第12話 前門の母と後門の恋人(?)

 *



 現れたのは皆本シズカさんだった。

 彼女の手にはプリントの束が握られている。


 そうか、これを職員室に届けるために、彼女は教室を離れていた。

 だから、秋月マジックに引っかからなかったのか。


 彼女がオレに告白をしてくれたのはつい昨日のこと。

 そう、時間帯もちょうどいまくらいだった。


 授業がおわり、放課後の匂いが校内に漂いはじめ、夕日がグラウンドを赤く照らす少し直前の時間に、彼女はオレに告白をしてくれた。


 そしてオレはそれを断った……はずだ。

 オレの真意は伝わらず、フォローをコウタに頼んだのだが……。


「あ、あの、皆本さん、昨日のことは――」


「わかってる。わたしの勘違いだったって……阿久津くんからも言われた」


 皆本さんは唇をかみしめてうつむいた。

 とても辛そうな、そして恥ずかしそうな表情だった。


「でもわたし、やっぱり塾の夏期講習受けることにしたの」


「え、そうなの。どうして……?」


 ジッと、下からめつけるようにして、彼女はこちらを見てきた。


「キミと同じ学校に行きたいから。でもいまの成績じゃ無理だから」


 目は口ほどに物を言っていた。

 彼女はまるで諦めちゃいない。


 それほどまでにオレのことを強く想ってくれているのか。

 それは嬉しくもあり、ちょっとだけ怖くもある――


「むー、ユウイチさん、わたしを無視しないでください。こちらの方はお友達ですか?」


 オレと皆本さんの間に入ってきたのはミアさんだった。

 頬を膨らませてとても不満そうだ。


「す、すみません、無視してたわけじゃないんです。ただちょっと、込み入った事情があって」


「なんですか、事情って。わたしが見えなくなっちゃうような事情なんですか?」


 な、なんだ、もしかしてミアさん怒ってる?


「そうだ、そのヒトは誰なの、里見くん!」


「み、皆本さん!?」


 オレは無人の廊下で前門のミアさん、後門の皆本さんに挟まれてしまった!


 しばしふたりは前後からオレを睨んでいたが、キッと、お互いを見る。

 その瞬間、カーン、と見えないゴングが鳴らされた。


「はじめまして、わたしは皆本シズカ! 里見くんの――恋人です!」


「ええ!?」


「わたしは里見ミア! ユウイチさんのお母さんです!」


「えええッ!?」


 最初の「ええ!?」はオレで、つぎの「えええッ!?」は皆本さんだった。


「お、お母様でしたか、大変失礼をいたしました、わたし皆本シズカと申しまして――って、こんなに若くて銀髪褐色で外国人がお母さんなんて、そんなわけないでしょ!」


 皆本さんの言うことはもっともである。でもね、残念ながら本当なんだなあ。


「わたしのことよりそっちです。こ、恋人って、本当なんですかユウイチさん!?」


 ミアさんが動揺してる。オレに恋人がいるとなにかまずいのだろうか。


「いや、ちがいま――」


「そうです! だ、だだだ、大学に行ったら、わたしたち結婚するんです!」


 はいーッ!? 皆本はん、あんたなんば言いよっと!?


