第8話

「ここが……無彩の森」


 始めてここに来たのであろう誰かがポツリとつぶやく。

 その声に、初めてではない誰かが答えた。


「そうだ。

 見るからにおかしな場所だろ」


 目の前に広がるのは、白と黒の世界。

 この森には、その名の通り色彩という物が存在しなかった。


 木も草も、虫や獣に至るまで、全てが真っ白なのだ。

 さらには上を見上げても空が青くない。

 みれば、お互いの顔も色を失ってい白と黒のみで構成されている。


 完璧なモノトーン。

 雪景色などとは何かが違う。

 綺麗と表現するにはあまりにも異質で、長くいれば頭がおかしくなるのではないかと本能的な忌避感を感じるほどだ。


 間違いない事はただ一つ。

 ――ここは人のいるべき場所ではない。


 また別の場所では、先輩の神官が後輩の神官に注意を与えていた。


「呆けている暇はない。

 急ぐぞ。

 ただし、身に着けている外套は絶対に外すな」


「どういうことです?」


「黙って言う事を聞いていろ。

 この外套を身につけていないものは侵入者とみなされて、森に殺されるぞ。

 俺は……塩を持ち帰りたくはない」


 最後に全く意味の分からない言葉が付け加えられていたが、事情を知っていそうなものは蒼褪めて俯くだけで、誰も説明をしようとはしなかった。

 その異様な雰囲気の飲まれ、質問を重ねる者はいない。


 だが、謎を謎のままにしておくのは気分が良くない。

 ……と言うわけで、この森に詳しそうな奴に聞いてみる事にした。


「どういうことだ、カルミン?

 みんなひどく怯えているけど」


「この森がなぜ聖域になったかはご存じないようですね。

 そのあたりの細かい事は省いて結論だけお話ししますが、神の赦しなく無理やりこの森に入る者は、体の末端から徐々に塩にされてゆくんですよ。

 防ぐ方法はあの外套を身に着ける事のみ。

 それ以外にも、この森に住む獣たちから優先的に襲われるようになります」


「それ、呪いなんじゃ……」


「滅多な事をおっしゃらないでください。

 神のご意思を呪いなどと……」


 カルミンは寒さに震えるように自分の体を抱きしめる。


 あー、そうだな。

 人がやれば呪い。

 神がやれば祟り。


 そのあたりの建前って奴はけっこう大事だ。


 そういえば、他にもこいつに聞きたいことがあったんだよ。


「そういえばさ、ババツィーネ伯爵の子供のことだけど、確かに平民の女性との間に子供が二人いたらしいね。

 けど、どちらも行方が分からなくなっているんだって?」


 探りに行ったエヴォンにさんざん愚痴られたんだが、関係者がほとんど残っておらず、情報の入手にかなり苦労したらしい。

 だが、カルミンの企みがこの二人の庶子に伯爵を継がせることにある以上、その所在を確認しないという選択はあり得ない。


 しかし、カルミンを問い詰める前に思わぬ邪魔がはいった。


「ユージン様、先を急ぎましょう。

 神に許された時間は限られておりますし、ランペールは森のかなり深い場所にいる生き物です」


「わかった、男爵。

 案内を頼む」


 空気よめよ、馬鹿ワンコ!

