第4話

「あうぅぅぅん!」

「おわっ!?」

 俺たちが姿を見せると、即座にジョルダンが甘えた声と共に飛んできた。


 ……ぐえっ、愛が重たい。

 主に物理的な意味で。


 その大きな体で俺を押しつぶしたジョルダンの頭をなでながら、俺はミーフィアに告げた。


「さて、ようやく仕事に取り掛かれるが……できればダメ押しでこの村で取れた小麦粉がほしいな」


「え、この村のですか?

 ……かしこまりました」


 押しつぶされたままの俺に向かってミーフィアは恭しく一礼すると、近くの民家に近づき、戸の隙間からこちらの様子をうかがっていた村人に声をかけた。


「な、何の用だい!?」


「すいません、小麦粉を少し売っていただけませんか?」


「こ、小麦粉かい!?

 悪いけど、人に分けてやれるほどの量は無いよ!

 うちだってカツカツなんだ!」


「そう言わず。

 質はあまり問いませんが、この村で採れた小麦粉がどうしてもほしいのですよ」


 そう言いながら、ミーフィアは懐から赤い半貴石……瑪瑙を一粒取り出した。

 そしてそれを村人に見えるようにちらつかせる。


 宝石の光に惑わされたということなのだろう。

 村人の顔はすぐに子悪党のソレへと崩れていった。


「……あんまりたくさんは譲れないよ」


 そんな台詞と共に、汚い袋に入った小麦粉が戸口の隙間から放り投げられる。

 ミーフィアが瑪瑙を差し出すと、村人はひったくるようにしてそれを奪い、硬く戸口を閉ざした。


「お疲れ、ミーフィア」


「見る目のない田舎者という設定のようで助かりました。

 あんな質の悪い瑪瑙をありがたがるとは」


「いや、そうでもなさそうだぞ?」


 袋の中身を見て、俺はため息をつく。

 ありていにいえば、譲られた小麦粉はかなり質が悪かった。

 癖の強い全粒粉だし、保存やり方が悪いのか少し湿気った感じがする。


 中に虫が湧いていないのがせめてもの救いだが、夏場になればきっと悪夢のような状態になるだろう。

 

