第18話 彼の変化ととある恋の終焉
* * *
夏休みがおわった。
「おいおい、ユウイチ、おまえこれ……」
「ま、しょうがないな。全然勉強してなかったし」
廊下の掲示板に張り出された夏休み明け一発目の実力テスト。
オレの順位は三位だった。
ざわざわざわっと、いつも以上に生徒たちがざわついている。
原因はやっぱりオレだろう。
不動の一位だったオレがその座を退いたのだから当然だ。
夏休みまえのテストでは辛うじて一位だったが、あの頃からもうヤバいという自覚はあった。
「おまえ、どうしちまったんだよ?」
「うん、いろいろ勉強以外のことにも目を向け始めたってことだな」
成績が下がった。由々しき事態だ。
だが、以前ほど焦りはない。
逆にオレは晴れやかな気持ちだった。
少しまえ……夏休みまえのオレなら、気が狂わんばかりに悔しがっただろうが、いまはまったく普通でいられる。
「かー、やっぱ女を知ったからか」
「人聞きの悪いことを言うな」
「でも事実だろう?」
「む。まあ、な」
コウタはミアさんを知っている。
ミアさんと叔母さんとの関係が良好になって、期末テストが終わってから、改めてコウタにミアさんを紹介した。
そのときの彼の唖然となった顔が忘れられない。
「でも、いまのおまえのほうがずっといいとオレは思うぜ」
「そっか……」
まだまだ暑い季節だ。
エアコンのない廊下は、ひしめき合う生徒たちの熱気でかなりの暑さになっている。
オレたちはなにか飲み物でも買おうと売店のほうへと歩きだした。
*
「里見くん……」
生徒たちの影から、ユウイチを見つめる一人の女子生徒。
皆本シズカだった。
掲示板に張り出された成績上位者一覧。
一位の座に里見ユウイチの名前はなかった。
少なからずシズカのほうがショックを受けていた。
「シズカ」
後ろから肩を叩かれる。
「カナコにタマちゃん……」
シズカの背後にいたのは、同じ一年の花澤カナコと本庄タマエだった。
夏休みまえまではまったく面識……というか友達でもなんでもなかった。
だが、三人にはとある共通点があった。
「里見くん、もう一位を取るのはやめたのね」
「それでも三位なんてすごいよねえ」
ちなみにカナコは十位、タマエは十四位だった。
「うん……やっぱり彼は……」
思い詰めた顔をするシズカだったが、彼女自身も今回は三十位の成績だった。
一学期末テストでは張り出し圏外だったのに、飛躍的に成績を伸ばしている。
それもそのはず、この三人は駅前の進学塾に通っていた。
さらには三人とも、一学期のうちにユウイチに告白をし、それぞれ勘違いから、ユウイチと交際するために成績を短期間で上げたという経緯があった。
つまり、彼女たちはライバル同士であり、同好の士でもあるのだった。
「何かが彼を変えたんでしょうね」
「うん、でもいまの里見くんのほうがいい顔してるね」
カナコとタマエは、コウタとともに歩き去っていくユウイチの背中を見送っている。
他愛もない話をしているのだろう、ユウイチは笑っていた。
その笑顔は夏休みまえまでにはなかったものだ。
自分たち三人ではない、別の誰かが彼を良い風に変えてくれたのだ。
「しかし、本当に存在するんでしょうね、そのミアさんってヒトは」
「は? 何を突然言い出すのよ」
腕を組みながら首を傾げるカナコを、シズカは横目で睨んだ。
「そのミアさんってヒトは現実に存在するのかってことを、カナちゃんはいってるんだと思われます」
ふざけた仕草で敬礼などするタマエが補足する。
シズカは深々とため息を付きながら言った。
「存在するわよ。わたしはこの目で見たんだから」
「褐色肌で、エルフ耳で、目が青くて、銀髪で、ムッチムチのバインバイン?」
「ねえ、すごすぎるよねえ。そんなヒトがいたら、わたしたち三人が束になっても勝てっこないねえ」
「…………」
シズカはユウイチがミアといるところを、このなかで唯一目撃している。
その後、ふたたび会う機会にはめぐまれなかったが、ユウイチの傍らに彼女の存在があるとすれば、彼が変わってしまった原因などそれしかないだろう。
「まあでも、わたしはそれでも感謝してるけどね、彼に」
「え?」
カナコのことばに、シズカが顔をあげる。
「そうだね、わたしも……たとえ勘違いからでも、不純な動機からでも、成績があがったことは事実だし」
タマエも追従する。シズカはまだ、ふたりのようには割り切れていない。
自分たちの知らないところで、知らない女に、いつの間にか変えられてしまった彼。
しかも自分たちが好きになったときよりも、ずっとずっと魅力的な男の子になってしまっている。
「そういえば里見くん、夏休み明け早々、また告られたらしいよ」
「――ッ!?」
カナコからの情報にシズカはビクっと反応する。
「それでそれで?」
「無事撃沈したらしいね」
「ま、そうだよねー」
シズカはあからさまにホッとした表情をする。
そんなわけないと思いつつも、乙女心は気が気ではなかった。
「……なに?」
いつの間にか、カナコとタマエがシズカを見ていた。
おちゃらけた雰囲気などない、真剣そのものの表情だった。
「やっぱり、あんたはまだ未練あるんだね」
衝撃の発言だった。だから問わずにはいられなかった。
「カナコやタマちゃんは……?」
もう、彼のことは好きじゃないの?
