第9話

「ありました。

 猫科の特徴を持つ足跡……たぶんランペールです」


「でかした、ディティルス!」


 ディティルスがランペールらしき足跡を見つけたのは、男爵に案内された水場の近くだった。

 いくつもの足跡が混ざりぐちゃぐちゃになった地面から、よくもまぁ目的の足跡を見つけ出したものである。

 何事も、プロというのはすさまじいものだな。


「この足の大きさからすると、たぶんランペールの大きさは尻尾を含めて3メートル前後って感じですね」


 ディティルスの解説を聞きながら男爵を見ると、彼は無言のまま大きく頷いた。

 どうやらその予想は正しいらしい。

 

 ……となると、虎の最大値が3メートルちょっとだから、ランペールもそんな感じだと思えば間違いないだろう。


「問題は、ランペールに現在子供がいるかどうかだな」


 食物連鎖の上の方にいる生き物と言うのは、おおよそ出産が少ない傾向にある。

 ただでさえ限られた場所にしか住んでおらず、生息数が限られているであろう生き物だ。

 今現在において生まれたばかりの子がいる確率はどれほどのものであろうか。

 どう考えても、その確率が大きい物であるとは思えない。


 すると、カルミンがいつもの胡散臭い顔で笑いながら話しかけてきた。


「それに関してはご心配なく。

 前の神事の時に、身ごもった雌のランペールと遭遇していますので。

 何も問題が起きて無いならば、今は乳離れした子供がいる頃でしょう」


「……なんとも都合のいい話だな。

 もしかして伯爵の息子がランペールの子供が欲しいと言い出したのは、その話が伝わったからか?」


「さすがの慧眼、恐れ入ります」


 賛美の言葉を受けたにも関わらず、俺は何かとんでもない詐欺に引っ掛かっているような気分がして気持ちが悪かった。


「うわべだけの世辞なんかいらないし。

 いいか、俺を騙そうとは考えるなよ。

 変な事をしたら、盛大に呪ってやるからな!」


 俺は精いっぱい凄んでみたものの、カルミンは笑いながら肩をすくめるようなしぐさを見せる。

 こいつ、俺の事をナメてるんじゃないだろうな?

 一回痛い目を見せてやった方がいいんじゃないだろうか。


 俺が鼻息を荒くしていると、ふいに肩を叩かれる。


「お、ミーフィアか。

 どうした?」


「ユージン様、この足跡……ランペールの子供のものじゃないでしょうか」


 見れば、様々な動物の足跡が重なる中に、一際小さい……と言っても、大人の猫ほどもある足跡が残されていた。


「たぶんそうだな……よし、こいつを使うか。

 その足跡のついた部分の土を採取しろ」


「何をされるんです?」


 男爵が興味深そうに聞いてきたので、俺は簡単に説明をしてやることにした。


「こんな勝手のわからない森の中で獣の子を探してうろついたところで成果が出るとは思えない。

 それは狩人のやり方だ」


「魔術師は違うと?」


「そうだ。

 召呼の術を使う」


 召呼術とは、一言で言うと相手を呼び出す魔術である。

 カテゴリーとしては、恋の望みをかなえる魔術の一種だ。


 そのため、魅了の術とセットになっている事が多いのだが、俺は別にランペールの子供とイチャイチャしたいわけでは……まぁ、モフりたい誘惑が無いと言えば嘘になるが、今回はそれをすると失敗になる。


 馴致できる可能性がある状態で伯爵の所のクソガキに会わせてやらんといかんからな。

 俺が馴致したあとだと、あのクソガキでは術の上書きが出来ず、俺が横取りしたことになってしまう。

 さすがにそれは体裁が悪い。


「なるほど、向こうか来てもらうというわけですか」


 男爵が納得したようにうなずく横では、カルミンはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。

 俺が何をしているか分かってますよと言った感じの笑みだ。


 あぁ、そうだよ。

 こいつは今も距離を置いて俺たちを見張っている聖人教徒アヴァチューリアン共への当てつけだ。


 数百年ほど前の話だが、当時の聖人教アヴァチュールのトップである教皇が希代の怪僧エフモビーチの魅了の術によって陥落され、教団存続の危機に立たされたことがある。


 そのため、聖人教アヴァチュールにとってこの手の術は禁忌中の禁忌なのだ。

 ゆえにこの術を使うところを黙って見ているなどできはしないだろうが、騒ぎ立てれば聖獣たちが確実に襲撃してくる。


 おお、森の向こうから苦悶の声が聞こえてくるわ!

