不可思議な客人 1
「実はね。
ユージンに手伝ってほしい事があるの」
その日、今日の課題を貰いに師匠の元へと訪れると、いきなりそんな話を切り出された。
「実はあと10日で、ちょっと特別な客人が来るのよね」
「お客人ですか?」
この塔に権力者などの地位の高い連中が客人として来るのは珍しくない。
だが、師匠が気にするほどの人物となるとかなり珍しい事だ。
「そう、大切なお客様なの。
かなり特殊な方だから、聖職者としての格の低い部下には準備を任せられないのよね」
困ったわ。
そう呟く顔は、まったく困ったように見えない。
この人はいつもこうだ。
たぶん、泣いたり困った顔をしないように教育を受けてきたのだろう。
貴族たちの間ではよくある話らしい。
もっとも、師匠がどんな生まれでどんな風に育ったかについては噂でも聞いたことはないが。
「えーっと、自分は何を手伝えばいいんです?」
「そうね、主に料理かしら?」
料理?
それならば、うちにはどんな貴族がやってきても問題としない腕のいい料理人たちがいるじゃないか。
彼らの欠点は……その怖い外見だけだ。
そう考えた後、先ほど師匠が口にした『聖職者としての格』という言葉を思い出し、さらに首をかしげる。
「うちの厨房長でもダメなんですか?」
いうまでもなくこの塔で働く者は全員が聖職者の資格持ちだ。
警備員だろうが、厨房の下働きだろうが例外は無い。
しかも厨房課は神饌を作る役目があるため、特に格の高い聖職者が求められる。
いわんやその長ともなれば、国から認定された階位は俺よりも上だ。
「彼もなかなかだけど、今回はちょっとダメなのよね。
知識や作法は十分なんだけど、もっている霊性の質がねぇ」
そう言われると、不本意ながら納得するしかない。
この世界には霊的な味覚と言うものがあり、料理には作り手の霊性が強制的に付与される。
そして異種族の中には、この霊性にかなり癖のある種族が存在するのだ。
うちの団長……じゃなくて厨房課の長がまさにそれ。
オーガ族の出身であるため火星の加護が強く、魔力自体にビリビリとした香辛料のような刺激があり、これが好まれない事がある。
まぁ、要するにカレー味のオーラを持っていると思ってくれていい。
修行の末にその魔力の味をマイルドで万人受けするような物へと進化させたはずなのだが……それでもやはり刺激自体は消えていない。
たとえ甘口にしても、カレーはカレーなのだ。
そしてその真逆の属性を持つのが俺である。
種族的に歓喜と幸運の星である木星、個人として美と快楽の星である金星の霊性を持つ俺は、霊性の味として最上級にマイルド。
厨房課の課長がカレーなら、俺のはお菓子の類に近いだろう。
「じゃあ、厨房に案内するわね」
師匠は突然にそう告げると、席を立って歩き出した。
相変わらず人の事を考えない人である。
「案内?
いや、厨房課の場所はよくお邪魔するから知っているんですけど……」
しかも、この方向は厨房課の本部に向かっているわけではなさそうだ。
やがてたどり着いたのは、俺の知らない場所だった。
なんと、この塔には隠された厨房施設があったのである。
だが……。
「ずいぶんと長い間ほったらかしになっていたようですね」
見れば、床には埃がうっすらと積もっている。
いや、こんな汚い場所で神饌作ったら神罰食らいますって。
「仕方がないわ。
ここは特別な人間にしか使えない厨房ですもの。
しかも、普通の料理を作る時には使えないから、めったに開けることもないわ」
なるほど、神饌専用の厨房と言う訳か。
いかにも宗教施設ならではって感じの場所だな。
「と言うわけで、まずユージンにはここの掃除をお願いしたいわ」
「はぁ……わかりました」
特別な場所……と言っても、そう大きくはない厨房である。
これならば、俺一人で掃除をしても大して時間はかかるまい。
ただ、この体になってからあまり掃除と言う者をしていないから、体が覚えているか心配だ。
掃除用具も日本にいた頃とはかなり違うし。
そんな事を考えていると、ふいに師匠の手が俺の頭の上に置かれる。
さらに師匠は腰をかがめて俺と視線の高さを同じにすると、まっすぐに俺を見据えて忠告を告げた。
「念のためだけど、注意しておくわね。
ここで普通の料理を作ってはいけないのは理解していると思うけど、ご飯を食べるのも駄目よ?
