第21話 寝不足と衝撃の事実
*
親父が帰ってきて一週間が経った。
途中、なんにも知らない叔母さんが家にやってきて、かなりの修羅場になった。
オレも失念していた。事前に知らせておくべきだった。
仕事中の息抜きとしてやってきたのだろう、夕食時にやってきた叔母さんは、部屋のなかでビールを食らう親父の姿に激怒した。
「クソ野郎!」
まさか飛びかかるとは思わなかった。
いや、これまで叔母さんがしてきてくれた親父の尻拭いから考えれば当然の反応だろう。
「相変わらず怖いなあメイは」
つまみのタンスモークを舌の上に乗せ、モシャモシャと食べる親父。
オレとミアさんに羽交い締めにされた叔母さんは「ふー、ふー、ふーっ!」と荒い息を吐きながら言い放つ。
「気分が悪い。帰るわ」
「あ、あの、せめてこれだけでも」
ミアさんが、サササッと作っていたお惣菜をタッパーに詰め込む。
叔母さんはそれを受け取ると、「ありがと」と言って玄関扉を開いた。
「しばらく来ないから。アレが居なくなったら教えて」
「はい……」
バタン。まさに嵐が去ったようだった。あんなにキレた叔母さんは久しぶりだ。
「あーあ、昔はオレに懐いてあんなに可愛かったのになあ。メイも歳かねえ」
オレはヒヤリとした。まだ近くに叔母さんがいるかもしれないのに大声で。
わざと煽っているのかこの親父は。でも幸い叔母さんが再び突撃してくることはなかった。
「ミアさーん、ごはんまだー?」
「は、はい、もうすぐできますので」
「わーい」
ホント子どもみたいな親父だった。
食事が終われば風呂である。
レディファーストと言って、親父はミアさんに最初に風呂に入るように促す。
「おいやめろ」
ミアさんが脱衣所に消えたあと、やにわに立ち上がった親父の肩を掴む。
「な、なんだよ、オレは別に……ちょっと身体を動かしたくなっただけで」
「いいから座ってろ」
「なんだよー、いいじゃないか。覗きは男のロマンだぞ」
やっぱり覗きかてめー。絶対させないぞ。
「ユウイチ、一緒に覗こうぜ」
「断る!」
本当にこの親父は……。この男の遺伝子がオレにも受け継がれているかと思うと情けない。
「それじゃあ、電気消しますね」
六帖の部屋に布団を三人分敷く。
いわゆる川の字、というやつだ。
親父が一番奥側で、オレが真ん中、ミアさんが玄関側だ。
「いかん、いかんぞユウイチ。外敵が侵入してきて一番危険な玄関側に女性を寝かせるなど言語道断だ!」
「じゃあ奥側がミアさんで」
「ほら、そこはおまえ、一番の年長者であるオレを立てろ。上座に寝るのはオレしか居ないだろ」
「じゃあどうしろっていうんだよ」
「わかれよ、おまえももう子どもじゃないんだ。おまえが一番端っこでいいだろう?」
「あの、わたしはどこでも……」
「ダメです。オレが真ん中で寝ます」
このスケベ親父の魂胆は明々白々である。
案の定――
「おい」
「ギク」
真夜中にこっそり、オレの布団をまたいで、熟睡するミアさんの布団へ忍び込もうとする親父。
「ちょっとトイレにな」
「そうか。さっさと行けよ」
「ユウイチ、ちゃんと寝ないと明日に響くぞ?」
「親父が寝たら寝るよ」
「あ、そう」
親父は肩を落としながらトイレへと向かった。
オレは隣に寝ているミアさんの寝顔を見つめる。
ここ最近は突発的な母乳もでていないのか、ミアさんから授乳をお願いされることもない。
それがちょっと残念だった。
*
そんなこんなで一週間。
オレはほとんど毎日寝ずの番が続き、さすがにそろそろ体調がヤバいことになっていた。
目の下にもクマができているらしく、学校ではコウタに「おお、毎晩おさかんですなあ、羨ましいぞ!」などとからかわれたが、「親父が帰ってきてるんだ」と言うと、「マジか。ミアさん大丈夫か?」とオレの心情を理解してくれた。
しかし、さすがに限界だった。
これ以上の睡眠不足は命にかかわる。
気分が悪いと言って保健室で仮眠をとることにしたのだが……。
「ね、眠れない……!」
そう、眠れないのだ。
こうして学校にいる間にも、ミアさんと親父はあの部屋でふたりきりでいる。
それが気になって気になって仕方ない。
授業すら頭に入ってこない。
もうすぐ中間テストがあるというのに、まったく勉強が手につかない。
こうなったらミアさんだけでも、親父がいなくなるまでの間、叔母さんのところに避難させよう。
あの親父とふたりで暮らすのは苦痛だが、そうなったら親父もさっさと部屋を出ていくだろう。そうだ、そうしよう。
保健室で悶々としていたオレは、その日、学校を早退するのだった。
*
帰宅ラッシュよりも大分早い時間帯。
オレは閑散とした駅を降りて、自宅を目指していた。
足元がフラフラする。頭がボーっとしている。
さすがに今日は寝ないと、そのうち命に関わるような気がする。
というか帰ったらまずは寝よう。
こんな明るい時間だったら、親父もミアさんに手を出さないだろう。多分……。
「うん?」
オレの視界に見慣れた人物が映った。
ミアさんだ。出会ったときと同じ、白いシャツにジーンズ姿である。
彼女はオレがいる対岸の道を駅の方へと歩いていく。
「ミアさ――」
追いかけようとするが、赤信号に阻まれた。
くそ、急がないと見失ってしまう。
オレは来た道を引き返しながら、ミアさんを追った。
遠目に追いかけていると、彼女は駅の中を抜けて、西側の出口へと向かう。
そこにはミアさんお気に入りの商店街がある。
(もしかして夕飯の買い出しか……?)
だがミアさんは商店街のアーケードには入らず、沿線沿いの道を歩いていく。
一体彼女はどこへ向かっているんだろう。
いつの間にかオレは、ミアさんの跡をつけていた。
「あ」
ミアさんがとある建物に入った。
慌てて追いかけていくと、そこは民家を改造して作られたクリニックだった。
オレも中に入ろうとしたが、休診中の札が下げられており、灯りも消えていた。
おそるおそるノブを回す。鍵は開いていた。
ゴクリ、とヒリついた喉に唾液を流しながら、オレは内部に侵入する。
室内は薄暗かった。病院特有の消毒の匂いが充満している。
熱帯魚の入った水槽から、コポコポとエアレーションの音が響いている。
オレは玄関で靴を脱ぎ、スリッパには履き替えず、靴下のまま、スススっと奥へと進んでいく。
診察室と思われる扉には、モザイクガラスがはめ込まれており、唯一そこから灯りが漏れていた。
オレはその扉にそっと近づき、聞き耳を立てた。
「まさか一ヶ月半以上も来ないなんてね。秋月さんから週に一度は来るように言われていたでしょう?」
「すみません……」
女医さんだろうか、の声と、消沈したミアさんの声が聞こえる。
「それで、そろそろ自覚症状が出てるのかしら?」
「はい……おっぱいが張る感じと、熱っぽい感じ、あとはその、つわりが……」
おっぱいが張る? 熱っぽい? つわり? なんだ、なんの話をしてるんだ?
「一応言っておくわね。おめでとう。間違いなく妊娠してると思うわ」
女医さんから告げられたその一言に、オレは意識を失った。
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