡んできても腕をひと払いすれば直ぐに離れた。


「アレされるとね、頭の中に電気が走って、ああもうどうにでもなっちゃえーって思えて、全身がぱーんってなっちゃう感じ。そしてしばらく頭の中が真っ白になって呆然としてんの」


 ああやはりアレは爆散であったのだなと思うと同時に、あの惨状を思い出して身震いした。

 今こうして見ても、あのフナムシモドキの集団が凝り固まってヒトの姿を保っているとは信じられない。と同時に、とても自然な顔の表情や滑らかな皮膚の感触に、いったい何がどうやってこうなっているのだろうと不思議に思わずには居られなかった。


「卯月はずっと花子の家に居るつもり?」


「他に行くところも無いですし、当分お世話になるつもりです」


 その点はホントに有り難いと思っているのだ。花子には感謝しかない。

 時々バクハツするのが困りものだけど。


「ふふ、ならまだチャンスはあるってコトね」


 そう言ってほくそ笑むこの生き物には警戒しかない。

 バクハツしたまんまで居てくれないかなと思うくらいだけれども。


「そう言えば二号ちゃんはこの前何処に出かけていたんです?」


「ちょっと隣の市まで所用を言いつかって。久々の外泊遠出だったんで旅行気分だった」


「へえ」


 所用ね、何だろ。隣の市なら泊まらずとも日帰り出来るだろうに。


「それに敬語でなくても良い、ってこの前も言わなかったっけ?アタシは花子の使い魔だから。唯々諾々と仰せつかったお仕事を淡々とするだけの存在」


 その割には随分と態度デカいよな。このヒトの普段の言動や物腰は、自分の主人に対すると言うよりも友人かむしろ目下の者にするソレだ。


「あ」


 二号ちゃんが声を漏らしたのでソッチを向いたら、制服姿の高校生男女が談笑しながら歩いて居た。時間は昼前だというのに授業はどうしたのだろう。

 だがすぐに中間考査の時期ではと思い当たった。ただのクラスメイトだろうか。たまたま帰る方向が一緒なだけ?それとも付き合っているのだろうか。俺とわたしも、あの日は端からこんな具合に見えていたのだろうか。


「ち、見せつけやがって」


 二号ちゃんは実に悔しそうだ。


「これからホテルにしけ込んで乳繰り合うのね」


「なんでそんな色眼鏡で見るの。彼らは真っ当な高校生なんだからそんなコトしません」


「なに、あの二人の知り合いなの。熟知した間柄?なんだ初対面。だったらコレからあの二人が何処でナニをするのか分ったもんじゃない。

 自分の常識で他のヒトを計るだなんて浅はかで傲慢な所業。もっと世間というものを知った方がいいね」


 それはまんま自分へのブーメランに為っていると思う。


「それとも欲求不満が芽吹いちゃった?うずうずして我慢ならない感じ?だったらすぐさまこのアタシがそのやるせない気持ちを何とかしてあげる。

 いいえもう、遠慮は無用、コチラにお任せ身を委ね、現世の歓びの粋を味わい尽くそうじゃ」


「離れなさい今すぐ。ヘンなところに手を伸ばすな息を吹きかけるな絡みつくんじゃありませんっ」


 ボクは必死になって振り解き、最後は蹴りまで入れて二号ちゃんを突き放した。通りすがりのおじいさんは素知らぬ顔ですれ違っていったが、脇を擦り抜ける際に投げかけられた白い視線が痛かった。




 確かにボクはデートというものをしたことがない。


 それは勿論、俺もしたことが無いという事だし、わたしもそうだという事だ。


 付き合うことになって一緒に下校するという夢は一つ叶ったけれど、手を繋ぐことは出来なかった。いま自分の右手と左手を握手させることは出来るけれど、これが手を繋ぐと同じである筈がない。

 自分ではない大切な相手と繋ぐという部分が重要なのだ。恋人同士がひとつになりたいと望むのは、自分ではない相手であるというのが大切な気がする。


 だって、ボクみたいにホントのひとつになったら、ベッドシーンどころかキスすら出来ないのだ。


「デートしてみたかったな」


 知らぬ間に口に出ていた。はっとして慌てて口を噤み、不穏な気配に振り向いて見れば二号ちゃんがにんまりと笑っている。まるで耳まで裂けそうな実に深い笑みだ。


「その相手は間違いなく二号ちゃんじゃないからね」


「またまたぁ。我慢しなくて良いのに」


「我慢とかじゃなくて」


 口論をしながら路地を抜け、片側二車線の大きめの通りに出た。少し歩くとフェンスが見えて学校のグラウンドが見えた。公立の中学校だった。隣町には私立の男子中学が在るけれどこちらは共学だ。

 時々思うけれどなんで男子校だの女子校だの、男女別々に学校が在るんだろう。全部共学で構わないだろうに。それとも一緒だとナニか問題があるんだろうか?


 散歩は何時ものように特に変わった事は無かった。ちょっと狭い四つ角から軽自動車くらいの大きさのニワトリと鉢合わせして、少し開いたマンホールの隙間から何者かがじっとコチラを窺っている視線を感じたくらいだ。

 纏わり付く二号ちゃんを軽くあしらいながら、ボクは「ただいま」と家の玄関の扉を開いた。


 そしてその日の夜は何処か悶々としていて、何だか寝苦しかった。




 俺は昼休み、校舎の中を一人で歩いていた。


 昼飯を食い終えた後の腹ごなしの散歩のつもり。

 普段はそんなコトはしない。友人とダベったり午前中は使えなかったスマホの着信履歴やインスタを見たり読みかけの本を読んだり、限られた時間の中でブラブラして過ごすなんてあり得なかった。

 だが今日はなんとなく、学校の中を一巡りしてみたい気分だったのだ。


 周囲は騒がしかった。

 休み時間なので当然だ。天気が良いので、窓から見えるグラウンドには幾人もの生徒たちが居て、キャッチボールだのバレーやサッカーのまね事だのに興じているグループがあった。

 廊下を歩く幾人もの生徒とすれ違った。渡り廊下の角でたむろしている女生徒のグループがあった。中庭にやたら声のデカい男子が居て、仲間とゲラゲラと大声で笑っている声が聞えてきた。

 どれも特に妙だと感じることはない。


 だが何だかしっくりこないのだ。まるで、映画やドラマの撮影風景を撮影スタッフの背中越しに眺めているような感じがして、なぜ自分が此処に居るのか分らず、場違い感にそわそわとして落ち着かない。


 ヘンだな。俺が昼間、学校に居るのは当たり前の筈なのに。


 廊下の向こう側にぽつんと一人佇んでいる人が居た。女生徒だ。彼女はじっとコチラを見つめている。遠くて顔は分らないけれど立ち姿には見覚えがある気がした。気になって早足で歩み寄った。

 だが、何歩も歩かないうちに彼女はふいと曲がり角の向こう側に消えてしまい、俺が彼女の居た場所に着いたときには、もう、彼女の後ろ姿すら見つけることが出来なかった。

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