魔女との邂逅

 気が付くと、俺は前世の記憶を持ったまま熊の赤ん坊になっていた。

 人の言葉をしゃべることの出来るツキノワグマだ。

 正しくは獣人ゾアンと呼ばれる知的生命体の中の、熊の因子を持つ存在らしい。


 おそらく察しがついていると思うが、獣人ゾアンと呼ばれる生き物は人と獣の間のような姿をしている。


 だが、その人と獣の比率は全員が同じではない。

 人の姿に獣の耳が生えただけの者がほとんどではあるが、たまに二足歩行の獣にしか見えない者もいる。


 そして俺は後者のタイプだった。

 知能が低く気性の荒い者が多い事から、忌み子として扱われる存在だ。


 ……ゆえに俺は捨てられた。

 生まれてすぐに母はヒステリックに叫びながら俺の姿を見るのも嫌だといわんばかりに泣きじゃくり、父は星の明りしかない真夜中の庭へと俺を投げ捨てた。


 そんな俺を救ったのは、隣の家の犬だった。

 子を生んだばかりのその母犬は、よほど母性が強かったのだろう。

 俺を拾って連れ帰り、自分の子と同じように乳を与えてくれた。


 そんな風に語ることが出来るのは、その時点で俺が前世の記憶と自我を持っていたからだ。

 もっとも、言葉なんてわからないし目も耳も完全には機能していないので、多少の憶測は入るが。


 その後、母犬とその子供たちのぬくもりに包まれた俺は、安心感からすぐに眠ってしまったのだが……。


 次に目を覚ますと、村がなくなっていた。


 言っている意味がよくわからないかもしれないが、本当になくなっていたのである。

 村であったでろあう場所は、大量の土砂らしきものに埋もれており、俺と隣の家のワンコとその子供以外に生きて動く者は何もなかったのだから、他に言いようがない。


 これ、早くもなんか詰んでないか?

 途方に暮れていると、ふいに誰かの気配をかんじた。


「……激しい魔力を感じたから竜でも暴れているのかと思ったら、ずいぶんと可愛い子熊さんね」


 そんな台詞の聞こえてきた方に目を向けると、そこには赤い何か人らしきものが立っているではないか。

 声からして、女性であることは間違いないだろう。


 生まれたばかりで視力が巧く働いていないのもあるが、熊の体はもともと目が悪いのだ。

 おかげで詳細はわからない。


 その女性を警戒しているのか、俺の隣から母犬の低い威嚇が聞こえてきた。


「あら、怖い」

 つぶやく声は、怯えるどころか感情すら希薄である。

 そしてその時俺は気づいてしまった。


 なぜ、この女の言葉が理解できる?

 しゃべっているのは日本語ではないし、俺はこの世界の言語を知らないはずなのに。


 事実、生まれた時に聞こえた俺の両親の言葉は全く理解できなかった。

 この女……何者だ?


 いぶかし気に思う俺に、女は一歩近づく。

 視線が合った気配がした。


 そして若干の好奇心と善意を感じさせる声で彼女は告げる。


「ねぇ、貴方たち。

 良かったら私の所にこない?

 ここにいても、怖い人たちにイジメられるだけよ」


 そしてこう付け加えた。


「特にそこの子熊ちゃんはイジメられるわね。

 力の使い方を知らないから」


 ……力?


「判ってないと思うけど、この状況を引き起こしてしまったのは、あなたなのよ」


 ……え?

 冗談だろ。

 俺にこんな事出来るはずないし!


「自覚がないようだけど、あなたの持つ地の魔力は強すぎるの。

 そしてその恩恵をうけた精霊が敵と判断した者を無差別に攻撃する。

 しかも、手加減なく……山をも動かし街を潰すほどの力を」


 いまだに信じられないが、それが本当だとしたら色々とまずい。

 いや、その前にこの女を本当に信じていいのか?


「だから、私が力の使い方を教えてあげる。

 ね?

 だから、私の所にいらっしゃい」


 その言葉に従うのは、非常に抵抗があった。

 だが、その手を振り払っても、たぶん俺に未来はない。


 ――えぇい、ままよ。

 母犬がまだ警戒する中、俺は意を決して一歩前に踏み出した。


「まぁ、勇敢ね。

 そして可愛いわ……自分の目の前にあっても、その存在が信じられないぐらい。

 今日からあなたは私の大切な大切な子熊さんよ?

 なんて素敵な事なのかしら?」


 女の冷え切った声にわずかな喜びが混じると、それだけで周囲に満ちる何かがざわめいた。

 もしかしたら、これが魔力とか精霊と言うやつなのだろうか?


「私の名は、ミザーリ。

 神の足跡を辿る者にして、塔の主。

 称号は躑躅アザレアの公主」


 神聖さすら感じるほどの透き通った声で告げられた瞬間。

 俺の体の内側にある何かがピンと糸でつながったような感触がした。

 何だろう、これ?


 【神の足跡を辿る者】が魔術師を示す隠語のようなものであり、名乗りや名付けと言う行為が縁を結ぶ魔術的な儀式であることを俺が知るのは、もう少し先の話だ。


 不思議な感触の正体を確かめる間もなく、細い指が俺の体に触れ、か細い腕が俺の体を抱き上げる。

 この世界で初めて触れた女性の体は、ひどく儚げで柔らかかった。


 花とは違う甘い香り。

 そう、なんとも上品な、どこか寺院や神社を連想する香りがする。


 ひとまず保護者らしき存在を得て安堵した俺を抱きしめながら、彼女は囁いた。

 月の無い夜を思わせる程に深い愛のこもった声で。

 朝の光を見たかのような恍惚とした声で。


「今までいろんな人が教えを乞うてきたけど、私が自分から教えてあげたいと思ったのは貴方が始めてよ。

 そうね、きっとこれは運命だわ」

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