4 道の駅



 一体どういう理由で神様がこの町を訪れたのか知らないが、余程の事情があったのだろう。


 何らかの明確な目的がなければ、わざわざ来るような場所ではない。


 バスの路線にしても、鉄道の最寄駅から出る直通便は極めて少なく、朝夕申し訳程度に何便か走っているのみだ。


 一番多いバスは近隣の古い温泉街から乗り替える支線に当たるため、何かのついでに立ち寄るような所ではない。


 ここへ来る人は、自らの確たる意思でこの場所を目指さねばならない。うっかりバスを乗り間違えたりしない限り、偶然に頼って辿り着くことは、なかなか困難だったろう。


 盛岡で立ち読みしたガイドブックの断片的な情報によると、ここには平家の落人が隠れ住んだとか、平泉を生き延びた義経が北へ逃れる途中でしばらく身を隠したとか、怪しい伝説もあるようだ。が、相当に胡散臭い。


 山深い土地ではあるが、それは山上に登るまでの道程が長い急坂続きだからで、町の周辺は比較的穏やかな地形で起伏は少ない。


 いわゆる高原の様相である。尾根を隔てた隣町は逆に急峻な山岳に挟まれた土地に温泉が湧き、秘湯として静かな人気を誇っている。

 私が身を隠すなら、圧倒的に秘湯を選ぶ。


 なだらかな地形は林業と牧畜の二つの産業を呼び、どちらも今は振るわない。第三の産業として期待する観光も、この状況では当分苦戦が続きそうだった。



 早朝に盛岡を出て、列車とバスを乗り継いだ。

 乗り物の接続がうまい具合にロスなく出来て、思いがけず午前中の早い時間に町へ着いてしまった。だからと言って、盛岡から近くて便利、とはとても考えられない厳しい行程だった。


 バスが着いたのは町の中核をなす観光物産センターを擁する道の駅で、そこを起点にぱっとしない観光地に向けて町営バスが何ルートか運行されていた。


 終点までバスに乗って来たのは私を含めて数人で、周囲を濃い緑に囲まれた広場に降り立つと、強い日差しに照らされた無駄に広い駐車場の照り返しが眩しくて、目を開けているのも辛かった。


 既に東京の学校は夏休みに入っている筈だ。いくら平日とはいえ、観光客は少なすぎる。寂しい気もするが、これはこれで物静かで良い感じだ。私は取りあえず、目の前の建物に入る事にした。


 東京を出てから約半月、東北地方もいつの間にやら梅雨明けしたようであった。あれ程降り続いていた北国の雨も、この地域ではあまり被害もなかったように見える。


 天井の高い木造の巨大な建築物だった。大きなガラスと傾斜の強い屋根。


 二重の自動ドアを通り抜けてすぐのカウンターに化粧の濃い、閑そうな若いお姉ちゃんが座っていて、どうやらこの旅ではお馴染みとなった観光案内所のようだ。


 室内は乾燥した冷気が穏やかに流れ、微かに木の香りがした。



 私はさっそく神様の言葉に従い、アイスクリームについて尋ねてみる事にした。


「この辺の牧場でアイスクリームを作っている所って、ありますか?」


 私のような、都会の洗練されたセンスを持つ若い男が訪れる事は滅多にないだろうと思われる、田舎町である。


 精一杯爽やかな笑顔で朗らかに質問する私の存在は、ひときわ鮮烈な印象を彼女に残した筈だ。だが彼女は私を一目見るなり明らかな失望の色を浮かべて、気のない返答をする。


「牧場ですか?」

「はい、牧場です」


 オウム返しに答えたが、「なんだ、ガキか」という彼女のため息が聞こえるような気がして気後れし、私は急速に自信を失い走って逃げ出しそうになった。


 私が逃げ出すよりも早く、彼女は後ろを振り返り、廊下の奥の暗がりで大きな風呂敷包みをほどいている老婆に声をかけた。


「アサさん、この人牧場さ行きたいって言うんだけど」


 呼ばれた老婆は顔を上げ、値踏みするように眉をひそめて私の全身を下から上へと、ゆっくり見上げた。暗闇から届くレーザービームのような視線に背筋を冷たいものが走り、私は一歩後退する。


