守護霊マリスレア 6

「やぁ、待たせたな」


『我が子ユージンよ、何をする気じゃ?』


 広場に到着すると、そこは完全に様変わりしていた。

 がらんとしていた荒れ地には様々な果樹がそびえ、季節に関係なく甘い果実を実らせている。

 マリスレアの持つ神としての力だ。


 そして飢えた子供たちはその果実を一心不乱に貪り、アンネリーの体に宿ったマリスレアは、そんな子供たちを優しく抱きしめている。

 そう、この神は邪悪なだけでなく、子を養う母の善性も持ち合わせているのだ。


 だが、今の彼女では子供たちのすべてを救いきれない。

 彼らには、互いに寄り添って生きるための家族が必要なのだ。


「そう急くなよ、マリスレア。

 すぐにお前自身の力を、もっと自由に使えるようにしてやる」


 俺の言葉に、マリスレアはしばらく口を閉ざして思案する。

 そして探るような声でこう口にした。


『我を……ここに祀る気かえ?』


 答えの代わりに、俺は唇だけで笑って見せる。


 俺のプランはこうだ。


 この村の守護神としてマリスレアを勧請。

 そのまま土地神としてこの村に固定することで、俺の守護霊から外してしまうのだ!


 幼い子供たちがいる限り、マリスレアはこの村から離れる事はできない。

 子供の保護は奴のアイデンティティーだからな。


 そしてこの村は、新たにマリスレアという強力な守護者を得て繁栄するだろう。

 さらにはマリスレアを邪神ではなく我が拝樹教に属した守護神として祭ることで、この地の地脈を浄化するフィルターとすることも可能だ!


 完璧だ!

 我ながら完璧な策ではないか!!


「あーあ、ユージン様ほんと腹黒い顔してますねぇ。

 どう思います、ギダルク」


「なんというか、マリスレアが可哀そうになってきたな……。

 これ、このままやらせていいのか、ミーフィア?」


 どういう訳か、護衛たちからの評価がかなり悪い。

 つーか、自分の主人に対してなんと口をききやがる、この護衛共。


「まぁ、いいや。

 さっさと祭礼を始めるぞ。

 クルセウス、アルヴィン!」


 荷物持ちとして付いてきた二人だが、本来はどちらも魔術のエキスパートである。

 この手の儀式を扱うのはお手の物だ。


 ……というか、なんでこの二人、荷物持ちとして付いてきたんだ?

 普通、それは他の護衛の仕事だろうに。


「ユージン様、もう少しだけお待ちください」


「すでに生贄を配置する場所の魔法陣は描き終わっております故、線を消さないよう運搬をお願いします」


 俺の疑問をよそに、インドア系の男ふたりはチョークを使って地面に複雑な魔法陣を描き記している。


『ユージン!

 ズルいぞよ! それはあまりにもズルいのじゃ!!』


 アンネリーの体を使って喚き散らすマリスレアは、ミーフィアが持ち上げて指定の場所に運んでいた。

 アンネリーが体の主導権を押さえているのか、走って逃げる様子はない。


 その傍らでは、ギダルクが盗賊たちの入ったウィッカーマンを会場全体の中心となる場所に固定していた。


 ふむ、そろそろ俺も準備をしておかなくてはな。

 時折目を覚まして涙ながらに赦しを乞う盗賊たちを再び魔術で寝かしつけながら、俺は神聖な儀式に赴くべく瞑想を開始した。



「ユージン様、術の準備が整いました」

「ご苦労である、クルセウス」


 気が付くと、太陽はすでに西へと傾き始めていた。

 時刻は昼過ぎと言ったところか。

 思ったより時間がかかったな。


 見れば、盗賊たちは全員が真っ白に燃え尽きており、小声でごめんなさいと呟くほかに反応はない。

 どうやら無事に浄化が終わったようだ。

 さすがに三十回近くも殺害される経験を積めば心も知能も清らかになるだろう。


 自我の残った奴がいないのが不満なのか、奴らを見張っているギダルクは仏頂面だ。

 いい加減お前は諦めろ。

 自分が例外中の例外だという自覚を持った方がいいと思うぞ? 


