第4話 こんにちは、わたしがママよ♡

 *



「ふう……すっかり遅くなってしまったな」


 時刻はもうまもなく20時になろうとしていた。


 駅の東口に降り立ち、人気のない住宅街を歩いていく。


 オレの家のある方角は、こんなふうに閑散としているが、西側のロータリーには大きな商店街があり、人出もかなりある。


 まあ、オレはヒトが多いのは苦手なので、滅多なことではそちらにはいかないのだが。


 十分ほど歩くと、オレの住むアパート、静寂荘がある。

 木造二階建てで、全十二室。

 オレの部屋は一階の一番奥にある六号室だった。


 表向きは父親とふたり暮らしということになっているが、父親がこの部屋に帰ってきたことは一度もない。


 たぶん、今後もないだろう。


「……ただいま」


 鍵をあけて玄関に入ると、そんな言葉が口を出る。


 ただの習慣だ。誰かの返事を期待してのものではない。


 いつもなら真っ暗な室内に消えるだけの虚しい言葉。


 でも今日はちがった。


「おかえりなさい」


「ーーッッ!?」


 返事があった。ゾッとした。


 誰? まさかドロボウ!?


 オレはあわてて手でまさぐり、室内灯のスイッチを入れた。


「なあっ――!?」


 照らし出される六帖一間の和室。


 そこには見知らぬ女の子が座っていた。


 年齢は若い。オレより二歳か三歳くらい年上だろう。

 白髪……いや、アレは銀色の髪だ。

 その証拠に蛍光灯の光を反射して輝いている。


 瞳の色が青い。

 肌は褐色で、さらにはむ……、胸が、とてつもなく大きかった!


 そんな異国の女の子が、見慣れたオレの部屋の真ん中で正座して、こちらに微笑みかけている。


「…………」


 パタン、と扉を閉じた。

 そして通りまで戻って、アパートの表札を確認する。


『静寂荘』で間違いない。

 そして一階の六号室。表札には『里見』と書かれている。やっぱりオレの部屋だ。


 ガチャ。


「おかえりなさい」


 ニコ、ニコニコっと、女の子は相変わらず、俺に向かって笑みを投げている。


「いや、誰っ!?」


 叫んだ。結構な声量だった。


 それでも女の子の笑顔が崩れることはなかった。


 ヤバい……なんか怖くなってきた。


 正直に言おう。女の子はめちゃくちゃ美人である。

 それこそ、オレが今まで見てきたなかで、圧倒的一番と言って差し支えないほどの美しさだ。


 こんな女の子がこの世に存在していることが奇跡であり、その存在を知ってしまったオレは、これから一生、テレビやネットで見る美人を美人とは思えなくなってしまうだろう。


 と同時に、そんな図抜けた美人だからこそ、現実感がないというか。


 もしかしたら幽霊のたぐいとか、オレの幻覚なのではないかと思えてきてしまう……。


「もし、キミが里見ユウイチくんだな」


「うわあっ!?」


 背後から肩を掴まれた。振り返ればそこには壁が。

 いや、壁じゃない。これは男性の胸板だ。

 オレの目の高さに、男性の分厚い胸板が。


 見上げてみると、そこには大きなサングラスをかけた長身の男が立っていた。

 これまた外国人の男性だ。

 堀の深い顔立ちをしている。


 肩幅が広く、手足が長い。

 服の上からでもわかるほどムキムキ体型だこのヒト。


「感心しないな。学校の下校時刻はとっくに過ぎているぞ。どこかに寄り道でもしていたのか?」


「え、いや……」


 別に、勉強に疲れたから、気分転換にブラブラしながら帰ってきただけだ。


 だが男は、オレの返答など待たずに、「どうやら駅前で入れ違いになったようだな」と勝手に納得し、ジャケットの内側に手を入れた。


「夜分に失礼する。自分はこういうものだ」


「は、はあ……」


 男が取りだしたのは、一枚の名刺だった。


 オレンジ色のマークが真っ先に目に入る。

 そのマークの横には『総務省』の文字が書かれていた。


「は?」


 改めて男を見る。そーむしょー? 

