11 宿題



 算数ドリルに漢字ドリル。お決まりの読書感想文に自由研究。私の子供の頃と変わらないではないか。


 これをたった二十五日間の夏休みで終わらせろとは何と横暴な。そう言って憤慨する私を、咲は母親のような口調でなだめてくれる。


「まあ、仕方がないじゃないの」

「で、何で少しも終わってないんだ?」


「ま、仕方ないじゃないの」

「まさか俺にやれって言うんじゃないよな?」


「仕方がないんじゃないの?」

「冗談じゃない」


 憤慨する私を、彼女がなだめる。

「まあ、仕方がないんじゃないの」


 これではいつまでたっても勉強が始まらないので、私は憤慨する事を止めた。何しろ我々に残された時間は、たった二週間しかないのだ。



 咲もさすがにある程度の覚悟が出来ていたのだろう。まずは学習計画を立てるところから、協力的に事は運んだ。


 次に読書感想文のために読む本の選択。簡単に決まるだろうと思っていたら、意外と選択肢が多くて困った。


 町から離れた住まいで長い冬を退屈しないようにとの父親の気遣いからか、本だけは山のようにあった。


 その中からなるべく薄くて感想文の書きやすそうな本を探しているうちに、つい私が夢中で本を読み始めてしまい、気が付くと彼女もマンガを読んですっかりくつろいでいた。


 これではいけない。



 そこで本を選ぶのは後回しにして、次に自由研究のテーマに取りかかる。


 彼女は姑息にも、アイスクリームの作り方、などという案を持ち出したが、私は即座に却下した。


 それは私の研究テーマである。


 つい感情的になるが気を取り直して、正論で攻める。


 曲がりなりにもアイスクリームを作り売っている牧場の娘であろう。


 自分の家の商売を外へ持ち出してはいけない。もっと別の物に興味を持ちなさいと諭したが、何が不服なのかすっかり黙り込んでしまった。



 仕方なくそれも後回しにして、算数ドリルから手をつけた。


 夏休みになりすっかり忘れている分数や小数の計算を思い出させながら、少しずつやればどんどん速くなる。


 なかなか賢い娘ではないかと胸を撫で下ろすが、一度曲がったへそはなかなか元に戻らず、それから先は滅多に口を開かなくなった。


 午後もその調子で過ごした。



 結局毎日午前午後と二時間ずつ、彼女の勉強を見る事になった。


 それ以外の時間も、彼女には一人で勉強をさせる事にした。まあ、実際に咲がやるかどうかは別として。


 勉強が苦痛なのはわかるが、日に日に彼女の態度は硬化して、一言もしゃべらない日が続いた。


 さすがに私も重たい空気に耐えかねて、音をあげそうであった。



 三日間我慢して、ついに四日目の午後にはどうにでもなれと、漢字の書き取りをしている咲の前で、いたずら書きを始めた。


 何事も始めると夢中になる私の事、彼女の事などそっちのけで、私は紙にペンを走らせていた。


 気が付くと、咲が身を乗り出して私の絵を見ている。しまったと思うが、今更隠す訳にもいかないので、堂々と開示した。


「なに? それは」

「ああ、アイスマンだよ」


 私が描いていた絵はアイスを作りながら考えていた珍妙なキャラクターで、勝手にアイスマンと呼んでいた。


 断じてミイラの絵ではない。


 ちょうどガリガリ君のようなアイスのパッケージに描かれるキャラクターとして考案したもので、今作っているアイスが売り物になるような完成度を誇った暁には、ぜひこのキャラクターで商品化してもらいたいと夢のような事を考えていた。


