12 宴の終わり



 袋入りの棒アイスという選択肢は、牧場のアイスとしては製造上困難であった。そこを原点として、中心に棒を差し込んだカップのアイスと簡略化したソフトクリームのタイプを続けて作り、私の研究活動は最終局面に達した。


 安定した味を求めて試行錯誤を重ねながらレシピを作り、勿論パッケージのアイスマンも咲と二人で煮詰めた。


 結局、縦長のカップに入ったアイスを最終形態として選択。販売用の製品に決めた。そこから先は、慎さんと美佳さんが量産化に向けて動き始める。



 元ちゃんと咲の二学期が始まる直前の週末に牧場主催の夏祭りがあり、私のアイスのお披露目があった。


 私は数日前から慎さんと美佳さんの協力でアイスを仕込み、咲はアイスマンの絵を描いてポスターを作った。


 さて、ほぼ私の道楽で作っていたアイスを実際に製品として売ろうとすると、問題は販売価格となる。


 今の作り方でまともに売ると、カップアイスひとつがとんでもない値段になってしまう。それは来年の夏までにクリアする課題として、夏祭り期間中は普段売っているバニラアイスと同じ値段で出そうと親方が決断した。


 週末二日間は、そのために夏が最後の力を振りしぼったかのような快晴で、しかし良く見ると作りかけの綿菓子に似たちぎれ雲が高い空を流れ、北国に早い秋の到来を告げていた。



 土日とも、販売用とは別に試食用の小さいアイス二種類を食べてもらい、どちらが美味しいかのアンケートを行った。


 両日とも先着五十名ずつに配布したが、結果はきっちり二つに割れて、甲乙つけがたい味を確認することとなった。


 後日アンケート用紙の感想欄に書かれた意見を一つ一つ読みながら、私は幸せな気分に浸ると同時に更なる向上心に燃えた。



 祭りの間、店でアイスを販売したのはもっぱら私と咲である。慎さんから話があった時、人見知りの咲が務まるのかと心配して本人に聞いてみた。


「おまえ、売り子なんて出来るのか?」


 すると咲は意外にも、憮然とした表情で答えた。

「できるよ。だって、前はお母さんと二人で売ってたもん」


「そうなのか?」


「うん、まかせて」

 自信満々である。


 この時もそうだったが、咲は母親との思い出を楽しげに話す事が度々あった。


 美佳さんが言うには、最近までこんな事はなかったらしい。


 長らく沈んでいた咲の心にも、やっと母親の記憶と向き合う余裕が生まれたのではないか。だとすれば、それは誠に喜ばしい。


 無言の咲に手を焼いた経験のある私は、素直に喜んだ。咲はここへ来て急速にかつての明るさを取り戻しつつあるようだった。



 それでも私は咲がお客様相手に愛想笑いを浮かべるイメージが持てず、密かに危惧していた。


 しかし、それは杞憂に終わる。


 咲はアイスを売る事が純粋に楽しいようで、営業的な邪念抜きで心からの笑顔を浮かべて接客していた。


 それは普段の頑なで無愛想な少女とはまるで別人で、こんなに素敵な笑顔が見られるものなら、それだけでお金を払う価値がある。客も、咲の笑顔に吸い寄せられるように次々と集まった。


 咲の無邪気な明るさはあくまでも自然体で、きっとこれが本来の咲の姿なのだろう。


 二日目になり、私もやっと納得した。その名のとおり大輪の向日葵が咲いたような、圧倒的な存在感で咲は周囲に幸福を振りまいた。


 陽気な咲の姿に親方や婆さん、慎さん、美佳さんを含めた彼女を知る周囲の大人たち全員が驚き、喜び、幸福の分け前を享受した。


 その一点だけでも、今年の夏祭りは大成功と言える。



 この日のために元ちゃんの牧場自慢の牛肉と、私の知らなかった小指の先にあるワイナリ―から大量のワインがやって来て、祭りに華を添えた。


 ここへ来た当初の感想と違い、こんなに素晴らしい観光資源があるのだから、きっと将来は東北有数の観光地になるだろうと私は信じて疑わなかった。


 土曜、日曜共に午後は地元の高校生による吹奏楽の演奏があり、演奏者やその友人など地元高校生が大勢やって来た。


 そこで初めて元ちゃんの同級生や後輩に会ったのだが、私が「本当に高校生だったんだね」と言うと、学生たちに大受けだった。


 それだけで、やはりこいつはあまり学校に行っていないのだな、とわかる。


 卒業は大丈夫なのかと聞くと、後輩たちが口を揃えて頼むから卒業してくれと懇願していた。


 考えてみると、牧場で働く学生アルバイトは元ちゃんと同じ学校の生徒が一人もいなかった事になる。この不良は、一体何をしているのか。問い詰めてもニヤニヤ笑うばかりで答えない。



