守護霊マリスレア 1
その日は、朝から地震が続いていた。
「ユージン、分かっているわね?」
俺の体を激しくまさぐりながら、師匠は甘い吐息と共にそんな台詞を吐き出す。
暖かいベッドの中、俺は一糸まとわぬ姿でそれを聞いていた。
「……はい」
熱を帯びた師匠の視線から目をそらしつつ、俺はかすれるような声でそう答える。
とまぁ、若干アダルトなテイストをにおわせているが、残念な事にエッチな話ではないんだよなぁ。
要するに、朝の習慣で俺を散々モフり倒している最中なのである。
だが、今日はそのモフモフタイムがなかなか終わらない。
さっきからプチプチと嫌な音と共に痛みが走るのだが、それでもなお師匠の指は俺の体の感触を求めて暴れ狂う。
なぜ今日にかぎってこんなに師匠がしつこいのか?
あいにくと、心当たりは山のようにあった。
そのまま30分以上もモフモフタイムは延長され、ようやく師匠の指が止まる。
その直後。
「ユージン、分かっているだろうけどあえて口にするわ。
マリスレアを何とかしなさい。
大至急よ」
そう言って師匠は突然俺をベッドの中からたたき出した。
おおう、滅茶苦茶そっけないんですけど。
……と言うかさ、師匠。
いくらなんでも指示の丸投げが過ぎませんか?
だいたい、事の原因は師匠の指導でしょうに。
予想通りの展開に、思わず口から何かが出てきそうになる。
……あと、俺のパンツ返して。
さて、マリスレアとは何かと気になっている人もいるだろうから、いつも通り長々と説明しようか。
ありていに言えば、それは俺の守護霊である。
もっとも、アレはそんなありがたい名前で呼ばれるようなものではないんだがな。
獣人族の宗教はすべからく祖霊崇拝であり、全ての獣人は生まれつき先祖である精霊や神と契約した状態にあるとされている。
その生まれつきの契約霊を守護霊と呼ぶのだ。
で、当然ながら俺にも守護霊がいる。
はかも3柱。
だが……一柱は料理以外に興味が無く、残り二柱はいろいろと理由があって封印中。
で、その封印されている二柱のうちの片方がマリスレアである。
俺が生まれてすぐに村を壊滅させた奴がこのマリスレアだ……と言えば、その封印されている理由とヤバさは説明する必要もないだろう。
母性の邪神マリスレア。
俺の故郷のある国では、奴をそう呼んでいるらしい。
元は森にすむ普通の母熊だったらしいが、地元の貴族のボンボンに自分の子供を遊び半分に殺されたことで悪霊化。
結果、生まれたばかりの子供を自分の子供と思い込んで連れ去り、眷属にしてしまうというかなり迷惑な存在が誕生してしまったのである。
その悪質な行いを避けるため、人々はこれを神として扱うようになり、今では立派な邪神として森の奥に君臨しているそうな。
一応祈りを捧げれば、夜泣きや疳の虫を治めてくれるという利益はあるらしい。
だが、その崇拝のメインは生きている子供を生贄に捧げる事で願いをかなえてもらうという邪教っぷり。
あと、その性質から子を奪われたり傷つけられた親の祈りには強く反応を示すため、俺の生まれた地域では子の誘拐は非常に少ないそうだ。
もしもしあの地域で人相の悪い石像を見る事があったら、そう言う事である。
……で、そんな存在が、膨大な魔力を持つ上に完全に熊の体で生まれた俺に目をつけないはずがなかった。
一目見るなり俺を自分の失った子供と勘違いし、分霊と呼ばれる自分の分身を放って俺の生まれた家の隣に住んでいた母犬に憑依。
俺を保護した後は、持ち前の頭のおかしさから俺を捨てた親やその周囲の環境への報復活動を開始。
結果、俺の魔力を吸い上げた上で、村を土砂崩れで跡形もなく破壊。
……というのが、俺がこの世界に生まれた直後の事件の真相である。
おっと、再び地震が発生だ。
けっこう揺れが大きい。
このままほっとくと、いろんなところに支障をきたしそうだぞ。
「しかし、本当にマリスレアの魔力でやんの。
他の原因だったほうがまだ救いはあるのに」
この地震にともなって感じる強烈な魔力の波長、間違いない。
奴の分霊は、俺と師匠が二人がかりで封印しているはずなんだけど、術が崩れかかってるのか?
なお、毎朝行われる師匠のモフモフタイムは、師匠とマリスレアが俺の毛並みを撫でる感覚を共有することで、マリスレアの魂を宥めるという儀式でもある。
どうりで今日のモフモフタイムは長かったわけだ。
え?
