7 ライダーハウス



 レストランまで慎さんに送ってもらったはいいが、中に入るのも厨房の裏口からで、そこで私はマスターの近藤さんに紹介された。


 近藤さんは薄い頭と濃いヒゲで男性ホルモン過多の中年男で、程良くお腹の出た立派なおっさんだった。


 元々町で洋食屋をやっていたのが経営難で店を閉め、今は春から秋の間はこの小さな店で料理長として働き、冬は近くにあるスキー場のホテルで腕をふるっているという。


 昼飯は慎さんがおごってくれるようで、何でも好きなものを頼んでくれと言って仕事に戻って行った。


 まだ昼には少し早く、客のいない店内のカウンターに腰掛け、私は近藤さんお勧めのクリームシチューを食べた。


 隣のライダーハウスを仕切っているのも近藤さんで、店内のウェイトレスや皿洗いをしているのも、オートバイで旅している途中の女性ライダー二人だった。


 年齢不詳のお姉さんたちにそれとなく話を聞いていると、そのうちどやどやと数人の若者が店内に入って来た。



「近藤さーん、俺、今日はハヤシね」

 先頭で入って来た若者が大きな声で注文する。


「おう、大盛りだな」


「いや、特大で」


ゲンちゃん、今日は早いな」

 カウンターから顔を出して、近藤さんが若者たちの顔を一渡り見回した。


「うん、今日は畑の手伝いに行ってないからな」


「なんだ、サボりか」


「違うって、今日はうちの仕事が休みだから。ここの手伝いまで毎日してたんじゃ身がもたないでしょうが」


 近藤さんが、ゲンちゃんと呼んでいた若者に私の事を紹介してくれた。


 私は呼ばれるままにシチューの皿を持って彼らのテーブルへ合流した。


 元ちゃんは隣にある牧場の次男坊で、何と私より年下の高校三年生だった。他の四人はバイクで旅している若者たちで、皆ここが気に入り何日か滞在している旅行者だった。


 彼らはバスに乗って遥々やって来た私をアホだの物好きだのと好きなようにからかったが、私から見れば彼らも充分におかしな奴らだった。


 四人の旅人は、皆別々に旅している人たちで、東北だけを旅する人、北海道ツーリングへ行く途中に寄った人、日本一周の途中の人など、目的も出身地もバラバラだった。


 そんな連中が集まるこの場所が面白くて、元ちゃんも毎日のように顔を出しているらしかった。


 道の駅からここへ来る途中で慎さんが、あんたみたいなのが沢山いるから、と言っていた意味はこういうことだったのか。



 おかげでその場にすんなり馴染む事が出来た。彼らの語るバイクツーリングの話は実に楽しげで、私の悲惨だった一人旅に比べるべくもない。


 聞いていると、私もバイクに乗りたくなってきたが、残念ながら私は自動二輪はおろか原付免許すら持っていない。


 私がここへ来た経緯も語るには語ったのだが、あのアイスを食べた今となっては、幻の牧場アイスを求めて来たとは中々に言い出しにくく、うやむやのままアイス食べ歩きの旅路を簡単に語った。


 食事の後、彼らと一緒に一度ライダーハウスへ行き、荷物を降ろして缶コーヒーで一服すると、元ちゃんが近所を案内してくれると言う。


 私は元ちゃんの言うままに、玄関の物入れに転がっていた誰の物とも知れぬカビ臭いヘルメットを借用して外へ出た。



 元ちゃんが乗るのは農場を駆け巡るオフロードバイクかと思いきや、太いタイヤの巨大なアメリカンバイクであった。


 それに跨った元ちゃんは、人の良い田舎の青年と思い馬鹿にしていると、なかなかに格好良いのである。


 バイクの後ろに私も跨り、走り始めた。


 広大な牧草地に、点々と牛が見える。隣の牧場だという元ちゃんの家は、遥か牧草地の先に見える建物だろうか。他に人工物は何も見えない。


 山の中腹を走るアスファルト道路は他の車もなく快適で、狭く険しくなった道でさらに上を目指せば、絶景を誇る峠の展望台が待っていた。まあ、見えるのは相変わらず山また山の景色なのだったが。


 温泉へ寄り露天風呂で汗を流した後、帰りに元ちゃんの家へ行き良く冷えたスイカをご馳走になった。やはり、行きに遠く望んだ建物が、元ちゃんの家であった。


 近所には他に家が無いのかと聞くと、近くに数件の農家があり、川の向こうにも十数件の農家があるのだという。



 この辺りの地形は、ちょうどバスが着いた道の駅を中心にして、五本の指を広げたように山の上へと道が続いている。そしてその指を繋ぐ水かきのような道が峠を越えて伸びていた。