 とは言え、奴を責める事はできない。


 できれば今のうちに庶子についての情報を聞き出しておきたかったが、仕事を失敗するわけにもゆかないのだ。

 俺は男爵の広い背中を追いかけるようにして、森の奥へと足を進めていった。


 なお、男爵とカルミンはこの森の中の案内役だ。。

 彼らは年に一度の儀式でかならずこの森に入るため、中の勝手を知っている数少ない人物なのである。


 もっとも、中で狩人の真似をしているわけではないので、ランペールの捕獲についてどれだけ役に立つかは不明だが。

 そして森の中を二時間ほど進んだ頃である。


「動物の足跡ですね」

 それを見つけたのは、料理のみならず狩猟にも詳しいディティルスだった。

 なんでも、野獣料理ジビエを極める過程で身に着けたものらしい。


「ランペールのものか?」


「いえ、もっと別の生き物でしょうねぇ。

 ランペールのものとは、形が違うんですよこれが。

 大きさは似たようなな感じですが、狼のものに近い感じですね」


 この森に棲んでいるのは、当然ながらランペールだけではない。

 その餌となる草食の魔獣もいれば、ランペールと同じ肉食の魔獣もいくつか存在している。


 それに狼は月の眷属だ。

 月の女神であるラサニの聖域にいるのは、むしろ自然な事だと思う。


 しかし、足跡を見つけたという事は、すでに俺たちが狼の縄張りに入っているという事だ。

 襲われなければいいのだが……。


 女神の聖域で、女神の眷属である獣と闘うなんてことは出来るだけやりたくない。

 万が一にも狼を仕留めでもしたら、女神からどんな神罰をくらうかわからないのだから。


「水場を探してみませんか?」


 そんな提案をしてきたのは、エナツォソ男爵だった。

 

「そうだな、どんな動物も、水が無ければ生きてゆけない」


「では、案内しましょう。

 場所は知ってます」


 初対面ではチワワのように見えた男爵だったが、それ以外の時はなかなか頼りがいのある男に見える。

 どうやら、あの時はよほど追い詰められていたらしい。


 だが、男爵の案内で水場に向かっている途中だった。

 異様な魔力の高まりを感じ、俺は足を止める。


「どうなさいましたか?」


「フォーセル、後ろだ!

 何か大きな魔力を感じる!」


 俺にいわれて他の連中も魔力の高まりに気づいたらしい。

 その中で、カルミンがどこか芝居じみた口調で叫んだ。


「まさか……守護者が!?」


 この野郎、いけしゃあしゃあと。

 状況はわくわからんが、最初からこれを狙っていたんじゃないか!?


「カルミン、男爵、守護者とは何だ?」


 カルミンは答えようとせず、しぶしぶ口を開いたのは男爵だった。


「口で説明したところで信じていただけるかどうか……。

 ご覧になったほうが早いのですが、危険です」


「構わない。

 これは直に確かめないといけない案件だと思う」


 ただの勘ではあるが、妙な確信があった。

 こういう時は感覚に従ったほうがいい事を、俺は経験上学んでいる。


 男爵が救いを求めるようにフォーセルとアンネリーを見るが、首が動いた方向は横。

男爵はがっくりと肩を落とすと「絶対に気づかれないようにしてくださいね?」と念を押してから歩き出した。


「そろそろ見えてきそうですね」

 女神ラサニのシンボルマークである楡をくりぬいた聖杯を握り締め、男爵が囁くように警告を放つ。


「ほら、あれをご覧ください」


 カルミンの視線の先を追えば、森の木々の狭間から真っ白で巨大な生物の頭が見えた。


「ザリガニ?」


 そう、ソレの形は、まさに巨大なザリガニである。

 大きさは、頭から尻尾まで3メートルぐらいか。


 問題は、その化け物が現在進行形で人を襲っているという事である。

 当然ながら、襲われている連中は俺たちの仲間ではない。


 ……おそらく伯爵か聖人教アヴァチュールの手のものだ。


「くそっ、なんで俺たちがこんな目に!」


「しゃべってないで武器を構えろ!

 死にたいのか!!」


「チクショウ、戦士の守護者マルフレットよ、我を守り給え!」


 あ、これはいかん。

 祈った神の名でわかったが、こいつら拝樹教徒ハオミシアンだ!

 だとしたら、おそらく伯爵の配下だろう。

 信仰する神が違うという理由で使い捨てにでもされたか?


 最初から見捨てる気は無いけど、同じ教えを信じる同胞であればなおさら助けなくてはならない!!

 けど……。


「あれ、たぶん聖獣だよな」


 ザリガニのみならず、エビやカニと言った甲殻類は女神ラサニの眷属である。

 そのラサニの聖域にいるザリガニが、かの神の使いでないはずがない。


「どうなさいます?

 戦えば女神の不興を買う事になりますよ?」


「俺がやる。

 みんなは下がっていて」


 俺は懐から黄金の林檎を模したアフラシアの聖印を取り出すと、一歩前に踏み出した。


「キョエェェェェェェェ!」


 俺が前に立ちはだかると、守護者はその大きな鋏を振り上げて威嚇らしき音を放つ。

 邪魔だからどいていろという意思表示らしい。


 けど、そうもできない理由がこっちにはあるんだよ!


