熊魔術師の怠惰なる日常

棘草(ネトル) 【前編】

「ごめんなさいね、今日はちょっと急な予定が入ったから一人で出来る課題を出しておくわ」


 その日、そんなセリフと共に師匠から出された課題は、薬草摘みだった。

 しかも塔の薬草園ではなく、外の野原で摘んでくる必要のある課題である。


 どうやらかなり急ぎの仕事だったらしい。

 師匠は資料をまとめた鞄を残すと、俺の返事も聞かずにそのまま駆け足で出かけて行ってしまった。

 いつもなら30分以上かけて俺の毛並みを堪能する師匠が、俺を抱きしめる事もなく……である。


 師匠が呪文を唱えると、その姿は瞬きする間もなく影となって消え失せた。

 一瞬、箒にでもまたがって飛んでゆくかと期待したが、普通に転移魔術を使ったらしい。

 ほんのちょっと残念である。


 さて、一人でやる課題か。

 俺は今日の運勢を星占いで確認しながら、隣に控えていたフォーセルに外出の手配を頼んだ


「……というわけで、今日は外に出かける。

 護衛の手配を頼めるか?」


「外の課題でしたら、ディティルスを連れてゆくと良いでしょう。

 野外の作業ではことのほか役に立つ男ですから。

 ディティルスを連れてゆくなら、アニエルも一緒に連れて行ってやった方がいいですね。

 厨房長にも話を通しておきます。

 あとは警備も数人ほど人を出すよう手配しますので、しばらくお待ちください。

 あと、溜まっている書類の量を考えると、長時間の外出は歓迎できません。

 なるべく早く課題を終わらせていただけるとありがたいです」


 う゛……いつもながら、苦労かけます。

 はやいところ仕事のシステム再編成しないとな。

 フォーセルの奴、この間も過労で倒れてたし。


 しかし、あの師匠がここまで慌てる要件って何だろう?

 知ったところでロクな事にならないのは間違いないから、あえて探ろうとは思わないけど。

 

 さて、改めて今日の課題を確認しよう。

 今日の課題は、棘草イラクサの採取だ。


 やった! キタこれ!

 この時を待ってたぜ!


 おっと、一人で盛り上がってしまって申し訳ない。

 まずは棘草イラクサについての解説と、俺の事情について説明しよう。

 少し長くなるが、聞いてほしい。


 棘草イラクサは本当にどこにでも、それこそ日本でも野原に行けばいくらでも生えている草だ。

 毒をもった棘があり、それが刺さると赤い湿疹ができる。

 蕁麻疹じんましんの蕁麻とはまさにこの草に刺されたときの症状の事だ。


 しかしながら世界中で古くから利用されてきた有用な植物であり、薬にもなれば糸を作り出す原料にもなる。

 さらには火を通せば食べることも可能な植物だ。


 特にロシアやイギリスではなじみが深く、このイラクサをケーキやピクルスにしたり、果てにはその酸味を生かしてジャムしたりもするらしい。

(ただし、ヨーロッパ圏の場合はこの植物の亜種であるセイヨウイラクサが使われている)


 とりあえず恰好いいから、今後この草をイギリス風にネトルと呼ぼう。

 ちなみに語源は『Needle』だ。


 少し余談になるが……アンデルセン童話の一つ、白鳥の王子の物語でもこの植物は重要な役割を持っている。

 魔女によって11人の兄をすべて白鳥にされた姫は、呪いを解くためにこの植物からとれた糸で作ったシャツを作るのだ。


 ……とまぁ、そんな感じで古今東西どこに行っても魔女や魔術にとってはなじみの深い植物なのである。

 まさに魔術師の授業で採取するにふさわしい植物と言えよう。


 さらに余談ではあるが、お庭を管理する者にとって、この草は不倶戴天の敵だ。


 繁殖力が非常に強い上に、棘も毒もあるからな。

 駆除がすごく面倒なのである。


 なぜこの有用な植物が塔の薬草園で栽培しておらず、採取するのに外に行かなくてはならないのか……聡明な君ならばもう理解できたね?

 こんなものを塔にある農地で栽培したら、庭師のみんなから確実に呪われてしまうんだよ。


 ついでに、少し魔術についての話もしよう。

 長くなってしまったが、もう少し付き合ってほしい。


 植物にはそれぞれ支配する惑星があり、その惑星の力が強い時期に収穫しないと薬効が減る。


 そして棘草ネトルを支配するのは火星だ。

 すなわち、今日……火曜日に採取するのが正解である。


 火星と言う惑星の力は、毒の排除と外傷を癒すことが得意だ。

 そのため、その支配下にある植物は、傷薬や解毒薬の材料となることが多い。


 そしてこの授業の最終目標は、ただ草を積むだけではない。

 傷薬の調合なのだ。


 そして傷薬……ポーションが作れるようになると、俺の環境が大きく変わる。

 俺が自由に出来るお金が手に入るのだ!!