「これ、使うんですか?」


 袋を覗いて、ミーフィアの眉間に皺が出来る。


「出来るだけ美味しくなるよう頑張るさ。

 それが俺の仕事だからな」


「はぁ……仕方がありませんねぇ。

 じゃあ、次は食材の採取ですか?」


「うん、このあたりの今の直ならば、野生のアスパラガスが生えているはずだし、それを使おうと思う」


「アスパラガスですか、それは楽しみですね。

 こんな場所に生えているものでなければ」


 ミーフィアの顔が苦笑いで歪む。


 21世紀の地球人にはピンとこないかもしれないが、アスパラガスはかなりの高級食材である。

 種植えから収穫まで二年はかかるし、一定の条件を満たさないと発芽しない植物なのだ。


 かつてのヨーロッパでも王侯貴族の食べ物と認識されており、最高級品の一束は一般労働者の月給の半分ほどの値段だったと記録されている。


 もっとも、山で採れる野生のアスパラガスにそこまでの価値は無い。

 その姿も、スーパーで見るものと違ってツクシのようにひょろりとした代物だ。

 味の方もやや癖が強い。


 とはいえ、アスパラガスを存分に食えるというのはかなりの贅沢であり、ミーフィアの顔が苦笑いとはいえ笑みの形になるのも無理はないだろう。

 もっとも、この場所はちょっとばかり特殊であるため、手放しで喜ぶとまではいかないようだが。


 俺たちは村の中にちょうど良い広場を見つけると、野外で調理をする準備をはじめた。

 なお、今日のメニューは、アスパラガスのタルトである。


 タルトと言っても生地はパイ生地だし、サワークリームとマスタードで味つけした甘くない代物だ。


 さて、パイ生地を作るために、まずは小麦粉を塩と水で練ったデトランプと呼ばれる物を作らなければならない。


 俺は魔術を使って石の形を整えて作業台を作り、その上を清めてから小麦粉の山を作った。

 そして荷物の中からバターの塊と一つまみの塩を取り出し、その横に置く。


地の精霊よルッラレン イスピリツァ盟約に従いに汝に求むイツナ ベテツェコ エスカッツェン ディスト

 うねりプスツかき混ぜナアシ切り刻めトクシキツ

 だがバイナ練ってはいけないエス プラクティカツ

 さぁオラインデトランプを作るのだエギン デサグン デトランプ


 作業会台に置かれた材料が舞い上がり、渦巻きながら切り刻まれてそぼろ状になる。

 なお、練ってはいけないと付け加えるのは、グルテンが出来てしまうと後の作業がやりにくくなってしまうからだ。

 この作業、手でやると結構難しいのだが、魔術を使うと実に簡単である。


 ……調理に魔術を使うのは、魔術師の同業者からはなぜかあまりいい顔はされないけどね。


 さて、子熊の手で作業を進めるのはかなり無理があるので、俺は荷物の中から一対の腕輪を取り出した。

 こいつは魔道具の一種であり、着用者の手を力場が覆う事で人間の手と同じ機能を与えてくれる。


 俺は粉々になった材料を手で丸くまとめると、その真ん中に十字の切れ込みを入れた。

 あとはしばらく涼しい場所に二時間ほど放置するだけでいい。

 それでデトランプの完成だ。


「いつもながら見事な手際ですね。

 洗練された職人の手さばきというものは、どうしてこんなに美しいのでしょうか」


 デトランプの種を濡れた布巾で包む俺の手を覗き込み、ミーフィアがうっとりとした視線を向けてきた。

 心なしか顔が赤い。


「実にスフィンクスらしい……いや、ミーフィアらしい意見だな。

 おかげで他の魔術師たちからは厨房魔術師なんて言われているよ」


 それも、思いっきり嫌味をこめてな。


「名誉な事じゃないですか」


 お前らスフィンクスにとってはそうだろうよ。

 まぁ……極めて限定的ではあるが、褒められるのは悪い気分じゃない。


 そんな事をしていると、村人と冒険者たちがゴブリン討伐に出発したらしく、俺たちの横を物々しい集団が通り過ぎた。

 どうやら俺の忠告は彼等の耳に届かなかったようである。


 そんな集団の中から、この非常時に何をしているんだ……と呆れた視線がいくつも飛んできたが、気にしない。

 お前らごときに、俺の崇高な仕事を理解できるものか。


 さて、仕込みの終わったデトランプを少し休ませている間に、アスパラガスの収穫だ。


 野生のアスパラガスは、日当たりの良い南に面した斜面に良く生える。


 "彼女"はこの地方の田舎育ちだったらしいし、当然ながらそれを知っているだろう。


 ミーフィアが空から条件に合う場所を見つけ出すと、そこには期待通りアスパラガスが生えていた。

 俺たちは枯れ葉の間から伸びるヒョロリとした紐のようなソレを手際よくペキパキとへし折る。


「ミーフィア、あまりとりすぎるなよ?

 来年の収穫が出来なくなる」


「いいじゃないですか。

 どうせ、来年なんて存在しないのですから・・・・・・・・・・・・・・・


「まぁ、確かにそうなんだけどね。

 それでもマナーは忘れないでいたいんだよ」


 そして一通り収穫を終えた俺たちは、広場に戻り調理を再開する。

 なお、荷物の見張りを頼んでおいたジョルダンは、その大きな体を丸めて居眠りをしていた。

 呑気な奴め。

 ……可愛いから許すけど。


「ミーフィア、アスパラガスの下処理を頼めるか?」


「かしこまりました」


 俺は地の精霊に頼んで石で出来た硬い土台を作ると、その上に竈をこしらえた。

 当然ながら、地面の上に直接焚火をするような事はしない。

 俺はそれなりに山のルールを知っているクマなのだ。


 薪を拾いに行ったミーフィアは、ついでに近くの川で水を汲み、魔術で清めたあとで竈にかける。

 薪を竈の中にいれ、彼女が指をパチンと鳴らせば、竈の中から白い煙がたなびき始めた。

 面倒な火熾しも、魔術を使えばあっという間だな。

 逆に言うと、風情は無いけど。


 その間に、俺は麺棒を取り出してパイ生地を作ることにした。


 十分に休ませたデトランプにバターを挟み、それを隙間なく包んだら麺棒で薄く延ばす。

 そして薄く伸ばした生地を折りたたみ、さらに薄く延ばす作業を繰り返した。


 実はこの作業が一番難しい。

 ちょっとでもヘマをすると、薄皮が破れて穴が開き、そこからバターが染み出してしまうのだ。


 パイ生地を伸ばし終えると、俺は再びそれを濡れ布巾で包み、さらにしばらく休ませる。

 この手の料理はとにかく時間がかかるものだが、その時間を惜しむことは許されない。

 むしろ楽しめ。

 これぞ厨房魔術師の流儀である。

 料理に関するペルシャのことわざに曰く、焦りは悪魔の業なのだ。


 お湯が沸いたら、収穫したアスパラガスをサッと茹でて色が変わる前に冷水につける。

 このあとパイ生地と一緒にしっかり焼くので、芯まで火が通っているかを考える必要はない。


 そんな作業をしていると、遠くから大きな声が近づいてきた。

 どうやら冒険者と村人たちがゴブリンを討ち取って凱旋してきたらしい。


 誇らしげな彼等は、太い枝にゴブリンの死体を吊り下げて意気揚々と歩いてくる。

 その姿が十分近くなった時、俺とミーフィアは気が付いた。


 あぁ、やっぱりこうなっていたか。


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