自分の性癖が9割じゃないのかって?
その通りだよ。
正確には9割9分と言ったところだな。
しかし、封印されてなお周囲にこれほどの影響が出ているとなると……マリスレアのもつエネルギーは以前よりかなり大きくなっているのだろう。
原因は、おそらく俺が下級精霊と契約した事による嫉妬。
あいつ、滅茶苦茶独占欲が強いからな。
熊とは恐ろしく貪欲で執念深い生き物なのだ。
このままでは、今の封印を壊してしまう可能性が高い。
急いだほうがいいだろう。
俺は部屋に戻ると、すぐにフォーセルを呼び出した。
「フォーセル、マリスレアを鎮めるための儀式が必要だ。
今日の予定はすべてキャンセル。
祭祀の準備をしてくれ」
「かしこまりました」
フォーセルは一切文句を言わず、速やかに必要な物資の目録を作り始めた。
本当は腐るほど文句があるだろうにな。
さて、俺は祭祀に使う神饌を準備しなくては。
ただ、懸念が一つ。
「供物が神饌だけでは不十分かもしれない。
マリスレアへの捧げものとして、熊のヌイグルミを作るぞ」
母性の暗黒面を司るマリスレアは、子熊を形どったものが大好きである。
獣人たちは彼女の災いを避けるため、子供が生まれるとその周囲に子熊の人形を大量に飾る習慣があるらしい。
そして子供の身代わりとしてマリスレアが攫ってゆくよう仕向けるのだ。
幸いなことに、俺のところで働いているメイドの一人は裁縫の達人である。
彼女に頼めば、魔術を併用した異次元の縫製技術で子熊の人形を大量生産してくれるたろう。
様々な手配を終わらせると、俺は一人厨房に籠る。
神饌に使う菓子を考えるためだ。
マリスレアはその本性が熊だから、蜂蜜を使ったものがあると良さそうだな。
あとはドングリも使おう。
……となると、アミアンというクッキーがいいかな。
フランスの北部に伝わるマカロンの一種で、砂糖以外にも甘味料としてジャムなどを練りこむのが特徴だ。
今日はこのレシピを応用し、アーモンドのかわりにドングリの粉を、ジャムのかわりに蜂蜜を入れて作ろうとおもっている。
そんなわけでドングリを粉にしたいと思うのだが、あいにくと水車や風車を勝手に使う権限が俺には無い。
厨房課の連中に頼めばいいのだが、今日は年中行事の準備で忙しいはずだから遠慮しておこう。
「……というわけで、精霊を呼ぶか」
俺の体が丸ごと入りそうな特大のボウルの中に乾燥したドングリをぎっしりと入れ、机の上にハーブを砕いた粉を使って精霊の印章を記してから祈りの言葉を唱える。
「
ボウルの中のドングリがカタカタを音を立て、その皮が一斉に弾け飛ぶ……はずだったのだが、なぜか机の上に描いた印章から白い煙が濛々と立ち込めた。
「我が子孫ユージンよ。
貴様、下級の精霊共と契約をしたのだろう?
だったらそっちにやらせろ。
このような
煙の中から現れたのは、巨大な熊。
俺の先祖であり、死後に神として崇められるようになった地元の英雄でもある。
名をバスクモード。
俺と同じ完全獣化の熊獣人であり、たった一人で一万の人間の軍を退けた伝説を持っている。
……が、それよりも有名なのはこの化け物が異常なまで食事に執着していた事だろう。
人呼んで狂食魔神。
あらゆる魔物、人を調理して食し、しまいには『同じ完全獣化の獣人が食べたかった』という理由で我が子を手にかけたとすら言われている。
つまり、生粋の頭おかしい奴だ。
……完全獣化の獣人が忌子として扱われる理由の半分ぐらいは、たぶんこのオッサンのせいだろうと俺は睨んでいる。
なんで俺の守護霊ってこんなおかしなのばっかりなのかな。
ちなみにバスクモードは軍神である。
なのに戦いには手を貸さず、料理を目的にした魔術にしか反応を示さない偏屈だ。
逆に言えば、料理に関する魔術では比類なき効果を発揮する。
「調理に関わる魔術をバスク爺ちゃん以外に頼むって?