 ふふふ、ポーションと言えば、魔術師の塔が作る売り物の中でも売れ筋中の売れ筋。

 なにせ商品としての知名度が高いから、需要が大きいのだよ。


 なので、師匠が合格を出すレベルのポーションを作れば、塔の御用商人にいくらでも買い取ってもらえる。


 別に生活費に困っているわけではないが、俺にはもうちょっと収入を増やしたい理由があった。

 うちのスタッフの給料の問題である。


 今でもそれなりの給料は支払っているつもりだが、その能力を考えると、もっと良い給料でもよいと思うんだ。


 優秀なスタッフには、その実力と実績に応じた報酬を。

 ……特にフォーセルなんかは先月二回も倒れているからな。

 システムの改善がすぐにできない以上、言葉だけじゃなくて、給金と言う形でも報いてやりたい。


 けど、そのためには先立つものが必要なわけで。


 なので、俺としては出来るだけ早くポーションを作ることの出来る魔術師になりたい!

 そんなわけで、今回の課題はものすごく気合が入っているのだ!


 しばらくすると、フォーセルとディティルスが護衛の男たちを連れてやってきた。

 どうやら外出の準備が完了したらしい。

 むろん、ディティルスの彼女であるアニエルも一緒だ。


 ん? いつもの面子とは若干顔ぶれが違うな。

 あ、そういえば今日はミーフィアの奴は非番でお出かけしているんだっけ。


 正直……護衛と言うならば、ジョルダン一匹だけで充分なんだけどなぁ。

 さもなければ、ミーフィアだけでいい。

 他の連中は、ちょっとだけ面倒くさいと思ってしまう。


 まぁ、ミーフィアは休日だから護衛をしてとは言えないし、ジョルダンだと俺以外の奴と対話ができないから、何かあった時のために人の護衛の手も必要か。


「ではユージン様、近所ではありますがどうぞお気をつけて」


「うん、行ってくるよ。

 晩御飯の材料にもなるらしいし、昼の鐘が鳴ったら帰ってくるね」


 フォーセルとそんな挨拶をかわすと、俺はジョルダンとディティルスと護衛の皆さん、そして夕食の材料目当ての厨房課の連中……アニエルを含めた下級の厨士たちを引き連れて塔の外へと向かったのである。



 やがて到着したのは、村から少し外れた野原だった。

 あたり一面に、人間の膝ぐらいの高さの草が生い茂っている。


 ……お前の背丈よりたかいんじゃないかって?

 チビで悪かったな、畜生!


 さて、俺の背丈の話はおいといてだ。

 

「はーい、皆さん。

 まずはこの手袋を着用してください」


 俺は鞄の中から6人分の手袋を取り出した。

 護衛が二人で厨房から来た面子はアニエルを含めて三人、ディティルスは自前で手袋持っているから、一セット余るな。


 俺の分?

 手の形も大きさも違うから、特注品が別に用意してあるんだよ。

 残念だが、この人間の大人むけにつくられた手袋は使えません。


「え、まさか俺たちにも草むしりしろって言うんですか?

 冗談キツいですよ」


 笑いながら文句を言い出したのは、フリューゲル。

 大きな巻き角を持ち、下半身が山羊であるフォーン族の青年だ。

 俺の専属護衛の中では新参者にはいる。


 ウルルルル……。

 主の言う事が聞けないお馬鹿な護衛に対し、低い唸り声と共にジョルダンの尻尾が低い位置で強く揺れた。


 おや?

 ジョルダン以外の殺気を感じて周囲を見渡すと、ディティルスと厨士の一人……アニエルの額にうっすらと青筋が浮かんでいる。


 というか……アニエルって、たぶんフリューゲルより強いんだよな。

 そもそもが凄腕の傭兵だった人だし。


 まぁ、いい。

 フリューゲルをシメるのは簡単だけど、とりあえずここは出来るだけ穏便に人手を確保だ。


「だって暇でしょ?

