第12話

 いったい、何のつもりだ!?

 お前の目的は何なんだ!?


 俺のカルミンの口元をにらみつけ、その唇の動きから使おうとしている術の正体を探ろうとした。


 あれ?

 このパターンと魔力の感じって……呪詛でも何でもないぞ?

 まさか、治癒魔術?


 なんで?

 あの悪意に満ちた顔で、なんで治癒魔術なんて唱えているんだ?


 ……奴が本当に治癒魔術を使っているか確定するには、ちょっと距離が遠いな。

 熊って、人間と比べると目が悪いんだよ。

 仕方がない。

 一歩近づいて声をかけてみるか。

 

「何をしているカルミン」


「おや、これはユージン様。

 どうかなされましたか?」


「お前、いま何をしようとした?」


「ええ、薬と呪いで弱っている子・・・・・・・・・・・がいたので治癒魔術を使おうと思いまして」


 一瞬で人畜無害を装ってこの笑顔。

 だからこの男は信用できないんだ。


「とてもそんな事をしている顔には見えなかったが?」


 そもそも、薬と呪いで弱っている子・・・・・・・・・・・って誰のことだ?

 怪我をしている奴なら伯爵の子飼いの騎士共がいるけど。


「それは何か気のせいでしょう。

 私は早くあの子を楽にしてあげたいので、しばらく邪魔をしないでいただけるとありがたいです」


 そう言いながら、カルミンは再び治癒魔術の詠唱をはじめた。

 おかしい。

 何かが引っ掛かる。


 いや、その前に俺はあのクソガキからランペールの子を守る方法を考えなきゃいけないのに。

 くそっ、考えるべきことが多すぎる!

 俺は怠惰の獣だぞ!?

 世間のみんなは俺を働かせすぎだ!!


 つーか、みんな何してるんだよ?

 あ、伯爵を警戒してにらみつけるのに忙しいのですか、はい、頑張ってください。


 俺は頭を抱えながら、特に意味もなくクソガキの足元にいるランペールの子に目をやった。

 聖人教アヴァチュールの魔術師が薬でも使ったのか、ランペールの子は目を閉じたままでピクリとも動かない。


 せめてこの薬だけでも抜いてやりたいところだが、いまここでそれをしたら、ランペールの子は周囲の人間を敵とみなして襲い掛かってしまうだろう。

 子供とはいえ、魔獣である。

 油断した人間なんか一撃で食い殺すだけの力はあるのだ。


 ん……まてよ?

 これって!?


 俺はカルミンの使っている魔術の意味をようやく悟った。

 思わずカルミンを振り向くと、奴の口元がもう遅いと言わんばかりに歪む。


「ランペールから離れろ!」

 俺が叫ぶより早く、カルミンの魔術が完成する。

 ランペールの子の瞼がピクリと動いた。


 くそっ、このままでは伯爵の所のクソガキが死ぬ!

 カルミンの狙いは、最初からあのクソガキの暗殺だったのだ!


 思えば最初からこの案件はちぐはぐだった。

 あの朴訥を絵にかいたような男爵に、フォーセルを出し抜いて俺のところにまで依頼を届ける事が出来るだろうか?


 答えはできない。

 子供でも分かる簡単な問題である。


 では、誰がやったのか?


 つまり、こいつだ。

 こいつが最初から俺を巻き込む事を考えて、伯爵が我慢できなくて現場にやってくるのを見越して、そして伯爵の息子が薬と呪いでランペールの子を束縛してから油断しきった状態で従属の術を使うのを予想して、この事件の全ての絵をかいていたのだ!


 だが、まだ謎は残る。

 いったいこいつはなぜここまで面倒な事をして、伯爵の子を殺そうとしたのだ?

 恨みがあるのは確かだろうが、明確な動機がわからない。


 だが、いずれにせよ俺の取るべき行動は一つ。

 いかな理由があろうとも、殺人は認めない!


 惨劇を防ぐためにランペールの子めがけて走り出そう……と、前に進もうとした瞬間だった。

 俺の肩を勢いよく誰かが掴む。


「ゆ、ユージン様……」


「なんだよ、男爵!

