第5話

 アンネリーが多めのチップを渡すと、おばちゃんウェイトレスは上機嫌で帰っていった。


「カップンとは、この地方の方言で王様を意味する言葉です。

 ですが、なぜそんな言葉がこの料理についたかは謎でしてね。

 元は鶏の肉をパンの上にのせて食べるだけの質素な料理だったそうですよ。

 ……で、その肉すら手に入れる事が出来ない貧乏人が、焼いた鱈の切り身を代わりに使ったところ、思いのほか美味しかったらしくて……皆が真似し始めたのがこの料理の始まりらしいです」


 机に置かれた皿を前に、エヴォンがこの料理について語りだした。


「今ではかなり洗練されてきましてね。

 パンの上にバジルソースを塗ってから、魚介類……主に白ワインで蒸したムール貝とトマトなんかを色々と乗せる豪華な料理になってます。

 扱いとしては、ほとんど祝い料理ですね」


 確かに持ってきた料理の上には、ムール貝以外の貝類をはじめ、イカやタコの切り身、赤身魚のカルパッチョなども乗せられ、天辺にはむき身のエビが飾られている。

 キラキラとツヤツヤな海の幸に彩られたその一皿は、まさに宝石箱のように美しかった。


「なるほど、王様に成りあがった料理か」


「なぜ王様かはよくわからないですが、その表現はしっくりきますね。

 さぁ、王様になった料理をいただきましょうか。

 ちなみに、一番おいしいのは全ての旨味エキスを下で吸い取ったパンの部分だと言われています」


 ほほう、このパンはただの飾りではないという事だな。

 実に興味深い。


「こいつをこの街の特産物である岩に生えた葡萄アルカイツェタコって品種の真っ赤な葡萄を使ったワインでいただくのが、通ってもんですよ。

 特に銘柄が"岩に生えた甘美な葡萄酒アルカイツェタコ・アルド・ゴソア"なら最高ですね」


 なるほど。

 魚介類に合わせるワインは難しいと聞いているが、ここは漁師町だからな。

 海の食材に合うワインだけが生き残って洗練されてきたのだろう。


 それに、この領地の気温が高く痩せた土壌という条件も、葡萄栽培には最適だ。

 美味いワインは、だいたいこういう土地から生まれる。


「あ、魔術で冷やすなら控えめに。

 こいつは低めの常温でいただくのが一番うまいんです」


 冷却の魔術を使おうと水の聖印を指で作っていたフォーセルの手がピタリと止まる。

 たしかにワインって単純に冷やせばいいものじゃないからな。


 そんな事を思いながらワイングラスを手にとったのだが、そのグラスは優しくアンネリーに取り上げられた。


「ユージン様はダメです。

 ワインを飲んで良いお年ではないでしょ?

 魔術師の、しかも法師官である貴方が戒律をないがしろにしては民に示しがつきません」


「うぐぅ……」


 戒律を盾にされると、引き下がるしかなかった。

 そう、拝樹教ハオミズムでは、ワインは10歳以上と定められているのである。

 中身は十分に成熟しているのだが、戒律には逆らえない。


「中身はむしろオッサンに近いんですけどねぇ」


「エヴォン、口を慎め。

 いくら本当の事でも言って良い事と悪い事がある」


「おい、フォーセル。

 それフォローになってないから」


 その時だった。

 俺の真向かいにあたる席がガタッと大きく音を立てる。


 見れば、顔見知りではない男が一人いつの間にか座っているではないか。


「こんにちは。

 ご一緒してもよろしいですか?」


 第一印象は、胡散臭い糸目の優男。

 身に着けている白いローブに月と生命の女神であるラサニの紋章が刺繍されていなければ、即座に護衛たちから武器を向けられていたことだろう。


「いや、許可を出す前にもう座っているし」


 さて、見た目は一見神官ではあるが、新手の詐欺師か何かだろうか?