「じゃあ、うちの牧場のマークを入れなきゃ」

「なるほど」


 咲の注文に応えて、アイスマンの服に大きく船見ファームの錨印を描き込んだ。


「これでどうだ?」

「うん」


 アイスマンが受けたので、次に私は牛の絵を描いた。


「ぷっ」


 思いきりデフォルメした大きな目玉の牛を見て、咲が吹き出した。調子に乗って次に牛に餌をやっている人間を描いた。


「元ちゃん」


 坊主頭に帽子を斜めに乗せた間抜け面の人物を描きながら私が呟くと、さらに大受けだった。


 咲も牛を一頭描き、これはダフネ、と言った。


 ダフネという名の牛は小柄で茶色いジャージー種で、彼女の母親が生前から可愛がっていた牛なのだそうだ。


 船見牧場には多くのホルスタインに加えてジャージー種の牛も何頭かいる。ダフネもそのうちの一頭で、ジャージーのミルクは濃いのでアイス作りには欠かせないのだと咲が教えてくれた。


 それから二人で牛舎やサイロを描き加えて、牧場の絵が出来た。


 咲はアイスマンをいたく気に入ったようで、様々なポーズのアイスマンを二人で描き込み、色を塗ったりしているうちに、いつの間にやらなんだかいい雰囲気になっていた。



 ちょうどその頃私はアイスクリーム作りに限界を感じ、果物を使ったシャーベットに入れ込んでいて、咲が自由研究にそれをやりたいと言い始めた時には、さすがに駄目とも言えずに渋々了解した。


 それから咲は自由研究の名目で工場へも頻繁に訪れるようになり、私に色々質問をして話し込むようになった。


 懸案の自由研究にも目途がつき、読書感想文の本も程なく決まった。ようやく順調に宿題が消化され、二人の間に聳え立つ垣根も、次第に崩壊した。



 牧場の仲間は相変わらず私の事をアイスマンと呼ぶが、キャラクターとしてのアイスマンを確立した私たちの間では、彼女は単純に私の事をお兄ちゃんと呼び、私は彼女を咲と呼んだ。


 本当は先生ないしは師匠と呼ばせたかったのだが、そこは各方面であまり出来の良くない私の事、声高に叫ぶ訳にもいかず、仕方があるまい。


 それでもついに師弟関係を確立した我々はその後も着々と仕事を進め、彼女の宿題が終わる頃には私のアイス造りも大きな進展を見せていた。



 相変わらず工場の片隅で寝起きする私は、親方の言いつけに従い夜は早目に眠ることにしていた。


 けれども美佳さんの作るチーズやヨーグルトの微妙な温度管理には私のように常時見守るものがいれば、それに越したことがない。明け方に牛のお産で起こされることも幾度かあり、それなりに役にも立っていた。


 そんなある夜、珍しく元ちゃんが工場へ顔を出した。手には大きなビニール袋を提げている。


「ほら、サンタさんが来たよ」

 と言って私の目の前にどさりと袋を置いた。


「何だい、季節外れのサンタさん?」

「そんなこと言ってると、山はすぐに寒くなるんだぞ」


 それはクリーニング屋の巨大なビニール袋で、中にはきれいに畳んだ衣類がぎっしり入っている。


「どうしたの、これ」


「ああ、最近朝晩涼しくなってきただろ。それ兄貴のお古であんまりきれいじゃないけどさ、お袋が持って行けって」


「元ちゃんは着ないの?」


「ああ、俺にはきつくて着られねえよ。ほら、兄貴はアイスマンと同じで細いからな」


 毎日少ない衣類を着まわしている私にとって、これは非常にありがたかった。


「いや、すごいな。まだ新しそうじゃないか。サンキュー、助かるよ。お袋さんによろしく伝えといてね」



 それから元ちゃんが望むまま、試作品を手当たり次第に味見させて、気分の良くなったところで家族の事などを色々と聞いてみた。


 牛にしか興味がないと言っていたお兄さんだが、実は高校生の時には可愛い彼女がいたらしい。


 その彼女は卒業と同時に引越してしまった。今、彼女は盛岡市内で暮らし、地元の信用金庫に勤めているという。


 遠距離恋愛に持ち込むまでも無くあっさりと振られ、それきりのあっけなさ。周囲は慰める言葉もなかった。


 実は、今でもお兄さんは彼女が戻って来るのを待っているのではないかと家族は心配している。


 なに、兄貴が今でも一途に彼女だけを思っているとは信じがたい、と元ちゃんは言う。


 しかし、その時の心の傷が大きすぎて女性不信となり、ついには女性に興味を失ってしまったのではないか、などと私が疑惑を投げれば、幾らなんでもそりゃないぜ、兄貴は意外とむっつりスケベだぞ、などと元ちゃんは軽くいなす。