 それとなく同級生に聞いてみると、こう見えて元ちゃんの奴はなかなかのやんちゃ者として地元では有名人らしい


 。武勇伝の幾つかを密かに聞いたが、どれもあり得ないような無茶苦茶な話であった。


 曰く、隣の学校に一人で殴りこみ、全校生徒を土下座させた。

 曰く、地元の有名レストランで暴れて閉店に追い込んだ。

 曰く、地元ワイン蔵主催の早喰い早飲み競争に兄の名前で参加して優勝し、新聞の地方版に写真が載ってしまった、等々。


 どこまでが本当でどこまでが誇張なのか。何やら生きた伝説とも言えるような元ちゃんの存在感は、地元高校生には別格のものらしい。


 その分良からぬ噂も数知れず、中途半端に元ちゃんを知る学生は、ここでアルバイトをしようなどとは思わぬらしい。


 ところがそんな事を微塵も感じさせない程、私が話した元ちゃんの仲間はあっけらかんと楽しそうに元ちゃんの悪事について語る。


 話を聞く限りでは、元ちゃんは仲間とつるんでする悪事には関心がないようで、武勇伝の主役は常に一人であった。



 その土曜日の晩、元ちゃんの級友がレストランに集まり食事をしていた。


 予想通りというか、不良学生の集まりらしくいつの間にか酒を飲んで、大騒ぎになってしまった。


 その仲間に私も入れてもらい、途中からは嶋さんたちのグループも合流してとんでもない宴会に発展した。


 増えすぎた人数に駐車場へテーブルを出してからは、キャンプに来ていた地元ファミリーたちも誘い、あまりの騒ぎについには慎さん、美佳さん、親方までもが差し入れを持って駆け付け、飲んで唄っての大騒ぎが夜明けまで続いた。



 絢爛たる週末が過ぎると天気も下り坂で、客足も一息ついた。


 学校が始まると地元の学生アルバイトも一斉に消えて、どことなく火が消えようになる。しかしライダーハウスを根城とする暇人の一団はまだまだ健在で、彼らが色々な仕事を手伝い始めたおかげであちらこちらが変に騒々しい。


 それまで畑で汗を流していた嶋さんやその仲間たちも、観光客相手に土産物を売ったり、キャンプ場でバーベキューの受付をしたりしていた。


 関東以南ではまだ夏休み終盤で、訪れる家族連れの車は県外ナンバーが多い。しかし季節は急速に夏から秋へと移り行く。誰もが心に宴の後の憂愁を抱いていた。


 秋深くなれば山の紅葉がそれはそれは美しいのだなどと元ちゃんにそそのかされると、ついその気になってしまいそうである。



 私は相変わらず工場へ入り浸り、アイス作りに余念がなかったが、自分の中で既に何かが終わっている事にも気が付いていた。


 あとはどこで区切りをつけるのかという決断だけなのだが、それが実は難しかった。


 咲は毎日学校から帰るとすぐに工場へ来て、私と一緒にシャーベットを作ったり、ヨーグルトに果物を混ぜたりした。


 おやつも宿題も厨房の中で済ませ、結局私は毎日咲に手を引かれて母屋に行って夕食も一緒に食べた。


 家族のように接してくれる牧場の人たちには感謝しきりだが、私は自分の進むべき道をここで見つけたように思っていた。それには一日も早く家へ帰り、しっかりと勉強をしなければならぬ。


