守護霊マリスレア 2
「うわぁ。全身全霊で邪神の巣ですって自己主張してやがる」
マリスレアを封印した場所は、塔の一角にある祠だった。
祠と言ってもかなり大きく、その辺の家と大して大きさはかわらない。
あまりにも忌まわしい場所なので、俺たちはいつも『玄室』という通り名でこの施設を呼んでいる。
……で、その『玄室』が今、ホラー映画の産物になり果てていた。
構造物全体がピンクと紫の燐光に染まっており、周囲は昼前であるにも関わらず灯りが欲しくなるほど暗い。
その不気味さに、もはや羽虫すら近づかないようだ。
……これはまずい。
この膨大な妖気のせいで周囲の地脈がゆがみつつある。
というか、こんな地脈の源泉で妖気をたれ流したら、下流の地脈が汚染されて大災害が発生するぞ!
早く何とかしないと、地卜課の仕事が増えて、後の書類仕事が増大するじゃないか!
嫌だ!
そんな展開だけは断固として認めないっ!!
「どうします、ユージン様?
このまま進むのならば何か対処をしたほうがよろしいかと思いますが」
そう尋ねてきたのはダークエルフの青年。
俺の魔術相談役を務める使用人で、名をクルセウスと言う。
今回は特に高度で危険な儀式が必要になるため、補助として呼び出したのだ。
こいつ、能力的にはすごいんだけど、忠誠心の部分でいささか問題を感じるんだよなぁ。
「ミーフィア、もってきたぬいぐるみをひとつ投げろ。
それで少しは妖気が和らぐはずだ」
「かしこまりました」
ミーフィアは荷物の中から灰色の熊を取り出すと、祠に向かって軽く放り投げる。
「
ある一点まで綺麗な放物線を描いていた人形は、グオォォォと低い唸り声と共に紫の光を放ちながら消えた。
「無事に供物を受け取ったようですね」
「よくやった、ミーフィア。
あれは恐ろしく強欲だからな。
子熊の形をしたものを与えれば絶対に拒まない」
そして供物を受け取れば、敵意や悪意は強制的に緩む。
目を凝らすと、『玄室』を覆っていた光がわずかに薄くなった。
「よし、予想通り少し妖気が緩んだな。
ミーフィアは香を焚け。
フリューゲルは笛を奏でろ。
この二人を先頭にして前に進むぞ」
高価な
その背後で、フリューゲルが笛をかき鳴らす。
ドスケベでお調子者で軽薄なフリューゲルだが、武術と音楽に関しては一流だ。
目の前を覆っていた妖気が、みるみる押しのけられてゆく。
やがて音と香りの力によって妖気の壁に穴が開き、俺たちはその穴を潜って前に進んだ。
「全員止まって。
ここでいい」
「では、少々お待ちください。
今、場所を作ります」
俺が指示を出して行進を止めと、すかさずクルセウスが結界を張って儀式を行うスペースを確保する。
続いてフォーセルが祭壇用のテーブルを持ってこようとしたが、俺はそれをとどめた。
「フォーセルは万が一のために後方で待機。
ジョルダンも今回は相性が悪いから離れていてくれ」
「荷物の運搬はどうなさいのすか?」
クルセウスにそう尋ねられて、俺は言葉に詰まる。
供物の運搬は儀礼的な決まりが多いので、しっかりした知識を持つ奴にやってほしいポジションである。
だが、普段から書類仕事で体力の弱っているフォーセルではマリスレアの妖気に充てられて倒れるかもしれないし、ミーフィアとクルセウスは結界の維持をしてもらいたい。
結界の維持にはあと二人ほど必要だから、そうなると供物を運ぶ人出が足りなくなるな。
「供物の運搬は……他に適任者がいないからアンネリーに担当してもらっていいか?」
「かしこまりました」
俺の人事に異議を唱える者はいない。
ただ、フォーセルは目を伏せ、アンネリーは誇らしげだ。
それを見守る他の連中の表情もさまざまである。
人間関係って、ほとん難しいのな。
なお、外見はたおやかなアンネリーだが、魔術的な守りとなると非常に硬い。
信仰心が強く、しかも普段から護符でガチガチに固めているからだ。