 くくく、そこでおとなしく歯ぎしりしているがいい!


 そんな性格の悪い事を考えつつ、俺は採取した土に粘土を足し、少し水を加えてから猫を模した泥人形を作り上げた。

 我ながらいい出来栄えである。

 ……アンネリー、可愛い物隙はわかったけど、これを上げる事はできないよ。

 あとでもっといいの作ってあげるから、今は我慢してね。


 さて、粘土で人形を作ったあとは、荷物をあさって林檎の枝を取り出す。

 この枝の先端を焼いて燃えさしを作りたいのだが……。


「ユージン様、忌火の用意をしておりますので、もうしばらくお待ちください」


「おお、さすがミーフィア。

 手回しがいいな」


 アンネリーがちょっと役に立たない状況なので、代わりにミーフィアが必要なものを準備してくれていた。

 凹面鏡で太陽の光を集め、木を削った粉末に火をつける。

 そして得られた聖なる炎、忌火と呼ばれる物を使い、俺は林檎の枝の先を真っ赤に焦がした。


大いなるアフラシアアフラシア ヤインコサ アンディア

 林檎の木に座します神よヤインコア サガルォンドアン エセルツェン デナ

 愛を司りし美の女神よマイタスナ アギンツェン デュエン エデルタスナエン ヤインコサ

 我が唇に力を与えエマン インダルァ ニレ エスパイネイ

 かの者の耳に我が声をお届けくださいメセダス エマン ニレ アーオッサ ペルツォナ オルェン ベラルィエタラ


 そして俺は真っ赤に燃える林檎の枝の先端を、先ほどの泥人形の心臓に押し当てる。

 ジュッと音がして、甘い香りのする煙が周囲に広がった。


我が言葉は水の如くニレ イツァク ウラ ベサラコアク ディラ

 また油の如く耳より染み込みオリオア ベサラコアク スレ ベラルィエタラ サルツェン ディラ

 肺腑を焼いて心臓に届くビリカク エルェ エタ スレ ビーオツェラ イリステン ディラ

 汝、ランペールの子よス ランペレレン セメア

 我が呼びかけに従いここに来たれヤルァイツ ニレ デイア エタ エトルィ オナ

 さもなくばベステラ塗炭の苦しみをその心臓に受けよビーオツェコ ミン アンディア ヤサテン アリ サラ

 其は愛の切望と苦悩なりマイタスナレン イルィカ エタ カズカ ダ

 其の痛みは耐えがたくミナ ヤサネシナ ダ

 水なくして生きる者がいないようにイサキ ビシデュナク ウリク ガベ ビジ エシン ディレン ベサラ

 母無くして生まれる者がいないようにアマリク ガベ イノル ヤイオツェン エス デン ベサラ

 何人たりとも抗う事はできないイノルク エシン デュ デソベディツ


 よし、成功だ。

 心の中の何かがどこかとつながった感触がある。


来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル

 怠惰の獣ユージンが汝に命ずるユージン アルフェルケリアレン ピスティアク アギンツェン ディス


 あとは呪文と共にゆっくりと糸を引っ張るイメージをするだけ。

 だが、無理に引っ張ってはいけない。

 時間の節約にはなるが、向こうに苦痛を与えてしまうからだ。

 なので、後に禍根を残さずこの術を使うにはかなり繊細な加減が必要なのである。


 ……もう一押しするか。

 俺は水飴の瓶を取り出し、指の先に少しだけつけて泥人形の表面に塗りつける。

 これで俺に近づくほどにランペールの子供は甘美な感触を感じるようになるのだ。


来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル

 来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル


 何度も何度も古語で囁きかけ、相手の意思を少しずつ奪う。

 これがただの野生動物ならばすぐに術の虜となって駆けつけてくるのだが、相手は知能の高い魔獣だから一筋縄ではゆかない。


 糸を引き寄せるイメージの中にも、ほんの少しだが抵抗らしきものを感じる。

 姿が見える位置にまで引き寄せるには、まだしばらくかかりそうだな。

 だが、焦る必要はない。


 時間は限られているが、この様子ならばあと数分ほどで向こうの思考が回らなくなるだろう。

 ほら、早く快楽に屈するがいい。


 それから三分ほど過ぎただろうか。

 

