第7話

 現場に到着すると、そこには妙に耳慣れた台詞が飛び交っていた。


「無礼者め、この私を誰だと思っている!?」

 ――どうでもいいです。


「貴様らは黙ってこの私に従っていればよいのだ!」

 ――嫌でございます。


「逆らうならば、ただではすまさんぞ!」

 ――おや、カウンセリングの料金をいただけると?


 はい、面倒な貴族の台詞の中でも定番に近い奴。

 そんな耳障りなものを立て続けに三つもいただきました。

 よほどうんざりしているのか、皆の顔が副音声がわりになっているよ。


 それにしても……この手のやつらってほんと個性がないな。

 とりあえずスリーアウトなのでとっとと帰ってくれないものか。


「あれがババツィーネ伯爵か。

 なんというか、口にする言葉にすら品性が感じられない……」


 横でしかめっ面をしていたフォーセルの口からそんな言葉が零れ落ちる。

 まぁ、同感ではあるがな。


 さて、問題の伯爵の見た目だが……。

 年齢は50手前だろうか。

 どちらかと言えば整った顔と見た目をしている。

 だが、性格の悪さが表情や顔つきに現れているので人からは好かれないだろうな。


 で、そんな邪智暴虐 の化身のような伯爵の前に立ちふさがる者がいた。

 

「伯爵閣下、困ります。

 神に捧げる儀式がありますので、今日はお引き取りください!」


 おお、チワワ……じゃなくて、エナツォソ男爵じゃないか。

 格上相手にこうもはっきり物言いをするとは、少し見直したぞ。


 だが、残念なことに相手は言葉の通じない生き物だった。


「おお、ならばちょうどいいではないか。

 貴様らが神域をこじ開けたら、この私自らが兵を率いてランペールとやらを捕らえてくれよう!

 そして我が子が従属の魔術を使えばこの面倒なやり取りも終わりだ」


「異教の聖地ですよ!?

 正気ですか!」


 絶対に正気ではないと太鼓判を押せるが、当の伯爵は何食わぬ顔でこう言い放った。


「正気に決まっておろうが!

 たかが異教の神、聖人教アヴァチュールの威光があれば何ほどのものぞっ!」


 ……神への不敬を理由に呪い殺してやろうか?

 見れば、俺の使用人たちも冷え切った眼を伯爵に注いでいる。


 なにげに全員が生粋の拝樹教徒ハオミシアンだからな。

 頭の中ではすでに十回ぐらいは伯爵を殺しているに違いない。


「……無理です。

 異教徒が聖域に入ることはまかりなりません」


「そこをなんとかするのが貴様の役目だろうが!

 だいたい、なぜ私がこんなところまで来たのだと思っている!

 貴様の仕事があまりにも遅いので、我慢ができなくなったからだぞ!」


 いや、そこは我慢しろよ。

 子供じゃないんだから。


 その時だった。

 伯爵の隣にいた17歳ぐらいの生意気そうなガキが、俺を見てこう告げたのである。


「ねぇ、パパ。

 見てよ、あそこに珍しい動物がいる!」


「ほほう? 服を着た子熊か。

 緑の目をしているのも珍しいな」


「でしょ。

 あれ、僕が貰うね」


 無邪気さというよりは考え無しな笑顔を浮かべると、伯爵の横にいた子供は俺に向かって聖印を切った。


家畜の守護者アベレーン チインダリア聖人エステペの威光においてサン エズペテ マイエスタテェアン

 獣よ、我に跪けピスティア、ベラウニカツ ニリ!」


 こいつ、俺に向かって獣用の隷属の呪文を使いやがった!?

 ……愚かな奴。

 俺の護衛がこんな真似を許すわけないだろ?