魔術に関する知識も豊富であり、何気ない衣装の組み合わせも、彼女の手にかかると魔術の鎧に早変わりである。
うちのメイド、マジで半端ない。
正直、俺の横で笛を吹いているフリューゲルよりよほど頼もしいのだ。
もっとも、心情的な事を言えばこんな危険な場所には連れてきたくない相手なんだけどな。
「お任せください、ユージン様。
神饌の御菓子、気に入っていただけるよう綺麗に飾り付けますね」
そう告げると、この妖気の渦巻く異様な場所であるにも関わらず、アンネリーは笑顔で祭壇を作り始める。
内容としてはテーブルの上に布を解き、憑坐となる木彫りの熊を置いて、その周囲を花で飾り立てる流れだ。
さすがに俺の所のメイド筆頭だけあって、手際がいい。
ついでに美的センスもなかなかのものである。
ただ、その姿を遠くで見ているフォーセルの
……嫉妬って、本当に厄介な感情だよな。
そう思いつつ、俺は儀式の始まりを告げるためにテーブルを小槌で三回たたいた。
「汝、愛深き者にして強欲なる者。
樫の森の奥深く、幼子たちと共にある者よ」
俺がマリスレアへの呼びかけをするのに合わせて、クルセウスがクマの人形を祭壇に投げる。
そのたびに熊の人形は紫の光と共に忽然と姿を消していった。
「我が呼びかけに応え、騒ぐことなく、威圧的な姿をとることもなく、速やかにその姿を示せ。
暗き森の女神にして、子を守る者。
妄執の女王よ。
汝の名はマリスレア」
俺の呼びかけに応え、祭壇の上に一人の女性の姿が映る。
白に近い灰色の髪をなびかせた、豊満な体を持つ美女だ。
同時に何もないところからクマの人形が一つ落ちて、祭壇の上に腰をかけた。
これはマリスレアがこの世界に建言するための触媒だな。
どうやせこちらが憑坐として用意した木彫りの熊はお気に召さなかったらしい。
「……ユージン、私の子。
なぜ母である私を遠ざけるのか。
しかも私を差し置いて矮小な有象無象と友誼を結ぶなど、絶対に許せぬ」
怒りの籠った低い声が、熊の人形の口から流れる。
暗い。
重い。
聞いているだけで祟りに犯されそうだ。
「自らを省みろ、マリスリア。
お前はやりすぎるんだ」
だが、俺の言葉に邪神は苛立ちを覚えたのだろう。
ゴゴゴと大きな地鳴りが響くと同時に、地面が大きく揺れる。
「判らない。
私はただ、お前を心から愛するだけ」
――やはりお互いの理解は難しいようだな。
「とにかく、お前は何もしなくていい。
静かに眠るんだ。
アンネリー、神饌を」
俺が声をかけると、アンネリーは無言のまま神饌ののった皿をもって前に出る。
菓子を祭壇に捧げるためだ。
つまり、マリスレアに最も近い場所に行くこととなる。
だからアンネリーにこの役目をふるのは嫌だったんだ。
「
右手でアフラシアの聖印、左手でピスティアの聖印を作りながら、俺はマリスレアを深い微睡みに引きずり込むべく言葉を紡いだ。
祈りは力となってマリスレアの心を冒し、ありとあらゆる感情を摩耗させながら封印へといざなってゆく。
俺の背後に控えた使用人たちも、俺と同じように祈りの言葉を唱えて封印の力を強めていった。
――さすがにこれだけの呪力の中ではマリスレアも動けまい。
事実、虚空に浮かぶ彼女の顔からも次第に感情が抜け落ちてゆく。
「召し上がるがいい、マリスレア」
俺は神饌であるクッキーを手に取ると、祭壇の上に座るクマのぬいぐるみの口に押し込んだ。
ヌイグルミの口に触れた瞬間、神饌のクッキーが霧のように消える。
同時にマリスレアの怒りの波動がさらに薄らいだ。
いい感じだ。
そのまま夢の中に追い返してやる!
そう思った時だった。
――おお、この女、同士であったか!
マリスレアの歓喜に満ちた声が、俺たちの脳裏の響く。
まずい、何か予想外の事が起きた!
可能性があるとしたら……。
「おい、アンネリー!
