エピローグ(その二)
「亡くなった方の全てが消えて無くなる訳ではないのですよ」
二人と別れて花子はそう切り出した。
「月並みな言い方になってしまいますが、一緒に生活していた周囲の方々には色々な形で残って居ます。
思い出であったり話し方であったり考え方であったり。あるいは喜怒哀楽、ケンカした記憶だって時間が経てばご当人の一部となって残ります。決してゼロではありません」
「・・・・そうだね」
「ご家族もそうです。不慮の事故や病気でもなければ、子供よりも親の方が先に天へと召されます。ご両親が亡くなってもやはり無ではありません。仮に一目も会わずに育ったとしても、その方の身体の半分はお父さんでその半分はお母さんなんです。
半分はこの世に残るのですよ」
「うん・・・・その通りだ」
それを思えば、逆に今のボクは相当に幸運と言うべきではなかろうか。肉親じゃないけれど好きな人の半分がボクとなって此処に居る。
とても短い間だったけれども一緒に過ごした時間だってあった。少なくともこれからもずっとずっと、彼女と二人で一つの卯月として生きて行くのだ。それこそ最後の瞬間まで。
まぁ、肝心要のボク自身が生きているとは言い難い状態ではあるけれど。
「実は、彼女が居なくなってしまってすぐの頃、『目が覚めなければ良かった』って思っていたよ」
「えっ」
虚を突かれ、振り返った花子の顔はとても不安げだった。
「復活しなければこんな辛い思いせずに済んだのに、ってね」
「う、卯月さん」
「でも今は、そんな考え方は間違って居ると思っている」
泣きそうな顔をしている花子の頭をそっと撫でた。
「ヘコみにヘコみまくって、町の中をぐるぐると歩き回っている内にふと思ったんだ。ボクみたいな経験をするカップルだなんて先ずありえないだろうな、って。
自分の気持ちや考えていることがダイレクトに伝わって、お互いに感情や思いが混じり合うなんて、二人が一つでなけりゃ絶対に不可能な体験だ。望んで得られるものじゃあないよ」
町のアチコチには俺とわたしが一緒に巡った風景があった。
散々な目にもあったけれど日々の買い物やプチピクニックや散歩など、楽しいことも沢山あった。今にして思えば、良いコトも悪いコトも割とバランスよく出会えていたのではなかろうか。
相互作用というか増幅されて返ってくるというか、お互いが抱いた気持ちや感情は一人だった頃よりも余程に深くて複雑で彩り鮮やかだった。
刺激的で充実感に溢れていた。
長年連れ添った夫婦がこれと同等以上かどうかは未経験なので何とも言えないが、きっと負けてはいまいという妙な確信がある。極めて濃い体験だったというのは自信を持って言えた。
しかしボクの言葉を聞いていた花子は、俯いて両手を固く胸の前で握り締めていた。垂れた前髪で横顔が隠れてその表情が見えなかった。
「とはいえ、簡単には、割り切れませんよね」
「そうだね。でも親しい人と別れて悲しむというのはボクだけじゃあない。誰しも同じだよ」
「あ、あの・・・・それでも、です。やっぱり卯月さんはわたしを恨んでいますか。勝手に復活させて。そして辛い思いをさせて・・・・と、当然ですよね、身勝手ですよね。すべてわたしの都合ですから」
そんなことを言い出すものだから、もう一度頭を撫でて髪をくしゃっとしてやった。
「前にも言ったじゃないか、ありがとうって。ボクをボクとして復活させてくれて感謝している。それは今も変わらないよ」
じっと見上げた花子と目が合った。しばし見つめた後にプイと横向いて涙を拭いていたが、それは見ていないふりをした。お陰でボクの中にジンワリとした感情が湧いてきて、果たしてコレは俺のものなのだろうか、彼女の記憶から紐付いたものなのだろうかと少し迷った。
でも、どちらでも良いコトなのでそのままにしておいた。もしかすると記憶だけじゃなくって、二人分の様々なものが混じり合ってきているのかも知れない。ならばそれは村田貴文でもなく山川静子でもなく、正真正銘の卯月という一人格である。気恥ずかしいような嬉しいような妙な気分になった。
そのうち、この気分が当たり前になってゆくんだろうなぁ。
かてて加えてオマケというか何というか、ボクはアチラ側の世界に一歩踏み込んですら居る。普通の人達が望んでも見ることが出来ない、珍妙な別世界を覗き見るコトが出来るようになった。なってしまった。
なんて予想外のサプライズ。貴文一人だったら絶対無理。静子一人でもきっとそう。でも二人一緒ならなんとかやっていけそうだ。花子だって居るし二号ちゃんも居る。
ボクは独りなんかじゃあない。
厄介ごとを背負い込んだというよりも思わぬギフトを手に入れたと、そう考えた方が健全なのかも知れなかった。少なくとも退屈とは無縁の日々だろう。
「最近流行の異世界転生した主人公とか、こんな感じの気分なのかな」
「きっとぜんぜん違う」
間髪をいれぬ、二号ちゃんの冷静なツッコミが少し腹立たしかった。
墓地を出ると、花子は路地の片隅にしゃがみ込んで其処にあったマンホールの蓋を開けた。
「実はこのマンホール、わたしのお家の近くへショートカット出来るのですよ」
ああ成る程、それでボクらに追いつけた訳か。花子に続いて入ろうとしたら「卯月さんは駄目です」と言われた。