 奴の呪文が終わるより早く、俺の前に人垣ができる。

 同時に、カチャリと剣を引き抜く音がした。


 気になって横を見れば、ミーフィアじゃないか。

 うわー、怖い顔。


 彼女はその剣をクソガキに突き付けると、無慈悲な天使をそのまま形にしたような顔で聖句を唱えた。


裁きあれ!エパイア


 剣の表面に刻まれた太陽の紋章が一瞬キラリと瞬く。

 略式の呪詛返しだ。

 普通の人間にとっては何でもない光だが、術を跳ね返された者はただじゃすまない。


「ぷぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 聖なる光に目を焼かれ、クソガキは両目を手で覆いながら悲鳴を上げて転げまわった。

 その声が屠殺される豚に似ていると思ったのは、さすがに不謹慎だろうが……初対面で挨拶がてら隷属の呪いを放ってくるような奴には相応しいかもしれない。


「ダネル! どうした!?

 貴様、よくも……私の息子に何をする!!」


「それはこっちの台詞だ!

 いきなり隷属の呪いを放ってくるとか、何考えてやがる!」


 ウチの使用人たちを代表し、血の気の多いディティルスが、文字通り牙をむき出しにして吠える。

 だが、伯爵の顔に浮かんだのは侮蔑と困惑だった。


「なぜおとなしく隷属を受け入れなかった!?

 不敬であるぞ!

 私を誰だと思っている!」


 ほほう、権力を持ち出してきましたか。

 まぁ、あんたにはそれしかないだろうからな。


 俺は護衛たちを押しのけると、わざとふてぶてしい態度で前に出た。


「……初めてお目にかかる。

 俺はユージン法師官だ」


「法師官だと!?

 騎士と同じ程度の下賤な輩が誰に向かって口をきいている!

 分をわきまえろ!」


「そうですか。

 その言葉、我が師である躑躅アザレアの公主ミザーリに伝えさせていただきますね」


「……は?

 ミザーリだと?

 そ……そそそ、それはまさかミザーリ僧正の事か!」


 わが師ミザーリの階位は聖職者として最高位である僧正。

 国から公爵と同等の権威を保証されている存在だ。

 当然ながら、その権威の前にこんな伯爵程度が立ちはだかれば一瞬で塵となる。


「たかが伯爵の分際で、ミザーリ師の愛弟子である俺によくもなめた口をきいてくれたな。

 ましてや、隷属の呪詛なんぞ飛ばしやがって。

 この落とし前はどうつけてくれようか」


 ちなみに俺の法師官という地位も、年齢が理由でこれ以上上げる事が出来ないだけだ。

 将来的には『律師』と言う伯爵と同程度の地位がすでに約束されている。

 実際にはさらに上にゆくとは思うけどね。


「ま、待て! 待ってくれ!

 そんな話は知らなかったんだ! そうだ、これはちょっとした誤解なのだ!

 誤解なのだよ!」


「誤解かどうかなんて意味は無いよ。

 ……我が師はすでに今ここで起きた事を察していて、しかもかなりお怒りのようだ」


 俺の体には、師匠のお手製の護符をいくつもつけられている、

 そんな俺にむかって呪詛なんか仕掛けたのだ。

 護符が呪詛に反応すれば、その反動が護符の作り手に伝わらないはずがない。


 ええ、先ほどからビンビン感じてますとも。

 嵐の前触れのような怒りの波動をな。


「これは……来るぞ。

 とばっちりを食らわないよう、備えろ」


 俺が警告を放つと、まず俺の使用人たちが全員顔を伏せて神に祈りを捧げはじめた。

 その様子に不安を覚えたのか、その他の人々も同じように祈り始める。

 ――ただ狼狽える事しかできない伯爵を除いて。


 そして十秒もしないうちに、俺たちの脳裏に冷たい女性の声が響いた。


禿げなさいブルソイルドゥ


 次の瞬間、頭の中を殴られたかのような衝撃を感じ、俺は思わず膝をつく。

 見れば使用人たちも青い顔で跪き、魔力への感度の高い神官たちに至っては意識を手放して地面に転がっていた。


 ふぅ……余波だけでコレだ。

 直撃を食らった伯爵親子はどうなっている?


