第11話
「
そう告げると、彼女は愛用のハルバードを握りなおした。
この武器、実は魔術の触媒でもある。
「先に軽く焼きますか。
ハルバードの切っ先で太陽神ラサナンの名を宙に描き、古き言葉を媒介にしてイメージを具現化する。
このように様々な媒介を駆使することで詠唱を短縮した、実戦的な魔術こそが彼女の得意とするところだ。
イメージでしか捕らえる事の出来ない世界では、頭上から降り注いだ金色の光が黒い雲を焼き払う。
「馬鹿な!
たった一言で全ての毒煙を焼き払っただと!?」
驚きの声を上げる魔術師。
だが、その声にはまだ余裕があった。
ミーフィアの放った光は強烈だが、本体の天使には全く影響していないからだ。
天使さえ残っていれば、毒煙はいくらでも生み出せる。
「では、私の天使を呼びましょう」
ミーフィアがトンとハルバードの石突きで地面をたたくと、そこから炎が生まれて彼女の足元を囲った。
揺らめく真っ赤な炎が、円となり、線となり、さらには神聖なる名を地面に刻む。
その名前を読み取って、俺は彼女がどれだけ本気かを悟った。
――うわぁ、要塞一つ攻め滅ぼせる奴だ。
ミーフィアは懐から小さなルビーを一粒取り出すと、それを天に掲げた。
そして、ソレを呼ぶ。
「
ルビーが砕けて、その小さな粒が虚空に散らばった。
やばい。
俺が危険を感じて心の目を閉じた瞬間、精神世界にものすごい暴風が吹き荒れる。
ルフとは、アラビアンナイトに出てくるロック鳥の別名だ。
象を一掴みにして捕らえ、これを雛の餌とする……その巨大さは、想像にお任せしよう。
なぜ異世界の伝承であるルフを天使と称して呼ぶことができるのか?
ありていに言うと、俺のせいである。
以前俺がアラビアンナイトの物語をミーフィアに聞かせたところ、彼女はその伝承からこの天使を作り上げてしまったのだ。
そもそも巨鳥というのは太陽を象徴するものであり、太陽の属性を帯びるミーフィアとは非常に相性がよい……と説明したのがたぶん悪かったのだろう。
天使じゃないだろ……と思うかもしれないが、そもそもキリスト教の天使たちも本来は土着の神であった存在だ。
それを、ユダヤ教に取り込んで神の使いとしたものが天使なのである。
ゆえに、ものによっては可能なのだ。
地球に存在している伝承上の存在を、天使として呼び出すことが。
ミーフィアがルフという存在を太陽神ラサナンの天使として再定義して呼び出した事で、俺はその事実を知ってしまった。
「な、なんだこれは!?」
向こうの魔術師が、目を見開いて声を荒げる。
そりゃ知らんだろ。
俺の語った伝承を元に、ミーフィアが再定義して作った天使だからな。
巨大な太陽から金色の光が押し寄せ、その光が暴風となって黒雲を蹴散らす。
そんなイメージが強制的に頭の中へ叩き込まれる。
自分の力を過信していたのだろう、防護円の外で見物していた神官たちが、その暴風のイメージに耐えられず精神をやられてバタバタと倒れた。
やがて、その巨大な太陽の中から何かがやってくる。
鳥だ。
真っ白な羽毛をなびかせた巨大な鷲が、その嘴を開いて叫び声をあげる。
『クエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ』
甲高いその音は大気を震わせ、やがて衝撃波となって天使ザケルダという存在をズタボロに引きちぎった。
「……ゴフッ」
自らの呼び出した天使を失った反動で、魔術師……おそらくオルテガという名であろう男は血をはきながら膝をついた。
――自分の力を上回る相手には、けっして使ってはならない。
これが
「
……決着、つきましたよ。 ユージン様」
呼び出したルフを送還して感謝の祈りを唱え終わると、ミーフィアは何でもない事のように振り返った。
「うん、見事な魔術だった。
いささかやりすぎだとは思うけどね」
地面にひっくりかえった神官たちを見ながら、半ば独り言のように呟く。
なお、防護円に入りきらなかったジョルダンは前脚で耳を押さえ、ギュッと目を閉じていた。
うん、かわいい。
その隣ではメリケン君が同じポーズをとっているけど、君はそこに耳無いよね?