 この水かきの道は指先付近にある観光地を繋ぐ絶景の道だが、残念な事にやっと舗装が完了したばかりの細くて狭い道だった。


「この道が整備され、もう少し広くきれいになれば、もっと観光客を呼べるのに」

 と、元ちゃんは言う。


 確かに、バスはこの狭い水かきを通行できず、道の駅と各指先を往復するばかりだ。


 水かきの道は狭く険しい分だけオートバイ乗りには隠れた人気スポットで、船見ファームにライダーが集まる理由の一つはここにある。


 船見ファームと元ちゃんの住む浅川牧場があるのは、北へ向かって伸びる道の一番東側、親指の第一関節辺りにあった。


 温泉があるのは隣の人差し指と中指で、ここにはスキー場もある。薬指には由緒あるお寺があるようで、小指には何があるのかわからない。



 元ちゃんにライダーハウスまで送ってもらい、レストランでのんびり豚丼を食べていると、昼間のライダーたちが帰って来たので一緒にビールを飲んだ。


 その後ライダーハウスへ戻って一階の部屋でテレビを見ながらごろごろしていると、無精髭を生やして陽に焼けた数人の男たちがドカドカと入って来た。


 いかにもガラの悪そうな男たちは何やら卑猥な話をして笑いながら、交代で奥の風呂場へ行きシャワーを浴び始めた。


「よお、新入りだな」

 天然パーマの背の高い男に声を掛けられて、私は殊勝に挨拶をした。


「ああ、知ってるよ、さっき慎さんに聞いたから。わざわざ東京からアイスを喰いに来たんだって?」


 そんな事を言われて仕方なく笑っていると、そのうちの二人が隣のレストランから酒と料理を大量に持って入って来る。


「おお、今日もやるぞ!」

「じゃ、今日も一人千円会費で」


 どうやら宴会が始まるようだった。


 私も財布からお金を出そうとすると、最初に声をかけてくれた天パの男が言う。


「ああ、おまえは今日はサービスだ。慎さんに頼まれてるからな」

 結局そこにいた男ども十人程が、座敷に座って飲み始めた。



 料理は後から来た男たちの夕食らしく、豪快に飲み、食うのを呆然と眺めていると、入口で聞き覚えのある声がした。


「うるせえな、今夜は」

 家に戻って一仕事終えた元ちゃんが、酒を飲みに来たらしい。後ろにはレストランを手伝っていた女性二人も立っていた。


 三人が加わってますます賑やかになり、不思議な宴は続く。


 飲みながら聞いたところにより、この牧場とライダーハウスの妙なシステム構造が見えて来た。



 まず、一日一食でもレストランで食事をすれば、ここにタダで宿泊できる。これは最初に近藤さんから聞いた。私の知っているライダーハウスの典型と同じである。


 しかしここでは更に、牧場の仕事を手伝うと三食無料で宿泊が出来る。


 仕事は大きく二つに分かれており、朝夕の乳搾りと、昼間の畑仕事や雑用だった。両方を全て手伝えば、さらに夜の酒とつまみも無料となり、食事の内容が良くなるなど若干の特典があるらしい。


 朝夕、もしくは昼間の仕事のみなら、食事だけ。全部通しなら、酒がつく、という事らしかった。


 夕方帰って来た連中は皆、朝五時から夜七時過ぎまで、ずっと牧場の仕事を手伝って来た人たちらしい。何ともご苦労な事だ。


 天然パーマの大男は嶋さんという農学部の学生で、この牧場に通ってもう四年目。最初に来たのは高校生のときで、それから酪農を志して毎年夏はここで過ごしている。


 他の男たちも二年目三年目の常連らしく、何が楽しくて貴重な夏季休暇をこんな山の中でタダ働きをしているのか、さっぱりわからない。


 アイスクリームの味見をしただけでタダ酒にありついている私は何となく後ろめたかったが、まあ高校生のくせに平気でタダ酒を飲んでいる元ちゃんよりはマシだろうと、その時は思っていた。


 夜も更けると朝の早い連中と女性陣は二階の寝室に引き上げ、元ちゃんも千鳥足で自転車にやっと跨り、暗闇の道に消えて行った。


 一階は最後まで飲んでいる連中の寝室となり、私も途中で酔いつぶれて意識を失った。



  

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