「前にも言いましたけれども、暗渠に踏み込んだら引き込まれてしまう可能性がありますから。申し訳ありませんが来た道を帰って下さい。わたしはもう夏の日差しが本当に苦手で苦手で」
「じゃあ卯月。アタシも一足お先に」
「え、ボク一人で帰れと」
「お茶の準備をして待ってます。アイスケーキとアップルパイ、どちらがお好みですか」
「・・・・レモンシャーベット」
「それはちょっと手元になくて」
「『わたし』の好物だったのだけれども」
「・・・・分りました。ご用意させて頂きます」
二人が穴の中に消えゴロゴロと音を立ててマンホールの蓋が閉められると、人気の無い路地にボクは一人で立っていた。確かに仕方が無いとはいえ、一人取り残されるとハブられた気分になって少し面白くなかった。
「しょうがない。じりじり日焼けしながらのんびり帰ろうかな」
はたしてこの身体がキチンと日焼けするのかどうかは疑問だ。帰ってから花子に訊いてみようと思った。日焼け皆無と言われても「ラッキー」程度にしか思わないだろうけれど。
「わたし」が完全にかき消えてしまった後、日記を読み返していると書いた憶えのない記述を幾つも見つけた。文脈や日付から遡ってみると、どうやら数日おきに夢の中の「わたし」が目を覚まし、以前書いた日付のページの余白に書き足していたらしい。ボクはそれに全く気付かなかったから、眠っている間に起き出していたのかも知れない。純粋に「わたし」本人の日記と言って良かった。
もっと早く気付いていたら、日記を伝言板代わりに使えたものをと悔やんだ。結果は何も変わらなかっただろうけれど、わたしと俺と、最後の会話くらいは交わせたのではなかろうか。
そして思ったのだ。彼女は何故その事を書かなかったのだろうと。俺が思いつくくらいである。気付かなかった筈がない。
その事を花子に話したら「心配させたくなかったのではありませんか」と言われた。自分に心配をかける俺って何なんだろと、情けなくって涙も出て来なかった。いくら思い返してみても、ああすれば良かったこうすれば良かったと後悔が降り積もってゆくばかりだ。
全然建設的じゃあない。
「未練だよなぁ」
日記帳の一番最後の言葉は「あなたがすき」だった。平仮名で字が斜めに歪んでいた。きっとこれがギリギリの状態だったのだ。
「俺もきみが好きだ」
青空を仰ぎながら呟いてみたが、その言葉が届いたのかどうか確かめる術は無い。ただ届いたに違いないと夢想するのが精一杯だ。誰しも叶わぬ願いはあると世間様は言うが、この返事くらいは彼女に伝えたかった。本当に世の中はままならない。
視界の端に何かが掠めた。
頭を巡らせると、つい、と頭の上をツバメが飛んでいった。相変わらず軽やかで見事な飛びっぷりだ。あと少しすれば南の国へ旅に出るのだろう。
いったいどの辺りまで飛んでゆくのか。どんな国で冬を過ごすのか。あの小さな身体でよく海を渡っていけるものだ。パスポートや旅行鞄が要らないのは身軽だろうけれど、天敵に狙われるのは厳しい話だよな。
よく見かける鳥なのに全然何も知らなかった。だから最初に花子と一緒に見かけた後、ネットで調べてみたのだ。昼夜を徹して飛び続け海を越え、睡眠も交尾も飛びながらするのだそうだ。
嵐に遭遇しないとも限らない。天敵にだって襲われるだろう。それでも渡り鳥は旅をする。途中でヘコんだり挫けたりする余裕なんてない。それはそのまま死につながってしまうであろうから。
実にタフな連中である。
ふと旅行に出るのはどうだろうと思った。
以前、あの散歩道でツバメを見たときのことを思い出したからだ。彼女は旅に出てみたいと言っていた。俺はちょっと渋ったけれど、この子とデートと考えれば悪くはないなと思い直した。まぁどちらもボクではあるのだけれども。
そして「わたし」が見れなかった世界を見て回るのは、彼女の分を使って生きているボクの役割なんじゃないかと思ったのだ。別に観光名所でなくったってイイ。平凡でも見慣れない町を散歩するのはドキドキすると、花子もそう言っていたじゃないか。
或いはこの町以外の異形をつぶさに見て回るというのも一興ではなかろうか。見聞が拡がれば楽しさも増そう。更に余計なモノを見つけそうな気がするけれど、どうせ見えるようになったのである。後悔よりもチャレンジの方がきっと良い。それが生きている意義ってヤツなんじゃなかろうか。
人生は一度きりなんだし。
まぁ、ボクはもうとうに屍体だけれど。
しかも二度目の人生だったりするけれど。
暑い盛りを終え、季節が落ち着いたら相談してみよう。秋や冬なら暑がりな花子も嫌な顔はすまい。
そうと決めると足取りが少し軽くなった。悶々としているのは飽きてしまったし、この町でお墓や死者に縛り付けられて生きるのも趣味じゃない。「ジッとしてたら身体が腐る」と彼女もきっとそう言うに違いなかった。
俺もわたしも、もうとうに屍体だけれど。
何処か遠くから、また蝉の鳴き声が聞えてきた。
異形とマンホールとボーイミーツガール 九木十郎 @kuki10ro
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