「式次第は?」

「ここに」


 俺が手を差し出すと、クルセウスはリチュアルシート……儀式に必要な手順書を差し出した。


 ふむ、柘榴を選んだか。


 マリスレアを拝樹教の神として迎え入れるならば、聖木を定める必要がある。


 俺もマリスレアに相応しい木を選ぶとしたら、柘榴かイチジクで迷うところだ。

 どちらも母性と繁栄の象徴である。


 しかし、マリスレアの象徴とするのならば、やはり柘榴だろうな。

 俺の前世の記憶でも鬼子母神のシンボルであり、執着にも似た情の深さと血のように鮮烈な赤は彼女の性格に相応しい。


「うん、いい仕事だね。

 さすがクルセウス」


「ありがたく存じます」


「では、始めますか」


 俺は生き残ったわずかな村人たちが見守る中、所定の位置に移動すると、愛用の小槌を取り出してテーブルをたたいた。

 マリスレアの祭礼を開始するための合図である。


「遥かなる天より我等をみそなわし十二の神々の理の下。

 衆生の心安らかにせしめんがために、一柱の神をぎ奉らんと願い給う。

 神の名はマリスレア。

 子を守り、失われし子を呼び戻す神。

 慈悲あふれる母神にして柘榴の木に宿る神なり。

 おお、我が訴えを聞け、心優しきマリスレア。

 蛮族の調略甚だしく、人の心荒れ果て、地の理乱れれば、田畑はその恵みをもたらすことなし。

 子が母を呼ぶもそれに答える声なく、飢えを満たす粥も無い。

 荒れにし地の民を哀れと思しめされば、我が祈りに応えたまえ。

 さすればこの地に生きる者、全てが汝を母と慕うであろう。

 まずはこの地に禍をもたらせし咎人を、贄として受け取るがいい!!」


 最初に訪れた変化は、ウィッカーマンの中にいる盗賊たちの姿だった。

 全身が茶色に変色し、その肌を食い破って緑の芽が伸びる。

 そしてみるみる全てが溶け合い、一本の樹木へと生まれ変わった。


 柘榴の木である。

 しかも、類を見ない巨木だ。


 伸びた枝がウィッカーマンの屋根を突き破り、緑の梢を頭上に広げる。


「うわぁ、相変わらずエゲツねぇ……ブホッ」


 ギダルクが思わず本音を漏らしてしまい、隣のミーフィアから肘鉄を食らう。

 この人を樹木に変える術、人身樹化という拝樹教の極刑だ。

 自ら果樹などになる事で人に尽くす刑であるが、前提として術を受ける本人が望まない限り発動しない。


 つまり、罪を悔い改めた後の罪人にしか使えないのだ。

 そのかわり、出来上がった樹木は非常に霊性が高く、神の憑坐として最適なのである。


「マリスレアよ、神の座に迎え奉る」


 俺の宣言と同時に、アンネリーの体からマリスレアの気配が消えた。

 抵抗はおろか、悲鳴すら許さない。


「あ、花が……」


 誰かの声に目を向ければ、目の前の柘榴の木に真っ赤な花が開き始めた。

 マリスレアの分霊が、無事に柘榴の木の中へと宿った証拠である。


眠れ、眠れ、静寂のうちにロ ロ イシルク

 ピスティアのもたらす安らぎの内にピスティアク ダカルェン バケアン

 アフラシアのもたらす快楽の内にアフラシアク エカルツェン ディツェン パラセレタラ


 とどめとして先日の神饌クッキーを捧げ、その美味の力でマリスレアの意識を混濁させる。

 その隙をついて、俺はこの神木とマリスレアを完全に融合させた。


 ――ざわり。

 一陣の風が枝を揺らし、柘榴の花が一瞬で散る。

 次の瞬間にはたわわな果実を実らせた。


「喜ぶがいい。

 マリスレアはこの樹木と一つとなり、この土地の守護神となった。

 その加護により、連れ去られたものは皆帰ってくるだろう」


 クルセウスの占いによれば、この村から連れ去られて奴隷として売り飛ばされた者の中にまだ死人はいないと言う。

 あとはその者がマリスレアの加護によって保護され、無事に帰ってくるのを待つだけだ。


「では、みな神の御下がりを受けるがいい」


 俺は手の届く範囲に実っていた柘榴を収穫すると、まずは村人の代表者に食わせた。

 神との縁を作る儀式、直会である。


 参加者の数は少なく、儀式の質は高い。

 ゆえにその効果は抜群だ。


 これでれらは正式にマリスレアの信者であり、その加護を受ける者となる。

 同時に彼らはその信仰によってマリスレアをこの地に縛り付ける鎖となるのだ。


 続いて俺は子供たちに果実を与えた。

 その甘美な味わいに、彼らの口から喜びの声が上がる。


「今日からはこの樹木に宿る神、マリスレアが君たちの神だ。

 マリスレアに祈れば、君たちの家族はかならず帰ってくる」


 そう告げると、子供たちはいっせいに跪いて祈りはじめた。

 続いて年寄りたちも目を閉じて跪く。


 奴隷契約があるため、通常ならばこの祈りは効果を発揮しない。

 だが、マリスレアの力添えによってその契約を打ち消すことができるならばどうだろうか?