 いま、ちょっとヤバイ事になってるから後にしてくれ!」


「いえ、こっちもまずい事に……」


「なんだよ!」


 これ以上、どんな悪い事が起きるって言うんだ!

 そう怒鳴り散らそうとした俺にむかい、男爵は真っ青な顔で告げた。


「ランペールの親が、飛ぶ気です」


「は!?」


 飛ぶって、どういうことだよ。

 背中に羽でも生えたとでもいうのか?


 男爵の顔があまりにも真っ青なので、しかたなしに崖のほうに目をやれば、向こうにいる親ランペールは少し崖から距離をとり、姿勢を低くしていた。


 え、ちょ手、

 なにこれ?

 まさか、飛ぶ……じゃなくて、跳ぶってことか!?


「やめろ、やめるんだ!!」


 衝動的に叫んではみたものの、相手は言葉の通じない魔獣だ。

 こちらの声に耳を傾けるはずもない。


「落ち着くんだ、お前は錯乱して無駄な事をしようとしている!

 崖の幅は50メートルほどもあるんだぞ!

 いくら魔獣でも、この距離を飛び越えるのは無理だ!」


 俺の説得もむなしく、母親らしきランペールは揺るがぬ意思と言うよりクスリか何かが決まったような目をしたまま走り出す。


 う、嘘だろ!?

 やめてくれ!

 なんでこんな無駄な事をするんだ!!


 ……子を思う親の想いは尊いが、それは無謀の免罪符ではない。


 激しい感情は人を動かい原動力にはなるが、道を間違える要因でもある。

 俺はかつて師匠が自分に語った言葉を思い出していた。


 もう、止められない。

 この後に訪れる光景を思い、俺は思わず聖印を切って祈りを捧げた。


「あ、あああ……楡の木に座します母なるラサニよアマ ラサニ スマルァガン エスリタ憐れみ給えエルゥキ憐れみ給えエルゥキ憐れみ給えエルゥキ


 気が付けば、俺とカルミンが同じ祈りの言葉を唱和していた。

 奴にとっても、この現状は予想外であったらしい。


 お前のせいだろ!

 そんな青い顔で祈りの言葉を唱えるぐらいなら、最初から悪だくみなんてするなよ、この馬鹿たれがぁぁぁっ!


 様々な人の思惑がより集い、互いが互いを利用しようとした結果。

 危険な火遊びの結末は、まもなくすべてを破壊する爆弾にまで届く。


 そして、俺の祈りもむなしくランペールは跳んだ。


 翼なきその巨体が、風もない宙に投げ出される。

 その鬼気迫る勢いは、もしかしたら対岸にまで届くのではないかと錯覚すら覚えるほどだった。


 だが、結局は錯覚。

 その爪の先は崖の向こうに届く遥か手前で空を切り、悲しい声と共に遠く消えてゆく。


 誰もが沈黙している事に気づき、風の音で我に返ったその時だった。

 突然大きな笑い声が二人分響く。


「は、ははははは!

 死んだ、死んだぞ!

 なんて間抜けなんだ!!」


「まったくですね、父上。

 おとなしく我々に子供を差し出して諦めればよかったものを。

 諦めが悪いからこんな事になる!」


 この親子、どうしようもなく腐ってやがる。

 まるで、人の姿をした化け物じゃないか。


「なんだお前ら?

 こんな愉快な事があったのにどうして誰も笑わない?

 高貴な存在である儂の前だからと言って遠慮することは無いぞ。

 思う存分腹を抱えて笑うがいい!

 許す!!」


「ダメですねぇ。

 やはり卑しい血のものは笑いのセンスまで腐っている。

 街に戻ったら高貴な僕が笑いの何たるかをしっかりと教えてあげよう。

 心から感謝したまえ」


 あまりのいたましさに、この場にいたほとんどのものが顔をしかめている事にも気づいていないだろうか?

 なんとも救いがたき無理解。

 罪深き無知。


 お前、今の自分の状況が分かっているのか?

