守護霊マリスレア 3



 翌日。

 お風呂、添い寝、お着替えの羞恥プレイフルコースを受けた俺はバブみに目覚め……る事もなく、洗濯直後のテディベアのような状態で朝を迎えた。


 いっそ堕ちてしまったほうが楽なのはわかっているが、なまじ理性的な自分が憎い。


「さて、ピクニックにゆく準備をするか」


 乱れた布団の中からパンツを回収すると、俺は肌寒い空気の中ベッドから下りる。


 師匠を起こしに行かなくていいのかって?

 さすがに今日はサボらせていただきますよ。


 そもそも、こんな厄介事を俺に丸投げした師匠が悪い。


「えーっと、必要なものはフォーセルが全部まとめておいてくれたようだな」


 ベッドサイドに置いてあった寝巻用のローブを着こみ、テーブルの上の置かれていたメモを確認。

 俺はリュックの中に何があるのかを確認する。


「タオル、ハンカチ、水筒。

 地図、コンパス、発煙筒?

 サバイバルナイフ……火星の呪符タリズマン、手錠!?

 折り畳み式クロスボウに火のワンドに召喚式魔術砲台……って、あいつら俺をどこに連れてゆく気だ!?」


 どう考えても、ダンジョンあたりにカチコミをかけるための装備である。

 ピクニックの準備にしては物々しすぎるだろ!


 わけのわからない展開に俺が全身の毛を逆立てて唸っていると、ふいに後ろからチョコレート色の腕が伸びて抱きしめられた。


「アンネリー、いや今はマリスレアか?

 頼むから服を着てくれ。

 文明的な人間は、部屋の中でも裸でうろつかない」


『服など着たら、抱きしめた時にかわいい我が子の毛並みが十分に堪能できないではないか』


 おのれ、この邪神。

 朝からなんという寝言だ。


「ファリカ、やれ」


「はぁい」


 俺が服飾担当のメイドに声をかけると、どこからともなく大量の衣服が飛んできた。


『ぬぅっ、何をするか!』


 おぉおぉ、暴れとるわ。

 いかな邪神といえど、ことお着替えに関してはファリカの魔術に抗う術はない。

 強制的に着替えが始まる。


 あー、よく考えたら着替えだけでは不十分だな。

 アンネリーの寝崩れた髪を見て、思わずため息をつく。


「アンネリー、いつまで邪神ごときの好きにさせている気だ。

 髪の乱れた寝起きの姿を主人にさらすなど、メイドにあるまじき失態だと思わないか?」


「大変失礼をいたしました。

 すぐに身支度をしてまいります」


 一瞬で体の主導権を取り戻すと、アンネリーは半分脱げかかったネグリジェ姿のまま見事な一礼をして見せる。


『ぬぉぉ、人間ごときが我から体の主導権を奪うなど……』


 残念でした。

 俺の配下は、たとえ邪神が相手でも、簡単に自由に出来る程弱くは無いんだよ。


「やーん、アンネリーってば、まだお着替え終わってないのにぃ」


 着る服を選んでいる途中だったのか、大量の服をかかえてわたわたしているファリカを引き連れ、アンネリーは身支度をするために部屋を出てゆく。


 さて、その間に俺も着替えを済ませておくか。

 ファリカに任せると、何を着てゆくかまでの決定が異様に長いからな。


 しばらくすると、完璧に身支度をすませたアンネリーが戻ってきた。

 しかも、今日はいつものメイド服ではない。

 珍しく私服だ。


「なんというか、新鮮だな。

 よく似合ってる」


「まぁ、お上手です事」


「あいにくとすらすら世辞が出てくるほど世間ずれはしてなくてね」


「そう言えばまだ五歳児でございましたね。

 しょっちゅう忘れそうになりますが」


 アンネリーの言葉に、今日の警護担当であるミーフィアが口元を押さえる。

 くそっ、どうせオッサンくさい五歳児ですよ!


 さて、そんなわけで朝の礼拝と朝食を終わらせ、ピクニックに出発である。


 ……だが。


「おい、フォーセル。

 本当にここがピクニックのコースなのか?」


「間違いありません。

 ここが本日のピクニックコース、マルファンテ街道でございます。

 連日話題の、今一番ホットな場所でございますよ」


 だが、俺の目の前に広がる光景は、どう見ても寂れた街道である。

 石畳はあちこち皹割れており、隙間からは草が生えていた。


「ここ……どう見ても裏街道だよな。

 しかも、山賊が出る奴」


「ええ、ほぼ毎日盗賊の被害が出るという事で、領主の手の者が掃討作戦を計画しているようです」


 そう言う意味で連日話題に事欠かないのかよ!


