第20話 父親の帰還と息子の嫉妬
*
「いやあ、やっぱり我が家はいいねえ……!」
いままで一度だって帰ってきたことがなかったくせに、何を言ってるんだ……とオレはこころのなかで悪態をついた。
オレの父親――里見ヨシミツが帰ってきた。
そしてオレとミアさんの部屋のなかにいる。
いや、わかっている。
もともとこの部屋はオレと父親が住む部屋だった(親父は一度も帰ってきたことがなかったけど)。
だからミアさんのほうがお客様……という言い方もできるのだ。
「ユウイチは何年ぶりだっけ? この間見たときはまだこれくらいの大きさだったのになあ」
親父は、手のひらを自分の額のあたりでヒラヒラとさせる。
その時分からいままでずっと放っておいたくせに。
数年ぶりに再会した親父は、あいも変わらずの軽薄さだった。
異世界での肉体労働のおかげなのか、多少身体は引き締まり、日焼けして黒々とはしているものの、言動も所作も、なにもかもが軽い男だった。
「でもな、父さん、ようやく運気が巡ってきてな。成功して帰ってくることができたんだ」
グビグビっと、麦茶を飲み干してから、誇らしげに胸を張る。
つまり、いままでは失敗続きで、合わせる顔がなかったということか。
「苦労をかけたなユウイチ。これからはラクさせてやれるぞ。ははは」
「…………」
正直、いまのオレからすれば、親父の存在は邪魔でしかない。
オレとミアさんだけの生活に入ってこないでくれ、という気分だった。
「ただいま戻りました」
「あ、おかえりなさ――」
「いやあ、おかえりなさい、ミアさん!」
意外と俊敏な動きで、親父が玄関へ向かう。
帰ってきたのはミアさんだ。
その手には近所の酒屋のビニール袋を持っている。
「悪かったですね、おつかいなんかさせて」
「いいえ、わたしの方こそ、お迎えの準備ができていませんで」
「オレが勝手に帰ってきただけですので、仕方ないですよ、ははは」
ミアさんが買ってきたのは缶ビールである。
我が家で飲酒をするのは親父だけだ。
叔母さんはヘビースモーカーなだけでお酒は飲まない。
というわけで買い置きなどないため、急遽ミアさんが買い出しに行ってくれいてたのだ。
「いやあ、気の利かない息子ですよ。女性に買い物なんかさせて」
「いいえ、親子ですもの。わたしがいてはできないお話もあるでしょうし」
「そんなたいした話はしていませんけどねえ、ははは」
もちろん、残暑きびしいこの季節に、ミアさんに買い出しに行かせるというのは、オレとしても心苦しかったが、この狭い部屋でミアさんと父親をふたりきりにしたくなかったのだ。
「てきとうにくつろいでいてください。お夕飯の支度をしますので」
「いやあ、たのしみですなあ。ミアさんはどんな料理を作ってくれるのか」
「まだまだ覚えたてではありますけど、精一杯作りますね」
やめてくれ。ミアさん、そんな男に笑いかけないでくれ。
親父が帰ってきただけで、オレの気持ちはグチャグチャになっていた。
親父とミアさんが会話しているだけで無性にイライラしてしまう。
ミアさんがオレに見せるのと同じ笑顔を、親父に向けるだけでむかっ腹が立つのだ。
「おいユウイチ」
「なに?」
親父はビールをグラスに注ぎながら、声を落とした。
「すげーなミアさん、エロい身体してるなあ」
――ムカッ! オレの人生で初めてヒトを殴りたいと思った。
「……やめろよ、そういうこと言うのは」
「ばかやろー、あのムチムチの身体見てこういうこと言わないのはな、逆に失礼ってもんだ」
「セクハラで訴えられるぞ」
「そんなわけあるか。オレの嫁だぞ」
ズキン、と今度は胸が痛んだ。
そうだ、ミアさんはオレの母親だ。
つまり親父の奥さん、ということになる。
そんなの当たり前だ。当たり前のことなのに……。
「いやしかし、
親父は居住まいを直し、ミアさんの後ろ姿に対して正対した。
グラスに注いだビールがみるみる減っていく。
こいつ、ミアさんを肴に飲んでやがる。
「やいユウイチ」
やい? オレは嫌な顔を隠そうともせず、「なんだよ」と応えた。
「おっぱいくらい触ったのか?」
「ぶッ!」
ゲホゲホ、とむせる。
この野郎、よりにもよってなんてことを聞きやがる!
「……そ、そんなことできるか、ミアさんはオレの母親だぞ」
「おまえ、それ本気で言ってるのか?」
親父はギョッとした顔でオレを見た。
なにを言ってる。それは紛うことなき事実だろうが。
「どう見てもミアさんのほうは……いや、なんでもない」
「なんだよ、はっきり言えよ」
「いやあ、一方通行はよくないと思ってな。おまえも大きくなったし、自分で気づくことも必要だ」
本当に腹の立つ男だな、我が父親ながら。
いままで教育らしい教育なんてひとつもしてこなかったくせに、急にそんな説教じみたことをいいやがって……!
「いやあ、しかしたまらんな。あの尻のデカさは――」
ガチャン、と、オレは親父の目の前のビール缶をわざと倒した。
「うわっ、なにするんだよ!」
抗議の声なんて聞いてやらない。完全にスルーした。
「まあまあ、どうされましたか?」
「すみませんミアさん、なにか拭くものを」
「まあ大変、ビチャビチャじゃないですか」
「ははは、お恥ずかしい」
「とりあえずこれで――」
ミアさんはテーブルの上の台ふきんで、親父にかかったビールを拭き取り始めた。
「おっほ! そ、そこはミアさん!?」
「すみません、でもきちんと拭かないとシミになっちゃいますので」
「おほほー!」
ミアさんは親父の股間部分を熱心に拭いている。
オレはその光景を横で見ながら、腸が煮えくり返る思いだった。
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