 え、もしかしてこのヒト官僚、とか?

 どっかの軍人とか、プロレスラーって言われたほうがしっくりくるのだが。


「自分は総務省、第七特殊地域、人材交流一等担当官、ならびに事務次官補佐、アーサー・秋月という。以後よろしく」


「…………」


 ポカーンだった。


 眼の前の男が本物の総務官僚であることもそうだが、そんな役柄のヒトがオレになんの用があるのかもまったくの不明だった。


 秋月さんがサングラスを取る。


 うわ、青い目。しかも超イケメンだな。

 なんというかハリウッド俳優みたいだった。


「本日キミを訪ねたのは他でもない、彼女のことだ」


 彼の視線はオレの頭を越え、部屋の中で正座する女の子へと向けられた。


「自分は、彼女をこちらまで送り届けるためにきた」


「お、送り届けるって、なにか間違ってませんか?」


 どこからどうみても異国の、それもとんでもない美少女。


 いままで生きてきて、一度も接点をもった覚えはない。


「いや、自分と彼女が用があるのは、里見ユウイチくん、キミで間違いない」


「え?」


 穏やかだった秋月さんの視線が真剣なものになる。


 オレは一瞬で不安な気持ちなる。


 そして次なる彼の言葉に、オレは膝からチカラが抜けそうになってしまった。


「里見ヨシミツ氏は、キミの父上だろう」


 ……ああ、なるほど。


 その名前が出てきた瞬間、オレはストン、と胸に降りてくるものを感じた。


 彼女が何者かはわからないが、父親が何かをしでかして、それで一応の住所であるこの部屋までやってきたのだ。


「す、すみませんでした!」


 オレは急いで振り返ると、女の子に向かって土下座をした。


「え、ど、どうしたんですか?」


 女の子の戸惑った声が聞こえる。


 だがオレは玄関口に額をこすりつけて謝り倒した。


「父が大変申し訳ありませんでした。いまどこにいるのかもわからない男ですが、必ず謝罪と賠償をさせます。息子であるオレもできる限りのことはさせてもらいますので、どうかここは穏便に!」


 これまでも何度かこういうことはあった。

 父親のせいで女の子が押しかけてくるということが。


 ほとんどがクレームの類で、酷いセクハラをされたとか、夜のお店のツケを踏み倒したとか、自分の親族に手を出したとか。


 そのたびに叔母さんが矢面にたち、相手と交渉したり、謝罪したり、少なくない金銭を渡したりしていた。


 オレがいまこうして頭を下げているのは、そんな叔母さんのためである。


 父親の尻拭いなんて死んでもゴメンだけど、でもこれ以上、叔母さんには迷惑をかけたくないのだ。


「……キミは少々誤解をしている」


 秋月さんの声に顔をあげる。


 そこにはなんとも言えない、生暖かいというか、ダメな子を慈しんで見つめるような表情があった。


「キミが父上のことで苦労をされているのは調べがついている。だが今回はそういう意図で彼女を連れてきたのではない」


「え?」


 クレームではない。その言葉に安堵しつつも、新たな疑問がわいてくる。


 では、この褐色の女の子はなにしにうちに来たんだろう。


「彼女は――」


 秋月さんが言い終わらないうちに、そっと近づいてきた女の子が、オレの手を取って立たせてくれる。


 オレは「うわ」となってしまう。


 改めて間近で見ると、やはりとんでもない美人だ。


 呼吸やわずかな動きで、銀色の髪の一本一本がきらめている。

 彼女が背負う室内の蛍光灯が聖なる光に見える。


 瞳の色は秋月さんと同じ青色だが、

 彼のような濃い青色とは違い、なんというか秋空のように高く抜けるような蒼色をしている。


 肌は見れば見るほどなめらかなチョコレート色で、シミひとつない、とても綺麗なものだった。


(おや?)


