第26話 魔法世界に逃げ帰ったわたし
*
――わたしの名前は里見……いえ、ミア・エクソダス。
父は魔人族で、母は故郷を追われたエルフだたっという。
母が追われていたからだからだろうか、他種族に偏見を持つヒト種族の領域で、ふたりがわたしを産んだのは。
でももう、それを知るすべはない。
なぜなら、ある日突然、霊峰ミュー山脈が大噴火を起こし、わたしたち家族は、全員死んでしまったからだ。
でも、わたしだけは生きていた。
たまたま区画整備で凍土を掘り起こしたとき、土中から仮死状態でわたしが発見されたというのだ。
わたしの上には折り重なるようにして、ふたつの、おそらく夫婦と思われるミイラ化した遺体があったそうだ。たぶん、父と母だと思われる。
両親の遺体を埋葬したあと、わたしは近隣のエクソダス村の孤児院へと引き取られた。
そこで初めて知った。わたしが記憶しているよりも、八年もの時間が過ぎていることに。
わたしが辛うじて覚えている最後の記憶は、父と母に抱かれ、迫りくる熱い風――火砕流から逃げるときのものだ。
混乱して、怖くて怖くて、父と母が叫んでいたのを記憶している。
そして闇。眼のまえが暗闇に閉ざされ、わたしはすべての感覚を失った。
でも、奇跡的に助かって、八年が経過していて、わたしがまっさきに思ったことは『逃げなくちゃ』というものだった。
ヒト種族の領域は他種族への弾圧が激しい。
見つかったら殺されるか奴隷として売り飛ばされてしまう。
父と母から口を酸っぱくして正体を隠すように言われていたのを覚えていたからだ。
でも、孤児院の神父様は安心するように言ってきた。
もうそういうのはなくなったんだよ、と。
なんとなんと。わたしが仮死状態だった八年の間に、ヒト種族を最高の種族とし、他種族を徹底的に排斥していた
だからいまは身体の回復に努めなさい、と神父様は言った。
でも、わたしの不安はそれだけではなかった。
なぜなら夜ごと、変な夢を見るようになったからだ。
「う、うう……」
冷たい闇……それがわたしを包み込んでいる。そしてどこからか声が聞こえる。
声……これは声なのだろうか。ヒトの話すことばではない。
唸り声のような、赤ん坊の鳴き声のような。
わたしはその声にすがった。この冷たい闇から開放されたくて、その声を受け入れた。
ドンッ、という大きな音がした。目が覚めた。
世界が揺れていた。地震だった。
それからも、ときどき奇妙な夢を見るたびに、わたしの周りで不思議なことが続いた。
突如として孤児院の裏の丘が崩れたり、中庭が陥没したり、孤児院のまえの通りが地割れを起こしたりした。
悪魔の仕業だ、と誰かが言った。みんな怯えていた。
だからわたしは言ったのだ。
「これはそんなに怖いものじゃないよ」と。
するとなぜかわたしが悪魔認定されてしまった。
みんなたあまりにもわたしに怯えるものだから、神父様も困り果ててしまって、一度形だけでいいので、王都のえらいヒトに悪魔祓い(のフリ)をしてもらうことになった。
神父様は何度も「すまんのう」と言っていた。
まあ自業自得だからしょうがない。
というか、この孤児院は
一月後、遠路はるばるやってきてくださったのは、元宮廷魔法師筆頭の、とんでもなくえらいヒトだった。
あまりの大物に、孤児院どころか、村中が沸き立った。
そしてその方は、わたしを一目見るなり言ったのだ。
「この子に
そのことばに、みんなは悲鳴をあげた。
たぶん歓喜の悲鳴だったと思う。
それからのことはよく覚えていない。
あれよあれよという間に、わたしは王都へと連れて行かれ、女王陛下と対面し、水、風、炎の精霊様と、立て続けに面会した。
「うん、おじいちゃんの言う通りだと思う」
「おもう……」
「だがちょっと待て、この娘、
炎の精霊様の指摘のとおり、わたしのお腹のなかには命の種がすでに芽吹いていた。
おそらくわたしが凍土のなかで仮死状態のときに。
誰の仕業なのかは必然、
「察するに、この娘は契約をさせられたのだ。生命を救う対価として、我が身を成せと」
「なにもむずかしいことはないよ。あなたは普通に恋をして、普通に誰かを愛せばいい」
「そうすれば、ふつうに産まれる……」
恋ってなに? ふつうってなに?