 そもそも欲にまみれた大人たちの薄汚れた契約と、家族を思う真摯な祈り、神がどちらを好むかなど考えるまでもない。


 この後、各地で大きな蟻地獄のようなものが発生。

 奴隷や奴隷商人が地中にのみこまれるという事件が多発するのだが、それはまだ俺の知る由もない事である。


「さて、ようやく全ての始末がついたな。

 そろそろ家に帰るか」


 歓喜に包まれる村人たちを眺め、俺は満足感に酔いしれていた。


 くくく、哀れな愚民どもめ。

 神に縋りながら家畜のように生きるがいいよ。

 お前たちは自らの手で幸せをつかむ誇りと引き換えに、怠惰な幸せを手にいれたのだ。


 ついでに俺もマリスレアの暴走におびえる日々から解放されたのだから、万々歳である。


「悪辣すぎて声も出ねえな。

 結局、自分が一番得をしているし。

 本当にこの五歳児はえげつない」


「クルセウスとアルヴィンはこのまま地卜課の職員が来るまで地脈の整理らしいですよ?

 フォーセルも、たぶんこの後はこの地の地脈が放置状態になったていたことへの追及で大忙しになるでしょうし」


 誇らしげに胸を張る俺の後ろでは、護衛の二人がブツクサと何かをつぶやいている


「う、うるさい!

 だいたい今日はピクニックにきただけだろ!

 それなのにこんな大仕事をやる羽目になった俺をちょっとはいたわろうと思わないのか!」


 思わず振り返って反論すると、ミーフィーアとギダルクはそろって斜め上を向いて聞こえないふり。

 なんて面の皮の厚いやつらだ、くそっ!


「うふふふ、ちゃんとお仕事していい子ですね、ユージン様」


 そんな甘い囁きと共に、アンネリーの腕が俺に絡みつく。

 おぅふ、不意打ちだったせいで思わずキュンときちまったぜ。


「……でも」


『まだ、ピクニックをするという約束が果たされておらんぞ』


 アンネリーの声に続いて、とんでもなく不吉な声が周囲に響いた。


「い、今の声は!?」


 まさか、マリスレア!?

 馬鹿な、奴は土地が身として完全にこの村に固定したはず!


『まったく、目的のためなら手段をえらばぬ奴じゃわい。

 おかげでこんな姿になってしまったぞよ?』


 目の前で紫の光が瞬くと、俺よりも小さな手のひらサイズのクマが現れた。


 これは……マリスレアの分霊の、そのまた分霊だと!?

 確かに理論上は可能だが、その魔力はもはや神とは呼べず精霊程度に劣化している。

 神と呼ばれるものにとっては、この上もなくく恥辱的な姿であるが故、俺もこの状況は計算から外していた。


「な、なぜそこまでして俺に執着する!」


 すると、奴はアンネリーの方の上でゴロンと横になった。

 く、くそう……モフモフして可愛いじゃねぇかよっ!!


『我は今日の事で学んだのじゃ。

 力によって守ることだけが愛ではない。

 寄り添う事こそ、真の愛である』


 こ、この……邪神のくせに、なんという正論を!?


「そんなわけで、ピクニックの続きをしましょうユージン様」


『ユージンと一緒にどのような景色を見る事が出来るのか、我も楽しみじゃわい』


 俺の体を逃がさないとばかりに抱きかかえたまま、アンネリーは楽し気に歩き出した。

 その後ろを、ミーフィアが少し音程の外れた鼻歌を歌いながら付いてくる。


「もう……好きにしてくれ」

 アンネリーの腕の中で俺が吐き出した溜息を、すっかり浄化された地脈の息吹が笑いながら吹き払っていった。

 あぁ、この仕事を終えた達成感だけが俺の救いだよ。


 やがて日も暮れ、アンネリーとマリスレアに囲まれたまま高い丘の上でみた宵の明星は、とてもとても綺麗でした。


 教訓――守護霊からは逃げられない。

 

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