第17話 家族の食卓
*
「ちくしょうっ、ちくしょうっ!」
里見メイベルは苛立ちとともにペンを走らせる。
「わたしにはユウイチしかいないのに……まさかあんな女が現れるなんて。どこまで……どこまで足を引っ張るのよ!」
里見家の男はみんな女好き。
彼女の故郷では有名な話だった。
田舎の偏見はすさまじく、父や兄の奔放な女遊びのせいで、そしてメイベル自身も妾の子だったため、大変な苦労をしてきた。
そんな彼女のこころの拠り所は、幼いユウイチだけだった。
ユウイチの母親が蒸発したとき、彼女はまだ高校生だった。
とても彼女の経済力だけではユウイチを育てられなかった。
だが、実家に預けてしまっては、ユウイチに自分と同じ苦労をさせてしまう。
メイベルは一大決心をした。自分がユウイチを育てていくと。
「あああッ、でも、でも……筆が乗る! これが、これが寝取られの感覚なの!?」
メイベルは絵が得意だった。それもちょっと変わった志向の絵を描くのが好きだった。
田舎においては後ろ指をさされ、家族からも理解が得られないたぐいの趣味だった。
でも、ユウイチを育てていくためには、それをプロレベルにまで昇華する必要があった。
「の、脳が破壊される! あの女、あのおっぱいでユウイチを夜な夜な誘惑してるんだ! ユウイチの母親も巨乳だったし……わたしのママもそうだったし……それに比べてわたしは……ちくしょう、ちくしょう!」
大きな液タブにペンを走らせる。
ラフの段階ですでに高いクオリティ。
メイベルは漫画家だった。
それもエッチなたぐいの。
しかもちょっと特殊な性癖の。
「こんなの描きたくないのに、描かずにはいられない……! うあああ!」
濃い色のトーンを選択する。
画面のなかでは幼い少年……いわゆるショタっ子が、褐色バインバインのお姉さんに、甘やかにささやかれながら、責められる様子が描かれている。
里見メイベルはこの作風で成功を果たしていた。まんま彼女の趣味だった。
「ひ、ひひひ、こんなの絶対ユウイチには見せられない。見られたら終わる。でもそのスリルもたまらない!」
彼女はユウイチを家族として愛していた。
でも、この趣味と実益を兼ねた仕事だけは知られるわけにはいなかい。
知られたら絶対に嫌われる。軽蔑される。
でも、それで稼いだお金でユウイチを養っているという事実がまた、彼女のツボにどうしようもなく刺さるのだ。
「ああ……あっというまに三二ページのラフができてしまった。自分の才能がおそろしい」
カチカチ、シュボ、っと咥えたタバコに火をつける。
胸いっぱいに吸い込んでから吐き出す。
はー、と煙がなくなってからも息を吐きだす。
「わたしは腐ってる……でも世界はまわってる」
意味不明だった。
でもなんとなく名言ぽいことばを吐いておきたかった。
ただそれだけ……。
「なにをおっしゃっているんでしょうか?」
「ヒッ――」
ありえない第三者の声にメイベルは戦慄した。
ガダン、と立ち上がろうとするも、その肩を抑えられる。
「あら、これは……まあまあ」
「な、なんであんたがここにっ……!」
ここはユウイチの住む
メイベルの創作スタジオ兼自宅である。
静寂荘とはちがい、オートロック付きで、玄関モニターまで完備されている。
家主の許可なく侵入することなど絶対に不可能。
ユウイチには住所こそ教えてはいるが、ここには来ないように厳命している。
万が一にも彼女の仕事を知られるわけにはいかないからだ。
その秘密は長年守られてきた……はずだった。
(よりにもよって一番バレたくない女にバレたー!)
メイベルの背後にいたのはミアだった。
一体どこから。というか不法侵入。
鍵はかけていたはずなのに、なぜここにいるのか。
問いただしたいことは山ほどあったが、秘密を知られたという事実から、メイベルは完全にフリーズしていた。
「これ、地球の『まんが』というやつですか」
ビクっとメイベルは震えた。
異世界人故の無知さでどうにか誤魔化せないか、という望みは絶たれた。
「しかもこの絵のモデルは……わたし?」
ビクビクッ! 震えが止まらない。
肩に置かれたミアの手を通して伝わってしまう。
「こちらの小さい子は……まさかユウイチさん、とか」
ビビクンッ、ビクンビクンッ! 全部ゲロしていた。
「うわあ……」
引かれた。終わった。
きっとこの女は、鬼の首を取ったように、自分のことを責め立てるだろう。
そしてこの事実を嬉々としてユウイチにしゃべるはずだ。
そうなれば、長年厳格な叔母を演じてきた自分のイメージが崩れ去る。
ユウイチに嫌われることは、メイベルにとってこの世の終わりと同義だった。
「あ、あの、あのあのあの……!」
「すばらしいッ! これぞまさしく芸術ですね!」
「へ?」
「地球は芸術の分野が
え、うそ……この子マジで言ってる? 冗談言ってからかってる?
ヒトを疑って見ることが常になっているメイベルは、マジマジとミアの蒼い瞳を見つめた。
(あ、マジだこれ)
曇りなき眼だった。
嘘を口にしているとは思えない、とてもキラキラした目だった。
「あ、もしかしてこちらの分厚い書物はメイベルさんが……?」
「え、あ、そうそう、単行本。わたしの」
「す、すごい! あの、見てもよろしいですか?」
「しょ、しょうがないわね、特別よ」
「わああ、ありがとうございます! うわあ、うわあ、うわわわあ!」
ミアは最近
開いて扉絵を見ただけで感嘆の声をあげ、口元を抑えながら目尻に涙さえ浮かべている。
(な、なんか知らんけど、助かった……?)