「……何か近づいてくる」


 男爵の声に、俺は暗い森の茂みの中へと目を向けた。

 見れば、ほのかに青みを帯びた小さな光が二つ、闇の中に灯っている。

 それは警戒するように立ち止まり、こちらをじっと観察しているように見えた。


怠惰の獣ユージンが汝に命ずるユージン アルフェルケリアレン ピスティアク アギンツェン ディス

 来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル

 来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル


 俺は水飴のついた指で、ネコ型の泥人形をさらに撫でまわした。

 慈しむように、ゆっくり、優しく。


来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル

 来たれ、疾く来たれサトス サトス アズカル


 その術のもたらす快楽に耐えられず、暗がりの中からゴロゴロと猫が喉を鳴らすような音が響き始めた。

 さらに待つこと五分。

 茂みの奥から、体長1メートルほどの生き物がフラフラと姿を現す。


 巨大なペルシャ猫。

 最初の印象はまさにそんな感じである。

 毛の色と模様からすると、チンチラシルバーと言ったところか。


 おそらく月の女神のお気に入りの生き物なのだろう。

 色のない世界で、ランペールの目だけはわずかに青を帯びる事が許されていた。


 しかし、なんとも綺麗な生き物である。

 まるで綿雪を集めて作られたかのように繊細な姿に、真冬の月のように冷たい目の光。

 その場にいる人間たちからは、いくつもため息が生まれた。


「長年この神域で祭事を行っていますが……ランペールをここまで近くで見たのは初めてです」


 どうやらそのため息の一つはカルミンのものだったらしい。

 こんな腹黒い男でも、美に感じいる心はあるのか。

 少々意外ではあるが、アフラシアの加護を持つ者としては喜ばしい話である。


「まずはもてなしだな。

 カルミン、神饌の残りを出してくれ。

 このランペールの子供に振舞う」


 俺たちのやりたいことは、ランペールの子と交渉をすることであり、決して乱暴を働きたいわけではなかった。

 ただ、逃げられると困るので、威力を下げたまま召呼の術は継続する。


「少々お待ちください。

 場を清めますので」


 カルミンを始めとする神官たちがいそいそと動き回り、ランペールの子のために場所を作りあげた。


 リグーリア風ウサギ肉の煮込みを銀の器に盛りつけると、ランペールの子はそれをとてもうまそうに食べ始める。


「……美味いか?」


「にゃーん」


 ソースのついた口回りをペロリと舐めて、ランペールの子は満足そうな声をあげた。


 よし、そろそろいいだろう。


「さて、少し話をさせてもらうよ。

 人の言葉はわかるか?」


「にゃー」


「俺たちと一緒に森を出て、とある人物と会ってほしい。

 その人物は、君と主従の契約を望んでいる」


 ……俺は望んでいないけどな。

 あんなクソガキと契約とか、どんな罰だよ。


「もちろん、君が気に入らなければ断ってくれて構わない。

 我々が引き受けた仕事は、その人物に契約のチャンスを与えるところまでだ」


 ……というか、断れ。

 契約に失敗しても、それは伯爵の子供のせいである。

 俺たちの知ったところではない。


 だが、その時だった。


「捕らえろ!」


 そんな叫び声と共に、伯爵の配下たちがランペールの子供めがけて突進してきたのである。


 ――こいつら、馬鹿か!?


「ガルルルルアァァァァァッ!」


 その襲撃に反応し、低い獣の叫びが響く。

 同時に、灌木をへし折りながら何か大きなものが飛び出してきた。


 子供がフラフラと歩いているんだぞ!

 親が付いてきているに決まってるだろ!!


 伯爵の手下の反対側から飛び出してきたのは、身の丈3メートルを超えるであろう巨大なペルシャ猫。

 これだけデカいと、愛くるしさより迫力が勝る。


「ひるむな!

