第3話

「申し訳ありません!」


 俺の前で深々と頭を下げているのは、二十代のはじめぐらいの青年である。


 彼の名は、イオン・エナツォソ男爵。

 海に面した貧しい辺境、バソアレンサンダリア領の領主である。


 人好のする顔立ちと、武人にあるまじき人畜無害な雰囲気。

 どちらかといえば大柄で逞しい体つきをしているのに、視線を合わせるとチワワと錯覚しそうになるつぶらな瞳がこちらを覗き込んでくる。

 ……この男こそが、例のふざけた依頼を出してきた当人?


 ――無いな。

 この男には、あんな内容の依頼を出す傲慢さが見受けられない。

 とはいえ、チワワは家族愛が非常に強く、守るべきものがあると一瞬で獰猛かつ豪胆な性格になる生き物だ。

 油断はできない。


 この依頼、何か裏がありそうだぞ。

 俺たちの面会は、そんな違和感から始まった。


 ――探りを入れてくれ。

 俺はフォーセルに目配せをし、無言のまま話を進めるよう求めた。

 こういう時に俺が会話を勧めようとすると、お子様の外見ゆえに色々と不都合があるのだ。


「さて、男爵閣下。

 我が主であるユージン法師官に代わりまして私がお話を勧めさせていただきますが……いきなりの謝罪をされても、こちらとしては戸惑うばかりです。

 まずは事情をお聞かせ願いませんでしょうか?」


「は、はいっ!

 申し訳ございません!」


 男爵の頭が勢いよく下がり、ゴツンと床に音が響いた。

 うわ、痛そう。


 いや、いきなりの謝罪は困るって今伝えたでしょ。

 なんでこうも腰が低いかな。

 これで海の荒くれ共が幅を利かせているこのバソアレンサンダリア領をどうやって治めているというのだから、世の中よくわからない。


「……すいません、すいません、すいません」


 もはや卑屈までに謝罪を連打すると、エナツォソ男爵はどこか怯えるような調子で事の成り行きを話し始めた。


「事の発端は一昨年の事です。

 我が領地は原因不明の凶作に見舞われ、特に麦がことごとく枯れてしまい飢饉が発生してしまいました」


 ――あぁ、その話は俺も知っている。

 当初は地脈の乱れか原因ではないかと考えられており、俺の部下が調査に当たったんだったな。


 なお、海の恵みに恵まれた領地と言えど、人口の比重は圧倒的に農民が多い。

 港に出来る場所は限られているのだから、それは仕方のない事なのだ。


 そういえば、その事件の結果報告を受けてないぞ。

 どういうことだ?


