3-3 永遠に知らないままで居たかった

「それでもボクは幸運と言って良いんだろうなぁ」


「え、いきなりどうされたのですか」


「本来ならあの日でボクは終わっていた筈だけと、今こうしてお天道様の下でのんびり歩いて、ピクニックなんかに出かけている」


 俺一人だったらきっとこんなに落ち着いていなかったろう。


 わたし一人だったらこんなに達観して居られなかった。


 ボクは泣き喚いて取り乱して非道いことになっていたに決まっている。


 きみが一緒で良かった。


 あなたが一緒で良かった。


 ボクの中のふたりが同時に同じ事を思った。


 翻って、俺やわたしの家族はどんな思いだったのだろうと思った。


 朝まで一緒だった親しい人が夕刻には帰ってこなくなった。昨日と同じ今日を過ごし、そして明日がやって来るのだと信じて疑わなかった。嘆いて言葉を投げかけても返ってくることはない。

 あれをすれば良かった、これを言えば良かった、何時もと違う何かをすれば未来が変わったのではないのかと、後悔を重ねたのではないか。


 それを思えばまた胸が苦しくなった。あれから何度、俺やわたしの家族に全てを打ち明けようかと悩んだことか。

 そしてその都度に、まずお互いの為にはなるまい、良くない未来が訪れることは目に見えていると、踏みとどまる羽目になった。


 この姿を世間に晒し、好奇の衆目を浴びて口さがない者の噂になんかなりたくなかった。医学の発展だのなんだのと理由をつけてこの身体をいじくり回されたり、興味本位の連中が纏わり付いてくる未来だなんて想像だにしたくない。


 結局臆病者なのだ、このボクは。もうどうしようもなく。


 死んだ者は返ってこない、その決まり事のとおりに押し通すのがベストな選択だ。きっと分ってくれる。


 思い悩む度にそうやって自分自身に言い聞かせていた。


「花子には感謝してるんだ。ありがとう、ボクを助けてくれて」


「あ、その、どういたしまして。改まって言われると照れますね。今日はどうされたのですか」


「ちゃんと面と向ってお礼言ってなかったような気がして」


「最初の時に一度、言ってもらいましたよ」


 そう言って花子ははにかんでいた。確かにそうだったのかもしれない。けれど、あの時はただ事務的な社交辞令だったような気がする。訳が分らず感謝の気持ちは希薄だったのだから、いまこうして言うコトに意味は在る筈だ。


 バスケットを持つの替わろうか、と言ったら「こう見えても力持ちですから」といわれて断られてしまった。そう言えばちょっと前に、トンジル子爵やそのお供を川に放り込んだとか言ってたっけ。


「二号ちゃんに持たせればいいのに」


 彼女は花子の使い魔だと言っていた筈だ。主人の手伝いをしてこその使用人だろう。


「あの子に食べ物を持たせるのは危険です。猫に封を開けたキャットフードの番をさせるようなものです。目的地に着いた頃にはバスケットの中身が空っぽになってますよ」


 それは確かに危ういな。花子が時々後ろを振り返って二号ちゃんを牽制していたのは、ボクへの接近だけじゃなくバスケットからも追い払っていた訳か。


「そういやちょっと前に二号ちゃんを隣の市にお使いに出していたみたいだったけど、どんな用事だったの」


「え、あ、うーんまぁ、なんと言いますか」


「いや、言いにくいのなら無理にって訳でもないから」


「いえ、別にそういう訳でもないのですよ。種分けというか株分けというか、そんな感じのものです」


「は?」


「隣の市には以前使い魔の件でお世話になった方がいらっしゃいまして。その方が、その、使い魔の子種を分けて欲しいと」


「あ、あぁーそういう訳ね」


 そもそも二号ちゃんは花子がこの町に来て二匹目の使い魔で、一匹目が死んでしまったのでその隣の市の知り合いから分けてもらったのだという。それで今回はその時のお返しということらしい。