 ところで家族のみんなは、彼女が戻って来ない事を心配しているのか、戻って来てしまう事を心配しているのか、どちらなのだろうか。


 悲劇ではあったが、牛だけにしか興味がない、という元ちゃんの言葉の裏に隠れたお兄さんの熱い気持ちを思うと、私は仄かな嬉しさがこみ上げる。


 お兄さんの服を着て、私も密かに熱き思いにあやかりたいものだと願う。


「ところで、元ちゃんは?」というのは愚問であった。


「俺は兄貴と違ってモテるからよ」

 と虚勢を張るが、我々が隙さえあれば美佳さんに近付こうと躍起なのはお互いによく知っている。


 それから元ちゃんは工場へ入り浸る私を抜け駆けだと非難し、私は優越感に浸る。最早元ちゃんに何を言われても、気にも留めぬだけの余裕が、私にはあった。



 チーズやヨーグルト造りを通じて私は上手い具合に美佳さんに接近し、一緒に仕事をするのが当たり前になっていた。


 そして美佳さんのヨーグルトと、アイスクリーム、そして私のシャーベットの合体が、ついに奇跡のアイスを生んだ。


 結局、私の原点はガリガリ君であり、一度そこへ帰るしかなかった。


 あの爽快感は特別で、それを残しながら牧場の濃厚アイスを生かすには、何種類かのアイスを重ねて層状にすることが有効と思われた。


 その構成を維持して食べてもらうのに一番都合のよい形状はガリガリ君の棒アイス構造で、ひとまず私はそこを目指した。


 まずは、重ねるアイスクリームを棒状にするためにもう少し固く作る事であった。


 これはアイスクリーマーの設定を少し変えるだけで簡単に出来た。要するに撹拌を少し減らせばよいのだった。しかし、味はそう簡単にいかない。固くなればそれだけ口溶けの印象が変わる。それは変えたくなかった。


 カップアイスの柔らかさをそのままに棒アイスにするには、外側に殻を作ってやればよい。けれどモナカやコーンの殻は着せたくなかった。結局別のアイスを外側に重ねる構造にせざるを得ない。


 シャーベットにはガリガリ君のような氷の粒を混ぜ、歯応えと爽快さを加えた。ところがこれも崩れやすく、外側に殻が必要だった。


 もうひとつ、ヨーグルトとフルーツを混ぜたフローズンヨーグルトを用意し、三段重ね構造を模索した。


 各種フルーツやその配合と、重ねる順番の組み合わせで数十種類を作り、試食を重ねた。


 この作業にはとてつもない時間がかかり、夜半まで作業が及ぶことも度々だったが、もう誰も何も言う者はいなかった。



 最終的に桃とブドウを組み合わせたものと、リンゴとブルーベリーを組み合わせたものを作り、どちらも甲乙つけがたい絶品となった。


 芯はシャーベット。その外にヨーグルトで、一番外にアイスクリームを配し、さらに外側を凍った檸檬果汁で薄く包んだ。


 結局四重構造となった二つの棒アイスをアイスマン一号、二号と名付け、試作品をたくさん作成した。満を持して牧場内部で配ると、その味は関係者を席巻した。


 一つ一つを別々に食べても充分おいしいアイスやシャーベットである。色々別々に試食してもらっていた時には、これを組み合わせる必要があるのかという意見も多かったが、完成品を食べてもらえば即座にその意見を黙らせる事が出来た。


 ついに私は、絶品牧場アイスをわが手にしたのである。



  

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