精霊様たちの言ってることはちんぷんかんぷんだった。
それは愛を知っているヒトたちのことばだ。
わたしを愛してくれていた両親はもういない。
どうやって愛を手に入れたらいいのだろう。
*
数年が過ぎ、わたしの身体は成熟した女性のものとなった。
そうすると周りの侍女たちがそわそわし始めた。
期待しているのだ。わたしがいつ精霊様を産むのだろうと。
この身体は精霊に選ばれた巫女であり、いずれ精霊を出産する玉体として丁重に扱われ続けた。
花婿候補の選定は難航した。
それはわたしの出自が関係していた。
魔人族の父と、エルフの母を持つわたしは、魔族種の有力者や、エルフの現・族長から、熱烈なラブコールを受けていた。
具体的にはお見合いである。
一族きっての英雄・豪傑を、ぜひ精霊の巫女の婿にと勧めてくるのだ。
それに加え、ヒト種族である女王陛下をはじめ、
でもわたしはそれらにまったくときめかなかった。
なにかがちがうのだ。それはわたしの頭やこころがビビッとこないのではなく、お腹の奥にキュンとこないのである。
たぶんわたしの見てくれだけを好きになってくれるヒトではダメなのだ。
わたしと、生まれてくる子どもも諸共に愛してくれる誰かでなければ。
わたしがあまりにも首を縦に振らなすぎたため、
これはいよいよ、精霊の巫女には特別な相手が必要だとして、異世界にまで婿候補選定の手をのばした。
そう、異世界だ。
その世界はヒト種族が単独で栄華を極める世界だという。
『地球』でならもしかしたら、わたしでも愛が得られるパートナーが見つかるかもしれない――
*
はじめて知った。
愛は得られるものではなく、自らが与えるものなのだと。
初めての地球。日本という国。
問題ない。精霊様の加護があるわたしは、容易に行く先々で言語を自然に理解することができる。
そして出会った。里見ユウイチさん。
わたしが結婚した里見ヨシミツさんの息子さん。
結婚なんて……! と当初反感を持ったわたしだったが、ユウイチさんのお写真を見てから彼に興味が湧いた。
それにどうせ地球で離婚しようが、
「わたし、ユウイチさんのおかーさんです!」
直接顔を見た瞬間、わたしは確信した。
彼だ。彼しかいない。
彼を見ているだけで、お腹のなかに
わたしの身体が急激に『女』から『母』のものに変貌していく。
そしてはじめての夜。
寝ている最中、急激に胸が苦しくなった。
胸の奥ではなく、おっぱいがパンパンに張っていく。
まさかこれは、母乳……!?
うそ、こんな急に!?
ど、どうしよう。
わたしはユウイチさんの方を振り返る。
ダメ、こんなこと、恥ずかしくて言えない。
でもどうすれば――
「ミアさん、どしたんですか、気分が悪いんですか!?」
あ――、もうダメだ。
ユウイチさんの顔を見たとたん、お乳が溢れて……。
それにこの気持ちも。
とまらない。
とめられない。
我慢なんてできない。
「ごめんなさい、なぜか急に、母乳があふれてしまって……」
「あ……う……あ……」
ああ、ユウイチさんが困ってる。
困ってる顔も愛おしい。
「切ないんです、なんだか気持ちが悶々としてしまって……」
わたしの顔は真っ赤になっているだろう。
薄暗いけど、ユウイチさんの顔も真っ赤になっていたと思う。
「ユウイチさん、こっちにきて……」
わたしはパジャマを脱いだ。
大切に守り続けてきた身体。
異性になど触れさせたことなどなかった。
でも、彼が手を繋いでくれたときから、ずっとこうしたいと思っていた。
「ユウイチ……」
彼を胸に抱きしめる。
その途端、全身に甘い痺れが駆け抜ける。
ああ、やっぱりこのヒトしかいない。
そしてこれがヒトを愛するこころ。
愛の意志力。
わたしはやっと手にれた。
こころから愛せるヒト。
わたしの夫になってくれるヒトを。
*
最初は恥ずかしがって、あまり相手にしてくれなかったユウイチさんだけど、でも毎晩おっぱいを吸ってくれるようになってから、少しずつこころを開いてくれた。
わたしはそれが嬉しくて嬉しくて、ユウイチさんに夢中になっていった。
――つわりがやってきた。
月のものも遅れている。
わかっている。
お腹の中に精霊様が――赤ちゃんがいるからだ。
わたしがユウイチさんに抱く愛情。
そしてユウイチさんがわたしに向けてくれる愛情。
そのふたつの『愛の意志力』が、生命の芽を、赤ちゃんへと急成長させていた。
ここでわたしは冷静になった。
いつまでもこの事実をユウイチさんに隠してはおけないと。
そして怖くなった。
これからどんどんお腹が大きくなっていくわたしを見て、ユウイチさんはそれでもわたしのことを愛してくれるだろうかと。
「聞きたくありません」
冷たく放たれたことば。わたしのこころはあっさりと砕け散った。
そうですよね、自分のじゃない子どもを宿した女なんて、嫌ですよね、話も聞きたくないですよね。
ああ、ユウイチさんがこの子の父親になってくれたら、どれだけ幸せなことだろう。
「ユウイチさん……」
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