第四幕(その四)ジキル氏とハイド氏みたいに

「おイタをした子にはお仕置きをせねば為りません。久しぶりに激おこプンプン丸ですよ」

 花子が言い終わる前に何か光るものが目の前に走ってきて、次の瞬間に空中にそれは跳ねて飛んでいってしまった。そのまま金髪神父の背後に落ちて硬質な金属音がする。見ればそれはあの細い長剣だった。

「て、てめぇ」

 右腕を押さえた金髪神父がボクの目の前で呻いて歯ぎしりしている。いつの間にこんな近くにまでやって来たのだろう。ほんの一瞬前まで、二〇歩は離れていたというのに。

「え、な、なに?」

 ボクの目には何も見えなかった。けれど、きっとヤツがスゴイ早さで踏み込んで突き込んできたのだ。でも剣で刺し貫くよりも早く花子が跳ね飛ばしたに違いなかった。でないと説明が付かない。

「畜生」と、チンピラそのものの舌打ちが聞えた。素早く踵を返す。背後に落ちた剣を手に取ろうとしたその刹那、足首が細長い触手に絡み取られて、金髪の身体は長剣と同様に空中に放り投げられてしまったのである。

 ボクは声を漏らす暇すらなかった。

キサマぁ、と歪んだ金切り声が聞えた。だがすぐに聞えなくなった。よく晴れた青空に金髪で黒衣の神父が飛ぶのが見える。

 フライング・ヒューマンという単語が脳裏を過ぎった。ぽかんと見上げる内にごま粒ほどの大きさになり、そして今度は見る間に大きくなってくるのである。

「ぅぁあーっ」

 緊迫感の無い悲鳴がドップラー効果を伴って落ちてきて、したたかに路地へと墜落した。どん、という追突音と共に、ごきりと嫌な音も聞えた。でも特に哀れとは思わなかった。こちとら極めて物騒な代物で突き刺されるところだったのだ。

 痛みを堪える呻き声が聞えた。もぞもぞと蠢く様から生きているのは間違いない。でも起き上がってこようとはしなかった。その一方、視界の端できゅるきゅると小さな音と共に、花子の頭部が少女の頭に戻るのが見えた。

 直視はしない。真正面で見ずに済んだ幸運を手放したくはなかったからだ。後ろで控えていて本当に良かったと思った。

「このまま大人しくマンホールに戻るというのなら見逃してあげましょう。わたしはあなたやあなたの信ずる神様と違って寛大ですから」

「か、神の御名を穢す者への慈悲にすがるなど、正に唾棄すべき所業。そして公然と我らが主を貶めるその物言い、実に、実に度し難い。悪魔の甘言もろとも地獄の業火に焼かれるがよい」

 黒髪に戻った神父は苦悶に顔を歪めながら身を起こすと、懐から瓶を取り出した。栓を開け、中身をそのままぐいとあおる。痛み止めの薬か何かだろうか?そう思った次の瞬間、路地に火炎が走った。

 神父が口から火を噴いたのだ。

「あちゃちゃちゃちゃちゃ」

「花子!」

 火に包まれた花子が文字通り阿波踊りを踊り、ボクはただ慌てふためいておたおたするだけだった。何しろ為す術がなかったからだ。こんな路地では水道の蛇口も無いしバケツも見当たらない。

「何てことするんですか。服にオコゲが出来ちゃったじゃありませんか」

 服どころか髪まで所々がチリチリになっている。折角の綺麗なストレートの黒髪が台無しだった。火は一瞬だったので燃え移りこそしなかったものの、被害は決して小さく無かった。

 なんという悲劇!

「ははは、良いざまです。神の怒り思い知りましたか」

 勝ち誇っているが随分とささやかな怒りだなと思った。

 そして激怒した花子が神父から瓶と隠し持っていたライターを奪い取り、「お返しです」と中身を全部干した後に神父に向って火を噴いた。

 再び路面一帯を火が舐めた。しかも先程の火炎とは比べものに為らない、正に火柱と評して良い盛大なものだ。瓶の中身は相当量あったらしい。「ぎゃあ」と神父の悲鳴が聞えた。

 路地裏で少女と神父が互いに火を噴きあって相手を炙っている。まるで特撮映画を見ているみたいだ。いや怪獣映画と言い換えた方が正しいのかも。ひょっとしてボクは、一般生活では決してお目にかかれない極めてレアな体験をしているのではなかろうか。