悪い冗談だな」
一応血のつながった先祖なので、俺とバスクモードの間はかなり気安い。
一応は神の部類に入るバスクモードを、バスク爺ちゃんと呼ぶことが許される程度には。
「口の上手い孫め」
近くにあった椅子にどっかりと腰を下ろすと、バスクモードはひょいと俺を摘まみ上げ、自分の膝の上におろす。
完全に爺と孫の状態だ。
……これで人の姿にもなれて、しかも30歳ぐらいのワイルド系イケメンになるんだから、世の中は色々とおかしい。
爺さんめ、どんだけ若作りが好きなんだよ。
「それで、今日は何を作るのだ?」
「アミアンというアーモンドクッキーのレシピを応用して、ドングリのクッキーを作るつもり。
ほら、マリスレアが暴れているから宥めないと」
「お前も厄介な奴に好かれたものよなぁ」
あんたも同じぐらい厄介な奴だって自覚ないだろ。
「ほんと、自分で守護霊を選べたらどんなによかったか」
わずかに嫌味をこめたセリフだが、バスクモードが気にするはずもない。
そもそもこいつは食べること以外に興味はない奴だしな。
しみじみと語りあっている間に、いつの間にかドングリはサラサラの粉になっていた。
「さすがバスク爺。
最高の粉だね」
指先にとってみて、その絹に触れているかのような滑らかさにほれぼれする。
下級の精霊だと、たぶんこうはならない。
「じゃあ、後は自分でするね。
でないと俺の魔力が染み込まないから」
バスクモードは返事をせずに、かわりに椅子にどっかりと座りこみ、俺の常備しているクッキーの箱を勝手に持ち出してつまみはじめた。
……さて。
神饌の味と質は、素材だけでなく作り手の魔力にも大きく依存する。
種族の特性として歓喜の属性である木星の加護を持つ熊獣人は、だれしも生まれつき神饌を作る才能があるのだ。
ましてや俺は愛と快楽の星である金星の属性も帯びているので、魔力の質は最上級。
この魔力の質に満足しない神はいない。
そんなわけで、いっちょ最高のクッキー生地を作るとしますか。
ドングリの粉に卵をいれ、砂糖と蜂蜜、あとは隠し味程度にヤマボウシの実のシロップを混ぜる。
まとまりやすくなった程度に練りこんだら、太さ3センチほどの棒状にして、濡れた布巾で包んだまま2時間のお祈りタイム。
祈りによって十分に魔力の染み込んだ生地を、今度は8mmぐらいに切り分け、180℃のオーブンで10分少々焼く。
あとはケーキクーラーの上で冷ましたら完成だ。
「うん、上出来」
少し形の歪んだ奴を口に入れ、俺はその出来栄えに満足する。
ドングリの香ばしい香りはもとより、蜂蜜とシロップの作り出す複雑で濃厚な甘さ。
かみ砕いたときのサクっとした感触も、口の中でホロホロと崩れてゆく感触も最高だ。
これならばどんな熊もイチコロである。
熊以外の口だと、ちょっと評価変わるかもしれんけど。
「……ハフハフハフ」
見れば、臭いを嗅ぎつけたジョルダンが涎を垂らしてこちらを見ていた。
ついでに自分の守護する森をほったらかしにしたマッカチンも、隣で床を叩いている。
出たな、このアニマルどもめ。
行儀悪いけど、可愛いから許す。
「ちゃんと後で君らにも分けてあげるから、しばらくそこでおとなしくしてなさい」
俺が声をかけると、二匹は目をキラキラとさせながら綺麗にならんだ。
……ん?
今気づいたが、メリケン君を見るバスク爺の視線が微妙に熱い。
これは逃げたほうがいいかもしれんぞ。
そのジジイは人として根本的な部分がかなりおかしいからな。
とりあえず、儀式で注意をそらしておくか。
「我が精霊バスクモードに神饌を奉る」
皿に乗せたクッキーをバスク爺の前に持って行くと、奴は厳かな表情を作り、それを受け取った。
そして爪の先で一枚摘まみ上げ、一口。
「……我が孫よ、
賛美の言葉は呪となり、作ったクッキーすべてにしみわたる。
これでこのクッキーは俺とバスク爺の二人によって清められ、その染み込んだ魔力によって更なる高みに到達した。
おそらく魔術に耐性の低いものが食せば、そのまま数日ほど現実に帰ってこれない事になるだろう。
もはや劇物である。
だからほら、そこの二匹は涎たらしい見てないでさっさと逃げなさいって。
気が付いたら犬鍋とかアメリケーヌソースになっているかもしれないんだぞ!
俺がお馬鹿さん二匹の行動に気をもんでいると、真新しい衣服に身を包んだフォーセルが書類を挟んだバインダーを片手にやってきた。
「ユージン様、準備が整ってございます」
「わかった。
では、儀式に赴こう」
そして俺たちは出来上がったクッキーを箱に入れ、マリスレアの眠る玄室へと足を向けたのである。
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