 そろそろ、お前の足元で危険な化け音のが目を覚ますぞ。


 俺に罪があるとすれば、今この時、ほんの一瞬だけ伯爵親子の死を本気で願ってしまったことだろう。

 俺が心の奥底で呪いの言葉を吐き捨てそうになったその時だった。


「ぴぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 再び豚を絞め殺すような音が周囲に響く。

 見れば、ランペールの子が立ち上がり、口元を真っ赤に染めたまま荒く息をついていた。


 やったのか?

 ……いや、まだだ。


 見れば、伯爵の息子はまだ胸が上下している。

 今ならば、まだ助かる命だ。


 だが。


「ダメです、ユージン様。

 あんな状態の魔物に近づいては、お怪我をされるかもしれません」


 フォーセルが硬い表情で俺の前に立ちはだかった。


「……どけ。

 あの状態のランペールに近づけるのは、和解の魔術を使う事の出来る俺だけだ」


 伯爵の息子の出血はかなり激しい。

 残された時間はそう多くないだろう。


「いけません。

 ……神が、女神がご覧になっております」


 そういわれて、今更ながらに気づく。

 ここは女神の聖域のすぐそこなのだ。

 そして、俺が助けようとしている相手は、女神を相手に散々に狼藉を働いたあげく、その眷属を隷属させようとしている奴である。


 つまりだ。

 助ければ、確実に女神の不興を買う。

 ふがいない事ではあるが、俺はそれ以上動く事は出来なかった。


「あっ、何を!?」

「よせ、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 誰かの叫びに顔を上げれば、ランペールの子は伯爵の子から離れ、そのまま崖に向かって走り出したではないか。


 きっと、自分の母がそこに落ちていったのを見てしまったのだろう。

 そして周囲の状況から逃げ場がない事を悟ったのだ。

 

 人の手にかかるぐらいならば、母の後を追う。

 伯爵の息子に一撃を与えてこれを討ち取った今、ランペールの子がそう思ったのも仕方がなかった。


 あぁ、何も残らない。

 全てが手に掬った水のように指の間からすり抜けて落ちてゆく。


 それは悲鳴すら上げずに大地の裂け目へと消えていった。


「なんてこと……なんてことだ」

 あまりにも衝撃的すぎて、それが自分の口から出た言葉であることを理解するのに数秒ほど。

 茫然とする俺を現実に引き戻したのは、汚い怒鳴り声だった。


「ダネル、ダネル!

 貴様らあぁっ!

 何をしている、さっさと私の息子を助けぬか!」


 伯爵が我が子の体をかかえ、周囲に怒鳴り散らしている。

 その姿を見つめ、カルミンは笑っていた。

 いや、たぶん同時に泣いていた。


「ざまぁみろ。

 お前から母さんが受けた仕打ちからすれば、その半分にも満たないだろうがな」


 そんな言葉が聞こえたのか、伯爵はキッとカルミンをにらみつける。


「きさまぁぁぁぁぁぁ!

 私がいったい、貴様の母に何をしたというのだ!」


 だが、あざ笑うカルミンの顔は悪意を通り越して悪魔のそれであった。


「だから貴様は恨まれるんだよ。

 正確にはお前の妻がやったことだが、見ぬふりをしたお前も同罪だ。

 なぁ、本当に俺が誰かわからないのか?