 ちらりとフォーセルを見ると、彼は大きく頷いた。

 後で追及するという事らしい。


「――そのため、麦の種を別の所から購入しなくてはならなかったのですが、もともとが貧乏貴族でして。

 全ての農家に行き渡るほどの種を購入することが出来なかったのです」


「それは不味いですね。

 税務官に知れたら、処罰されかねませんよ」


 地方の領主には、その土地の人間をちゃんと食わせてゆく義務がある。

 それができないならば、さらなる僻地に転封てんぽう

 それすらできない僻地の領主なら、廃爵されて家を潰されてしまうのが常である。


「ええ、分かってます。

 それで借金をしてでもなんとかしようとあちこちか駆けずりまわったのですが……商家には全く見向きもされなくて……」


 それはそうだろう。

 原因のわからない飢饉に襲われた領地である。

 それが未解決のままである以上、また同じ現象が繰り返されるのではないかと思われても仕方がない。

 そして、そんな貸し倒れになりそうな家に金を貸す商人など、いるはずがなかった。


 だが、貴族には寄り親と言う存在がいる。

 それは貴族の家を支えてくれる、より上位の貴族の事だ。


 はて、こんな事態が発生したならば、普通は寄り親がなんとかするものである。

 だが……寄り親と関係の悪い家と言うのは、よくある話なのだ。


 その手の話に詳しいメイドにチラリと視線を向けると、彼女は俺の耳に手を当ててボソボソと囁いた。


「このあたりの貴族の寄り親はすべてババツィーネ伯爵家ですわ。

 あまり評判のいい家ではございませんわよ。

 特に今の当主が家を継いだ時に、我々拝樹教ハオミズムから聖人教アヴァチュールに改宗しましたので。

 複数の頼子の家を巻き込んでかなりのトラブルになっておりますわ」


 うわぁ……。

 面倒の塊みたいな家が出てきたな。

 未だに拝樹教ハオミズムを信仰している男爵は、さぞ派閥の中で肩身が狭い事だろう。


 補足しておくと、聖人教アヴァチュールは教祖イザルベルツとその弟子たちを崇拝対象とする古い宗教である。

 この国に古くから存在する宗教で、俺たち拝樹教ハオミズムとは特に敵対していない。

 けど、特別仲がいいわけでもないといった間柄だ。


 ただし、『現在は』と注釈がつくけどね。

 異なる二つの宗教が、一つの国の中でずっと仲良くできるかと言われたら……それは難しいと言わざるをえない。


 だが、仲良くしていなければならないのだ。

 この世界の平和を維持しようと思うならば。


 俺の部下にも聖人教アヴァチュール信徒は多く、扱いには苦労している。


「結局、借金に応じてくれたのは、寄り親のババツィーネ伯爵だけでした。

 ですが、ババツィーネ伯爵は借金の返済のかわりに魔獣の子を生きたまま捕らえてくるよう求めてきたのです」


「ちなみに、その魔獣とは何なんですか?」


「ランペールと言う生き物です。

 我が領内にある無彩の森という禁足地にしか住んでいない大型の猫なのですが……」


 正気か?

 禁足地とは聖域の中でも特に神聖な場所だ。


 そこに住む生き物は、すなわち神の使いである。

 それを捕らえるなど、神の怒りを招く結果しか思いつかない。


「ずいぶんと無茶を言いますね。

 そもそも禁足地なんて、年に数回、それも神にって定められた神事の時でもない限り入ることもできませんし、神事であっても滞在が許された時間はそう多くはない」


「そうなんですよ。

 しかも、無彩の森に座します女神ラサニの祭礼は初夏です。

 まだ数か月も先のことで、とても伯爵の要求する期限に間に合いません」


「いつまでにと言われているんです?」


「三月の頭までには……」


 来月か!

 あまりにも無茶が過ぎるな。


「しかし、なぜ生きたまま捕らえなければならないのでしょう?