「どう考えてもピクニックのコースに選ぶ場所じゃないだろ」


 むしろ闇商人と密偵たちが使う密輸コースである。

 こんな場所でお前は何をさせたいのよ、ほんと。


「何をおっしゃいますか。

 考えても見見てください。

 ピクニックの最中に山賊が襲ってきたらどうなりますか?」


「マリスレアが暴れて全滅する」


「はい、そのとおりですので、ユージン様が被害を受ける可能性は万が一にもありません」


「いや、そういう問題じゃないだろ!」


「お気づきかもしれませんが、人心の乱れによってこのあたりの地脈が汚染されています。

 ユージン様が直接浄化なさると、報告に必要な書類がかなり減少される見込みですが?」


「そうかもしれないけど、それはもうピクニックじゃないだろ。

 ……というより、お前らが普通のピクニックでは面白くないと思っているだけなんじゃないか?」


 その前に、この地域の担当は何やってんだよ。

 そんなひどい事になっているとか、報告受けてないんだけど?


「最後にはちゃんと綺麗な景色もありますから、がんばって歩いてくださいね」


 こいつ、連日の業務で頭がいかれやがったな!?

 おそらく、本来ならば一チーム投入しなければ片付かないレベルの案件なのだろう。


 ついでに俺が把握できていない案件であるというのもクソ怪しい。

 おそらく塔の中の政治ゲームが働いているのだろう。

 まったく、この期に及んでさらに面倒事を押し付けてくるとは。


「あー、ダメですユージン様!

 その服装でピクニックに行くことは許されませーん!


 いつもの甘ったるい口調に関わらず異様な迫力でファリカが迫る。


「いや、どこもおかしくないだろ!」


 シンプルで動きやすく、怪我をしないように露出度の低い恰好。

 うん、完璧じゃないか。


「ぜーんぜんだめです!

 こんな日は、とびっきりの可愛い服じゃなきゃダメなんですっ!」


「……は?」


 かくして暴走したファリカにより、ピクニックの出発時刻は30分のびた。


「……で、なんで俺が先頭を歩かなきゃいけないんだ?」


 不穏な視線を感じ、俺は後ろの連中を振り返る。


『可愛いからじゃな』

「可愛いからですわ」

「可愛いからですね」


 最初の台詞から、マリスレア、アンネリー、ミーフィアの順番である。

 先ほどから連中の視線がお尻のあたりに突き刺さって色々といたたまれない。


『幼子の半ズボン、そしてズボンから覗くちいさな尻尾!

 しかも、それがヨチヨチと……まさに世の宝であるっ!!』


「まさに! まさに!」


 その口を閉じよ、汚らわしきショタコン共が!

 俺の耳が穢れるっ!


「ファリカさんによると、このコーディネイト名は"春のピクニック、もふもふ揺れる鼻血地獄モード"だそうですわよ」


 ファリカめ、どういうセンスだ!?

 しかし、マリスレアの奴も微妙に性癖歪んでるなぁ。

 あんまり付き合いは無いんだけど、こんな奴だったっけ?


 あと……微妙にマリスレアの邪気が浄化されつつあるのはどういう事だろうか。

 きわめて理不尽である。


 ……あっ。

 まさか、憑坐であるアンネリーの性癖に引きずられているってことはないよなぁ?


『どうした、ユージン。

 我の顔に何かついておるか?

 それとも母の胸に抱かれたくなったのかえ?』


「ぜってーちがうし」


 うん、怖いからこれ以上は考えないでおこう。

 世の中には色々と知らない方がいい事もあるのだ。


 さて、本日の同行者はアンネリーとミーフィア、そしてアンネリーに憑依しているマリスレアである。

 警備が薄いと思うかもしれないが、まったく問題はない。

 少し離れて荷物持ちと予備の警護班が付いてきているしな。


 そもそも俺の安全のためと言うよりは、この凶暴なお供に誰も近づけないようにするための護衛である。

 たぶん核ミサイルを抱えたペットを外で散歩させたら、似たような気分になれるにちがいない。


 さて、俺が心折れそうな新郎を抱える中、お気楽なれんゅうはおしゃべりに夢中である。


『リュックを背負って、二本足でよちよちと歩く子熊……癒されるのぉ』

「口を開くとあれほどオッサンなのに、黙って歩いていれば天使ですね」


 マリスレア、ミーフィア、お前ら人の事をなんだと思っている?


