第34話 それを見たかったんだ
ただ呆然と立ち尽くし、続く言葉が出てこない。
「ほ、本当に?」
わたしの目の前にいる初恋のひと。
気づいた時には終わってしまった恋。
クリスが深く静かに頷く。
そして、内緒だよと言わんばかりに青い瞳を輝かせながら、わたしの唇にクリスが人差し指を押し当ててきた。
「やっと、やっとシャンディが俺のことを聞いてくれた。俺のことを忘れてしまったのかと思った」
(そ、そんなことある訳ないじゃない!忘れられる訳が…)
「ずっと待っていた。シャンディの口から俺の名前が出ることを」
わたしの耳元に顔を近づけてきて、囁くようにクリスが話す。
わたしは心の中で、クリスに聞きたかったけどタイミングが掴めなかっただけ!と必死に叫ぶ。
「ちゃんと俺に聞いてくれたら、明かすつもりだったんだ。シャンディには嘘をつきたくないしね。でも、ずっと俺のことを気にかけていてくれたんだね。その気持ちがうれしいよ」
そう甘く囁くように言われ、耳も頬も全身が熱い。
そして、変な汗が出てくる。
わたしの隣でラスティもじっとやり取りを見ていたので、照れ隠しの矛先をラスティに向ける。
「ラスティはもしかして、このことを知っていたの?」
小声で聞いてみる。
「知っていたよ。あの森で出会った夜に身元ぐらい確認するのが普通だろう」
「確かに。そうだよね。このことを知らないのはもしかして、わたしだけ?」
ラスティが首を横に振り、小声で話す。
「このことを知っているのは上層部だけだよ。このお方がここにいることが広まると、身に危険があるかも知れないからね」
あえて名前は伏せて話し、ラスティがチラッとクリスを見る。
「シャンディに俺のことを伏せるように、俺がラスティにお願いしたんだ」
クリスが申し訳なさそうにする。
「えっ?どうして?」
「シャンディには自分の口から話したかった。ここではゆっくり話せないから、あとで時間をもらえる?」
「わかった。あとでね」
クリスがうれしそうに頷いた。
「とにかく、わたしの大事な「同士」が無事で良かったわ」
真っ直ぐにクリスの綺麗な青い瞳を見る。
本当に心の底から、そう思う。
わたしの初恋のひと。
クリスが少し淋しそうに笑った。
「そこ!さっさと手を動かすよ!」
先輩騎士から声をかけられて、それを合図のようにわたし達は作業に戻った。
それにしてもびっくりした。
そうならそうとクリス殿下も言ってくれたら良いのに。
あとで聞きたいことがいっぱいある。
でも、前髪は切ったのね。
アイデンティティだと言っていたぐらいなのに。
クリス殿下にとって、良い心境の変化があったのだろう。
そこに自分が関われなかったことを残念に思うけど、ただただクリス殿下の前向きな変化をうれしく思った。
小麦の収穫は着々と進み、日が沈むギリギリまで作業は続いた。
夕食後、屋敷の図書室でクリス殿下と話すことにした。
「ソノラにお願いがあるの。図書室でクリスと話しをするから、お茶をお願いしても良い?」
「あらあらまぁ。そういうことでしたら、何杯でも」
ソノラがなにかを勘違いして、上機嫌だ。
確かにわたしにはペイトン様との婚約話以来、浮いた話は全くない。
ソノラが年頃のわたしが騎士団の仕事ばかりで恋愛のひとつもしないから、気を揉んでいるのは知っている。
「ソノラの思っているような関係ではないわ。ただ、思い出話をするだけ」
「俺としては、思い出話だけでなく、シャンディと未来の話もしたいけど?」
わたしとソノラが廊下で話しをしていたのをどこで聞いていたのか、クリス殿下が顔を出す。
「クリス!」
「クリス様、ぜひ恋に前向きになれないお嬢様と未来のお話しをお願いします」
「ソノラさんのご期待に添えるように大切なお嬢様が恋に前向きになれるように口説きますね」
「ええ。よろしくお願いしますよ。では、後ほどお茶をお持ちしますね」
そう言うと、ソノラはスキップでもしそうな勢いで厨房に走っていった。
「ソノラが変な誤解と無駄な期待をします。あまり揶揄(からか)わないでください」
わたしのそばにいたクリス殿下をキッと見上げると、意味ありげに微笑まれた。
「シャンディ」
わたしの名前を優しく呼び、クリスが手を差し出す。
「手を」
図書室までエスコートしてくれるのね。
騎士団では男も女もないから、こんな風に女性として扱われるのは久しぶりかも。
そっとクリス殿下の手のひらに上から手を乗せる。
合わせた手が熱い。
そして、やっぱりクリス殿下は気遣い人。
わたしに合わせて、ゆっくり歩いてくれる。
「本当はシャンディと話しをするなら共同墓地だと思ったんだけど」
「そう言われると思っていました。でも、夜は単なる肝試しになりますよ。キール様もいないし」
ふたりで顔を見合わせて、笑ってしまった。
その感じがすごく懐かしく、心地良かった。
「クリス殿下、前髪を切られたんですね」
「見たいものが見れなくて、鬱陶しく感じたんだ。だから、切った」
「キール様が切った方が良いと進言されていた言葉が、やっとクリス殿下に届いたんですね」
可笑しくて、クスクス笑ってしまう。
「それを見たかったんだ」
「どれを?」
「シャンディが笑っているところ」
わたしの手をぎゅっと握り、愛しいものを見るかのような、真っ直ぐな優しいクリス殿下の眼差しに目を逸らすことができなかった。
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