 わからないよなぁ、結局お前はそんな男なんだよ!!」


 血を吐くような声に、思い出す。

 伯爵に二人の庶子がいたという話を。


 そうか、一人はここにいたのか。


「カルミン、もう一人はどこにいる。

 お前の兄だか弟だかは知らないけど」


 ここまで来たら、もう一人の庶子の行方も知りたいところだ。

 そんなつもりで口にした言葉だが、カルミンの顔から全ての表情が抜け落ちた。


「貴方が知る必要はありません。

 それに、弟は物心つく前に母の知り合いの家に預けたので、彼本人も自分が伯爵の庶子であることを知りませんよ。

 今はまだ……ですが」


 具体的にカルミンとその母がどんな目に合ったのかはわからないが、決して楽ではなかったのだろう。

 その証が、彼の怒りの深さと悲しみだ。


 彼の消息を探った時に誰も関係者が残っていなかったのは、たぶん偶然ではない。

 ……意図的に消されたのだ。

 カルミンの母も含めて。


 ゆえに彼は幼い弟を誰かに預けて隠し、一人で伯爵の本妻から送られてくる暗殺者と戦ってきたのだろう。


 だからこそ、彼は復讐として異母弟でふるダネル選んだのだ。

 しかも、ただ暗殺するだけでなく、魔獣をテイムして失敗した挙句に殺された道化として葬る事を。

 この後起きる跡目争いのために、自分の手を直接汚さないやり方を。

 そこまでしなければ我慢できなかったほど、伯爵を恨んでいたから。


 そして、俺を含め彼の集めた復讐劇の舞台役者はほぼ期待通りの働きをした。

 計算外はたった二つ。

 錯乱したランペールの親が崖から飛び降りてしまったこと、そして解毒の魔術を使うところを俺に気取られてしまったこと。


 だが、ランペールの親の事はもう取り返しがつかないし、解毒の魔術を使った意味にきづいたのは俺だけだ。

 つまり、俺が何もいわなければ、結果的に全てはカルミンの望んだままになる。


 ――いいだろう。

 秘密は守ってやる。

 けど、お前の思い通りにはさせない。

 

「……楡の木に座します母なるラサニよアマ ラサニ スマルァガン エスリタ傷つきたる地上の子らを憐れみ給えエルゥキ イサン ルルェコ ウメ ミネス


 女神よ、かの愚かな子供を御救いください。

 許すのではなく、償わせるために。


 俺の願いに、女神は速やかに応えた。

 銀色の光がいくつも生まれ、伯爵の息子の中に吸い込まれてゆく。

 女神ラサニは生命の女神。

 その慈悲は命運尽きた者の魂ですらつなぎとめる。


「おい、ご子息様が息を吹き返したぞ!」

「急げ、ありったけの治癒の術をかけろ!!」


 治療にあたっていた神官たちが、ほとんど悲鳴のような声をあげながら救助活動を続ける。

 ――ザワリ。

 まるで氷を背中に押し当てたような気配に振り向くと、カルミンが憎悪をむき出しにしたまま俺をにらみつけていた。


 ……おお、恐ろしい。


 だが、ここで俺の方にも誤算が生じた。

 女神がかなえたのは、俺の願いだけではなかったのである。


「な、何か来る!

 これは……天罰!?」


 そう、とうとう女神ラサニが勝手気ままな人間たちに我慢できなくなったのだ。


「イオン!」

 カルミンが叫んだのは、なぜか男爵の名前だった。

 そして彼は、あっけにとられる男爵を押し倒し、その上に覆いかぶさったのである。


 カルミンの必死の形相と、イオン・エナツォソ男爵の意味がわからないと言わんばかりの顔。

 その二つの意味することは……。


 あぁ、もう一人はここに。

 いや、最初からいたのか!