 こんな村から近い場所じゃ狼一匹出てこないし。

 それとも、採取している間は何もせずに突っ立っているつもりですか?」


「いや、でも、俺は護衛だし……え、はい、わかりましたよ、やればいいんでしょ、やれば!」


 護衛はさらに文句を言おうとしたが、俺の隣からジョルダンがズイッと前に出る。

 耐えがたい恐怖に襲われたのか、彼はしぶしぶ俺の差し出した手袋を受け取った。

 もう一人いる護衛は、最初から文句もいらずに手袋を受け取っている。


 思ったより賢い人でなによりだよ。


 よし、これで人手は十分に確保出来たぞ。

 さて、俺も作業を始めるか。


 俺は鞄の中から香炉を取り出すと、その中に入っていた香木に火をつけた。


「勇敢なる戦士の星よ、聖樹の使徒たる我に今日の糧を与えたまえ。

 大いなる原野の緑を支配する方に願いあげる。

 この地における我らの収穫を莞爾かんじとして許したまえ」


 祈りの言葉を唱えると、遠くで綺麗な鳥の鳴き声が耳をかすめた。

 たぶん、この地を守護する霊の返答だろう。


 この手の存在は直接言葉を使わず、こういう回りくどい表現を使う事が多い……というか、音を紡いで人の言葉を作るのがひどく難しいのだそうだ。


 さて、なぜこんな事をするかというと、ひとえにトラブル防止である。


 というのも、勝手に草を刈り取ることはこの地に住まう霊からするとかなり不愉快な事なのだ。


 考えてもみてほしい。

 我々だって、たとえ手入れをしていない庭であっても、勝手に人が入って好き勝手されるのは嫌だろう?


 なので、こうやって挨拶をしておかないと、この地に住まう霊たちによって上物を隠されてしまうのだ。

 最悪、毒蛇や毒虫をけしかけられたりして、とてもひどい目にあう。


「とったぞぉぉぉぉぉ!!」

 大きな声が聞こえてきたので顔を上げると、フリューゲルが大きな鳥を手にぶら下げて嬉しそうにしていた。


 あの、それ、さっきここにお住いの精霊さんが返事に使った鳥ですよね?

 何してくれてるんですか、あんた!


 さすがに中身の精霊まで一緒にくたばるとは思わないが、逆に言うと祟りは間違いないし!


「見てください、ユージン様!

 丸々とした雄のヘプト雉です!

 最近は気温が高くなってきたんで熟成はできませんが、新鮮な奴も甘みがあってなかなかのものですよ!」


 お兄さん、いい笑顔ですが、状況わかってませんね?


「じゃあ、俺はコイツを近くの沢で処理してきますね!

 晩御飯は楽しみにしていてください!」


 はい、その、いってらっしゃい。

 晩御飯ガトテモ楽シミデス。


 あいつ、塔の中で暮らすことを許されているんだから入位の資格は持っているはずだよな?

 聖職者としてあり得ないぐらい馬鹿な事しているんだけど。

 まさか試験で不正をしたとか……さすがにそれはあり得ないか。


 何はともあれ、部下のやらかしたことは俺の責任だ。


 えーっと、こういう時はどうするんだっけ?

 師匠のくれた資料をめくると、野の精霊や妖精の祟りに触れた場合の対処方法が記されていた。


 すごいな、師匠。

 ほとんど預言書じゃないか。


 なになに?

 石を積み上げて小さな塔を作り、捧げ物をして鎮める。

 それからイラクサで首飾りを作り、首に巻く……か。


 とりあえずその辺の石で塔を作っておこう。

 捧げ物はおやつ用にもってきたビスケットしかないな。


 よし、出来ることはやった。

 あとは何かあったら師匠にお願いしよう。


 さすがに精霊も命までは取らないと思うしな。


 さて、なぜか香炉の中の香木が一瞬で燃え尽きたけど、気にしても仕方がないので本題に戻ろうか。

 今の俺にできることはたぶんこれ以上ない。


 その前に棘草ネトルを編んだ魔除けの首飾り作って、首にかけておこっと。

 さて、そろそろ俺も棘草ネトルの採取に入るか。


 棘草ネトルの厄介なところは、なんといってもその棘である。

 しかも毒があるため、皮膚を引っ掛かれると炎症を起こして真っ赤に腫れあがるのだ。


 もっとも、俺の場合は全身を毛皮に覆われてるから、毛の生えていない肉球にさえ気をつければあんまり気にする必要は無いんだけどね。


 でも、万が一毛皮を貫通されると嫌なので、俺も特別製の手袋をはめる。

 こいつは師匠が俺のために準備した特注品で、魔物の皮をなめして作った代物らしい。


 サイズも形も魔力で自由に変更されるから、俺の手にもジャストフィット!

 しかも抜け毛防止効果があるため、料理をするときに使えばご飯に抜け毛がはいる心配も無しだ!


 よし、手袋装備!

 草摘み用の鎌よし!