出来上がった神饌を試食するのも駄目。
人が飲み食いするだけでも場所の格が下がっちゃうから」
あぁ、なるほどな。
これはそういう『術』なのか。
神饌とは、神や精霊に捧げるための『食べる呪物』である。
ゆえに、魔術や呪物の法則が働くのだ。
そして、呪物の法則の中に『特別なものであるほど強い力を持つ』という法則があるのだが……。
この『特別』を手っ取り早く付与するテクニックこそが、『作る時に様々な制限をかける』事なのである。
今回の事に関しては、『専用の厨房を作り、人の食べる料理を作らない』という決まりを作ることで、出来上がる神饌の格を底上げしているのだ。
魔術の領域に料理を持ち込めば、そういうややこしい話になるのも無理はない。
――結局のところ、魔術と言うのは面倒で複雑になるのを好むものなのだな。
だとしたら、普通に掃除をしてもだめだ。
師匠が立ち去った後。
俺はメイドたちに頼んで、まだ使ったことのない雑巾を用意した。
そして汲んだばかりの井戸水で、壁や床を清め始める。
その際に、一切言葉を口にしない。
さらに決まり事を追加することで、この厨房の能力を底上げするのだ。
そして一時間後。
「ずいぶんきれいになったわね。
もしかして掃除に何か儀式でも組み込んだの?」
「はい。
祭壇の清めは魔術の基本ですから」
一部の例外を除いて、神や精霊は清らかな場所を好む。
それは邪神の類ですら変わらない。
「いいやり方だと思うわ。
……とはいえ、少しやりすぎね。
こんな魔力の整った厨房があるのは、万神殿や森聖庁ぐらいしかないわね。
さすが私のユージン」
万神殿は拝樹教の抱える魔術師ギルドの総本部であり、森聖庁は拝樹教を束ねる森聖猊下の住む場所である。
つまり、拝樹教の最高機関の双璧だ。
「そうね、今回のご褒美に……今後この厨房はユージンが好きに使っていい事にするわ」
「え、本当ですか?」
「ただし、ちゃんと管理してね?
自分が食べる分の料理は別のところで作るのよ?
気を抜くと一瞬でダメになっちゃう、とてもデリケートな場所だから」
「ありがとうございます、師匠!」
料理の施設が増えるのは、正直嬉しい。
鬱病で動けなる前は、これでもかなりの料理好きだったのだ。
「ふふふ、いいのよ。
じゃあ、せっかく厨房もきれいになったことだし、私も久しぶりに料理を作るとしましょうか」
師匠って料理作れたんだ?
一瞬、そんな事を思ってしまったが、死んでも口にできない台詞である。
しかし、本当に作れるのか?
うちの師匠、そう言う家庭的な臭いが全くしないんだけど。
ええ、そんな事を考えていた時期が俺にもありましたよ。
「じゃあ、はい、これ。
ユージンのために作った新しいお料理用の手袋よ?
手袋をつけたら、まず小麦粉の重さをはかったちょうだいね。
その小麦粉をふるいにかけて……」
おわかりだろうか。
師匠は指示を出すだけで、一切器具に触れることはないのである。
作業をするのは全部俺。
まぁ、そんなところだと思ったよ。
実は殺人的料理の腕前が……とかいうネタも予想したが、まぁいいや。
そういうラノベの定番はノーセンキューである。
……というか、うちの師匠ってたぶん生粋の貴族育ちだね。
料理の作り方は知っていても、自分の手でやったことは一度もないんだろうな。
そして今日は何を作ったのかと言うと……サワードゥというパンの種である。
サワードゥとは、
作り方は簡単。
小麦粉に水を入れて混ぜるだけ。
果物の皮を発酵させて酵母を作る必要があるんじゃないかって?
