第54話 またまた泣き笑い

 それからしばらく、ふたりは無言のままずっと抱き合っていた。

 お互いの生きている証の温かい体温を確かめるように。そしてずっと感じていたくて。



「あの…ここ、クリス殿下の部屋ですよね。しかも寝台も独占していて申し訳ありませんでした。いろいろとご迷惑をお掛けしたみたいで本当に申し訳ありません」


 いまは寝台に座りながら、クリス殿下に後ろから抱きしめられている。

 痛み止めが効くまではこうしていることになった。


「昨夜はシャンディは高熱が出ていたんだ。ラスティが気づいて、ここまで抱き抱えて連れてきた。なにも気にすることはないよ」

 わたしの短くなった髪を労(いた)わるように優しく撫でながら、そっと囁くように言う。


 さっきから左手に違和感を感じていた。

 袖をまくると、怪我をしていた腕に包帯が巻かれていた。


「手当てが…」

「勝手にして悪かったけど、あのまま放置することは出来なくて。俺とラスティでしたんだ。自分でこの怪我に気づかなかった訳じゃないだろう?」

「深く切られたことはわかっていたんですがそこまで痛みはなくて。見るときっと痛くなりそうな気がしたので…」

 心配そうに包帯の巻かれたわたしの左腕に優しく触れてきたクリス殿下に苦笑いを向けた。


 忙しさのあまりに、傷の深さもちゃんと確認をしていなかった。


「夏だし、そのまま放置していたら死ぬところだったんだぞ。これからはもっと自分を大事にしてくれ」

 クリス殿下の瞳を見ると、少し怒っている。

「それにシャンディが死んだら、耐えられない。俺に愛されていると早く自覚してくれ」

 クリス殿下の凄みと真逆のその甘い言葉に、赤面してしまった。



 いまは朝だと言っても、まだ夜明け直前だ。

 窓の外は低い空が朝焼けで橙色に染まってきた。


 わたしはいつまでもここで寝ている訳にも行かない。

 痛み止めも効いてきて、熱も下がってきたようだ。身体も軽くなった。


 今日は忙しい。

 カーディナル殿下一行は早々に出発すると聞いている。

 出発の準備をお手伝いしなければ。


「ところで今日、ギブソン殿下達も帰られるのですか?」

「ギブソン兄さんとゆっくり話したかったけど、今回の報告があるからカーディナルが出発したら、すぐに王都に帰るって」

「クリス殿下はギブソン殿下と仲が良いんですね。昨日、師匠がおふたりの仲の良い様子にすごく驚いていたので悪いのかと思いました」


 クリス殿下が小さく首を横に振る。


「第一皇子のラムレット兄さん、第二皇子のギブソン兄さんとは同じ血を分けた兄弟だけど、今まで兄さん同士はお互いが牽制し合って仲は良くなかった。俺はそれに巻き込まれないように、出来るだけ関わらないようにしていたんだけど、誰かさんに「能動的になれ」と言われ、目が覚めた。だから、兄弟にも能動的になってみたんだ。自分から兄達に働きかけてみたんだ」


 いままでで見たこともないような人懐っこい笑顔をして、わたしを見る。


 その「能動的」になれと言う言葉をわたしは確かにクリス殿下に吐きました。


「留学という名の人質でマッキノンに行く前に

「別れの挨拶をしたい」と俺から兄達を誘ったんだ。人払いもして、本当に初めて兄弟だけで本音で話し合ってみた。それまででも2人の兄も兄弟で話しをしてみたかったようだけど、意地の張り合いだったから、なかなかきっかけが掴めなくって仲が悪いままだった。でも、その話し合いをきっかけにお互いがなにを考えているのか、どうしたいのか分かり合えることができたんだ」


 クリス殿下が後ろからぎゅっとわたしを抱きしめた。


「俺達兄弟にきっかけを与えてくれたシャンディのおかげでいまは仲が良いんだ」


 わたしはすごく首を横に振る。


「わたしはなにもしていないわ。あの時の言葉はきっかけに過ぎない。クリス殿下があの時、しっかりと小娘のわたしの言葉を受け止めてくださったからですよ」

 

 クリス殿下がわたしの短くなった後ろ髪に顔を埋(うず)めるように口づけをする。



 コンコンコン


 空いている扉をわざと大きなノックをし、その姿をチラッと見せたのはキール様だった。


「ねぇ、早朝しか時間がないからクリス殿下と話しをしようと思ってきたら、扉が開いているとはいえ、この時間に寝台にシャンディとふたりでいるってのはどういうこと?その状態はなに?俺にわかるように説明してくれる?」


 わたしとクリス殿下はお互いの顔を見合わせると、思わず笑ってしまった。


 キール様、そうですよね。

 だって、あの3年前のクリス殿下にもわたしにも別々の婚約者がいた状況から、今日のこの状態は想像出来ませんよね。


 早く説明しろよ。と言わんばかりのキール様の細くなった視線。

 それでも、キール様のその視線の中に、「やっぱりな」という心の中の声が聞こえてきて、また泣きながら笑ってしまった。

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