一時はどうなることかと思ったが、このリアクションなら安心か……?
そう思われた矢先だった。
「まさかユウイチさんのご家族に、これほどの芸術家がいたなんて、わたし感激です。ユウイチさんも仰ってくださればよかったのに」
(ヒィィィ!)
全然ヤバかった。バレる可能性100%だった。
「あ、あのさあ!」
「はい? なんですか?」
ミアはクリっと小首をかしげながら、キョトンとした顔をする。
(うっ……!)
狙ってやってないんだとしたら相当なものね、とメイベルは思った。
「ユウイチには、黙ってて……!」
絞り出すような声だった。
こんな女に頼みごとをするのはイヤだったが、背に腹は代えられない。
「はい? え、まさか、ユウイチさんは知らないんですか? 自分の叔母さんが芸術家ってことを……!?」
コクリと、メイベルは頷いた。
ミアは穴が空くほどマジマジと見つめてくる。
無垢な瞳だった。汚れて腐りきったメイベルには眩しすぎた。
「はッ――もしや、そういうことなんですね!?」
突然ミアが大声をあげる。なにがどういうことなのかメイベルは気が気でなかった。
「ユウイチさんに対しては芸術家メイベルとしてではなく、家族として、叔母として接してやりたいと。だからあえて己の職業や身分を隠しているんですね!」
(うおおおおっ、この子マジぃ……!?)
なんて都合のいい解釈を。
だがメイベルは全力でそれに乗っかることにした。
「あ、あの子には普通の生活をしてほしいのよ。なんの苦労もなく伸び伸びとね。だ、だからわたしはあの子の叔母。それ以上でも以下でもないの。わかるでしょ?」
「わかります!」
ガシっと、ミアがメイベルの手を握ってきた。
柔らかく、しなやかで、それでいて熱い手だった。
「芸術家としての苦労を微塵も見せず、ユウイチさんのまえではただの家族として……ご立派です! わたし、絶対にユウイチさんには秘密にいたします!」
(た、助かった……)
メイベルは安堵のあまり失禁しそうだった。
それくらいホッとしたのだった。
「で、あんた結局何しに来たの?」
「はて……なんでしたっけ? なにかとてつもなく重要なことがあったような。でもこの素晴らしい芸術作品を見ていたら、どうでもよくなっちゃいました」
「ふっ、なによそれ」
ていうか不法侵入なんだけど……まあいいか、とメイベルは思った。
「あー、安心したらなんかお腹空いてきた……」
「あ、それならちょうど、今晩はうち、カレーなんですけど」
「え、カレー?」
そういえば、あの部屋にはカレーの匂いが漂っていたか。
「らっきょうと福神漬けもあります。デザートはリンゴです」
「う。しょうがないわね」
メイベルはよっこいせ、と椅子から立ち上がる。
普段は重すぎる腰は、妙に軽やかに感じられた。
*
(なにが一体、どうなってるんだ?)
オレは信じられない光景を目の当たりにしていた。
「ふうん。まあまあね。初めて作ったにしては上出来じゃない?」
「わあ、ありがとうございます、メイベルさん」
叔母さんを取りなしに行ってくれたミアさんだったが、まさかまさか。
叔母さんと一緒に帰ってきたときには、オレもかなり驚いたものだが、さらにこれは――
(なんか……仲良くなってる?)
気のせいなんかじゃない。あの気難しい叔母さんが、ほとんど初対面のミアさんに、気を許している!?
衝撃のできごとだった。
任せて、なんてミアさんは言ってくれたけど、どうせ上手くいきっこないと思っていた。
それなのにまさか、叔母さんを本当に説得してしまうだなんて。
「ユウイチ、なにボーッとしてるの。ちゃんと食べなさい。作ってくれたミアさんに失礼でしょ」
「は、はい、ごめんなさい」
「いいんですよユウイチさん。ご自分のペースで食べてくだされば」
「ちょっとユウイチを甘やかさないでちょうだい。この子はいつも気もそぞろで……」
「ユウイチさんはマルチタスクなんです。つねに色々なことの一手先を考えてくれてるんです」
「あんたはすぐそうやって甘やかす!」
「メイベルさんはガミガミ言い過ぎなんです!」
「あわわわわっ!」
やっぱり仲良くなんてなってない?
でも叔母さん、どことなく楽しそうなような……。
「ユウイチさん、あとで一緒にお風呂に入りましょうね」
「ブーッ!」
「ブハッ!」
オレと叔母さんはカレーを吹いた。
ミアさんは「あらあらまあまあ」などと言いながら台拭きで掃除する。
「な、なななな、何を言ってるんですかミアさん!」
「あんたー、やっぱりユウイチを手籠めにしようと!?」
「なにをおっしゃってるんですか。息子と一緒にお風呂に入るなんて当たり前のことでしょう。ね、ユウイチさん」
「いや、オレに聞かれても……」
「ユウイチさんはわたしと一緒にお風呂に入っても、イヤらしい気持ちにはなりませんよね?」
「そ、それは――」
「無理に決まってるでしょ! ユウイチだって男なのよ!」
「まあ、そうなんですかユウイチさん?」
そんな無垢な瞳で聞かないでくれ。
オレはノーコメントをつらぬいた。
「まあ、それならそれでわたしは別に――」
「ダメよッ! 自重しなさい!」
「えー、じゃあメイベルさん、一緒に入ります?」
「う、まあ、それなら……」
「うふ、隅々まで洗ってあげますね」
なんかすごいぞミアさん。叔母さんを手玉に取ってる。
その日の夕食は、とてもにぎやかなものだった。
こんなに楽しい食事は初めてだった。
ミアさんとも叔母さんとも、ちゃんと家族なれた気がしたのだった。
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