あいかわらずお茶目な奴である。
「我々の力を見せつけるというのならば、このぐらいでちょうどいいんです」
「……殺してはないよな?」
「まだ死んではいませんね」
あー、はやく救助してやらんと死ぬ奴だな。
天使召喚術が破られた場合、その代償は呼び出した対象の格によって大きさが変わる。
天使ザケルダは何気に格の高い天使だからな。
その反動をモロに受けたならば、間違いなく致命傷だろう。
そんなリスクの高い物を使わせてしまったとは……少々追い詰め過ぎたか。
ちょっぴり反省である。
「ところでメリケン君。
君、崖の向こうに移動できるよね?
あの魔術師の身柄を回収してきてもらってもいいかな?」
「キュイッ!」
耳を塞いでいるフリをやめたメリケン君が、右の鋏を上げて元気に吠える。
その姿は一瞬で霧となり、空に舞い上がった。
あ、なるほど。
あのザリガニの姿は借りの姿で、本来の姿は無彩の森を覆っている霧なのか!
彼が守護者と呼ばれる理由を、俺は本当の意味で理解した。
さてと、これで魔術師の方は始末できたし、あとはランペールの子だな。
いちど親に返したほうがいいかもしれん。
カルミンたち神官には申し訳ないが、来週改めて儀式を行って森に入ろう。
そう考えていた矢先だった。
「お前ら、何をしている!」
この居丈高な声は……。
恐る恐る振り向けば、朝気のようにまばゆい頭の親子が一組。
なんでここで出てくるかな、このバカ親子!
「ふん、あれがランペールの子だね」
崖の向こうでぐったりとしたまま動かなくなっているランペールの子を見つけ、クソガキが嫌らしく唇を吊り上げる。
「おい、さっさと回収しろエナツォソ男爵。
まさか、この期に及んで嫌だとかダメだとか額つもりはないだろうな?
……なんだ、その目は!
そもそもここにきているのは、ランペールの子を捕まえて私に献上するためだという事を忘れたか!」
「その……ユージン様」
伯爵に凄まれ、男爵が捨てられた子犬のような顔でこちらに視線を向けてくる。
うー、あー、そんな目で見てきてもダメ!
「無理だな。
もう森に入る事を許された時間は過ぎているだろう?
それに、橋も落ちてしまっている」
……と言う事にしておいてくれ。
森の守護者に嘆願して魔術師の回収だけは済ませた事にして、ランペールの子は森の物だから守護者が願いを聞いてくれなかったことにしよう。
なに、メリケン君は空気の読める子だからな。
余裕で話を合わせてくれることだろう。
だが、俺のそんな計画を台無しにする奴がいた。
「楡の木に座します神よ。
月の支配者にして、全ての命を慈しむ方。
この無彩の森の主催者である女神クロニの御前に、
苛烈なる献身カルミンが願い上げる。
女神よ、我が神饌を受け取り給え。
そして御身の聖域に踏み入る事を
「カルミン、お前!!」
先ほどディティルスが作った食事を神饌に使い、糸目の神官が森を開く呪文を唱えたではないか!
なぜお前が裏切る!?
伯爵を憎んでいたんじゃないのか!
カルミンの祈りに応え、再び巨大な蔓が地面の下から姿を現す。
だが、生み出された蔓の量は非常に少なく、出来上がった橋も実に心ともない代物だった。
「ふはははは!
よしよし、お前なかなかに見どころがあるではないか。
後で褒美をとらせよう!
おい、男爵!
お前はさっさと魔術師殿と魔獣の子を回収してこい!」
伯爵の指示に従い、男爵とその部下が動き出す。
だが、程度の低い神饌で結ばれた橋はかなり危うく、いつ崩れてもおかしくないように見えた。
その上に手すりもついていない。
当然ながら、足を踏み外せば、下が真っ暗になって何も見えないほど深い崖下に墜落だ。
そんなわけで、男爵たちは衝撃を加えないようにそろりそろりと歩く。
その進みはナメクジが這うように遅い。
――しかしまずいな。
そのままでは、ランペールの子が捕縛され、なし崩しに契約を押し付けられてしまうかもしれない。
いくらランペールの子が魔獣であろうとも、意識の無い間に烙印でも押されて、それを触媒にした従属の呪文を受ければひとたまりもないだろう。
おそらくあのモラルの低そうなクソガキはそのつもりで用意をしているはずだ。
なんとかして邪魔しなければ。
だが、ここから何をどうすればいい?