 その直後。

 冷たい銀色の雨が滝のように降り注ぐイメージが襲い掛かる。


 ――ᛢᛁᚷᛜᚱᚱᛀ ᛂᛀᚱᛏᚢ。


 声のようなものが響くと同時に、俺は頭を殴られたような衝撃を受けて地面に倒れた。

 いや、訂正しよう。

 なにせ、それは俺に対する悪意のある行動もなければ、物理的なものですらなかったのだから。


「す……少しは加減してくださいよ。

 きっついなぁ、ほんと」


 起き上がってみれば、誰もが倒れ伏したまま起きる事が出来ないでいた。

 俺たちを襲った謎の衝撃、その正体はおそらく神の言葉だったのだろう。

 神々の言葉は存在の次元が違いすぎて、まともに言語として理解できない……どころか、か弱い地上の民にとってはそれだけで暴力と変わりない。


 だが、意識が刈り取られる瞬間、たしかに聞こえたのだ。

 ――見るに堪えぬ。

 翻訳するとそんな意味だろう。

 悲しげに告げる、深く低い女性の声らしき何かが。


 おそらくあれは女神ラウニの言葉だったに違いない。

 慎み深い彼の女神が思わず言葉をこぼすほどに嘆くとは。

 この件に関わってしまった一人として恥ずかしい限りである。


「ゆ、ユージン様。

 無事ですか」


 いち早く立ち直ったフォーセルが、俺の身を案じて声をかけてきた。


「無事じゃないが、とりあえず生きている。

 それよりも、心配すべきはあの親子の方だな」」


「神の不快感を直接ぶつけられていますからねぇ。

 呪われたのは確実でしょうね」


「呪いって言うな。

 祟りだろ。

 それも、生命の誕生を司るラサニ様の祟りだからな。

 あの貴族の親子は……いや、その血に連なる一族は呪いを解かない限り子が残せなくなる。

 血が絶えるだろうな。

 たとえ女神にその意図が無くてもだ」


 女神ラサニの不興を買うとは、そう言う事である。


「よいじゃありませんか。

 あんな連中、後の世に血を残す価値もない。

 女神もいっそ殺してしまえばよかったものを……」


 吐き捨てるように呟いたのは、圧の間にか起き上がっていたミーフィア。

 お前、こういう話嫌いだもんなぁ。

 わりと潔癖症だし。


「そう言うなよ、ミーフィア。

 神はそれでも人を見限らないのだ。

 かわりに、反省と更生を求める。

 ただ、その求めに応じなければ、それが為されるまで何度も試練を課してくるぞ。

 それで死んでも、来世に課題を持ち込むだけだ。

 彼の存在は神であるがゆえに、妥協や諦めと言った概念が存在しない」


「改めて聞くと、恐ろしい事ですね」


「悪い子にとってはな。

 さて……俺たちも塔に戻ったらしばらく潔斎をして身を清めなければいけない。

 さもなくば体や精神に異常をきたすかもしれないぞ」


「うぅっ、私たち何も悪い事してないのに!

 潔斎なんかしたら、またしばらく美味しいもの食べる事が出来ないじゃないですか!!」


「はいはい……出来るだけ美味しい食べ物作るから、しばらく我慢してくれ」


 美味しいものと聞いて、ミーフィアはピタリと不満を言うのをやめた。

 ほんと、扱いやすい奴め。


 その時、俺は誰かが起き上がる気配に気が付いた。

 見れば、カルミンである。

 だが、様子がおかしい。


「……女神よ、ありがとうございます。

 私の復讐を、願いをかなえてくださり、心から感謝いたします。

 どうぞ、全ての罰は私に。

 そして祝福はすべて弟に与えてやってください」


 まるで別人だな。

 いや、気が触れているというべきか。


 常に胡散臭かった彼の顔からは全ての悪意がそぎ落とされ、まるで黙示録の後に天へと迎えられる諸人のようであった。


 そして、俺には見てしまっていた。

 歓喜にむせぶ彼だが、その魂は神の祟りによって真っ黒に塗りつぶされている。

 精神世界を除き観る事の出来るものであれば、誰もが思わず目をそむけたくなるほどの悲惨さだ。


 男爵を、いや、弟をかばって二人分の神の怒りをその身に受けとめたのか。

 今頃になって、神がカルミンに送った二つ名が『苛烈なる献身』であった事を思い出す。


 おそらく、異母弟を殺したあとは男爵の正体を明かし、彼を伯爵の後継者に仕立て上げるつもりだったのだろう。

 だからこそ、弟に行方について語る事を拒絶した時に、最後に『今は』と付けたのだろうな。


 伯爵の後継者として栄光に満ち溢れた弟の姿こそ、それを我が子を失った伯爵の正妻に見せつける事こそが彼の復讐だったのだろう。


 だが、その代償として彼の命はもう長くない。

 女神の祟りを二人分受けたのだから仕方のない話だ。


 ――苛烈にもほどがあるだろう。


 恐ろしいのは、ここまでの事をしでかしておいて、彼に何一つ残るものが無い事である。

 たった一人残された弟への無償の愛こそが、彼の全ての罪の源だったのだ。


 なんと罪深い純愛。


 歓喜し、涙し、感謝の祈りを捧げ続けるカルミンの姿を見ている事に耐えられず、俺は静かに目を閉じた。


 が、その感傷的な気分を台無しにする奴がいる。

 ババツィーネ伯爵だ。


「なぜだ!

