第6話
二日後。
エヴォンと共に塔から応援がやってきた。
やってきたのは、犬耳のついた青年ディティルス。
月が無くても夜になると半狼になるロビソン族の料理人だ。
そして、彼は一人じゃなかった。
淡いピンクのベリーショートにスレンダーな体つきのダークエルフ美人……アニエルと腕を恋人繋ぎにしたままのご登場である。
「ユージン様、なんか大がかりな儀式やるんかだって?」
「うん。
さすがに一人では対応しきれないからね。
アニエルも来てくれて嬉しいよ」
「若旦那のことは、うちの団長からもお願いされていますから」
彼女の言う団長とは、彼女の上司……塔の中の食糧事情を一手に管理する厨房課の課長の事である。
奴とは友人同士で、よく二人で飲みに行って料理談議に花を咲かせる間柄だ。
当然ながら俺の使用人と厨房課は非常に仲が良く、お互いにちょくちょく手伝いをするうちに……ね。
いつの間にかディティルスとアニエルがくっついちまったというわけだ。
ちなみにだが、厨房課の課長が団長と呼ばれるのは、厨房課の連中が元々彼を団長とする傭兵団だった時の名残である。
ちなみに、本人の前で団長と呼ぶと怒る。
……俺のことは若旦那なんて呼ぶくせに。
おっと、思考がズレていた。
「二人も手が増えたのは助かるよ。
神殿の連中と男爵領の面子全員に食事をとなると、10人や20人ではきかないからな。
とても一人ではまかないきれない」
ちなみにカルミンの案内でラサニ神殿の訪問はすでに済ませてきた。
ついでに禁足地を開放する儀式についても打ち合わせ済みである。
「で……ユージン様。
何を作る予定なんだ?」
「最初は海の幸を中心にって考えていたんだけど、現場の白銀の森への輸送を考えて、肉料理にしたよ」
禁足地である銀霊の者は、この領地の中でもかなり奥まった内陸部にある。
そのため、魚料理となると料理の手間やコストが跳ね上がるのだ。
そんなわけで肉料理なのだが、このバソアレンサンダリア領は酪農に向いていない土地である。
だが、いくつか例外となる生き物がいた。
その一つが兎だ。
ウサギは繁殖力が高く、この土地でも十分に増やすことが出来る生き物である。
そのため、この地域ではウサギの養殖が盛んだった。
一度視察に行ったけど、可愛い物好きなアンネリーがしばらく使い物にならなくなって困ったのは良い思い出だ。
そのあとのウサギ肉の試食で彼女が失神した事も含めてな……。
何もウサギを〆るところから見せなくてもいいだろうに。
そのあと、養殖場のオーナーからウサギのコートのセールスを受けたけど……誰も買わなかったのは言うまでもない。
この地域の領民は本当に商売に向いてないようだ。
だが、試食したウサギ肉は絶品だった。
この領地では麦が育てにくい代わりにバジルやセージといったハーブが非常によく育つ。
そんな香りの強い草を食べて育ったウサギの肉には、他所の土地には無い独特の独特の香りがあるのだ。
そしてもう一つの収穫があった。
オリーブである。
このバソアレンサンダリア領のオリーブは小粒だが味が濃く、なんとも上品な風味があるのだ。
俺はこのオリーブが新種である可能性を疑っている。
というのも、このオリーブの味がイタリアのジェノバで食べたタッジャスカ・オリーブにそっくりだからだ。
……そろそろこの異世界に地球の食材があることに疑問を抱く人がいるかもしれないが、それにはちゃんと理由がある。
少し込み入った話になるので、機会があればいずれ語ろう。
さて、この組み合わせで思い出す料理が一つ。
北イタリアの母の味、リグーリア風ウサギ肉の煮込みだ。
イタリアのリグーリア地方の祝いの場には欠かせない料理で、日本人の感覚だと肉ジャガに近いかもしれない。