 一途な思いを行動に移す事には躊躇しない筈の私なのだが、今度ばかりは思い悩む時間が長かった。


 親方と慎さんにも早く帰れと言われていたが、いつ、という決断は難しい。最終的には咲の学校が始まって二度目の週末、私は牧場を出ることに決めた。



 忙しい週末に去る事を決意したのは、咲が学校に行っている留守に牧場を去るのが忍びなかったからだ。


 土曜日の朝、いつものように朝の仕事を終えた後、牧場のみんなに見送られて私は牧場を去った。道の駅までは、牧場の車で送ってもらった。


 船見ファームに一台だけあるある乗用車の後部座席に私と咲が乗り、親方が運転した。


「美佳が最初に牧場に来た時も、こうして咲と二人で送ったな」

 親方がしみじみ言う。


「そうだっけ?」

 咲は首を傾げる。


「おまえは小さかったから覚えていないか」


「それはいつごろですか?」

 私が尋ねると、親方は少し考えた。


「美佳が大学に入った年だったと思うから、五年くらい経つか?」


「じゃあ、私は一年生だったのかな?」

 咲が指折り数える。


「それから毎年来て、去年からはついに住みついてしまったからなぁ」

「へえ、慎さんと同じですね」


「ああ、美佳は慎の奴が目当てで通っていたようなもんだから、まあ仕方がない」



 私は薄々気が付いていたのだが、親方にはっきり言われて結構なショックを受けた


 そんな私の落胆ぶりが気に入らないのか、咲が私の方へ体を寄せる。


「お兄ちゃんもまた来るよね?」


「うん、来たいな」

 正直な思いだった。


「私、東京の大学に入るから、待っててよね」

 咲は私の顔を覗き込む。


「そうか、咲は東京へ来るか。楽しみだな」


「絶対に、待ってろよ」

 咲はそう言って、私の胸を拳で押した。


「しっかり勉強しないと、東京の大学には入れないぞ」

 私が言うと、こんな時だけ気の合う親子が口を揃えて言う。


「それは自分の事だろ!」


「はい、その通りです」

 思わず情けない声が出た。


「しっかり勉強しろよ」


 と今度も声を揃えて言われ悔しかったが、はい、としか答えられずに私は俯いた。

 


 車が見覚えのあるバスターミナルへ滑り込み、道の駅の駐車場へ停車した。私は二人に車を降りないでいいからと断って、一人だけ下車した。


 一昨日から婆さんが腰を悪くして寝込み、普段から忙しい親方は余計に負担が増えていた。


 そんな中ここまで送ってもらい、私は非常に恐縮していたのだ。咲は少々不満顔だったが、最後は笑顔で手を振り別れた。


 ちょうど来た時と似た、抜けるような青空の朝だった。


 私は帰りのバスの時刻を調べるため、久しぶりに物産センターの建物に入った。


 二重の自動ドアを抜けると、あの時と同じように退屈そうな受付の姉ちゃんが待っていたが、今度はやけに愛想よくバスの案内をしてくれた。


 牧場の経験で少しは大人の魅力を身につけたかと一人悦に入っていたが、最後に付け加えた彼女の一言に、またも無残に夢は砕かれた。


「牧場でアイス売ってた人でしょ。あれはおいしかったわぁ」


 私は小さな声で、「ありがとうございます」と言いそっと引き下がった。

 なるほど。私のような存在でさえ知れ渡るような、小さな町なのである。



 せめて家に土産でも買おうかと売店へ行くと、毎度の如く冷凍ケースのアイスへ目が釘付けになった。


 洋梨の絵が描かれている黄色のパッケージが大量にある。それを一本試しに食べてみて驚いた。地味でローカル色の濃い袋入り棒アイスなのだが、中身はとんでもなく美味い。


 夢中でアイスを齧った。それは言ってみれば洋梨の味がするガリガリ君。


 シャリシャリとした歯触りと洋梨独特の香りがマッチして絶妙な味である。しかし、既に究極のアイスを完成させた私にはどうにも物足りない味でもある。


 良く見ると、売店のあちこちに「極上のアイス」と書かれた幟が立っている。地元のお菓子屋さんが作る、今年のイチオシ商品らしい。



 そこへ至り、鈍い私もようやく理解した。高崎線の神様が言っていたのは、このアイスだったのだ、と。


 神様はただ単に「極上のアイス」と言った。それを私が「牧場のアイス」と勝手に勘違いした。


 そこから私の四十日に及ぶ牧場生活が生まれ、「極上のアイス」を超える牧場のアイス、アイスマン一号と二号が誕生した。まあ、ネーミングのセンスは別として、味には絶対の自信があった。


 神様が私にさせたかったのは、そういう事だったのか?


 いや、多分違うと思うが。


 私は愕然としたが、それよりも神様を超えてしまった優越感と満足感が強い。まぁ、あくまでも自己満足の範疇ではあるが。


 それにしても、私は齢十八にして神を超越してしまった男である。将来が矢鱈と有望になったのではないか?


 その後、私は実に幸福な気持ちでバスを待つ事が出来た。



 第二章へ続く



  

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