第4話

「うぉぉ、寒っ」


 男爵の屋敷を出ると、海から吹き上げてくる強い風が俺の毛皮を乱暴に撫でた。

 いくらこのバソアレンサンダリア領が温暖な気候とはいえ、今はまだ二月である。


「さて、ユージン様。

 どこから見て回りましょう?

 やはり魚介類からですか?」


 愛用しているモスグリーンのコートを俺に被せながらアンネリーが予定について尋ねてくる。

 ちょっと考えてみたけど、やるべきことはたくさんあるなぁ。


「うーん、まずは地元の神殿に顔を出さなきゃいけないけど、いきなり尋ねるのはちょっとね。

 先に使いを出して向こうの都合を聞いてからにしようか」


 正直に言うと、地元の神殿に顔を出すのはかなり気まずい。

 今回の依頼が神殿の面子を潰しかねない内容だからだ。


 とはいえ、俺にやらせろという神託を下したのは神である。

 神官たちも異を唱える事は無いだろうが、気分が良いかと聞かれたら、良いはずがない。


「で、返事が来るまでの間に、市場で食料を見て回ろうと思う。

 ただ、魚介類は明日にしよう。

 今はもう昼過ぎだしもー、明日の朝に水揚げされたばかりのものが見たいから」


 さて、ここバソアレンサンダリア領について少し関節をしておこう。


 ……一言で言うと僻地である。


 形としては海を囲んで半円を描くように広がっており、温暖で湿度の高い気候ではあるものの、土地は痩せており、小麦の生産はあまり多くない。

 酪農にも向いていないため、肉類や乳製品はかなりの制限を受けとしまう。


 近くには大きな航路が通っており、ここに港をつくって交易をすればかなりの収益になると思うのだが……。

 調べた限りでは小さな漁港があるのみである。


 先祖代々、商売があまりうまくない家なのだろうな。


 なお、領都であるここバソコ・スーアリザクの街は、この領地で一番大きな港のある場所である。

 領内の漁師がとれた魚を売りに船でやってくる場所であり、バソアレンサンダリアの海の幸を楽しみたいのならば、この街以上の場所は無いそうだ。


 農業にも畜産業にも向いていない土地柄ゆえに、その食生活は海のものが中心。

 イワシなんかは新鮮でおいしくて、しかも安い。

 そしてなんと、タコが普通に食べられている。


 ……と、このあたりの事を教えてくれたのは、俺の配下の一人であるエヴォン。

 他の生き物に変身することが得意な妖精、ブラッグ族の青年だ。


 俺の配下の中では物資の購入を担当しており、その職務故に他の街に行くことが多い。

 ついでにスパイ行為のようなことをするのも、彼の仕事だ。


 そんな彼のおすすめ従って、俺たちは漁港に近い通りを歩く。

 海岸線に寄り添うように広がるこの場所は、漁師たち向けの屋台が立ち並んでおり、名物は海産物のフリット。


 なみなみと満たされたオリーブオイルの中で、イカ、タコ、エビといった素材がジュウジュウと音を立てている。


 この領地の温暖な気候はオリーブの栽培に向いており、しかもこの領地のオリーブは土の質のせいなのか、他とは味が違うらしい。

 そしてオリーブオイルは、この地域の誇る貴重な特産品の一つだ。


 なお、海鮮フリットの付け合わせは、セージというハーブのフリットがお約束である。

 海鮮とセージとオリーブオイル、この組み合わせが、とんでもなくおいしい。


 あぁ、ビールが欲しくなる。

 ……ビール、屋台で売ってるね。

 買うか。


「おじちゃん、ビール一杯!

 おつりはいらなーい」

「あいよ、もって行きな!」


 俺がビールを買い求めると、今更ながらにビールの存在を思い出したのか、執事やメイド、護衛の連中に至るまでもがビールを買いあさる。

 厨房魔術師の配下だけあって、みんな美食には弱いのだ。


 とはいえ……君たち、今は勤務中だよね。

 フリットとビールの組み合わせがそこにあるのが悪い?


 まぁ、その通りだな。

 認めよう。


 とりあえず、その辺の岩をベンチにするから、ちょっと待ってなさい。


「ユージン様、向こうでホタテのフリットが売っていたので、全員分買ってきました」


「でかした、ミーフィア!

 ビールを一本おごってやろう!

 おっちゃん!」


「あいよ!」


「……恐縮です」


 なお、子供なのにアルコールなんか飲んでいいのかと思うかもしれないが、法的に問題は無い。

 そもそも、この世界の生水は非常に危険である。

 そのため、ビールを始めとするいくつかの酒類は子供でも飲むことが許可されているのだ。


 もっとも、この世界で一般的に売られているビールの度数は非常に低いんだけどね。 

 だいたい2度から3度と言った感じか。


「あ、俺も何か美味しいものが無いか探してきます」

「じゃあ、私も!」

 そしてミーフィアの行動に刺激されたのか、他の連中が色めき立った。

 自分も褒めてもらおうと、何か俺の心くすぐる食材が無いかときょろきょろしだす。


「……よかろう。

 みんなにお小遣いを渡す。

 そのお金で誰が一番おいしい物を見つけてくるか、競争だ!