「……とまぁ、そんなわけで作る料理が決まったから、一度料理の試作をしようと思うんだ。
場所は神殿の調理場を借りてある」
神殿の厨房は、貧民向けの炊き出しなどをするためにかなり大きく作られている。
最初は男爵の家の厨房も選択肢に入れていたのだが、こちらは思いのほか小さかった。
あのチワワ男爵……ほんとに貧乏領主なのな。
「ユージン様、材料はもう購入してあるのか?」
「とりあえず肉と野菜はもう用意してある。
肉に関してはジョルダンに選んでもらったから確実だ」
ディティルスも鼻は聞くが、魔犬であるジョルダンはそれ以上である。
彼が選んだ肉は、確実に美味い。
そしてメインとなる兎肉はメスのウサギ肉を選んだ。
相手は女神であるため、雄のウサギよりはメスのウサギの方が魔術的に共振しやすいと思ったからである。
普通の料理と違って、神饌には魔術的な要素も考えて素材を選ぶ必要があるのだ。
購入したウサギは、肉屋で一口大に切り分けてもらった。
骨とレバーとウサギの頭を持ち帰るのも忘れない。
本当は腎臓も使えるのだが、癖が強くなりすぎるかもしれないので、今回は無しにした。
「まず、スープを取るところからだよな」
「あ、今回は出来合いのスープを使うよ。
さすがに半日かかるからね。
肉屋が前日に作っておいたものを鍋ごと買い取ってある」
購入した骨は後ほどさらなる試作のために使う予定だ。
「えー、スープから自作したかったのに」
「スープなら、後でいくらでも作らせてやるよ」
拗ねるアニエルを、俺はぞんざいに慰めた。
さて、問題の兎料理の手順だが……。
まず、タマネギをみじん切りにし、潰したニンニクと一緒に丁寧にオリーブオイルで炒める。
そこにウサギ肉とウサギの頭を入れ、焼き色が付くまで30分ほど火を通す。
十分に火が通ったら、スープを追加。
ローズマリー、松の実、ローリエ、タイムなどのハーブをいれ、ひたすら煮込む。
煮立ったらブラックオリーブを追加だ。
その間にウサギのレバーをすりつぶし、ワインを混ぜてペーストにしたものを追加する。
さらに1時間ほど煮込み、塩で味を調え、だしをとるために入れておいたウサギの頭を取りだしたら完成だ。
「さて、どう思うディティルス」
「正直に言わせてもらえぞ、ユージン様。
いい出来だと思うけど、足りないものがあるな」
「やはりそう思うか」
頷きあう俺たちに向かって、アンネリーが小首をかしげた。
「何が足りないんです?」
「……ワインだ!」
俺とディティルスの声が見事にそろい、アニエルもまたうんうんうと頷く。
「わからないのか、アンネリー。
この味ならば赤ワインが必須なのだよ」
あ、アンネリーとミーフィアがそろって変な顔になった。
他のメイドや使用人たちもあきれ顔である。
なんだよー、その反応。
美味しい料理には、美味しいお酒が必須なんだぞ!?
「いえ、間違ってはいないのですが、その言葉を五歳の子供の口から聞くというのはなんとも……。
さすが怠惰の獣。
そのなりであっても、酒におぼれた中年男性の台詞にしか聞こえませんね」
フォーセルの言葉に、他の連中も大きく頷く。
「と、とにかくだ!
この料理にベストマッチする地元の赤ワインを探す必要がある!
これは絶対に譲れない!
……というわけで、ワインを探しに行こう」
「でも、ユージン様はワイン飲めない歳だよね?」
アニエルの台詞が俺の胸に突き刺さる。
「うぐぐぐぐ」
「十歳以下はワインを口にしてはいけない戒律ですからねぇ。
酒に関してはこのディティルスに任せてください!」
ディティルスは右手で自分の胸を叩き、左手でアニエルと恋人繋ぎをしやがった。
こいつら、さてはワイン巡りでデートでもする気だな!
ちょっとうらやましいぞ!