「けっこ……」


 あ、こんな表情のミアさん初めてみた。

 絶句、という感じで言葉を失っている。


 でもだんだんその顔が真っ赤になって、ぷるぷると全身が震えてきた。

 そしてミアさんはとんでもない行動にでた。


「み、認めません、結婚なんて! そんなのダメですー!」


 などと言いながら、ガバっと、皆本さんが見ているまえで、オレのことを思いっきり抱きしめてきたのだ。


 その行動はまるで、お気に入りのぬいぐるみを取られまいとする子どものようだった。


 だが相手は子どもではない。ミアさんだ。とても豊満なお胸の持ち主だ。

 オレは一瞬にして視界を塞がれ、胸いっぱいにミアさんの甘い香りを吸気することになった。


「なッ、なにしてるんですか! 里見くんが可哀想! 離してください!」


 皆本さんの焦った声が聞こえる。彼女の手だろう、オレの腕と肩が掴まれる。

 だが――

「いやです!」


 ブン、とオレの身体が持ち上げられた。

 すごい。ミアさん、チカラが強いと思ったけど、本当にパワフルだった。

 オレひとりを軽々と振り回すなんて。


「ユウイチさんの母として、あなたなんて認めません!」


「み、認めないって――仮にも母親を名乗っておきながら、子どもの恋愛を邪魔するっていうんですか!?」


 皆本さんも一歩も引かない。再びオレの腕が掴まれる感触がする。

 今度は両手で握っているのだろう、オレを抱きしめるミアさんと、腕を掴む皆本さんとで綱引きになった。


「お母さんだからです! ユウイチさんはわたしが幸せにします! あなたなんか不要です!」


「ふざけないで! 子どもはいずれ親元を巣立つものよ! そのとき一緒にいて、そばで支えてあげられるのは恋人だけなんだから!」


「ユウイチさんはどこにも行きません! 一生ずっとわたしと一緒にいるんです!」


 いでででッ! あだだだッ!

 ミアさんは怪力で、皆本さんも必死なせいか、かなりチカラ強い。


 オレを奪われまいとミアさんはさらにオレを強く抱きしめ、顔面が胸の谷間に埋まっていく。


 オレの両の耳には、ミアさんのしっとりと汗ばんだおっぱいが押し付けられ、ドクドクと心臓の鼓動さえ聞こえてくる。


(く、苦しい……! い、息が……!)


「むぐぐぐッ!」


 なんとか必死にもがいてみるが、ミアさんを振りほどくことができない。

 おいおい、いくらなんでも怪力すぎだろ。


 あまった手を振って、必死に苦しいアピールをしてみるが、ふたりはギャイギャイと言い争いを続けている。


(ダメだ、もう意識が……)


 ああ、父親のようにはなるまいと決めていたのに、オレの最後は女の胸のなかで果てる運命だったか。


 でも案外悪くないんだな。このぬくもりと匂いに包まれて死ねるならいいかも……。


「おい、なにやってんだあんたら! それユウイチじゃねえのか!?」


 それは天使の言葉だった。

 オレを幸福な死の直前から解放してくれたのは、親友のコウタだった。


「はッ、ユウイチさん、しっかりっ! 傷は浅いですよ!」


「あなたのせいでしょ!」


 まだやってる。このふたり、もしかして仲良くなってないか?


「なにやってんだよ皆本と、あんたは――うわ、メッチャ美人!」


 驚くコウタ。オレもようやく呼吸が落ち着いてきた。

 そうすると、ざわざわとヒトが近づいてくる気配がした。


 秋月マジックももう終わりか。ここは部室棟につながる廊下。

 もうすぐ大勢の生徒たちが通るはず。


「ごめんコウタ、皆本さん、オレたちはもう行く」


「行くっておまえ……」


「待って里見くん、わたし、まだそのヒトに――」


「彼女はオレの母親だ。これは本当だ」


 えええッ、という声はコウタから。

 皆本さんは目を見開いたまま黙り込んだ。


「父親が再婚したんだ。それ以上は察してくれ」


 オレが吐き捨てるよう言った。

 皆本さんはそれでもまだ何かを言いたそうだったが、コウタがポンと彼女の肩に手をおいた。


 コウタはオレの事情を知っている。

 悪いな、またフォロー頼む。


「ミアさん、行きましょう。裏門から家に帰ります」


「はい!」


 元気がいいなあ。ミアさんはオレの横に並ぶと、まるで後ろに見せつけるように腕を組んできた。


 うーん、もうどこを触ってもふわふわであったかい。全身に綿あめでも詰まってるのかなこのヒト。


「ユウイチさん……」


「ミアさん、学校ではまずいですって」


 離れるようにお願いするのだが、ミアさんはギュウっと引っ付いてくるばかりで、帰る道中も、決して離れてはくれないのだった。



 *



「はあ〜、しっかし、あんな美人とユウイチのオヤジさん、再婚してたとはなあ」


「…………」


 里見親子を見送ったあと、コウタとシズカはその場に立ち尽くしていた。


 そのうち、二人の両脇を、大勢の運動部員や文化部員たちが通り過ぎていく。

 その波が途切れたところで、ポツリと、シズカは呟いた。


「阿久津くん、里見くんの家ってどのへんなのかな?」


「へ……もしかしておまえ……マジ?」


 半眼になって前方を――里見親子が消えた方角を、燃えるような瞳でシズカは見ていた。

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