 数秒にわたって炙られた神父はやがてのたうち回る元気も無くなり、消し炭のようになって路上に転がっていた。

「ひょっとして、死んじゃった?」

「この程度でくたばるくらいなら、苦労しないのですけれどもね」

 まだ衣服から細い煙を立ち上らせている神父の足をむんずと掴むと、ズルズルと引きずって彼が出てきたマンホールの中に放り込んだ。穴の底からまたごきりと不吉な音と共に、カエルが踏んづけられたような呻き声が聞えた。

「ごきげんよう。もう来なくて良いですからね」

「ざけんじゃねぇ。この礼は必ずしてやるからな」

 穴の奥から下品なだみ声が聞えた。落とされた痛みのせいか、少なくとも意識は取り戻したらしい。

「戻って来ます、わたしは必ず戻って来ます。アイ・シャル・リターンです。此の地に神の威光と祝福を広めるのがわたしの勤め。此の地は神の救いを待っているのです。首洗って待ってろよ、てめーら!何時だってオレらはすぐ側に居る。忘れるな、何時だってだ。そして」

 最後の恨み節と捨て台詞はマンホールの蓋を閉める音と共に塞がれて聞えなくなった。だが聞かなくったって分る。小悪党の捨て台詞なんてテンプレートも良いところだからだ。

「やれやれです」

 蓋を締め終わった花子が本当にヤレヤレといった風情で溜息をついた。

「元に戻して良かったのかな。縛り上げて警察とかに突き出した方が良かったんじゃ」

「当局に引き渡したところで同じです。身元不明の神職者なんて、持て余してたらい回しにされた挙げ句、放免されるのが関の山でしょう。一般市民に被害が出た訳では無いのですから。

 むしろ振り出しに戻る、の方が相手にとって徒労感割増しでダメージになります。それに一度戻されればしばらくはやって来ません。息の根を止めるような野蛮なマネはしたくありませんしね」

「また、来るんだ。タヌキーな人は戻ってこないのに?」

「あの男の世界軸とわたしたちの世界軸はごく近いところにあるみたいで、そこの住民は高確率で再来するのですよ。本に例えるなら、隣かその隣のページくらいの場所ではないかとわたしは思っています。文化様式や歴史もそっくりで、異なる箇所なんてほとんど間違い探しのレベルですよ」

「ボク達の世界にあんな変身男は居ないけど」

「たまに居ますね、みなさん気付いていないダケです。あの手のヒトは世界軸に跨がって存在する本人同士です。隣り合った世界に居る当人が互いにダブっているだけですよ」

 見た目は一人だが、二人の当人が一つで存在しているのだという。何だかややこしい話だ。じゃあ隣の世界にはやはりボクと同じような、ボクじゃないボクが居るというコトなんだろうか。ソコでもやはりボクは、俺とわたしとが一つになっている存在なのだろうか。

「まるで二重人格が身体に表れたみたいだ」

 ジキル氏とハイド氏みたいに。

「言い得て妙です。心と身体が常に一つとは限りませんから」

 じゃあボクもまた、あの神父とは似た者同士ってコトになる?やだなぁ、ソレはあんまり考えたくはない。人格がコロコロ入れ替わって、正気と狂気を行き来するなんざサイコホラーそのものじゃないか。

「ああ、しかしもう二号ちゃんには気の毒なことをしてしまいました。もうちょっと早く来れたらバラバラにならずに済んだかも知れないのに」

「うん、そうだね。ゴメン、ボクが役立たずで。何か出来れば良かったのに」

「気に病む必要はありませんよ。卯月さんは被害者ではありませんか。悪いのは全てあのアホ神父です。まずは二号ちゃんを回収しましょう。つなぎ合わせるのが一苦労ですよ。あれだけバラバラにされたらしばらく復活出来ません」

「え、生き返るの?元に戻れるの、二号ちゃん」

「はい、あの程度では死にません。今は仮死状態です。みじん切りですが、つなぎ合わせれば元に戻れます。もっともあの有様では、元通りになるまで相当時間がかかってしまいますが」

 良かった、と安堵した。いやバラバラなんだから良くはないけれど、生きているのなら不幸中の幸い。もう駄目だと非道くショックだったから救われた気分だった。

「あ、ど、どうしたのですか卯月さん。怪我でもしていましたか、何処か痛いのですか」

 気付いたらボクは泣いていた。花子に言われて初めて気が付いて、泣いていることにボク自身が吃驚していた。

「いや、二号ちゃんが死んでないと知って安心して」

 顔を拭こうと思ったらハンカチを持っていないことにも気が付いた。普段のわたしなら決して忘れる筈ないのに。正に今日に限って、だ。

 花子が差し出してくれたそれで涙を拭うと、彼女と一緒に二号ちゃんの身体を一つ残らず回収した。そしてその日はそのまま家に帰った。

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