 俺たちの目の前では、サラサラと軽い音を立てて真っ白な灰――つい先ほどまで髪の毛であったものが地面に零れ落ちていた。

 たぶん、あれは二度と生えてこないだろうな。


「あーっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、私の髪が!

 髪がぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「パ、パパぁ、僕の髪が……なくなっちゃったよ!

 どうするんだよ! 早く戻して!!」


 自分の頭からこぼれる白い灰を掻きむしるようにして、馬鹿親子二人が叫び続ける。


「おいたわしや、伯爵閣下。

 ですが、ご安心ください。

 今すぐに治療に入れば、失った髪も戻せるかもしれません」


 平坦な口調でいきなりそう語りだした男が一人。

 そのローブには、見知った紋章が刺繍されていた。

 こいつ、たぶん聖人教アヴァチュールの魔術師だ。


「おお、魔術師殿!

 早くなんとかしてくれ!

 金ならばいくらでも払う!!」


「聖人様も伯爵の献身に全力で報いる事でしょう。

 さあ、治療をいたしますので馬車の中へ」


 だが、なんだこの心の籠ってない棒読みは。

 ついでに、ウチの師匠の呪いを解けるなんて大嘘だろうに。


 もしかしたら、聖人教アヴァチュール側でもこの伯爵を扱いかねているのではないだろうか?