大丈夫か!?」
邪神との距離が俺の次に近かったのは、彼女である。
それに、マリスレアは「女」と言った。
女というならばミーフィアもそうなのだが、あれは子供嫌いの万年男日照り大旱魃女である。
美人のわりに中身が残念過ぎて、恋人とか結婚とは全く縁がない存在なのだ。
言ってはなんだが、母性が極まって暗黒面に堕ちた存在であるマリスレアとは1ミクロンも共感など発生しない。
……となると、奴が目を付けた『女』とは、アンネリー以外にはありえなかった。
「ええ、なんともございませんよ。
私はいつも通りです」
そう笑顔で答えたアンネリーの目が、ライラックの花の色に光る。
うっわ、完全に憑依状態だわ。
俺がそう理解すると同時に、祭壇の上に座っていた……すでに抜け殻に過ぎないクマの人形がポロリと床に零れ落ちた。
――一時間後。
「さて、みんなに集まってもらったのは他でもない。
その知恵を借りたいのだ」
暗い部屋の中、俺はその場にいる面子の顔を見据えながらそう切り出した。
集まった人間の表情はどれも険しい。
皆、この事件の深刻さを理解しているのだろう。
「では、今日の議題を改めて告げよう」
部屋の中にいる一同の顔にさらなる緊張が走る。
「俺からアンネリーを引きはがす方法についてだ」
「アンネリーに憑依したマリスレアをどうやって切り離すかでしょ!」
あいかわらず硬いな、フォーセル。
結果的が同じなんだからどっちでもいいじゃんかよぉ。
そう心の中で呟く俺の体は、アンネリーの腕できっちりホールドされていた。
マリスレアとアンネリー、両者の俺に対する母性が共鳴した結果である。
人呼んで、大ちゅきホールド死ぬまで離しませんモード。
お陰様で、一人でトイレにも行かせていただけません。
どんな羞恥プレイだ!
「まぁ、なんだ。
俺から見ると普段とまったく変わったようには見えないんだ……が……ぷぷっ」
この見る目のない発言をする奴は、ギダルク。
俺の護衛の一人で、もりもりマッチョなオーク族だ。
ずっと真面目腐った顔をしていたが、その直後に視線をそらして肩を震わせる。
そのまま呼吸困難で死んでしまえ、このむさくるしい髭面め!
「す、すいません、そろそろ私限界で……お、おもしろすぎる……」
面白いのはお前の今の顔だ、メイア!
こやつ、普段はクールビューテイーなダークエルフなのだが、今は顔面崩壊で涙がにじんでいる。
ちなみにこいつも俺の専属護衛の一人だ。
お気づきだろうか。
実に認めがたい話だが、先ほどまでの皆の真剣な表情が、笑いをこらえるためのものだった事に。
しかも、笑っちゃいけないと考えるほどに、笑いの衝動がこらえきれなくなるのが人の性。
要するに、笑ってはいけない会議室だ。
「面白いというより、私はなんだか見ていて和みますけどねぇ」
こののんびりとした口調はファリカ。
俺の所のメイドを務めるダークエルフの一人で、俺の所の服飾関係を一手に引き受ける手芸や洋裁の達人だ。
綺麗な物、愛らしい物を作る能力は神がかりのレベルであり、彼女の作品を売りに出せば小物一つで家が建つとすら言われている。
人呼んで、ハンドメイドのカリスマ。
先のマリスレアに捧げたヌイグルミも、すべて彼女の作だ。
「でも、確かに上司がこのような状態では困りますわ。
なんとかなりませんこと?」
この気取った口調のダークエルフはティティーナ。
儀礼や美術品関連に詳しく、俺の外交関係を引き受ける才媛である。
髪型?
もちろんオリハルコンの壁に穴が開けられそうな立派な縦ロールだよ。
なお、アンネリー、ファリカ、ティティーナの三人が俺に仕えるメイドのフルメンバーだ。
その下にも何人か働いている女性はいるようなのだが、俺が関わる機会はまずない。
「別に仕事ができないというわけでもないんでしょう?
気が済むまでほっといたほうが良いのではないかと」
ミーフィア、おまえ人ごとだと思って適当なこと言ってるだろ。
少しは真面目に考えろ!