 なぜ私が異教の女神の呪いなんぞを受けなければならんのだ!」


 どうやらあの神の加護に縁のなさそうな男でも、自分の体を蝕む神の怒りは感じる事が出来たらしい。

 ただ、あれだけ異教の神なんぞ何するものぞーとか侮蔑的な台詞を吐き散らしていたくせに、祟られると文句を言う事しかできないのか。

 おそろしいほどに無様な姿だな。


 どれ、ひとつトドメをさしてやろう。


「これは大変な呪いですね、伯爵……女神ラサニの祟りは不妊と族滅。

 もはやあなたの一族に子は生まれないでしょう」


「そんな理不尽な!」


 いや、当然だろ。


「もはや神におすがりするしか祟りを解く方法はないのですが、簡単にはゆきません」


「何をすれば良い!

 早くこの呪いを解け!!」


「そうですね……一族全ての人間が、自分の財産と貴族としての地位を捨てるならば、神もお応えになるでしょう」


「そ、そんなでたらめな!」


「では、一族揃って滅びるしかございませんなぁ。

 実に残念な事です。

 ……む?」


「ど、どうした!?」


「神より啓示がございました」


 むろん嘘である。

 こんな簡単に神は言葉をかけてはこないし、神の言葉を直接頭に中に流しこまれたら衝撃で俺が失神するわ。


「神は何と言っている!」


 いまさらだが、こいつ……神に対する言葉遣いがなっていないな。

 それこそいまさらだから、どうでもいいけど。


「今ならば、この件に関わったあなたと息子であるダネルがすべての財を教団に寄付し、今後命ある限り非所有の行を受け入れるならば、神がこの呪いを解いてくださるそうです。

 ……ただし、当人である二人以外は」


「なん……だと!?

 それは私に死ねというのか!!」


 絶句する中、口を開いたのは伯爵の部下の一人だった。


「それはすばらしい!

 神よ、感謝いたします。

 これはさっそく一族の者に伝えなければ!!」


 あー、こいつ、たしか森の中で助けてやった奴の一人だよな。

 どうやら伯爵の親戚であったらしい。


 しかも周囲の他の配下の反応や、彼自身の口ぶりからすると、一族でもかなり地位が上の方の奴っぽいな。

 ……そんな奴を森の中で使い捨てにしようてしていたのか?

 

 いや、一族の有力者で異教徒なんて邪魔でしょうがなかったのだろうな。

 いろいろと黒い思惑を感じる。

 

「お前、何を言っている!

 まさか、この私を無一文で投げ捨てるとか言うまいな!

 私はババツィーネ家の当主だぞ!!」


 だが、その男は幸せそうな顔でこう答えた。


「一族のために貴方は自ら貴い犠牲となった。

 皆にはそう伝えておきます。

 後の事は私たちに任せて、心行くまで贖罪の祈りを捧げてください!」


「ふ、ふざけるな!

 そうだ、われわれ親子のみ許されて、他の連中はそのままだというのならば、寄付はどれぐらいですむ!?」


 ……この男はどもまでも俺を失望させる。


「そんな選択肢あるわけないだろ。

 それに、お前がいなくなった後にババツィーネ家の主となるべき人間はちゃんといる。

 ほら、そこに寝ているだろう?

 イオン・エナツォソ男爵こそが、ババツィーネ伯爵の庶子の片割れだよ。

 証拠はそこにいるカルミン……あえてカルミン・ババツィーネと呼ばせてもらうが、彼が用意してあるはずだ。

 そして彼だけはカルミン・ババツィーネの献身により神の祟りを受けていない」


 いまだに気持ちよさそうに眠っている男爵を見据え、俺はそんな事実を教えてやった。


「ま、まさかイオン殿か!?」


「うそだ!

 そんなはずがない!

 そんな事が許されるはずがないっ!!」


 伯爵の所の騎士は感動に打ち震えたように跪き、感謝の祈りを神に捧げる。

 一方の伯爵は、全ての神々に向けて不満と怒りの言葉を吐き散らした。


「……世界はお前を中心に回ってないし、現実はお前に優しくないんだよ、伯爵。

 たとえお前が認めなくとも、世間はお前を切り捨てて綺麗に回ってゆくだろう」


 伯爵はその後も何か喚き続けていたが、もうお前に興味はない。

 ようやく……この事件も終わったな。

 俺はこの痛ましい事件によって失われた命を思い、崖に向かって静かに祈りを捧げた。


 その時である。

 不意に、崖の方から賑やかな声が聞こえてきたじゃないか。


「ひ、ひどい目にあった」


「ほんと、死ぬかと思ったよ」


 見れば、崖から落ちたはずの男爵の部下が、次々とがけ下から這い上がってくる。

 まさかゾンビ?