実はですな、小麦粉自体にも最初から酵母は含まれているんですよ。
で、その小麦本来の酵母を利用して作るパンこそ、サワーブレッド。
まさに原点のパンなのである。
具体的な作り方はというとだ。
毎日一回、粉と水を少しずつ加えて育ててゆくだけ。
なお、パンの種として使うには作り始めてから五日から十日ほどかかる。
だいたい四日目ぐらいからは強い干し草のような香りがしはじめて、五日目ごろには少し酸味の混じった香りに変わるらしい。
そしてその頃になると、一気に中の酵母が増えてふくらみ始めるのだ。
もっとも、俺もサワーブレッドを作るのは初めてだから、全部師匠からの聞き伝だけどね。
さて、ここで『課題が簡単すぎる』と思ったあなた。
実に鋭い。
そう、俺が師匠から頼まれた課題は、サワーブレッドを作ることではないのだ。
俺に与えられた課題は……。
『サワーブレッドの種を使って神に捧げるにふさわしい物をつくれ』と言うものでした。
はい、難易度が一気に跳ね上がりましたね?
しかも、簡素でありながら気品のあるものというご注文。
貴女は鬼ですか?
いえ、魔女でしたね。
「さてと……試作品のパン種が出来上がるまで五日か。
試行錯誤したいから、出来ればこの時間は短縮したいところだな」
だが、下手な魔術をつかって発酵を早めると、霊的な格が下がる可能性もある。
しかし心配はご無用。
俺は有効な手立てに心当たりがあった。
「マリスレア、手伝ってくれるか?」
「呼んだかえ、我が子よ」
俺の呼びかけに応え、テーブルの上に20cmぐらいの小さな熊が忽然と現れる。
俺の守護霊にして、邪神である母熊神マリスレア……の分霊のそのまた分霊となった存在だ。
「このサワーブレッドの種を早く育てたいんだ。
それも、霊的な格を落とすことなく」
マリスレアのもたらす加護には、保護と育成が含まれている。
そして分霊とはいえ、神の力で育てるのならば霊的な格は落ちるどころかむしろ高まるはずだ。
「任せるがよい。
その代わり、それなりの捧げものはいただくぞよ」
「あぁ、それは期待してくれていいよ」
そう、期待してもらっても全く問題はない。
なにせここは神饌を作る専用の厨房だからな。
俺は小麦粉を煎ってから砂糖と油で捏ね上げると、オーブンを使ってポルボロンという菓子を焼き上げた。
口の中でサラリと崩れる、スペインの祝い菓子である。
「ユージン、まだかえ?
甘い香りがたまらぬぞよ」
「もう少し待って。
いま触るとと崩れるから」
ポルポロンを作るうえで最も失敗しやすい時間は、焼き上がり直後だ。
このタイミングのポルボロンは砂で作った城と同じぐらい脆く、指で触れると崩れてしまうのである。
冷えて固まるまで待ってから、俺はその一つを摘まみ上げてマリスレアの口に放り込んだ。
……味見?
俺が加減無しに作った神饌は、神ならぬ身には劇物なんだよ。
神に捧げられて人間が食べても問題ないレベルの味に落ち着くまでは口にできません。
さもないと、暴力的な美味に酔って数日ほど現実に戻ってこれなくなるからな。
「ほうぅぅぅぅ、美味ぁぁぁぁぁ!」
マリスレアが両手で頬を押さえつつコロコロと地面を転がる。
こうやってはしゃいでいる分にはこいつもなかなかにかわいいな。
だが、マリスレアは神の一部である。
その御利益は半端なものではない。
供物をささげた影響は、数秒と待たずに現れた。
ボコリと何かが大きく泡立つ音を聞きつけ、俺は振り返る。
見れば、先ほど仕込んだサワーブレッドの種が沸騰していた。
いや、ちがう。
これ、何か変だ!?
「マリスレア、ストップ!