「……はふはふ」
ジョルダンは何も考えなくていいから、部屋の隅でおとなしくしていてね。
隣のマッカチンはうるさいからハタミで地面叩くのやめなさい。
「それがですね、ミーフィア。
業務にかなりの問題が出ています」
「どういうことなの、フォーセル?」
「ユージン様の体の負担になるからと、残業が許してもらえないのですよ。
あと、ちょっとでも書類に不備があるとマリスレアの祟りが発生してその場で書類が塵になります。
一から書類を作り直すことになりますので、今の地卜課のオフィスは悲鳴とすすり泣く声が絶えない地獄と化しております」
お陰様で、売りに出す予定だった俺のお手製の体力回復ポーションが、すべて部下のために消費されてしまったのだ。
実に由々しき事態である。
「あー、アンネリー、マレスレア。
この通りみんな迷惑しているから、そろそろ開放してくれない?」
俺が力のない声でそう尋ねると、俺を抱きしめる腕にきゅっと力がこもった。
『嫌じゃ』
「ダメです」
はぁ、ずっとこの調子だよ。
「では、医療と魔術担当から報告を……」
そう言って手を上げたのは、男性のスフィンクス。
俺の専属医者であるアルヴィンだった。
「おそらく無理に引きはがす方向は、現実的ではありません。
やってできない事はありませんが、周囲の被害が大きすぎる事になるかと」
「では、どういればいいと思う?」
すると、この癒し系雰囲気イケメンのスフィンクスは、笑顔で目じりの下がった顔をむけつつこんな提案をしてきたのである。
「満足させる……というのはいかがでしょうか?」
「もう少し具体的に」
「母性からくる衝動を満たしてやれば、こちらの説得にも応じるのではないかと」
「も、もうすこし具体的に……」
本音を言うと聞きたくはないのだが、おそらくこいつの提案が唯一の解決方法となる。
だが、同時にものすごく嫌な予感がした。
「授乳、添い寝、一緒にお風呂などはもとより、ピクニックや運動会、授業参観など、親子イベント盛りだくさんで母親としての気分を存分に味合せてみてはいかがでしょうか?」
「む、無理、無理、無理、無理ぃぃぃぃぃっ!
どんな羞恥プレイだ、それ!」
これでも中身は立派な成人男性である。
いまさらそんなイベント耐えられるかぁぁぁぁぁっ!
「さすがに運動会や授業参観のイベントは難しいですね。
でも、ピクニックあたりは何とでも出来ます。
さしあたって、授乳あたりはどうでしょうか?」
そこっ、真面目な顔して何を口走っているか、フォーセルっ!
『おお、それは良いな』
「はい、ユージンちゃん。
ママのおっぱいですよ?」
完全に頭のおかしくなったアンネリーが、服をめくりあげて胸元からでっかい物を取り出そうとする。
うおぉぉぉ、すげぇ、バインバインだ!
……じゃなくて!
やめんか、そこの暴走母モドキ共!
俺がバブみの扉を開いてオギャっちまったらどうするつもり……ちょっぴりいいかもしれないと思っちまっただろ!
「うおぉぉぉぉぉぉ、ユージン様そこかわれ!
かわってください、おねがいします!!
うらやまけしからんんんんんんんっ!」
血の涙を流しながら立ち上がったフリューゲルは、隣に座っていたメイアとギダルクのダブル裏拳で即座に沈黙。
高く盛り上がったズボンの前部分がなんとも見苦しい。
風の精霊に認識阻害を頼んでモザイクをかけておこう。
「おほん……俺はもう五歳なので、授乳は必要ありません」
アンネリーの服のすそを両腕で押し下げて、俺は危険なチョコレートプリンを視界から消す。
「とりあえず、他に手もないのでアルヴィンの策を検討しよう。
フォーセル、お前の全能力をもって最高のピクニックを準備するがいい」
「御意!」
「では、会議は以上とする。
解散!」
俺の宣言が終わると同時に、使用人全員が忙しく動き始めた。
そして俺はアンネリーに抱きかかえられたまま会議の場を後にしたのである。
……ちくしょう、しまらねぇなぁ。
「で、お前らなんでここにいる?」
部屋に戻って、なんとかマリスレアの祟りを逃れた書類を片づけようとしていると、ファリカとティティーナが満面の笑顔で部屋にやってきた。
背後に大量の布と服を抱えたギダルクを連れて。
「うふふふふ、それはですねぇ、ユージン様」
「せっかくのピクニック、最高に可愛いお洋服でお出かけをいたしましょう。
もちろん、私は提案するだけ。
最終的にデザインを決めるのはマリスレア様とアンネリーさんでございますわ!」
ぎゃあぁぁぁぁ、やめろ1
その展開は俺が死ぬっ!
「まぁ、素敵ね」
『おお、なぜだか心が躍る提案じゃのぉ』
ヤバい、アンネリーとマリスレアも乗り気のようだ。
そして、多くのファンタジー系男の子主人公を葬ってきた悪魔の儀式が始まったのである。
……まさか、書類地獄を超える地獄がこんなところに存在していたとは……無念。
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