「それにしても、さすがユージン様ですね。

 歩くだけで周囲の地脈を浄化されるとは」


 ……わかっているのはアンネリー、君だけだよ。


 魔術の詠唱と言うものは、実を言うと音によるものだけではない。

 特定の作法に特定の意味をつけておけば、たとえば定期的にケンケンパをするだけでも浄化の術を発動させることができる。


 ただ、ファンタジー小説によくある『イメージするだけで魔術発動』は、この世界においては危険極まりないのでお勧めはできない。


 なにせ、悪夢を見ただけで自分ごと周囲を破壊しつくしかねない厄介者になってしまうし、幻術一発くらっただけで生殺与奪健を握られてしまう。

 

 拳銃に安全装置があるように、魔術にも誤爆を防ぐものが必要なのだ。


「でも、今日はピクニックなのであまりお仕事を持ち込むのは良くないと思います」


「……それはフォーセルの奴に言ってくれ」


 俺の弁明虚しく、ミーフィアの腕が俺の腹に巻き付いた。


「浄化の作業ならば、少し離れて後を付いてきている連中に任せればいいのです」


 後ろの連中と言うと……クルセウスとアルヴィンとギダルクか。


「えー、あいつちゃんと出来るのか?」


 能力的には問題ないのだが、なぜかあいつら今日は機嫌が悪いんだよな。

 しかも、どういう訳かアンネリーやミーフィアが一緒に歩くのを拒絶したため距離を置いて歩いている。


 そんなにむさくるしい連中を視界に入れたくなかったのだろうか?

 ギダルクとか、暑苦しくはあるけどかっこいいと思うんたけどなぁ?


「部下を信じるのも、良い上司の嗜みですよ」


 アンネリーにそう言われると、反論しようにも言葉が出てこない。

 ただし、その隣でウンウンと頷くミーフィア、お前に対しては別だ。

 目を離すとすぐに勝手な事始めるの知ってるんだからな!


 俺が振り返り、藪睨みをするように目を細めてミーフィアを睨んでいると、ふいに進行方向からガサリと大きな生き物の動く音がする。


 ――盗賊か!


「……ゴブッ!?」


 現れたソレは、緑色した半裸の生き物。

 残念、ゴブリンでした!


「えっと、ゴブリンだし追い払う程度でいいよ……ね?」


 俺の問いかけが終わるより早く、俺のすぐ隣で大きな魔力が膨れ上がる。


『出たな、この下郎!

 我が息子の可愛いお尻を狙うとは、言語道断、まさに呆れた下劣さよ!

 その骨のひと欠け、血の1滴たりともこの世に残ると思うなぁぁぁぁぁぁっ!』


 まで、そこの自称母!

 俺のお尻が狙われているって、言い方がすごくよくないからっ!


『消去ぉぉぉぉぉぉっ!』


 完全に裏返った声がうるさくて、俺はおもわず耳をふさぐ。

 できれば目も塞ぎたかったのだが、フォーセルじゃないので腕が二本足りない。


 ……うぉっ!?


「ユージン様、危険ですのでこちらへ」

 ミーフィアの手がひょいと俺を抱えて安全な空へと避難する。

 それを追いかけるようにして、おぞましき悲鳴が下界に響き渡った。


「やりすぎだっ!」


 一面真っ赤に染まった場所を避けてミーフィアが着陸すると、俺は彼女に抱きかかえられたまま評価を下した。


『どこがだ?』


「見ろ、滅茶苦茶汚いじゃないか!

 誰がこれ掃除するんだよ!!」


 見渡せば、周囲は血まみれになっているだけでなく、細かな臓物がホカホカと湯気を立てている状況だ。

 荒事に慣れていない連中ならば、その場で吐くか気絶する。


 かくいう俺もわりと気持ち悪い。


『こんなもの、獣やカラス共が始末するだろう。

 捨ておけ』 


「それじゃ嫌なんだよ!!

 キモい! 汚い! 臭い!!

 生理的に無理っ!!」


『ぬぅっ、そこまで言われると我も傷つくのだぞ!

 せっかくその身を守ってやったのに、その言い方はあんまりではないか!』


「俺の繊細な心に深刻なダメージ与えておいて何が守ってやっただ、この邪神っ!

 だいたい、面倒だからっていきなり全身を細切れにするとか、やり方が雑すぎ!!」


『ひどいぞよ。

 ……アンネリー、我が子が母をイジメる』


「無理やり憑依した対象に慰め求めてんじゃないっ!

 だいたい、せっかくアンネリーに憑依しているんだから、武術を使うとかの選択肢はなかったのか!?」


 うちのアンネリーは、魔術も使うが武術も使う。

 ダークエルフは長寿なので、オールマイティーな奴が多いのだ。


『武術……とな?』


「詳しい内容とかはアンネリーにきいてくれ」


 正直、何かまずい事を言ってしまった気がしなくもないが、こんなところで邪神が魔術なんか使うよりはマシである。

 あれは効果の大小にかかわらず地脈をゆがめるからな。

 

『なるほど、武術とはそういうものか。

 それは……面白いかもしれんな』


 どこか嬉しそうにつぶやくその声を聴いたとき、俺の体の毛が逆立ったのは言うまでもない。

 思わずマリスレアの顔を覗き込むと、奴は不適な笑みで道行く先を見つめていた。


 そして本物の山賊たちが現れたのは……そのわずか半刻後の事である。


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