俺が悶々と考える中、橋を渡り切った男爵とその部下が、ランペールの子と魔術師の身柄を回収する。
そしてランペールの子を回収した男爵が、橋の半ばほどまで来た時の事だった。
――何か、来る!
森の中を、ものすごい勢いw大きなものが近づいてくる音が聞こえてきた。
「男爵、急げ!
ランペールの親が来る!」
俺の警告に、男爵はハッして顔を上げた。
この状況で見つかれば、問答無用で襲われる。
しかも、この足場では逃げ場がない。
ランペールの子も一緒に転落する可能性はあるが、地の登った親がそこまで考えるだろうか?
「わかった!
おい、走れ!
早くしないと魔獣に食われるぞ!!」
あわてて走り出す男爵と兵士たち。
足音はすぐそこまで来ている。
「きた!」
森の奥から、虎のように巨大なペルシャネコが現れた。
目を見開き、完全に我を見失った状態である。
これは不味いかもしれない。
もはや恥も外聞もなく、四つん這いの状態でランペールの子を担いだ男爵が橋を渡る。
俺たちに出来る事は、ただ祈ることと見守る事だけだ。
「頼む!」
なんとか橋を渡り切ると、男爵はランペールの子を放り投げるようにして俺の足元に転がした。
いや、頼むと言われてもどうするんだよ、これ!
俺にこいつをかかえて逃げろとでもいうのか!?
「まずい、ランペールが橋にたどり着いた!」
誰かの悲鳴のような声が響く。
だが、橋を見ればまだ渡っている最中の兵士がいる。
くっ、なんとかランペールの親の足止めはできないか。
頭の中で俺がいくつかの魔術を考えている時だった。
「ふん……崩れろ!!」
魔術を放ったのは伯爵だった。
程度の低い神饌で出来た橋は脆く、伯爵の一撃であっけなく砕け散った。
……こちら側の根元から。
まだ渡り切っていない兵士の目が飛び出さんばかりに見開かれ、助けを求める手が宙を彷徨う。
一瞬、時が止まったような感覚の後、声にならない悲鳴が速やかに小さくなっていった。
一瞬悪れて、アンネリーの手が俺の目を塞いだ。
しかし、彼女は間に合わなかったのである。
しばらくの間、俺は安らかな夜を迎える事が出来ないだろう。
彼らの絶望の顔が、俺の脳裏にしっかりと焼き付いてしまったのだから。
「お、お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
気が付くと、俺はアンネリーの手を振りほどいて伯爵に殴り掛かっていた。
だが、非力な五歳児の手では軽い痛みしか与える事はできない。
「え、えぇい、何をするか、このケダモノが!」
伯爵の手によって、俺は乱暴に振り払われてしまう。
その背中を、追い付いてきたアンネリーが優しく受け止めた。
「ケダモノは貴様だ!
自分が何をしたのか、分かっているのか!?」
「むろんわかっているに決まっているだろ!
あの状況で私が動いてなかったら、ランペールが崖を渡ってこっちにきていただろうが?
感謝するがいい!」
話が、価値観がかみ合わない。
言葉が通じるのに意思の疎通ができない相手とは、果たして人として認識すべきなのだろうか?
そんな暗い感情が頭をよぎる。
怒りが深すぎて俺が死人のように黙りこくっていると、その傍らで更なる狼藉が行われようとしていた。
「パパぁ、そんなことよりランペールだよ。
今から隷属させるから、ちゃんと見ておいてよねぇ」
――しまった、向こうのクソガキの事をすっかり忘れていた!
クソガキはニマァと糸を引きそうな笑みを浮かべると、料理に使っていた熾火で金属の印章を炙って烙印の準備をしていた。
だが、俺は気づいてしまった。
そのクソガキを姿を、どす黒い悪意をもって見ている奴がいる事に。
カルミン!?
キツネ面の神官の唇が、小さく呪文を紡ぎ出す。
何をする気だ!!
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