 中に入って捕獲に成功したところで、飼いならせる生き物ではないと聞いてますが」


「ええ、非常に気性が荒く、猫と違ってとても人になつく生き物ではありません。

 毛皮にしたいとでもいうのなら、まだ理解できるかもしれませんが、子供を生きたままとなると……」


「ずっと檻に閉じ込めて見世物にでもする気ですか?」


「さぁ、子供の内から世話をすれば飼いならせるとでも思っているんでしょう。

 伯爵の家には、馴致の魔術を使う子供が一人いると聞いていますから、その力でどうにかなるとでも思っているのかもしれません。

 もしくは何も考えていないか、ですね」


 実は、動物を飼いならすための魔術は少なからず存在する。

 ついでに俺のもつ属性の一つ『金星』は、その手の術が専門だ。

 だが、そんな物を使ったところで生き物の性質や本質が変わるわけではない。


 たとえば……散歩から帰りたくない柴犬ならば地面に座ったまま動かない程度の事で済むだろう。

 だが、ランペールならばそのまま牙をむいて頭を食いちぎりに来るかもしれない。


 例えば、キリンという生き物は躾が出来ない事で知られている。

 理由は簡単。

 あの生き物に、我慢と言う概念が無いからだ。

 なので、魔術を使って魅了したとしても、キリンを飼いならすことは決してできない。

 世の中には、飼いならそうと望んではいけない生き物と言うものが存在するのだ。


 思うところあって、俺はちらりとジョルダンを見る。

 俺の視線に気づいたジョルダンは、嬉しそうに笑って尻尾を振った。

 うん、うちの子は可愛いから絶対に大丈夫。


 ……と、こういう慢心が一番危ない。

 俺も改めて、種族や肉体能力の違う生き物と寄り添う事について考える事にした。


「話を聞く限り、無茶ぶりどころか嫌がらせでしかないですね」


「私も無茶だと何度も言ったのですが。聞いてもらえず……ランペールの子を期日までに用意できないのならば。今すぐ借金を返してもらうと言われまして」


 司法に訴える事も考えたが、ババツィーネ伯爵は寄り親である。

 よしんば国が言い分を認めてくれたとしても、結果は派閥を追い出されて経済的に干上がるだけだ。


 そんなわけで、エナツォソ男爵はどうにもならないところまで追い込まれているらしい。


「あと、魔獣の子を捕まえる力が足りないのならば、聖人教アヴァチュールの魔術師を派遣するという提案もありました。

 ただし、その際には聖人教アヴァチュールに改宗する必要があります」


 あぁ、そう来たか。

 おそらく、男爵の改宗が最大の目的だろう。

 こんな僻地の領主を無理やり回収させて何の徳があるのかはわからないが、何もなければこんな無茶を言うはずもない。


 しかも、我々拝樹教ハオミズムとの関係を悪化させてまでゴリ押しする必要があるのだ。

 だが、利益を求めているのがババツィーネ伯爵なのか、それとも聖人教アヴァチュールなのか。

 そのあたりの線引きで、やるべきことが変わってしまう。


「それで思い悩んでいたところ、地元にある女神ラサニの神殿に神託が下ったのです。

 この事態を解決するなら、怠惰の獣と呼ばれる魔術師を頼れ……と。

 それでこの領地出身で魔術師の塔に努めている職員に頼み込んで、依頼書を届けさせていただいたというのが、今回の流れです」


 話を聞き終え、俺は思わず頭を抱えたくなった。

 少なくとも、エナツォソ男爵を責めても仕方がないのは間違いない。


 だが、神よ。

 俺に対して何の説明も無しにそんな神託を出すのは勘弁してください。

 そういう信者のお悩み解決は、魔術師じゃなくて神官のお仕事だと思うんですが?


 あ、はい、世界への奉仕が俺の存在理由なんだからつべこべいわずにご奉仕をしろと。

 俺、めちゃくちゃ疲れているんですが。

 あと、普段からちゃんとこの世界のために働いていますよねぇ?


 可哀そうな民を早く救ってやりたい?

 その可哀そうな民の中に俺は含まれていないんですね。


 所詮は他所の世界からの転生者ってことですか。

 使い潰しても惜しくないと。

 ……心からお恨み申し上げます。

 この、ブラック企業め!


 ちなみにこれはただのひとり言だ。

 神と対話が出来ているわけではない。


 だが、実際に神と対話をしたならば同じような流れになるだろうな。

 普通に考えて、血のつながらない子供より、血のつながった子供の方が可愛いだろう?


 そんな苦い現実を喉の奥へと飲み込むと、俺は腑に落ちない……文字通り胃の手前に何かが引っ掛かっているような気分で男爵へと告げた。


「この土地の民を救いたいという依頼ならば、承りましょう。

 自分にどれだけのことが出来るかはわかりませんが」


「おお、本当ですか!」


 男爵が顔をあげ、俺の手を握る。


 かくして俺は、前回の疲れも癒されることなく再びこの世界への奉仕を余儀なくされたのであった。

 ……とほほ。


 だって仕方がないだろ?

 このまま男爵を見捨てたらどうなるか想像できちゃうんだよ。


 まず、ランペールの子供の捕獲は間違いなく失敗する。 

 エナツォソ男爵が改宗して聖人教アヴァチュールの力を借りようとも……だ。


 結果、このチワワ系マッチョ男爵が路頭に迷うだけでは済まなくなる。

 そしてこの領地に住む人間は、借金の代償として他所の国に売り飛ばされるだろうな。

 領民を救うために出来た借金だから、領民が償うのは当然だという理屈で。


 そうなったら、明日からご飯が美味しくなくなるじゃないか。

 厨房魔術師の名にかけても、そんな未来は認めない。


「じゃあ、そんなわけだからまずは美味しい料理をつくろうか」


「……は?

 料理ですか?」


 その時男爵が見せた顔は、飼い主の手品に引っ掛かって少ない餌を手に入れてしまった犬によく似ていた。

 理解できない?


 さては、俺がどういう術を使う魔術師か知らないで依頼しただろ。

 このお間抜けさんめ。


 だが、俺が引き受けちまったからにはもう遅い。

 ここからは俺のやり方でやらせてもらうぞ。


「とりあえず、この土地とつながった食材が必要だな。

 俺は市場に行く。

 フォーセルは、この領地の不作に対する調査報告を手に入れてくれ」


 そして俺たちは、いまだに自体についてゆけず茫然とする男爵を置き去りにしたまま、それぞれに行動を開始したのであった。

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