キャットフードは罪の味

第1話

 魔術師とはなんぞや?

 ……もしも誰かに問われたら、『神を目指す者』だと答えるだろう。


 その点で、同じ聖職者である神官たちとは明確に目的が違う。

 連中は『神の願いに従う者』だ。


 ゆえに我々は『神の下僕』と言う言葉をみずからに使わない。


 『神の足跡を辿る者』と称するのだ。


 さて、そんな魔術師たちに関してだが、彼らの大半は魔術師協会と呼ばれる組織に属している。

 国家も宗教派閥も超えた巨大な組織で、その頂点は座主ざすと呼ばれている存在だ。

 その下に管長かんちょうと呼ばれる存在があり、何を隠そう俺の師匠がその一人である。

 

 ……で、神官たちが神殿を持つように、俺たちにも拠点となる施設が存在する。

 一番小さいものでただの個人住宅規模である『エルミタ』や『サントゥテギア』、続いてそれなりの礼拝施設を備え、十数人の職員が寝泊まり出来る『宿オスタツァ』。

 ここからは一気に大きくなってダンジョンを兼ねる事もある『ゴトーレクア』、最後に巨大建設物である『ドルェア』といった感じだ。


 なお、ドルェアともなると、その規模はほぼ都市と同じである。


 身近な例を挙げると、俺の所属しているドルェアには、およそ一万人が勤務しており、さらにその生活を支える衛星住宅地をも含めると軽く四万ほどの人数になるだろうか?


 さらには魔術師協会の荘園などもくっついており、そこに住む人間も含めるとさらに人口は膨れ上がる。

 もはや領地と呼ぶにふさわしい場所だ。


 で、実は俺、この塔の職員の中でも結構なお偉いさんだったりする。


 正確な役職名は魔術院所属・地卜課ちぼくか総括。

 下に第一から第十までの課とよばれる部署が存在し、部下の数は200人を超えるだろう。


 地卜課ちぼくかとは、この世界を流れる地脈というエネルギーの管理と警備、あるいは修復なども行う部署である。

 地脈という物はわりと簡単に流れが変わってしまい、その上に人類社会に多大な影響を与える厄介な代物だ。

 そのため、仕事量はすさまじく多い。


 さて、長々と話し続けてしまったが、俺が何を言いたいかというと……。


「無理。 俺、病み上がり。

 助けて……」


 目の前に山と積まれた書類を見上げようともせず、俺は机の上に突っ伏した。

 今、この書類が倒れてきたらそのまま窒息して死ねるのではないだろうか……うふふ……だったら楽でいいかも。


 って、やばい。

 油断したら、また心に穴が開いたような無気力感と、理屈の通じない謎のマイナス思考がぶり返す!


「お言葉を返しますが、こちらも無理です。

 貴方が術の反動で動けない間、限界まで塩漬けにされ続けてきた案件ですよ?

 これ以上待たせたら、さらに面倒なことになります」


 そう言いながら、俺の秘書であり側近である四本腕の美青年は、もう一つ補助の机を持ってきてその上に書類を積み上げた。


 うぎゃあぁぁぁぁ、やめてくれ!

 その光景だけで三回は死ねる!


 悲鳴を上げる気力もない俺の横で、青年――フォーセルと言う名の鬼畜はさらに書類を積み上げる。

 もはや書類のわんこ蕎麦だ。


「さぁ、泣き言を言ったところで書類はなくなりませんよ、ユージン様?

 大変なのはわかってますから、少しずつでも片づけましょうね?」


 うー、面倒くさいよぉ。

 こちとら200年物の塩漬け案件片づけてきたばっかりでまだ本調子じゃ無いのになのに。

 なんでこうも遠慮がない連中ばかりなのかなぁ。


「だったら、貴族の政治力でゴリ押ししてきた案件は全部ねて。

 後回しにする。

 フォーセルの判断でいいから。

 責任は俺が持つ」


 その手の案件は、本当にしょうもない案件が多いからな。

 後回しにしたところで文句を言われるだけである。


「そうおっしゃると思いまして、その手の書類は最初からはぶいてあります」

 にっこり笑うフォーセルの姿は、透明な何かによってにじんで見えた。

 

 ……一つ断っておくと、俺は別に書類仕事が嫌いなわけでも苦手なわけでもない。

 ただ、あまりにも量が多すぎて、俺には休息が必要なだけである。

 ブラック企業ダメ、絶対。


 と言うわけで、この書類の束は一時間で終わらせますよ。

 主に、俺の大切な休息のために。


 さぁて、ちょっとばかり本気で片づけるかぁ。


 俺は魔術を使うため、机の引き出しを開いて胡桃の枝から作ったワンドを取り出した。


「……またそれですか?