 必ず予算内で治める事、そして全員分買ってくるのがルールだ!」


「おぉぉぉぉーっ!」


 俺が全員に銀貨を配り終えると、全員が蜘蛛の子を散らすように屋台街へと散っていった。


「さぁて、今のうちに宴会の準備をしておくかな」


 その間に、俺はその辺の石を組み上げて、中に即興で作った火の呪符タリズマンを放り込む。

 簡易魔導ストーブと呼ばれる即興の暖房器具だ。


 そして熱が拡散しないよう、会場にする広場の周囲を風よけの結界で囲む。

 これで誰かが酔いつぶれても、風邪を引くことは無い。


 さらに俺はおっちゃんから屋台のビールをすべて買い上げると、水の魔術でビールをキンキンに冷やした。

 見たか、この俺の出来る上司っぷり!


 この寒い中、ガンガンに暖房を焚いて、キンキンに冷えたビールを飲むのが俺流の楽しみ方よ!


 しかし……みんな遅いな。

 ちょっとだけ食べちゃうか。


 まずは前菜よろしく、セージのフリットを一口。

 いきなり味の濃いイカやタコのフリットに手を出さないのが俺のこだわりだ。


 そしてハーブの香りが口の中に残っているあちに、アツアツでカリッとしたイカのフリットを一口。

 旨味と塩気が油にのって口の中へ広がったところへ、さらにキンキンに冷えたビール。


 あかん、こいつは悪魔のワルツだ!

 止められない、やめられない!

 あ、狩っておいたフリットが無くなった。


 まだみんな来ないし……次はあっちの屋台のフリットを買って食べ比べするか。


 おお、味付けが微妙に違う!

 使っているオリーブ油も前の店の奴より香りがいいな!


 まずい、腹が膨れてきた。

 これじゃみんなの集めてきた屋台料理の試食が出来なくなる!


 俺は泣く泣く悪魔のワルツを中断すると、荷物から苦い胃薬を出して飲み込むのであった。


 なお、第一回買い食い王選手権の優勝者は、あっさりした大根っぽい野菜のスープを一番最後に持ってきたアンネリー。


 この街に一番詳しいエヴァンを差し置いての優勝に、文句を言う者は誰もないかった。

 ……さすがに脂っこい物ばかりだと、みんなも辛かったらしい。

 姉キャラ、最強である。


 さて、俺たちはそのまま宿を取り、そして翌日も食べ歩き開始した。

 昨日は胃もたれするほど食べたんじゃないのかって?

 そんな遠い昔のことは忘れたよ。

 胃薬万歳。


 てなわけで、今朝は朝市で美味しい物巡りだ。

 え? 呑気に観光しているんじゃないよって?

 おいおい、これも神に捧げる食材を探すためだってば。

 ちゃんとした仕事なんだよ?

 すっごく楽しいけど。


 それに、神殿からの返事が届くのを待って午後からはこの街の守護女神である月の女神ラサニの神殿へ参拝予定だ。

 女神ラサニは月の女神であり、生命の誕生を司る女神だが、実は海の守護神でもある。


 ゆえにこの街では拝樹教ハオミズムの十二の神の中でも、特に女神ラサニへの信仰が厚いのだ。


 その途中、俺はふと疑問を感じて立ち止まった。


「うーん、ビールを片手に漁師町で食べ歩き。

 これ、たまらない組み合わせだよね。

 バソアレンサンダリア領って、なんでこんな無名なの?」


 あと、田舎町なくせに、微妙に食べ歩きをしている連中が多い気がする。

 そんな質問をすると、帰ってきたのは微妙な顔だった。


「旅慣れた連中の間では、けっこう有名ですよ?

 魚介類が美味しい街って」


 何か言外に含んでいるような声で答えたのは、この街に詳しいエヴォンである。


「だったら、有名になってないとおかしいじゃないか」


「あぁ、それなんですけどね……ほら、お貴族様が食べ歩くような街じゃないでしょ、ここは?

 だからこそ楽しいんです。

 この街が有名になったら、そう言う部分ってなくなっちゃいますよね」


 あぁ、確かにこの街で貴族が美食を求めるようになったりしたら、今ある素敵な部分が色々と変化してしまうだろう。

 ここは気取らない漁師風のご飯を楽しむ街なのだ。

 だから、わざと黙っているのか。


 俺が深く考え込んでいると、話題を切り替えたかったのか、エヴォンは突然話を切り出した。


「あ、そうだ。

 この街に来たのならば、アレを食べなきゃ嘘でしょう」


「何かオススメあるの?」


「せっかくなので、そこのオーブンテラスに入りましょう。

 みんなもそれでいいよな?」


 エヴォンがほかの面子に話を振るも、異存はないようである。

 この中で一番この街に詳しい彼がそこまで進めるのだから、これに乗らない手は無い。


 俺たちは店主に断ってオープンテラスの一角を占拠すると、エヴォンのお勧めとやらを全員分注文した。

 

 やがて出てきたのは、一枚のパンの上に、緑のソースと魚介類が宝の山のように盛られた一皿。

 本来は漁師のために作られるものであろう料理……そんな豪快さが、そこはかとなく見受けられる。


「はい、お待ちどうさま。

 これがこの街の名物、カップン・マグロだよ」

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