なんか酵母の様子がおかしい!」
だが、マリスレアはポルボロンの味に酔いしれて、甘美な夢の中にまどろんでいる。
何度呼びかけても全く反応がなかった。
――まずい。
視線の先には、物理法則を無視して膨れ上がるパンの種。
俺の背中を、汗が一筋流れ落ちた。
そして、パンの種は大きく伸びあがり培養の器から逃げ出し……。
「スライム?」
そこには薄茶色をした饅頭のような生き物がいて、もにもにと音がしそうな動きで床を這いまわっていた。
なんとなく、マリスレアに捧げられて普通の人間が食べても問題なくなったポルボロンを摘まみ上げ、スライムに差し出す。
すると、スライムはそれをモゴモゴと頬張り、キュイっと小さく喜びの声を上げた。
「なんか……かわいい」
俺が手を伸ばすと、パン種スライムもまた短い触手を懸命に伸ばして俺の爪の先に触れようとする。
ほんのちょっと距離が足りなくて、懸命に体を伸ばす様は実にコミカルだ。
「ちょっとビックリしたけど、なんか無害な感じだよな?」
「それはそうであろう。
そやつはお前の使い魔だからな」
いつの間にか復活していたマリスレアが、俺のひとり言に答える。
「使い魔?」
「うむ。
ユージンの手によって生まれ、我の加護を受けて自我と魔力を持った魔法生物。
それがお前の目の前にいる生き物よ」
「ちょっとまって。
使い魔になっちゃったって事は、パンを焼くのに使えないんじゃ?」
当然だが、使い魔と神饌は全く違うものである。
生贄にするという意味で使えなくはないのかもしれないが、それはあまりにも外道だろう。
……というか、俺が欲しかったのは神饌なので、使い魔が出来上がっても困るぞ。
「いんや、それは問題ないぞよ?
そ奴の体は立派な聖体パンの種じゃからな。
焼けば極上の神饌が出来上がるであろう。
一次発酵も二次発酵も不要。
おぬしが望むままの形をとらせ、即座にオーブンに送り込むがよい」
あー、そのまま神饌の材料にして問題ないのか。
それは確かに朗報なのだが、一つ気になる事がある。
「それ、使い魔死なない?」
「死ぬな」
マリスレアの答えに迷いはなかった。
「アカンやろ、それは!!」
「駄目だと言うので思い出したのじゃが、一つ忠告しておくぞよ」
「何だよ」
「料理について面白い事をしているのに呼んでくれないから、バスクモードの奴が拗ねておる」
「誰が拗ねておるか!」
何もない空間に、突然巨大な熊が現れる。
美食の将軍バスクモード。
俺のもうひとつの守護霊だ。
いかついゴリマッチョで高い戦闘力を持っているが、気位が高い上に料理のことにしか手を貸してくれない、極めて偏屈な役立たずである。
俺の故郷では軍神として崇拝されているらしいのだが、この面倒なだけのオッサンをどう讃えろと言うのか。
宗教というのは本当に不可解だ。
「あー、悪かったバスクモード。
いろいろと考える事が多すぎて呼ぶ暇がなかったんだ」
「まぁ、そういう事にしてやろう」
言葉だけだと許しているように聞こえるが、視線も合わせてくれない。
あぁ、これは完全に拗ねているな。
「それでバスクモードにも協力を頼みたいんだけど……なんとかこの使い魔を殺さずパン種だけを手に入れる方法は無いかな?」
すると、バスクモードはさほど考える事もなくこう言い放ったのである。
「ふむ、それならば……そのスライムに余が力を与えてやろう。
水と小麦を食い、パン種を吐き出す力だ。
うむ、いいな。
実に愛い存在ではないか」
さてはこいつ……実は最初からそうしようと思っていたけど、俺が声をかけないのでヤキモキしていたな?
その後、俺の要望によってパン種スライムは様々な追加機能が与えられ、実に便利な存在へと進化した。
俺はこのスライムに『イーストスライム』と言う種族名を与え、そして個体についてはフランス菓子のカトルカールからとってカトリーナと名付けたのである。
なお、カトルカールのレシピにイーストもベーキングパウダーも入ってない事に気づいたのは、名前を付け終わった後の話だ。
怠惰の獣は今日も疲れている 卯堂 成隆 @S_Udou
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