 バスケットよし!


「いざ、収穫じゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 俺はテンションを上げながら自分の背よりも高い草叢に突入した。


 お、棘草ネトル以外にも色々と生えているな。

 これはスギナホーステイルか。

 今日は棘草ネトルが目的だし、こいつの収穫は土曜日が適正だから見逃してやろう。


 こっちは黒苺ブラックベリーのちっさい奴だな。

 7月の頭ぐらいになったら、取りに来よう。

 きっと、赤黒い果実がいっぱい実っているだろうから。


 こんな風に草叢の中には様々な植物が生えているが、棘草ネトルは姿に特徴があるのですぐにわかる。

 切れ込みの多いギザギザの葉、まっすぐに伸びた茎。


 近縁種である苧麻ちょまという植物も同じ特徴を持っているが、こちらは棘が無いのですぐに見分けがつく。


 俺は手袋した手で握り締めると、根元に近い部分を鎌で刈り取った。


 あとはこれを草摘み用の大きなバスケットに入れるだけ。

 細かい始末は帰ってからやればいいだろう。

 実に簡単な仕事だ。


 しかし、採取作業ってのはなんでこんなに楽しいんだろう?

 山菜取りをしたことのある人ならわかってもらえると思うのだが、バスケットが重くなるほどに、何かが満たされてゆく気がするのだ。


 あともうちょっと。

 あともうちょっと。

 気が付くと、その場にあるすべての獲物を狩りつくさなければ気が済まなくなっている。


 この欲に支配された状態になるとちょっと危険だ。

 山に山菜取りをしに行ってトラブルに合うのは、たいがいこの状態になった時なのだから。


 だから、マイルールを設定した。


 とりあえず、このバスケットがいっぱいになったら帰ろう。

 逆に言えば、このバスケットがいっぱいになったら何がなんでも帰るべきだ。


 そもそも神に贈られた俺の二つ名は怠惰の獣だ。

 勤勉なんて柄じゃない。


 ……とまぁ、収穫の誘惑になんとか耐えきったおかげか、その後は特に何事もなく過ぎた。

 ラノベでよくある展開のように、このあたりには生息していない魔獣が出たり、盗賊に襲われた馬車の音が聞こえたりはしないのだ。


 ハプニングと言えば、せいぜい……。


「うわっ、カメムシ!」


 近くの草叢から悲鳴が上がる。

 この声はフリューゲルか。


 護衛のあんたが虫ごときで悲鳴を上げてどうするんだよ……。

 って、なにこの数!?


 見れば、すさまじい数のカメムシが緑の絨毯のように押し寄せてくる!


 これ、絶対にさっき仕留めた鳥の祟りやん!

 捧げものが足りなかったか!?


 えーっと、じゃあ……今日作るポーション、出来上がった者の半分差し上げますので、それで納めてはくれませんかね?


 心の中でそう提案してみると、カメムシの行進がピタリと止まった。

 どうやら交渉が成立したらしい。


「あー、それ捕まえといて。

 今、回収に向かうから」


「冗談でしょ!

 こんな臭いの何に使うんですか!」


「このあたりにいるカメムシは、九香虫と言って精力剤……というか、勃起不全の治療薬に使えるんだよ」


 正しくは血液の流れをよくする効果があり、他の薬品と合わせて使う事で勃起不全が治療できる代物である。

 ぜんぶ師匠からもらった課題の資料からの受け売りだけどな。


「……マジかよ」


「ちなみにだけどね。

 この小さい袋一つ分で、君が一晩たらふく飲んで食ってもおつりが出るぐらいの収入になるらしいよ」


「うおぉぉぉ!

 カメムシとったるでぇぇぇぇぇ!」


「今日のメインは棘草ネトルだから、そこの所忘れないでね」


 急に元気になった護衛の山羊男フリューゲルが遠ざかる音を聞きながら、俺は小さくため息をついた。


 それからしばらくしての事。


 どうやら思ったより時間が過ぎていたらしい。

 遠くから、お昼の時間を知らせる鐘の音が聞こえてて来た。

 そろそろバスケットもいっぱいだし、このぐらいにしておくか。


「みんなー そろそろ切り上げるから準備してー」


 俺の声に反応し、厨房の連中がいそいそと動き出す。

 さて、こちらは収穫に対する感謝の儀式を行わなくては。

 ただでさえ、ウチの連中が失礼をぶっこいといるから、念入りにね。


 俺の祈りが終わった頃には、厨房の連中があっという間に荷物をまとめ上げてしまっていた。

 そして俺たちは、戦利品を担いで悠々と帰路についたのである。


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