「あんた、……バスに乗って来たんかい……?」

 老婆は噛みつくように話すが、遠くて声が途切れがちだ。


「はい、今のバスで着きましたけど」

 私はそれだけやっと言い、意を決して廊下の奥へと歩み寄る。


「で、牧場さ行きたいってか?」

 老婆は相変わらず私を睨んでいるが、今度は良く聞こえた。


「ええ、アイスクリームを売っていると聞いたので」

 幾分気を取り直して、さらに半歩前へ出る。


「ああ、売ってるな」

 老婆はしわくちゃな顔をゆがめて話すが、もしかしたらそれは笑っているのかもしれない、とふと気付いた。


「そこで作っているんですか?」


「そうだな」

 何となくその声にも、嬉しそうな、誇らしげな気配を感じる。


「で、どうやって行けば……」

 調子に乗ってそこまで言った時、老婆は裏口の方を振り向き、何やら怒鳴った。やっぱり怒っていたんだと思い、私は飛び上がった。



 しかし怒鳴られたのは短い髪の若い男性で、口から泡を飛ばして話す老婆の声に何ら怯むことなく自然体で応対している。


 その大木のような存在感は、何れ私も更なる成長の暁にはかく在りたいと羨む程の、尊敬に値する男っぷりであった。


 男はこちらへ歩いて来て、私へ声をかける。

「バスで来たって?」


 老婆と同じ事を言う。陽に焼けた笑顔は、柔和なシワに縁どられていて、遠くで見た時よりも優しげな印象を抱いた。


「はい、今着いたばかりなんですけど」


「若いね。高校生かい?」


「いえ、大学スベって、今は予備校生です」


「そうか。そりゃ大変だな」


「いえ……」


 私には答える言葉がなかった。今までそんな風に普通に大変だな、なんて言われた事がなかった。


「まあ、今頃こんなとこで遊んでるんだから、大変ってこともねえか。な、アサさん」

 男は大きく笑って老婆の顔を見る。


「まあ、暇ならゆっくりしていきな」アサさんと呼ばれた老婆もそう言って私の背中を軽く叩き、顔をゆがめて笑っている。


 私もつられて笑いながら、二人を交互に見た。


「シンさん、この人連れてってくれるかい」

 老婆が言うと男はジーンズのポケットから車のキーを出した。


「よし、これから牧場へ帰るから、車に乗りな」


 男は老婆に片手を上げて挨拶すると、さっさと出口の方へ歩いて行く。老婆が私の荷物をポンと叩き、「じゃあな」と言うので私は慌てて会釈をして、後を追った。



 自動ドアのところで、男に追いついた。


 並んでみると、彼の体格は思った程大きくなく、私の方が少し背丈が高いくらいだ。多分体重は私の方がかなり軽い。細身だが引き締まった筋肉が、体を大きく見せている。言いかえれば、か細い私はより小さく見えるのだろう。


 それにしても、つい先程バスを降りたばかりなのに、この展開は何だろう。行けばわかる、と神様が言ったのは、こういうことだったのか。だが、あまりにも不明な点が多すぎた。


「牧場で、アイスを作っているんですか?」

 私はそれだけが気がかりであった。せめて車に乗り込む前に、ここだけは押さえておかねば。


「ああ、最近は観光農場の方へ力を入れていてね。キャンプ場を作って食堂で肉を喰わせたり、アイスクリームを作ったりと、色々始めたところさ」


 それを聞いて安心した。


「あの、牧場の方なんですか?」

 今更ながらだが、なにしろ勝手にこういう話になって困惑しているのはこちらだ。


「ああ、牧場で働かせてもらってる。さっきのばあさんは朝子さんと言って、これから向かう船見ファームの大奥様で、社長のお母さんさ」

 意外な話であった。


「その大奥様がどうしてあんなところに?」


「ああ、アサさんは昔から農場で採れた野菜や山菜、それに季節によっては手作りの餅や団子をここで売っていたのさ。今は俺が牛乳を卸しに来るついでに乗せて来て、一日ここで売り子をしながら町の人たちと遊んでいるようなもんだ」


 鄙びた町の萎びたババが、なんと大奥様とは。


 危うく失礼な事を口走るところであった。見た目で人を判断してはいけない。実際、浮浪者のような怪しい身なりではあるが、この私も東京に帰れば将来有望な立派な学生である。

 否、予備校生というのはあまり将来有望ではなく立派でもない学生だが。



 再び目の眩む陽射しの中を歩き、建物の裏に停めてある白い軽トラックまで歩いた。


 勧められるまま助手席に座ると、尻に火が着いたような熱さだった。これは今の自分が本来置かれている状況に似ているなぁと、ぼんやり思った。


 予備校の仲間はきっと今頃、後のない浪人生活に神経をすり減らしながら厳しい夏期講習に身を投じているのだろう。


 シートに身を預け、一体どうしてこんな事になってしまったのだろうなと、改めて自分の行動を思った。東京を出て以来のあまりに酷いバカバカしさぶりに、自然とおかしくなって笑いがこみあげて来る。


 車が走り始めると、開け放った窓から流れ込む高原の乾いた風が心地よく、実に爽快だった。


 膝の上に置いた荷物を抱えてニヤニヤしていると、隣の男が怪訝そうに私の顔を覗き込む。私もはっと気が付き、照れ笑いを浮かべる。言い訳をしようとする私より先に、声をかけられた。


「一人旅が長くなると、あんたみたいにおかしくなるのか。元々そういう奴が一人旅なんかに出るのか。俺も元々旅人だったのがここに住み着いてもう十年になるけど、最近は旅する暇もないから忘れたな。でも、まあ安心しろよ。うちにはあんたみたいなのが沢山いるから」


 あんたみたいの、と簡単に言われて、私は少しムッとした。


 けれどその男、しんさんの言う事は、決して間違ってはいなかった。



  

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