 いずれにせよ、ウチの護衛たちの警戒をすり抜けて俺の正面の席に座ったのだから、ただ者ではない。


「まぁまぁ、そう硬い事を言わず。

 私、この街のラサニ神殿に勤務する神官で、"苛烈なる献身"カルミンと申します」


「その神官が何の用……」


 俺が返事を返そうとすると、後ろからアンネリーの手が伸びた。

 そしてそのまま抱えあげれてしまう。

 すかさず俺の左右をミーフィアとジョルダンが固め、さらには笑顔の仮面を張り付けたフォーセルが俺の代わりに椅子に座った。


 不審者の対応は、自分たちがやるという意思表示である。


 ……うわぁ、フォーセルの奴最高に機嫌が悪そう。

 彼はテーブルにどっかりと肘をつき、組んだ両手で口元を隠すような体勢を採っていた。


 その細身の体からは殺気のようなものが揺らめいており、完全に敵認識で対応している。


「で、そのカルミンさんが何の話でしょう?」


 フォーセルの口から、まるで氷の矢を打ち込むような剣呑な声が響いた。


「そう警戒しないでくださいよ。

 同じ神々を信奉する仲間でしょうに」


「……話を」


 相手の言葉や行動には一切反応を示さず、フォーセルは強硬に話を促す。

 そのかたくなな態度にカルミンは肩をすくめ、芝居がかったしぐさで溜息をついた。


「我が神殿に参拝されるという知らせをうかがったので、その御返事ですよ。

 あと、禁足地を開放するために料理をおつくりになるんでしょう?

 なら、ウチも一枚かませてほしいかなと」


 あぁ、これは断れない奴だ。

 神殿の縄張りの中で魔術師が勝手に大掛かりな儀式をすれば、神殿の面子は丸つぶれになる。

 ただ、向こうからその提案が来るとはちょっと思ってなかった。


「確かにその話はそちらに話を通してからにしないといけませんね。

 それについては、こちらから訪問させていただいたときにお話ししようかと思っていました」


 だが、依頼を受けると決めてからまだ数日。

 神殿に挨拶をするのは、もう少し時間がたってからでもいいはずだ。

 しかも、礼儀からするとこちらから挨拶をして話を通すべき流れである。


 なのに、なぜこのタイミングで向こうが挨拶を?

 何か焦って行動しなければならない理由でもあるのだろう。


「それで、どんな料理を作るかはお決まりになりましたか?」


「まだ色々と食べてこの土地の魅力を理解しようとしているところです」


 たかが二日三日でその土地の食のすべてが分かるわけがない。

 すると、カルミンは身を乗り出してこう告げた。


「でしたら、自分が協力しましょう。

 なんでしたら、祭礼に必要な物資や食材の代金についてもこちらがお出ししますよ」


 ふむ、いい条件だな。

 だが、フォーセルは目を細めた。


「そこまでする理由がよくわからないですね」


 カルミンは我が意を得たりといわんばかりに笑う。

 同時に風の魔力が周囲を覆った。


 防諜の魔術か。

 どうやら、内緒のお話をご希望らしい。


「ババツィーネ伯爵には、三人の息子がいる事をご存じでしょうか?」


「いえ、初耳です」


 こちとら権力には興味のない魔術師の塔の住人である。

 いくら伯爵家に関するものと言えど、そこまで細かい情報は把握していなかった。


「上の二人の子は側室の子で、この二人は母親ともどもいまだに拝樹教ハオミズムの信奉者なんですよ」


「そして三男は正妻の子で、聖人教アヴァチュールを信仰している……と」


 おそらく見当で言った台詞だろうが、カルミンは笑顔で肯定した。


「その通りです。

 ちなみにユージン様は、ランペールの馴致が成功すると思いますか?」


 おや、強引にこちらに話を振ってきたぞ。

 俺はアンネリーの手を叩いて降りるという意思を示す。


 するとフォーゼルが席を開け、再び俺は指定席に座った。


「その馴致を可能とする属性、木星と金星の二つの星の魔術を使う者としてお答えしよう。

 ……まともな方法では無理だな」


「ですよねぇ。

 そうなんですよ、まともな方法では無理なんです」


 つまり、ババッィーネ伯爵は禁止薬物か何かのまともでは無い方法を使うつもりというわけか。

 そしてその違法行為を告発し、妾腹の子のどちらかを継がせることでババツィーネ家を拝樹教ハオミズムに引き戻す。

 これがこの糸目の神官の目的なのだろう。


「あまり乗り気ではないが、協力するしかなさそうだな」


 馬鹿の相手をするだけでいいと思っていたら、とんだ妖怪が背後にいやがった。

 ……今度はお家騒動かよ。

 

「ご理解いただけたようで何よりです。

 もしよろしければ、明日にでもこの土地の肉料理についてご案内させていだいても?」


「よろしく頼む。

 あと、女神クロニの神殿を参拝する日程はどうなっている?」


「いつでもお越しください。

 不肖カルミン、謹んでご案内を承りましょう」


 そう告げると、カルミンは席を立って優雅に一礼して見せた。

 この男、かなり上級の神官だな。

 挨拶を見れば、形式な品格でその人の立場がある程度わかってしまうのだ。


 去ってゆくカルミンの後姿をみつめながら、俺はエヴォンを手で招いた。

 そしてその耳にささやく。


「エヴォン、一度塔に戻って応援を呼んできてくれ。

 さすがに俺一人では手が足りない」


 その声は、自分でもわかるぐらい疲れ切っていた。

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