 あの手の不道徳な信者を抱えると、宗教としての格が下がるからな。


 せいぜい資金源として便利に思っている程度の扱いなのかもしれない。


 俺が呆れたように伯爵の消えていった方角を見ていると、近くでカルミンが咳払いをする音が聞こえた。


「さて、邪魔者もいなくなったことですし、そろそろ儀式を始めましょう。

 早くしないと、儀式の可能な時間が過ぎてしまいます。

 この時間を逃したら、次の機会は一週間後ですよ?」


 おっと、そうだった。


 俺たちはこの儀式を成功させるため、占星術で最適な時間を選んでいる。

 その時間は短く、わずか一時間程度しかない。


 これを逃すと、次に適した時間がやってくるのは一週間後だ。

 それに合わせて術式も再調整しなければならない。


 つまり、仕事が増える。

 ……ダメ、絶対。


「では、はやく始めましょうか」


 俺たちは決められた場所……森を隔てる崖の淵の前に移動し、厳かな雰囲気で儀式を開始した。


 最初にやるべきことは、樫の木で作った小槌で鐘を叩いて始まりの合図を出すことである。

 続いて俺とカルミンが先頭に立ち、神官たちと共にご神体である楡の木の前で深々と頭を下げた。


「楡の木に座します神よ。

 月の支配者にして、全ての命を慈しむ方。

 この無彩の森の主催者である女神クロニの御前に、

 怠惰の獣ユージンが願い上げる」


 古語ではなく誰もが理解できる言葉で祈りを捧げ、その祈りの声に合わせて神官たちが音楽を奏で始めた。


 なお、この儀式の時間、祭主である俺以外は声を上げてはならない決まりがある。

 月の女神であるラサニは神経質で、余計な音を極端に嫌うのだ。


「女神よ、我が神饌を受け取り給え。

 そして御身の聖域に踏み入る事を莞爾かんじとして許したまえ」


 ――さらり。

 そんな音でも聞こえてきそうな動きで、銀色に光る何かが空から舞い降りた。


 これは女神ラサニが意識をこちらに向けたしるしだ。


 銀色の魔力の塊は、まるで雪のようにいくつも降り注ぎ、周囲には聖なる力が満ちはじめる。


 降り注ぐ魔力の塊は俺たちの捧げた神饌に向かって動き出し、やがて祭壇全体が銀色の光に包まれた。

 これは女神ラサニが神饌を受け入れた時に起きる現象である。

 儀式に失敗していると、神は手を付けてくれることもなく、何も起きないのだ。


 しばらく様子をうかがっていると、ふいに祭壇から光が消える。

 それと同時に目の前のご神体からピシリと音が響いた。


 ――来た、女神からの返答だ。


 通常、神は我々に直接語り掛けたりはしない。

 矮小な存在である我々では、神の言葉を受け止める事が難しいからだ。


 俺はご神体を手に取り、そこに記された神の言葉……ヒビの形を調べる。

 ふむ、特に曲がった部分はない。

 まっすぐにヒビがはいっているな。

 これは吉兆の印である。


 俺はそれを横に控えていたカルミンに見せた。

 やはりこういうのは専門家に任せた方がいい。


 すると、カルミンは満足げに頷き、後ろを振り返って大きな声で告げた。


「神託が下りました。

 我々が無彩の森にはいる事を、神はお赦しになるそうです」


 その言葉と同時に、聖域に変化が訪れた。

 崖の向こうの地面が盛り上がり、ひび割れ、その間から真っ白な色をした蔓が這い出す。


 明らかに自然ではないその蔦は、複雑に絡み合いながらこちらへと延び、やがて森を隔てる地面の割れ目に橋が出来あがった。


「よし、橋を渡る前に最後の清めをするぞ」

 聖域に橋がかけられた後、俺たちはこの先に進む面子を整列させた。

 その内訳は、俺の所の使用人たちと数人の神官、さらに男爵とその配下の兵士たちである。


 すると、そこにいつの間にか戻ってきた伯爵が口を出してきた。

 

「おい、ウチの者を連れて行け。

 お前たちでは話にならん!」


 おい、何を言ってるんだこのオッサン。

 見れば、こちら側の全員が同じような目をしていた。


 とりあえず男爵が一歩前に出たので、彼に任せるとしよう。

 俺はこんなオッサンの相手するの嫌だし。


 ん? なんか背中がゾワッとした。

 見れば、カルミンが憎悪を隠し切れない顔で伯爵をにらみつけている。

 ……なんか恨みでもあるのかな。


「お断りします。

 まさか、聖域に入るのに条件を満たす必要があるのをご存じないのですか?」


「条件だと?」


「潔斎ですよ。

 酒・煙草・性的快楽の3つを三日間以上遠ざけて潔斎している事が、あの森に入るための最低条件なんです」


 実際にはほかにも色々と条件があり、こんなタイミングで同行者を増やせと言われてもできないのだ。


「そんなもの、聖人教アヴァチュールの威光で……」


 伯爵は一緒にいた聖人教アヴァチュールの魔術師を振り返るが、魔術師は無理だと言わんばかりに目を伏せた。


「そんなわけですから、閣下はこのままここでおとなしく待っていてください」


「うぬぬぬぬぬぬ!

 許せん!

 こんな森など、いずれ焼き払って灰にしてくれる!」


 歯ぎしりする伯爵を横目に、俺たちは天幕を用意した。

 森に入る面子が裸になって水垢離みずごりをするためだ。


 やがて水の清めが終わり、全員が新しい衣服に身を包む。

 そして厳かな雰囲気で整列した連中に、俺とカルミンで最後の清めをはじめた。

 

 最初に清めを施すのは男爵である。


「エナツォソ男爵、汝は女神クロニによって清められたり。

 その証としてこの外套を与える」

 俺が宣言を行うと、カルミンが楡の皮から作られた生成りのマントを差し出す。


「謹んでお受け取りいたします」

 男爵は地面に膝をついて一礼し、その大きな体に身にマントを着けた。


 続いて薬草から作った葉巻に火をつけ、俺はその煙を口に含んでから男爵に吹き付ける。

 ……この葉巻、味が良くないから正直辛い。


 しかし、五歳の俺がタバコを加えて大人に煙を吹き付けるってすごい絵面だよな。

 儀式だから仕方がないんだけど。


 そのまま参加者全員に清めを施し、ようやく森に入る準備が整った。


「では、これより無彩の森の中に入る。

 皆に女神クロニの加護のあらん事を」


「あらん事を」


 祈りの言葉を唱和すると、俺たちは男爵を先頭にして橋を渡り始めたのである。

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