 成る程、それで二号ちゃんは二号ちゃんなんだな。納得いったのと同時に一号はどうして死んだのかと訊いてみた。


「寿命、とか?」


「いえ、アレはもう自殺でしたね」


 それは穏当じゃあないな。


「いったい何が」


「あの子は重度の鉄道マニアでしてね。この町に鉄道は古くから在ったのですが、戦後ようやく蒸気機関車から一足飛びで電化の波に乗ることが出来まして。

 その最初の電車がやって来たときに『ひゃっはー、これで新しい時代に乗り遅れなくて済む』って浮かれすぎた挙げ句、線路にまで飛び出して跳ねられて昇天してしまいました」


 それは、気の毒にと言えば良いのか、もうちょっと自重しろよと言えば良いのか。


「現代でも似たようなコトをやらかす『鉄』は居るよね」


「時代は変わってもヒトマニアは変わらないというコトなのでしょう。恐ろしい話です」


 チラリと後ろを振り返ったら「一緒にしないで」とむくれた返事があった。


「アタシが興味あるのは食い物だけだから」


 言い切った後に「あと交尾」と付け足した。


「それはソレで問題だと思う」


 いずれにしても似たもの同士なんじゃないかな。あの子もまたボクを諦めるつもりはサラサラ無いらしい。今までにも増して十分注意するようにしよう。


「こうして並んで歩いて居るとデートしているみたいですねぇ」


 花子が照れながらそんなことを言った。ああそうだな。後ろから余分な付属品がくっついて来ているけれど、コレはそう言って差し支えない筈だ。


 しかしそうなると二人で一人のヒトであってヒトじゃ無いボクと、やはりヒトのふりをしているヒトじゃないナニかとの組み合わせというコトになるのだろうか。

 ある意味お似合いの組み合わせと言えば良いのか、それともアブノーマルなカップリングと言えば良いのか。


「手とかつないでみる?」


 そう言って右手を差し出したら目をまん丸にして驚いていた。


「嫌?」


「いいえとんでもありません滅相もナイ」


 裏返った声で即答されて左手に持っていたバスケットを慌てて右手に持ち替えて、何度も掌をスカートでぬぐった後に「よろしくお願いします」と、怖ず怖ずと差し出してきた。握った手は思いの他に小さくて温かかった。

「ひんやりして気持ちが良いです」と花子は言う。


 ああ、そういやボクは体温無かったんだっけ。屍体だもんな、と思うと同時にソレ自体も忘れていた事に思わず笑った。


「何かおかしなことを言ってしまいましたか」


「いや、風が気持ち良いと思って」


 後ろから「ズルイ」という恨めしげな声が聞えてきたが、聞えなかったことにする。


 そのまま遊歩道を歩んで堤防のある大きな河に出て、花子がお薦めですという場所で弁当を拡げた。風にそよぐ堤防の草むらが太陽の光を反射して、きらきらと新緑の波間を見せていた。

 そしてその向こうには本物の水の波間が見えるのだ。


 贅沢な風景だな、と思った。


 バスケット一杯に入っていたバゲットのサンドイッチはあっと言う間に無くなって(半分以上が二号ちゃんの胃袋に消えていったが)、ドライフルーツをふんだんに入れたお手製のパウンドケーキでお茶をした。


 どれも美味しくてボクはとても満足だったのだが、会話が弾んで先程食べ終わったサンドイッチの具材の話になったとき、愕然とする羽目になった。中に挟んであった燻製肉はトッピーくんのシッポだという。

 なんという衝撃の事実。問題のブツは当然全部ボクの胃袋に収まっていて、只今順調にこなれている真っ最中だ。


 よもやまさかココで吐き出す訳にもいくまい。美味しかったのは事実なのだし・・・・


 出来れば永遠に知らないままで居たかった。




 遠くから誰かが呼んでいたような気がして、わたしは振り返った。でも誰も居なかった。がらんとした校舎の中で、何故かポツンと一人廊下の真ん中に突っ立っている自分が居る。


 はて、わたしは何をやっているのだろう。


 何処に行こうとしていたのかな。


 学校に居て制服を着ているのだから就業中なのは間違いない。でも周囲に誰も居ないというのはどういうコトなのだろう。移動教室でソッチに向っている最中なのだろうか。でもだとしたらわたしは何処に向っているのだろう。

 軽く小首を捻って思い出そうとした。でも思い出せない。どういうことなのだろうと思った。


 誰かに会う約束をしたような気もするし、そうじゃなかったような気もする。


 また誰かが呼ぶ声がしたので、もう一度振り返った。遠くに居るせいか姿がボンヤリとしてよく見えなかった。でも声はさっきよりも近い所で聞えたのでちょっとだけほっとした。


「ゴメン、何だかわたし迷っていたみたい」


 謝らなくていいよ、と声は言った。男の子の声だった。見覚えのある顔なのに名前が思い出せなかった。でも不思議と安心感のある表情だ。そして唐突にピクニックに行こう、と誘われた。


「え、なに。今度の週末の話?」


 違うよ今からだ、と言われてちょっとだけ途方に暮れた。だって今は学校やってる真っ最中だし。もうすぐ次の授業が始まるし。


 関係無いよと言われてバスケットを手渡された。開けたら中にはバゲットのサンドイッチが詰まっている。なんという準備のよさ。ここまでされて断る手はない。


「そうね。たまには良いかな」


 そう言って笑ったら男の子も笑って、ぐいと手を引っ張られた。


 次に気が付くと、二人でよく晴れた川縁の堤防で仲良く並んで座って居た。綺麗な風景だ。でも何だか既視感があった。誰かと一緒に此処に座ってこの景色を眺めていたような気がする。そしてこうしてお弁当を食べていたような?


 遠い遠い昔の思いでだったろうか。それともただの記憶違いなのか。頭の奥がボンヤリしていてよく思い出せなかった。


 サンドイッチは美味しかったけれど、中に挟まっていた燻製肉が何だか妙に気になって、「何のお肉なの」と訊いたら男の子はただ苦笑いをしていた。


 食後に暖かいカフェオレをもらって飲むと、お腹がいっぱいになってちょっと眠くなってしまった。後ろにひっくり返って草むらの上に寝転がると、淡い水色の青空が見えた。視界の端にトンビが飛んでいる。

 目を瞑ると、すうと気が遠くなっていった。

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