 あまり使いすぎると、熱が出て倒れますよ」


 そう言いながら、フォーセルは眉をひそめる。

 智の神の聖木である胡桃のワンドを取り出したことで、何をするつもりか察したらしい。


「だって、この量を処理するなら仕方がないじゃない。

 ほら、ボサッとみてないで人形も出して。

 俺が出そうとすると、踏み台出してこなきゃいけないし」


 交渉する気が無いのを悟ったのだろう。

 フォーセルは二本の腕で顔を覆い、残った腕で綺麗に後ろへ撫でつけていた髪を掻きむしった。

 だが、俺の指示を無視する気はできないようで、箪笥から小さな陶器の人形をいくつも取り出す。


 それは、二センチほどの大きさの、人形たち。

 その中から、フォーセルは可愛い猿のデザインのものをより分ける。


 これはフェーブと言って、本来はガレット・デ・ロワというお菓子を作るときに生地に入れておく縁起物だ。

 元々この世界にはなかったのだが、俺が陶器職人と協力して作ったものを見た連中が気に入ったらしく、じんわりと愛好家が増えているらしい。


 うん、わかるよ。

 こういうのって、つい集めたくなるんだよな。

 ちなみに俺は可愛い動物をデザインしたフェーブのコレクターだ。


 なお、こいつにはお菓子の中に入れて運試しをするほかにも、別の使い方がある。


 よし、準備万端。

 俺はワンドの先で風の聖印を切ると、智の神クロイセルへと祈り始めた。

 

大いなるクロイセルを讃えクロイセル アンディア ゴライパツェコ我、ここにその助力を求むアレン ラグンツァ エスカツェン ドゥト

 胡桃の木の枝を伝い来たれヤキンドゥリアレン オンドレンゴアク

 汝ら叡智の眷属たちよ。ヤイツィ イントサウルォンドアレン アダルェタティク エタ エトルィ オナ

 汝の目と指を我がために行使せよエラビリ スレ ベギアク エタ ベーアツァク ニレツァト

 我こそは怠惰の獣アルフェルケリアレン ピスティア ナイス

 神の足跡を辿る者なりビーウル サインテス ヤインコアレン ウルァツェン オイノルデコ!」


 祈りが終わると同時に、俺は目を閉じる。

 だが、代わりに陶器の猿の目がぱちくりとまばたきをした。


 続いて、陶器の猿たちが一斉に動き出す。

 実はこれ、俺が編み出した事務処理用の魔術であり、この猿の人形の視界と手を借りる事が出来るのだ。


 ……ただし、脳への負担が半端ではない。

 考えてみればすぐにわかることだが、目と手の処理が何十倍にも膨れ上がるからである。


 だいたいの目安だが、並の術者であれば四体目あたりから動きがおかしくなり、六体目を超えると五分から十分程度で鼻血を吹いて気絶する。


 で、俺が一度に動かす数は二十から三十。

 そのため、この魔術を使うのは一日1時間以内という約束を師匠から言い渡されていた。

 ついでに師匠の前で使うと可愛い可愛いとうるさいので、師匠の前で使うのも禁止だ。

 最悪、そのままフェーブを持って行かれたりする。

 師匠も俺と同じくフェーブのコレクターというか、魔術師全体がコレクター気質なんだよな。


「あ、この書類……この間の事件の奴か」

 ふと目についたのは、鬱にふせっている間にミーフィアが作成した書類である。

 相変わらずわかりやすくて感情的なものが何も書かれていない。


 さすがスフィンクス。

 客観的に必要な情報だけ記されていて、非常によろしい。

 武術だけじゃなくて、事務処理も優秀なんだよな、あいつ。

 今度書類の仕事手伝ってくれないかなー。


 しかし、この報告書……色々と気になる点があるな。

 先日の事件についての情報だが、あの現象が起きるのがおかしいという指摘である。

 あれは本来、まだ起きるはずのない事件だったのだ。


 ミーフィアの調査と計算によれば……発動に必要な魔力がたまるには、地脈のエネルギーを吸い続けても100年ほどかかるらしい。

 だが、彼女の調査によると、今回の具現化は前回の発動からたった50年で起きている。

 そして、そうなるべき自然的要因が存在しない。


 これはもしかすると……人為的に地脈を捻じ曲げ、あの事件を誘発させた誰かがいるという事か?

 だとしたら由々しき事態である。

 早急の調査が必要だ。


 俺は地卜課の1課に調査を指示するための書類を書きあげると、猿の人形フェーブを使って届けさせた。

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