思わず地団駄を踏みそうになった俺だが、その体がふわりと持ち上がる。
「は、離せアンネリー!」
顔を見なくてもわかるぞ。
こんな事をする奴はアンネリーしかいない。
……というか、アンネリーのいる場所で他の奴がこんな事をしたら、嫉妬で焼き殺されるだろう。
「ダメですよ、ユージン様。
聖域に入るには三日以上の潔斎が必要です。
我々だって酒はしばらく口にできないのですから、まず率先してユージン様が手本を示すべきでしょう」
「うぎぎぎぎぎ……神の教えが憎い」
「魔術師の口にしていい台詞じゃないでしょ、それ。
ほら、さっさとフォーセルから軍資金貰ってくれよ」
ディティルスの奴が、空いている右手を突き出して金をせびる。
エヴォン、なんでお前も隣で同じしぐさをしているのかな?
この街に一番詳しいのは俺だから、ワイン探しを手伝うのは当然?
……くそぅ、正論すぎて反論できない。
「フォーセル……」
「はい、心得ています。
ディティルス、アニエル、エヴォン、飲みすぎて仕事を忘れるんじゃないぞ。
あと、護衛の連中も何人か一緒に行ってこい」
フォーセルは金貨の入った袋を取り出すと、中身を小袋に分けて配り始めた。
おいこら、ミーフィア、なんだその勝ち誇った面!
お前ら、もちろんお土産は期待していいんだろうな!?
忘れたりしたら、祟ってやるっ!!
結局、夜になって戻ってきたへべれけ共は、目的のワインも含めて見事に手ぶら。
フォーセルのお説教と、俺の『二日酔い倍増の呪い』を食らったのは言うまでもない。
数日後、俺たちはいよいよ無彩の森に入るために現地へと赴くこととなった。
すぐに取り掛からなかったのは、儀式を行うのに適した日時の関係である。
この世界の魔術は、その日の星の配置によって大きな影響を受けるのだ。
なお、聖域に入るためには潔斎が必要であるため、この場にいる人間には数日酒抜き煙草無し、性的快楽厳禁という生活を送ってもらっている。
それは神官や男爵、そして男爵の命令で同行している彼の部下も同じだ。
これ……宗教的には健全だけど、生き物としては不健全んじゃないだろうか。
男爵の部下である青年たちは、俺の配下の女性陣を見てソワソワしているのを見てそんな事を考える。
うちの女性スタッフ、美人ばかりだからな。
股間のあたりがイライラして苦しそうだが、見なかったことにしてやろう。
報酬は惜しまないから、仕事が終わったりしっかり花街で遊んでくるといい。
さて、そろそろ無彩の森についても少し追加の説明をしておこう。
その聖域は、男爵の治める領地の最北部にあり、月と生命の神であるラサニに捧げられた場所である。
その周囲は底が見えないほど深い大地の切れ目に覆われており、さらには真っ白な霧が常に立ち込めていて、中の様子をうかがう事すらできはしないのだ。
渡り鳥でさえこの森の上空は避けて通り、まともな人間ならば入ろうとも思わないだろう。
だが、その中の事については意外なほど情報が多い。
それというのも、年に一度だけ女神クロニを祀る祭礼の時だけは領主と神官を含む限られた人間のみが入る事を許されるからだ。
その時以外でここに入ろうとしても、森に繋がる橋をかける事が出来ない。
そんな事をしようとすれば、橋をかけようと資材を持つて来た段階でその資材が腐るか溶けるかしてしまうのだ。
そのため、森に入るためにはこの大地の溝を渡るために女神の赦しを乞う儀式が必要になる。
だが、ここでトラブルが起きた。
「ユージン法師官、ちょっとまずい事がおきましたよ」
そう声をかけてきたのは、例の神官……カルミンだった。
その顔は、なぜか笑っている。
「どうしたんです?」
「実は、ババツィーネ伯爵がご子息と一緒に……」
その台詞をかき消すように、何かを叫んでいる中年男の声が聞こえてきた。
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