第30話 ほんとうの初夜

 *


「というわけなんです……」


「うそ……あのメイド長が?」


 ベッドの中、横になり、目と目を合わせ、鼻先がくっつくほどの距離で語り合う。


 ミアさんは蒼色の瞳を丸くしながら、驚きの表情を隠そうともしない。


「わたし、てっきりあのヒトには嫌われているのかと……」


「そうなんですか?」


「ええ、いつもだらしないって怒られてて……」


「ミアさんってだらしないんですか?」


「ギクっ!」


 ミアさんはしまった、という顔をした。

 目がクルクルと踊り、表情がコロコロと変わる。

 そんな様も、たまらなく愛おしい。


「ち、ちがうんです、こちらにいると、することがなくて。食事の準備とか、掃除とか、お洗濯とか、全部メイドさんがしてくれるし、暇を持て余すしかなくて――」


 オレはミアさんの表情の変化が楽しくて、マジマジと見つめていたのだが、それをどう思ったのか、ミアさんは「うー」と唸り、涙目になった。


「ちょ、どうしたんですかミアさん!?」


「だって、ユウイチさん、わたしのこと呆れてる……きらいですよね、だらしのない女なんて」


「いやいや、ミアさんがだらしないなんて思わないですよ。実際うちに来てくれたときは、料理から掃除、洗濯まで全部してくれてたじゃないですか!」


 オレはミアさんの手をギュッと握りしめる。

 細くてすべすべの手だ。男の手とは何もかもがちがう。


 この手で料理を作ってくれて、取り込んだ洗濯物をたたみ、雑巾がけをしてくれていたのだ。


 こんなに繊細な指先で、それらの仕事をしてくれていたことに、改めて感動する。


「ミアさんは必要に迫られれば、きちんとできるヒトなんです。ここの環境ではその必要がないってだけで。オレはミアさんがちゃんとしてるヒトだってわかってますから」


「ユウイチさん……」


 蒼色の瞳がうるうるになっている。

 褐色の頬がほんのりと朱色に染まる。

 うわあ、なんてキレイなヒトなんだ。


 そんなヒトが、なによりオレに嫌われたくないと、先ほどまで表情を曇らせていたのだ。


 ヤバい……。

 楓さんやケイトさんに、自分の気持ちを確かめてくるなんて言ったけど、そんなことするまでもなかった。


 オレは、ミアさんが好きだ。

 母親としてではなく、ひとりの女性として大好きすぎるんだ。


「ミアさん」


「ユウイチさん?」


 オレは起きあがり、ベッドの上で正座した。

 それにつられてミアさんも正座する。


 正座、というより彼女はあれだ、アヒル座りだ。

 微妙に脚を崩した感じがキュートだ。


 しかもいまは真っ白いワンピースのような、ネグリジェみたいな服を着ているので、ふとももが半ばくらいまで顕になっている。


 自然と視線が吸い寄せられそうになるのを、オレはグッとこらえた。


「ミアさん、オレ、ミアさんに会いたくて異世界に来ました」


「は、はい、それは、ありがとうございます。わたしこそ、ごめんなさい。勝手に帰っちゃって」


「それは、オレのせいです。ミアさんは説明しようとしてくれたのに、聞きたくないなんて言って」


「いえ、それは当然のことです。お腹にいる赤ちゃんがことを、ずっと黙っていましたので……」


 ミアさんがしょんぼりとする。

 赤ちゃんがいる。ことばにすれば簡単だけど、とても重いことばだ。


 なにせまだ見ぬ大切な生命が、ミアさんのなかに宿っているということなのだから。


「ミアさん」


「は、はい」


「いまから言うことは、オレの正直な気持ちです。聞いてください」


「はい……」


 熱をあげるオレとは裏腹に、ミアさんの表情は曇っていく。


「ミアさんは最初、オレの親父の奥さんとして地球にきてくれました。つまり、オレとの関係は母親と息子だった」


「そ、それは……」


「うん、大丈夫。なんとなくわかります」


 ミアさんは、オレの母親になることで、やがて産まれてくる赤ちゃんを育てたときの予行練習をしていたのだ。


 それに対しての不満はない。

 彼女から注がれる愛情は間違いなく本物だったから。


「オレは、その……子供の頃、母親が出て行っちゃったから、ミアさんのことを母親代わりにしていたんだと思います」


 ミアさんもオレを。

 オレもミアさんを。


 まだいない、あるいはもういなくなった誰かの代わりにしていた。

 お互い様だ。


「でも、いまはちがいます。オレはもう、あなたを母親とは思っていません」


「そんな……!」


 ミアさんの表情が凍りついた。

 赤らんでいた顔が、一瞬で真っ青になる。

 顔色を失うってこういうことなのか、というお手本のようだった。


「ううう……」


 ジワっと、ミアさんの目尻に涙が浮かぶ。

 それを見て、オレは慌てた。


 しまった、でも物事には順番が。

 ええい、もういいや、言ってしまえ。


「ちが、ちがうんです、そういう意味じゃなくて! 母親とは思ってませんが、ミアさんのことはひとりの女性として見ているんです、いまは!」


 ミアさんが弾かれたように顔をあげる。

 溜まっていた涙がひとしずく、糸の切れたタコのように、あさってに飛んでいった。


「え、あの、それって、え? どういうこと……?」


 あああ。ミアさんの思考能力が幼子並みに。

 言うしかない。ハッキリと。

 緊張する。でも、ええいままよ。


「ミアさんのこと、愛してます。お腹の子の父親には、オレがなります」


「…………」


「…………」


「……………………」


「……………………」


「………………………………」


「………………………………」


 あれ? なにか間違ったかなオレ。

 ちゃんとストレートに言ったつもりなんだけど、まだまわりくどかったか?

 いや、でもこれ以上どう伝えたら――


「――〜〜〜〜〜ッッッ!?」


 おお、時間差で伝わったようだ。

 ミアさんは声にならない悲鳴をあげて、真っ青だった顔が一瞬で真っ赤になった。

 そんな急激に血圧変化して、お腹の子に障らないだろうか。


「そ、そそそ、そんな、急に、そんな……!」


 ミアさんはテイクオフでもするように、パタパタと激しく両手を羽ばたかせながら、キョロキョロと首を動かしている。


 こういうテンパってる姿も実に可愛らしい。


「たしかに急です。オレはまだ学生で、仕事もしてないし、経済面では正直、あなたを支えられません。でも――」


「――ッ!?」


 バタバタしていたミアさんの両手を握りしめる。

 逃さないというように、ガッチリとホールドする。


「これからオレ、もっともっとがんばります。あなたと産まれてくる子どもを支えられる男に必ずなります。だから、オレと結婚してください。オレの家族になってくださいッ!」


 興奮しすぎて鼻血が出そうだ。

 自分でも両目が血走ってヤバいことになっている自覚があった。


 ミアさんはポカン、と口をあけた。

 ぷるん、とした唇が、わなないている。

 その唇がキュッと真横に引かれて、ゆっくりとことばが紡がれた。


「は、い……、お腹の子ともども、末永く、お願いします……」


 限界だった。

 我慢できなかった。


 押し倒すような勢いでキスをする。

 ミアさんもオレの首に両手を回し、受け入れてくれた。


「ミアさん、ミアさん……好きだ、愛してる!」


「ユウイチさん、わたしも、ひと目見たときから大好きだったのぉ……!」


 その日、オレたちは夜が明けるまで、ずっとずっと抱き合い、キスをした。

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