偉大な女神アフラシアの名においてアフラシア ヤインコサ アンディアレン イセネアン……」


 詠唱が終わる前に、聖獣の鋏が振り下ろされた。

 事の成り行きを見守っていた連中から、声にならない叫びが漏れる。


 ――大丈夫。

 振り下ろされた鋏は、俺の横の地面に叩き落とされた。


 うん、こうなるよな。

 やはり拝樹教ハオミズムを信じる者を殺すのは、聖獣としてもまずいようである。

 たぶん、この聖獣は最初から兵士を殺すつもりはなく、脅して追っ払う気だったようだ。


 俺が駆け付けるまで兵士たちが生きていたのがその証左である。

 魔術の拙いただの兵士なんか、その気になれば秒で皆殺しにできるだろうしな。


「……我に牙を向ける事なかれメセダス エス コスク エギン

 愛を示すべしマイタスナ エラクツィ


 俺の術が完成し、エメラルドを砕いてまき散らしたかのような光が聖獣を覆う。


 ……実を言うと、ほとんど魔力は込めていないし、聖獣相手ではたぶん効果が無い。

 なぜこんな事をするのかというと、和解の魔術にかかったことにしてここは引いてくれないかという意思表示だ。


 たぶん、向こうも振り上げた手をどこに卸していいのか困っている気がするし。


 すると、聖獣は振り上げていた両腕をゆっくりおろし、俺の顔を覗き込んだ。

 敵意は感じられない。


 そして聖獣はザリガニらしくゆっくりと後ろ向きに歩き出すと、森の奥に消えていったのである。

 実に話の分かるマッカチン(ザリガニの俗称)だ。

 色は真っ白だけどな。


「……助かった」

「死ぬかと思った」


 先ほどまで襲われていた兵士が、へなへなと地面に座り込む。


「こら、先にやるべきことがあるだろ。

 ……聖なる木々に座します神々に感謝を」


「か、感謝を!」


 俺が神への感謝の祈りを促すと、兵士たちは口々に守護神の名を讃えて聖印を切った。


 さて、そろそろ見物している連中とも話をつけますかね。


「……そろそろ出てきたらどうだ。

 それとも、無理やり引きずりだされたいか?」


 俺が声をかけると、何もないところから騎士の一団が姿を現した。


「隠形の術か、見事なものだな。

 けど、このやり方は感心しない」


 この術、発動させるためには相手の意識を一瞬でも他所に移す必要がある。

 つまり、先ほどまで守護者に襲われていた兵士たちは、そのための布石に使われたのだ。


「それを見破る貴殿のなかなかのものかと」


 平然とした声で返事を返してきたのは、先ほど伯爵の隣にいた聖人教アヴァチュールの魔術師だった。

 なぜお前がここにいる。

 いや、隠形の術のレベルからして、なんかいるとは思っていたけど、よりによってお前かよ。

 

「……お前、正気か?

 判っていると思うけど、ここは異教徒が勝手に入ってよい場所じゃないぞ。

 どういうつもりだ?」


 というか、馬鹿し合いの得意そうなキツネさんはカルミンだけで間に合ってるんですけど。


「仕方がないでしょ。

 伯爵閣下からのご要望なのですから」


 その発言に、一緒に隠れていた騎士たちが尻馬に乗って騒ぎ出す。


「そ、そうだ!

 お前たちがちゃんとランペールの子を探して捕獲するか見張る必要があるっ!」


「努力したがいなかったなんて言い訳はこれで通じないと思え!!」


 えぇい、面倒くさい。

 あんまり騒ぐと、さっきの聖獣にお願いしてもう一度襲ってもらうぞ!?


「そこまで言うならご勝手に。

 次はもう助けませんので」


 そう宣言した後、おれはトカゲのしっぽ切りにされそうだった連中にチラりと視線を向けた。


「あと、ウチの大事な信徒の身柄は俺がいただいてゆくぞ。

 あんな扱いは二度と許さない!」


 何かの視線を感じて森の奥を見ると、さっきの聖獣がこっそりこちらを除いており、その大きな鋏を打ち合わせて拍手をするフリをしていた。

 ……意外とお茶目なマッカチンだな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る