 盾を構えろ!」


 さすが本職の兵士だけあって、伯爵の手下たちは慌てることなく対応してみせた。

 彼等はランペールの突進の勢いを殺すべく、大きな盾を持ち出して前に突き出す。

 だが、ランペールの親はその騎士たちの頭の上をヒラリと飛び越え、その背後から振り向きざまに腕を横なぎにした。


「うげはぁぁっ!?」

「ぐへぇぇっ!」


 まるでボーリングのピンのように蹴散らされる伯爵の手下たち。

 だが、彼らが弱いのではない。

 ランペールが強すぎるのだ。


「手を出すなよ。

 何もしなければ、俺たちを襲ってくることはない。

 つーか、させない」


 俺は男爵や神官たちにそう忠告すると、先ほどまで召呼の術に使っていた林檎の枝を片手で握り締め、逆の手で聖印を切った。


敬うがいいエルェスペツァ

 我こそは平和の使者なりバケアレン メスラリア ナイス!」


 略式で呪文を唱え、ランペールがこちらに敵意を持つ事ができないよう術で縛る。

 これでこちらから何か仕掛けない限りは牙と爪を向けられることはない。


 けど、念のためにもう一段階術を強めておくか。


闇を払う夜明けの星よイルンタスナ ウサツェン デュエン ゴイセコ イサルァ

 平穏に満ちたる風と共に集いアイセ レウナレキン

 女神アフラシアの名において我等を照らせアフラシア ヤインコサレン イセネアン エギン ガイツァス ディスティラ

 怠惰の獣ユージンが金星の精霊に命ずるユージニオ アルフェルケリアレン ピスティア アルティサルァレン イスピリツァ アギンツェン デュ


 術の完成度を上げるため、俺が呪文を重ねたその時だった。


「いけません、ユージン様!

 術の触媒が!!」


 アンネリーの叫びを聞き、俺は異常に気づく。

 召呼の術の触媒に使った泥人形が、いつの間にかなくなっている!?


「ふふふ、すばらしい!

 これがあれば、ランペールの子供は我が意のままだ!」


 俺の作った泥人形を手にして笑っていたのは、聖人教アヴァチュールの魔術師だった。

 人形を持つ逆の手には、ぐったりしたランペールの子供が抱えられている。


「返せ!

 人の物を盗んで勝手に利用するのが聖人教アヴァチュールのやり方か!」


 しかし、魔術師は返事の代わりに呪符タリズマンを取り出すと、それを地面に投げつけた。

 バスッと軽い爆発と共に、濛々たる煙があたりに立ち込める。


 ――まずい、奴は隠蔽の術の使い手だ!

 すぐさま誰かが風を放って煙を散らすが、そこに魔術師とランペールの子の姿はなかった。


「グルゥゥゥゥゥゥ、ゴアッ!」


 子供が連れて行かれたことに気づいたのだろう。

 ランペールの親は忌々し気に唸り声を残すと、我が子を探すために近くの大木を駆け上った。

 そして灌木の揺らめきから魔術師の消えた方向に当たりをつけると、そのまま木々の上を跳んで立ち去ってゆく。


「……くそっ、してやられた」


 今のは完璧に俺のミスである。

 この失態、いかにして挽回するべきか。


 隠蔽の魔術を使った奴らを追いかけたところで追いつくのは難しい。

 ジョルダンやディティルスに匂いを辿ってもらえば追跡は可能だろうが、どうしても移動速度は埋められない。


 ……どうしたものか。

 奥歯を噛み締める音がギリギリと響く。


 俺が自らのふがいなさに震えていると、ふいにフォーセルが隣にやってきた。


「ユージン様、少しよろしいでしょうか」


「なに、フォーセル。

 俺、今ちょっと気が立っているんだけど」


 だが、フォーセルはにやりと笑うと、俺に大切な事を思い出させてくれたのである。


「お忘れでしょうか?

 ここの森には、出口が一つしかありません」


「あぁ、そうか」


 どんなにうまく逃げたところで、そのたった一つの出口を通らなくては森の外に出る事はできない。

 そこ以外は、渡ることのできない断崖絶壁だ。


「……わかった。

 先に森の出口を塞いで待ち伏せしよう」


 俺の視線の先には、この森の地理に一番詳しい連中……カルミンと男爵の姿があった。

 この二人の協力があれば、連中より先に森の出口にたどり着くことはたやすい。


 ――待ってろよ。

 この屈辱、倍にして返してやるっ!


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