「うん、わたしはもうないかな」
「わたしも、そうだね」
ガーン、とシズカはショックを受けた。
それではもはや、同好の士とは呼べないではないか。
「だってねえ、あの里見くんを変えちゃうようなヒトがいるんだったら、素直に応援したいっていうか」
「わたしたちは彼のとなりに立つためにがんばってたけど、でも、もうそんな必要もないみたいだし」
ふたりの言い分はわかる。でもシズカはそこまできっぱりと未練を断ち切ることはできなかった。
「……わたし、もう一度里見くんに告白する」
「ええッ!」
「本気!?」
シズカは決意に満ちた顔でコクリと頷くのだった。
*
奇しくも同じ時間。同じ場所。
放課後、一ヶ月半前と同じ場所にシズカは来ていた。
呼び出しは阿久津コウタを通じてお願いをした。
カナコとタマエもがんばれ、と送り出してくれた。
自分は努力している。
成績だってあがったし、女の子として可愛くなるためのに色々している。
変わったのは里見くんだけじゃない。わたしだって、とシズカは思っていた。
実際、目のまえにユウイチがくるまでは。
「お待たせ」
――誰? とシズカは思った。
一瞬別人に見えた。
でもよく見れば里見ユウイチだった。
「まだまだ暑いね。ここじゃなくてどこか涼しいところにいかない?」
顔を赤くしているであろう、自分のことを気遣ってくれている。
やっぱりちがう。夏休みまえとはなにもかもが。
「す――すぐ済むから、ここでいいよ」
なんとかことばを絞り出せた。
喉がカラカラだ。
初めて告白したときよりもずっと緊張している。
スーハー、と深呼吸をしてからシズカは口を開いた。
「わ、わたしね、成績、あがったの」
「あ、そうだよね。順位表に名前が載ってたからびっくりしたよ」
「これも里見くんのおかげだね」
「なんでなんで、皆本さんが努力したからでしょ。オレなんか順位落ちちゃったし」
「でも、里見くんは気にしてるふうには見えないね」
「うん、勉強はこれからもがんばるつもりだけど、でも、それよりもっと大切なことがあるってわかったからね」
――それが、あのヒトなんだね。
そう言いかけたシズカだったが、すんでのところでことばを飲んだ。
「えっとね、今日はそれだけ。一応、きっかけをくれた里見くんにお礼をと思いまして」
「そっか。じゃあこれからもお互いがんばろう」
スッとユウイチが手を差しだしてくる。
シズカはそっと、その手を握り返した。
ユウイチが微笑む。
夏の日差しに負けないくらい、眩しい笑顔だった。
「それじゃ」
「うん、ばいばい」
立ち去っていく背中。一瞬のばしかけた手を、シズカは力なくおろした。
「はあ……」
言えない。言えやしない。
いまさら好きだなんて。
そんなことば、もう彼には届かない。
「おつかれ」
「がんばったねえ」
「見てたのッ!?」
どこからともなく、カナコとタマエが現れた。
驚きつつも、どうせそうだろうな、とも思っていたのだが。
「ありゃあ無理だわ。あの笑顔でやられた」
「ねえ、いまさら言えないよねえ。ホントいやになっちゃう」
「ち、ちがうのよ、喉までは出かかっていたんだけど、なんかちがうなーって思って、それで、お互いの健闘を称え合うほうにシフトして――うぅ」
言い訳を口にしていて泣けてきた。
自分の意気地なし。
でも、もともと振られることはわかっていて、そのために二度目の告白をしようとしたのだった。
「いいよいいよ、戦場に立っただけでも立派だって」
「わたしたちなんてその勇気すらないんだから。シズカはいい女だよ」
「うわーん……、里見くんとられちゃったー」
熱気が渦巻く校舎裏で、三人の少女たちはヒッシと抱き合う。
「あー、ダメだ、なんかもらい泣き……」
「わたしもー、やっぱり里見くん好きぃ」
「やめてー、あんたたちまで泣かないでぇ、また泣けてくるからぁ」
――うわーん!
少女たちの恋が終わりを告げた。
*
「はッ、はッ、はッ!」
走る。ひた走る。
駅を降り、頼まれていた買い物を速攻で終わらせ、オレは住宅街を駆け抜ける。
夏休みまえは無機質だった帰り道。
でもいまはちがう。
すべてが色づいてさえ見える。
オレは変わった。自分でもそう思う。
以前よりも明るくなった。
勉強のことでカリカリしなくなった。
ヒトに優しくできるようになった。
色々なことが見えるようになった。
「はッ、はッ、はああッ……」
呼吸を落ち着けてから、我が家のドアを開く。
「――ただいま、ミアさん!」
「おかえりなさいユウイチさん!」
靴を脱ぎ捨てて、ミアさんの胸へと飛び込む。
「ああ」
帰ってきた。ここがオレの居場所だ。
「外は暑かったでしょう。冷たい麦茶を淹れますからね」
「うん」
「……あの、離しくれないと用意できないんですけど」
「ごめん。もうちょっとこのままで」
「もう、しょうのない子ですね」
いい匂い。甘やかな匂い。ミアさんの匂い。
落ち着く。安心する。こころが凪いでいく。
「ミアさん」
「なんですかユウイチさん」
ミアさんの手が、やさしくオレの頭を撫でてくれる。
温かい手。お母さんの手だ。
まさか自分がこんなふうになってしまうだなんて。
「さ、ユウイチさん、脱衣所で手を洗ってきてください」
「うん、わかった」
「もう、わかってないです。全然離してくれないじゃないですか」
「ふふふ、ごめんね」
ミアさんは、オレのお母さんだった。
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