 いや、ゾンビはふつうしゃべらないよな。

 じゃあ、こいつら全員生きているってこと?

 ……なんで?

 ハッピーエンドは良いのだが、どうにも釈然としない。


 俺が困惑していると、今度はバツの悪そうな顔をしたランペールの親子の姿が舞台装置にのようにせりあがってきた。

 いったい何が起きている?


 やがて、最後に姿を現した真っ白な霧の塊を見て、俺はようやく何が起きたのかを理解した。


 ……でかしたメリケン君!


 魔術師の身柄を回収に行ったっきり見ないと思ったら、何やってんの!?


 そしてこのタイミングで、ようやく男爵も目を覚ました。

 寝ぼけ眼で上半身を起こし、目の前に死んだはずの部下の姿を見つけ、あ、俺も死んだのか……と感情のない声で呟く。


 だが、飛び込んで抱きしめてきた部下の感触に、これが現実である事を悟ったらしい。


「お前ら……なんで生きてる?」

「実はそこの守護者殿が、崖の下で受け止めてくれまして」


 這い上がってきた部下を間抜けな顔で見つめながら、男爵は信じられないと言った感じで、やがて涙に声をゆがませながら抱きしめかえした。


 俺はその場に膝をつき、このあのりにも痛ましい事件において一人の犠牲者も出なかったことを、天に座します12柱の神に感謝したのである。



 ――数日後。


「ババツィーネ伯爵家に新しい当主が生まれたそうですよ?」

 カチャカチャと茶器の揺れる音と共に、アンネリーの声が執務室に響いた。

 だが、彼女の姿は机の上に林立する書類の森に隠れてみる事が出来ない。


「あ……一応、俺の名前で何か祝いの品を届けておいて。

 できれば、使用人の誰かを代理人として送ってくれるとありがたい」


「かしこまりました」


 衣擦れの音と共に、アンネリーの気配が遠ざかってゆく。

 あぁ、この書類の山がなければ直接行って祝福してやるのに。 


 そう、バソアレンサンダリア領から帰ってきた俺を出迎えたのは、恐ろしい量の書類だった。

 しかも、女神の怒りの余波を浴びたせいで、事務処理用の人形は使用禁止である。


 その残酷な制限を加えてきたフォーセルはというと、俺の倍はある書類の山を前に倒れ、隣の机で失神していた。

 ……なんというか、権限を分散して書類仕事減らさないと、そのうち死人が出るぞ。

 この職場のシステム、色々と効率が悪すぎなんだよ!


 そんな事を考えていると、バタンと執務室のドアが開いて誰かが勢いよくはいってきた。


「ユージン様、ご褒美の美味しいご飯を頂きにきました!」


「おお、ミーフィア良いところに!」


 キラキラした目で出迎えた俺を前に、ミーフィアが固まる。

 どうやら嫌な予感を感じたらしい。

 だが、逃がさない。


「じゃあ、ご飯作って来るからその間この書類の処理頼む!

 はい、まかせたー!


 そのまま、反論を聞かずに俺は自分用の厨房に逃げ出した。

 さぁ、神饌を作ろう。


 ……といっても、むちゃくちゃ疲れていて何も思いつかない。

 時間もないから、簡単なものでいいよな?


 その時すでに俺の頭は疲れのせいでおかしくなっていた。

 厨房に入ると、そこに昨日の晩御飯の残りがあることに気づく。


 ――祈りがこもっていたら、もうなんでもいいよね?


 その後、俺の作り出した渾身の"猫まんま"が、ミーフィアからものすごい低評価を受けたのは言うまでもない。


 ……だって、それ以外無理だったんだもん。

 俺が悪いんじゃない。

 仕事が忙しすぎるのが悪いのだ。


 誰か……休みをくれ。

 今日も俺は疲れている。

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