 よく見ると、彼女は特徴的な耳をしていた。

 常人よりも耳が長い。鋭角的に尖っている。


 ああ、なんと言ったかな、こういう耳のことを。

 コウタだったらこういうの詳しいんだろうけど……。


「さとみ、ユウイチさん」


 彼女がオレの名前を呼んだ。


 その瞬間、ドキリと胸が高鳴る。


 名前を呼んだだけじゃない。

 彼女はオレの手を両手でしっかりと握りしめてきた。


(温かい)


 女の子はオレの手を握ったまま、グイっと顔を近づけてくる。


 蒼色の大きな瞳に、オレだけが写っていた。


「わたし、ユウイチさんのおかーさんです!」


 は? だった。


 なんかドキドキしてたのが一気に冷めた。

 彼女のあまりにとんちんかんな発言に、高鳴っていた胸の奥が一瞬で沈静化する。


「あんた、何を言って――」


「わたし、おかーさんなので、今日からここで、一緒に暮らしましょう!」


「ちょ、待っ――」


 問答無用で抱きつかれた。


(うわあ、うわあ! なんだこれは!)


 圧倒的なボリュームが顔に押し付けられる。

 体温が高い。そしていい匂い。

 オレは完全にフリーズした。


「あー、こほん」


「はっ!?」


 秋月さんの咳払いで、正気を取り戻す。

 オレはなけなしの理性を総動員して、彼女を引き離した。


「や、やめろ、一体なんのつもりだ!  い、一緒に暮らすだと!? どうして赤の他人とオレがそんなこと――」


「ちがいます、赤の他人じゃありません!」


「いや、いま初めて会ったばかりですよねオレたち!?」


「そうだけど、そうじゃないんです!」


 わ、わけわかんねえ……!


「この、いい加減にしないと警察に――」


「まあ待て」


 オレと女の子の間に割って入ったのは秋月さんだった。

 それにしてもでけえなこのヒト。近くで見るとほんと壁だな。


「里見ユウイチくん、彼女の言っていることは事実だ」


「何がですか?」


「他人ではない、ということだ」


「はい? それって――」


「だから、わたしはユウイチさんの、お義母かあさんなんです!」


 また彼女がオレの手を引いた。

 そして再び、その豊満すぎる胸に抱きしめてくる。


 もう絶対に離さないと言わんばかりに、ギュウギュウと締めつけ、髪の中に指まで入れて、頭皮をまさぐってくる。


 だが、さすがのオレも、魅惑の感触に浸るよりも、戸惑いのほうが大きい。


 救いを求めるように秋月さんを見る。

 彼は真面目な顔でコクリとうなずいた。


「彼女の名前はミア・エクソダス…………失礼。里見・ミア。つい先日、里見ヨシミツ氏と結婚をした」


「………………、、、、、はい?」


「里見ヨシミツ氏はこれで四度目の結婚になるわけだが、彼女はもちろん初婚だ」


「いや、そうじゃなくて……」


「なので、里見ヨシミツ氏の実家であるこの家に住む権利を彼女は有している」


「……………………」


 クラっときた。


 まさかよりにもよってこんな異国の女性とあのクソオヤジが!?


 い、怒りで目の前が真っ赤になる。


 とてもまもとに立っていられない。


「わあ、大丈夫ですかユウイチさん! 顔赤いです! 熱があるなら、わたしが看病します!」


 ギュー、ギュギュー、と全力でハグされる。


 ああ、はらわたは煮えくり返っているが、でも頭に上っていた血はスーッと下がっていく。


(オレは、どうしたら、いいんだ……?)


 とにもかくにも、今日この日、とっても不本意ながら、オレには義理の母親ができたのだった。

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